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禕牙の頭領である百知は不機嫌そうに胸の前で腕を組み、眉根を寄せていた。
「由乃、本当に良いのか?」
「はい。」
百知の低く唸るような問い掛けに、由乃は短くキッパリと答える。
「だがなぁ、咲夜はつい先月15になったばかりだろう」
百知は渋い顔のまま呟いて「うーん」と唸った。
「分かってるとは思うが、哮牙に出すと2度と娘に会えなくなるんだぞ。」
つい先刻、哮牙の頭領が朢月の使者より朢月の嫡男に禕牙の娘を嫁にと願う書簡を受け取った。同じ鬼の種族同胞であり同盟を結ぶ哮牙からの正式な申し出を断る訳にもいかない。
里の長としては、一族の為に哮牙との共存を成さねばならない。その為に誰かが犠牲になる事は避けられない。
しかしなぁ…と小さな声で呟いて百知はガシガシと頭を掻いた。
「由乃の所は母1人子1人だろ。生き別れたらお前、天涯孤独になっちまうじゃねぇか。」
「そうですよ」
柔らかな声が百知の言葉を引き継いだ。
「哮牙には私が参りますから。」
ニッコリと微笑んで杏が言った。女性らしい丸みを帯びた身体に、艶やかな黒髪。二重のぱっちりした目と、おっとりした話し方は成熟した女性の色気と少女のあどけなさが混同して杏は不思議な芳香を放っていた。
「それに…」
ふっくらとした唇に緩やかな笑みを浮かべて、杏は内緒話でもするように囁いた。
「刀鬼弥が悲しむのは可哀想です。」
「やれやれ」と溜息を吐きながら百知は自分によく似た息子の顔を思い浮かべる。
まったく、アイツも随分と長い片想いをしているもんだ。
「ダメです!」
由乃のキツイ声音に杏の唇から笑みが消え眉間に皺がよる。百知も驚いたように顔を上げて由乃を見た。
「咲夜は哮牙に行かせます。」
由乃は硬い決意を込めて言い放った。
「絶対に」
なぜ由乃はこんなにも頑なに咲夜を哮牙へやりたがるのか、訝しく思いながら百知は黙って由乃を見つめた。その目をそらす事なく由乃も百知を見つめ返す。
由乃には絶対に譲れない誓いがあった。誰にも知られてはいけない秘密が。ここで引くわけにはいかないのだ。これが最後のチャンスになるだろう。
もしここで咲夜が哮牙に行かなければあの子は来年の今頃
ーーこの世にはもう居ない




