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パンッ!
と乾いた音が響いて咲夜の手にジンとした痛みが走る。睨むように視線を上げると、頬を打たれた魄の横顔が目の前にあった。
顎から耳にかけての細い線に女郎花の花に似た淡黄色をした髪が落ちてその輪郭を縁取る。人形のように綺麗な魄の頬に咲夜の手の跡が赤く咲いていた。
怒らせただろうか。殴り返されるかもしれない。
咲夜が身構えようとした時、伏せていた睫毛を上げて、魄が視線だけをこちらに向けた。ギクリと肩を震わせる咲夜を魄の蒼い瞳が射竦める。
「この匂い……」
たじろぐ咲夜の心内など意に介す事もなく、魄は咲夜の頬にそっと指を滑らせる。
「非時香菓……」
魄の言葉は咲夜へのものではなく、自分自身が噛み締めるような囁きだった。
「お前はまさか……」
頬に触れた指が首筋へと滑り降り、流れる柔らかな髪にその手を差し入れると、魄の蒼い双眼が咲夜の目を覗き込んだ。瞬きも忘れて見つめ返す咲夜は戸惑いを隠せずに、緩く眉を寄せる。
「ときじく……?」
「時を定めず、常に美しい実をつけて甘く香る木の事だよ」
咲夜の問いかけに思いがけず魄が答えてくれた。
そしてもう一度、咲夜の放つ芳香を確かめるようにその首筋に顔を埋めて、魄は小さく笑った。
「そうか。お前が……」
確信したように魄が呟く。
「生贄の姫」
ーー誰にも知られてはいけないよ
由乃の声が頭の中で木霊する。
ーー絶対に知られてはいけないよ。
肌を切り裂く刃が咲夜の肩に突き刺さる。
ーー見られてはいけない。どんな事があっても。
約束して、咲夜。
ぬらりと血に濡れた刃を握りしめて由乃が言う。
ーーこの印は生贄の証。
決して知られてはいけない、非時香。




