―3―
「咲夜!」
鈴を鳴らしたような声が名を呼ぶ。
いや、呼ぶと言うより叫ぶと言った方が良いかも知れない。
「咲夜!どこ?!」
幼馴染の蓬の声に、咲夜は微かに形の良い眉を寄せた。
「蓬!ここ!」
薬草を摘んでいた手を止めて、草の陰から咲夜が声を上げる。こちらに向かってまっすぐに駆けてくる親友を気遣うように咲夜は長い睫毛の下の色素の薄い瞳で蓬を見つめた。
「咲夜!た、大変だよ!」
淡い若草色の着物の裾をはためかせ、息を切らせながら蓬が駆けてくる。ポキリっと手元の薬草の茎を折って、それを手持ちの籐籠に入れながら咲夜はゆっくりと立ち上がり、蓬が側に駆け寄るのを待った。
まだあどけなさの残る頬を、薄紅色に上気させながら二つ年上の幼馴染は走り寄る勢いのままドンっと抱きつくように咲夜の身体を抱きしめる。
「…っし、使者が」
呼吸を荒げたまま何とか言葉を紡ごうとする蓬の背中を、ゆっくりと宥めるように撫でて咲夜は微笑んだ。
「どうしたの?蓬がそんなに慌てるなんて珍しーー」
「使者が来た!」
咲夜の言葉を遮るように蓬は叫んだ。
「哮牙の里から、使者が来たのよ!」
今にも泣き出しそうな声で蓬はそう告げる。
「咲夜を迎えに来たって、長が貴女を探してる…!」
「……ぇ?」
ドサリと音をたてて咲夜の手から籐籠が落ちた。息をするのも忘れたように咲夜はその場に立ち尽くす。
「どうしよう!このままじゃ咲夜、連れて行かれちゃう!」
蓬は声を震わせながら、咲夜の背中へと回した腕にギュッと強く力を込める。
「迎えの、使者……」
白い肌をさらに青白くさせて咲夜は蓬の言葉を繰り返す。
「私の…迎え……?」
――そんな…… どうして?
哮牙からの使者と言う事は、嫁取りの迎えなのだろう。
「由乃さんが…咲夜を是非にと長に願い出たって…」
「母様が…」
小さな呟きと共に咲夜は自分の生みの親である由乃の顔を胸の中に思い描く。物心ついてから咲夜は由乃の笑った顔を見た事がない。いつも冷えた眼差しで静かに咲夜を見つめていた。
ズキリッと左の肩に痛みが走る。その痛みはゆっくりと全身に広がり、咲夜の心を侵していく。
あぁ、私は捨てられたのだ。と咲夜は思った。
ゆっくりと長い睫毛を伏せて長いため息を吐く。諦めにも似た昏い闇に苦しみも悲しみも沈めて、咲夜は足元に落とした籐籠を拾い上げた。
「わかった。長の所に行く」
青白い顔で咲夜は言った。
「咲夜!あなた、分かってるの?」
咲夜の細い肩を掴んで蓬が声を荒げた。
「それは、もう2度とこの里には戻れないと言う事だよ!」
「分かってる」
青ざめた横顔を蓬に見せないように俯いたまま
咲夜は短く答えた。
「分かってない!」
悲鳴のような声で蓬は叫んだ。
「咲夜、あなた まったく分かってない!哮牙への嫁入りは人質になるって事よ!!」
咲夜は一瞬息を止めて、その後ふっと瞳を細めて微笑した。
「うん。分かってる」
静かな、とても静かな声だった。
「分かってるよ」