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「マレビト信仰って知ってる?」
突然の魄の問いかけに、咲夜はハッと息を飲んだ。
パチリと小さく焚き火が爆ぜて音を立てる。咲夜に頬を打たれた事を気にも止めていないように、魄は蒼い目で咲夜を真っ直ぐに見つめて言った。
「古い言い伝えがあるんだ。遥か昔、垂仁天皇の時代。田道間守と言う家臣に天皇は常世の国に行き、食べれば不老不死の命を授かると言われる非時香果を手に入れて来て欲しいとお頼みになった。田道間守は垂仁天皇の願いを叶える為に旅に出る。」
魄はお伽噺でも聞かせるようにゆるゆるとした声で続けた。
「それは長い長い旅だった。田道間が垂仁天皇の元に戻った時には、すでに10年の月日が流れていた。やっと帰り着いたものの天皇は田道間の帰りを待たず、すでに御崩御されていた。田道間守は持ち帰った非時香果を亡くなられた天皇の御陵に供えると約束を果たせなかった事を深く悲しみその場で自害された。」
「非時香果……」
咲夜はそれをどこか懐かしい響きを持って聞いていた。
「それから時は過ぎ650年ほど後、皇極天皇の時代だ。駿河国の富士川の近くに大生部 多と言う豪族が居て、不老不死を願い常世神を祀っていた。」
魄は差し入れた指で咲夜の髪を梳きながら声を低くする。
「巫覡を従え、生贄を捧げ、常世から神を呼んだ。その常世からやってくるのがマレビトだ。」
指の間をサラサラと流れ落ちる銀白色の柔らかな髪を弄ぶように魄は優しげにも見える仕草で何度も繰り返し咲夜の髪を梳く。
「多は信じていたんだ。田道間守が本当に常世へ行ったのだと。本当に非時香果を持ち帰ったのだと。だから常世神を現世に呼び寄せる事にした。」
魄はクスリと微笑みを浮かべて咲夜の耳元に顔を寄せた。
「多は覡を依代にして生贄を捧げ、マレビトを呼び出した。現世にあってはならない神の力を我が物にせんとする多を深く憂いた聖徳太子が、側近である秦 河勝に多の討伐を命じたんだ。」
ーー たぶん、もうじき俺は死ぬ。
少年の声が頭の中にこだまする。咲夜は耳の奥でドクンと鼓動が打つのを感じた。
ーー 俺は……神の依代だから。
感情のない静かな声で少年は言う。
ーー いつか生まれ変わったら、また巡り会って俺を見つけてくれるかな?
「闇刀……」
ドクドクと脈打つ熱が肩に集まってゆく。咲夜の匂い立つ甘い香りが魄の鼻腔を満たした。
「僕はその、多の一族の末裔だよ。」
艶やかに微笑む魄は、冷えた氷のような瞳で咲夜を見つめる。
「千年 待った。」
ゆっくりと顔を傾け唇を寄せると、魄は薄い微笑みを浮かべたまま触れるだけの口づけを落した。
「やっと会えたね、生贄の姫。」
私を呼ぶ声は誰のものなのか、押し寄せる記憶はいつの事なのか、分からないのに知っている。魂に刻まれた証のように私はそれを知っている。
ぷつりと途切れた意識の闇に、咲夜は深く落ちて行った。




