朔夜 〜サクヤ〜
ーー朔夜…… 朔夜……
静かな声が呼んでいる。
ーーもうすぐだ。もうすぐ、迎えに行く。
あぁ、またあの夢を見ているのか……。
咲夜は1人、溺れそうな闇の中で目を閉じる。
暗い暗い闇の中、はらはらと散るは桜の花弁
「まるで雪のようだ」
その人は散る花を見て、そう言って微笑った。
「朔夜、お前の名は新月の夜と言う意味がある。月さえ消える宵闇の空だ。それは全ての終わりであり、始まりでもある。」
「私が貴方と同じ闇の名を持つのなら」
朔夜は願うように囁く。
「闇刀、貴方と共にあれますように……ーー」
ーーもうすぐだ。もうすぐ迎えに行く。
闇の中に浮かんでは消えて行く白い花弁。
切なく囁く静かな声。
ーー約束を果たしに行く。
「闇刀!」
どんなに手を伸ばしても掴めない。ただ、酷く悲しげな声に向かいその名を叫ぶ。
「行かないで!」
行かないで。私を置いて、どこにも行かないで。
ーーもうすぐだ、朔夜。
もう1人で泣かないで。私が居るから。側にいるから。
「夜常!!」
「泣いているのか?」
伸ばした手に温かな指が触れる。
「また、怖い夢を見たのか」
優しい声にはっと目を開くと、目の前に旭鬼の薄藤色の瞳があった。
「もう大丈夫だ。」
旭鬼はそっと咲夜の頬に溢れる涙を指ですくってくれる。
昼下がりの午後、濡れ縁で日向ぼっこを楽しんでいた咲夜は、いつの間にか眠ってしまっていたらしい。
「旭鬼様……」
ほっと息を吐いて咲夜は旭鬼の手を握り返した。
「旭鬼だ。」
繋いだ指をそっと絡めて、旭鬼はその手に唇を寄せる。
「旭鬼と呼んでくれ。」
淡い白金の髪が薄い紫の瞳の前で揺れる。
「あさ、き……」
咲夜が小さな声で囁くと、旭鬼は瞳を細めて微笑んだ。
「もっとだ。」
口づけられた指先に温かな熱が灯る。
「もっと呼べ。俺の名を。」
「旭鬼……」
「もっと」
怖い夢など忘れてしまえばいい。悲しい夢などその心から追い出せばいい。
「俺の事だけ考えていろ。」
「旭鬼」
咲夜の唇から紡がれる名は、甘美な響きで旭鬼の胸を震わせる。
遠い古の昔より、魂に刻んだ誓いを果たすために、旭鬼は今この時代を生きている。
「教えて、旭鬼……」
咲夜は揺れる瞳で旭鬼を見つめた。
「貴方は何を知っているの?私は何を忘れているの?」
旭鬼は悲しげに薄藤色の瞳を伏せる。
「いずれ時は満ちるだろう。」
静かな声でそう囁く旭鬼は、とても苦しそうな顔をしていた。
「朔夜。俺は1度、お前を失った。」
そっと絡めた指先を解いて、その手を離すと旭鬼はゆっくり空を見上げる。
「もう2度と失くしたりしない。」
そして切なげに咲夜を見つめた後、そっと瞳を伏せて囁いた。
「お前が俺を忘れていても構わない。俺が全部、覚えていよう。」
いずれお前も知るだろう。その時、俺は必ず側にいる。
それがお前と俺の約束だから。
運命の歯車は動き出した。
ゆっくりと、でも確実に。
そして悠久の時を超えて今、大きな時代の流れの中で再び古の約束が果たされようとしている。




