朔夜 〜サクヤ〜
いったい今日はどうしたと言うのだろう。
昼間は庭で靜鬼様に口づけされそうになり、今はこうして旭鬼様の腕の中にいる。
咲夜は小さく首を振って旭鬼の腕から逃れようと後ろに下がった。
「いえ、私が哮牙の里に来るまで、お会いした事はなかったと思います。」
「ではなぜ、お前の側に居るとこんなにも懐かしい気持ちになるのだろう?」
驚いて旭鬼の顔を見上げる咲夜の瞳を、真っ直ぐに見つめて旭鬼は咲夜が逃げられないようにその手を引き寄せる。
どうしてなのか、酷く胸が締め付けられる気がした。
「こんな風に感じるのは、俺だけなのか?」
遠い遠い昔、旭鬼はこの香りを知っていた。
なぜだか分からない。でも、確かにこの香りと温もりを知っていた。
「お前は何も感じないのか?朔夜……」
無意識に呼んだ名に、旭鬼ははっとした顔になる。
「朔夜……」
自分自身の言葉を確かめるように、旭鬼は掠れた声で呟いた。
「朔夜。お前の名は朔夜……」
繰り返し名を呼ばれて、咲夜の鼓動が大きく跳ねる。
「朔夜……。俺を忘れたか。」
旭鬼の言葉は謎掛けのようで、咲夜には旭鬼が何を言っているのか分からなかった。それでも、何かが心をざわつかせる。
「俺を、忘れたのか……」
苦しげな呟きが耳をかすめる。
忘れる?私が何を忘れているの?
早鐘のように打つ鼓動に軽く目眩さえ感じながら、咲夜は崩れ落ちないように旭鬼の胸元をぎゅっと握った。
「……忘れたなら、思いだせ。」
耳元で囁く旭鬼の唇が、ゆっくりと傾いて咲夜の頬に触れた。
「俺を、思い出せ。」
唇の端に、僅かに触れるように旭鬼の唇が重なる。
ーーあぁ、そうだ。私はこの唇を知っている。
この声も、この温もりも、私を抱きしめるこの腕も。
「朔夜……」
旭鬼は吐息と共に繰り返し名を呼ぶ。
咲夜はそっと目を閉じて旭鬼の胸に頬を寄せた。
トクン…… トクン…… と規則正しい音が聞こえる。
なぜかは分からなくても、心が、本能が叫んでいた。
私は彼を知っている。
旭鬼は咲夜の顎に指を添えると、焦れたようにその瞳を覗き込む。咲夜から放たれる甘い香りが強くなった。
切なげに瞳を揺らして、旭鬼は奪うように強く咲夜の唇に口づけた。




