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月鬼の華 ~ tuki no hana ~  作者: うめは
悠久の契り
36/54

―7―

 朝から降り始めた雨は、細い絹糸のように鉛色の空から音もなく落ちてくる。庭の紫陽花が白玉のような露を受けて艶やかに咲き誇っていた。


 開け放した障子の向こうに視線を向けたまま、(よもぎ)はぼんやりと百知(ももち)刀鬼弥(ときや)のやりとりを聞くともなしに聞いていた。このところ毎日のように呼び出されては刀鬼弥の縁談について、一緒に説得するようにと百知から頼まれている。


「なぁ蓬。お前からも言ってやってくれよ。」


 百知は不貞腐れてそっぽを向く刀鬼弥に、ほとほと困り果てた様子で蓬に助けを求めた。


「裏切り者。」


 刀鬼弥は蓬を睨んでボソリと低く(うめ)く。


 百知の呼び出しから逃げ回る刀鬼弥の襟を掴んで引きずってきたのは他でもない蓬だった。


「お前だって嫌だろ。惚れてもいない男の嫁になるなんて。」


「夫婦なんてもんは色々あるもんだ。一緒になって寝食を共にすりゃ、情なんざ後からいくらでも湧いてくるさ。」


 百知は諭すようにウンウンと自分の言葉に頷きながら言う。


「百知様もそうだったのですか?」


 蓬は庭に向けていた視線を百知に移して問うてみた。


「俺か?俺はまぁ、なんだ。ガキの頃から許嫁(いいなずけ)が決まってたからな。」


「てめぇは惚れた女と一緒になったくせに。」


 照れたように小さく微笑む百知に、刀鬼弥は思いっきり呆れたような声を上げた。


 今は亡き刀鬼弥の母は、幼い頃から百知と一緒に兄妹のように育てられた幼馴染だったらしい。

 親が決めた縁談だったと百知は言うが、彼女の事を話す時はいつも、とても優しい目をする。


 愛していたのだろうな。と蓬は思った。


 いや、今でも愛しているのかもしれない。

 刀鬼弥を産むと産後の肥立ちが悪く、あっけなくこの世を去った妻に、百知は今も想いを寄せているのだろう。周囲からどんなに説得されても決して再婚などはせず、男手一つで刀鬼弥を育てあげた。


 この世を去った後まで愛されるとは、どんな感じがするのだろう


 そんな事を蓬が考えていると、廊下にバタバタと足音を響かせて誰かが部屋の前に走って来た。

 何事かと蓬が顔を上げると同時に襖の向こうから声がかかる。


「百知様!刀鬼弥様!至急のご報告が!」


 耽る思いを破るように百知(ももち)の侍従が声を上げた。


「騒々しいぞ、まったく。廊下を走るな。行儀が悪い。」


 百知はいつものようにのんびりとした声音で(たしな)める。


「申し訳ございません。哮牙(こうが)より使者が参っております!」


 形ばかりの詫びを述べ侍従は頭を下げたまま言った。


「哮牙から?」


 刀鬼弥は不機嫌な顔で問うと、侍従は手にしていた文を差し出した。


「こちらを」


 百知がそれを受け取って開く。紙の上にさっと視線を走らせると、苦い顔でガシガシと頭を掻いた。


「ちっ。面倒な事になったな。」


 百知から()手繰(たく)るように文を奪うと刀鬼弥もその文面に視線を向ける。


「何が書いてあるの?」


 不安が声に出てしまったかもしれない。蓬は自分に落ち着けと言い聞かせながら刀鬼弥を見た。


禕牙(いが)攻めだとよ。」


 百知がまるで他人事のように淡々とした口調で答えた。


「禕牙攻め?」


「織田の次男が野心を隠しもしねぇで、まったく。」


織田信雄(おだ のぶかつ)が……。」


 蓬の呟きに刀鬼弥は真紅の瞳を歪めた。


信雄(のぶかつ)信長(のぶなが)伊勢国(いせのくに)を攻撃した和睦の条件として、北畠(きたばたけ)家の養嗣子(ようしし)になり家督を継いでいたんだが、三瀬(みせ)(へん)で義父である北畠(きたばたけ)具房(ともふさ)と共に、その息子2人と家臣まで殺しやがったんだよ。」


 百知は膝の上をトントンと指で叩きながら思案するように「うぅむ」と唸った。


北畠(きたばたけ)家は志摩国(しまのくに)伊賀国(いがのくに)大和国(やまとのくに)の南部、それと紀伊国(きいのくに)の東部にまで及ぶ一大勢力だ。今はそれらを全て信雄(のぶかつ)が支配している。これを機に伊賀国(いがのくに)を全て掌握したい考えなんだろうよ。」


「そんな……」


 蓬が言葉に詰まると百知はニヤリと笑った。


「させねぇよ。」


 膝の上の指をひらりと上げて侍従に合図を送ると、刀鬼弥に視線を向けた。


(いくさ)だ刀鬼弥。お前も支度しろ。」


(おさ)、もう一つ文が。」


 侍従がさらにもう一通の文を差し出すと、今度はそれを刀鬼弥が受け取った。そのまま文を開き文面を目で追うと、(あか)い瞳が燃えるように深く紅さを増した。


「悪いな親父。俺は別に所用が出来た。」


 驚いたように刀鬼弥を見る百知に文を渡すとそのまま部屋を出て行こうとする。


「待って、なにがあったの?里の一大事より大切な用事って何よ。」


 蓬が刀鬼弥の袖を掴んで聞くと文を読んだらしい百知が渋顔を作り溜息を吐いた。


「言って聞くような息子でないこたぁ分かってるんだが、一応言っておく。」


「止めても無駄だ。」


 刀鬼弥は百知の方を見ようともせずに答えた。


「お前の背にはでけぇ重荷が乗っかってんだ。自分(てめぇ)一人の命じゃねぇ。それを全部放り出して我儘を通そうってんなら、お前にも覚悟を決めてもらうぞ。」


 百知は真紅の瞳で刀鬼弥の横顔をじっと見つめる。


「お前がただの『刀鬼弥(ときや)』として好きにするのはこれが最後だ。戻ったらきっちり腰を据えてお前は嫁を迎えて俺の跡目を継ぐんだ。」


 有無を言わさぬ厳しさを含んだ声に、刀鬼弥はただ黙って目を閉じるとそのまま部屋を出て行った。

 百知から渡された文を読んだ蓬は、それを握りしめて青ざめた顔でその後ろ姿を見送る。


「咲夜が……」


 咲夜が居なくなった……ーー

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