旭鬼 〜あさき〜
近頃、里の男達は妙に浮ついている。
特に辰鬼だ。今日は一日中、何やら終始ぼーっとして心ここに在らずと言った様子だった。人間の世もますます不穏な空気に包まれていると言うのに、こんな事で里を守れるのか。
里の者達との鍛錬の様子を思い返して旭鬼は苦い顔になる。
鍛錬場がある裏山から里へと続く山道を下ると、竹林の間を通る小路に出る。その竹林の中に一人佇む靜鬼の姿を見つけて旭鬼は足を止めた。靜鬼は何やら思い悩むように林を抜ける風を受けて、葉擦れの音に耳を傾けている。
閉じた睫毛が頬に長い影を落として、憂いを帯びた横顔を縁取るように闇色の髪が揺れている。それはまるで、靜鬼の周りだけ音を失ったかのように、凍りつくような美しさを湛えていた。
声をかけるべきか少し躊躇していると靜鬼がこちらに気づいて小さく笑った。
「やぁ、旭鬼。」
その声音に違和感を覚え、旭鬼は訝しげに首を傾げた。
「どうした?何かあったのか?」
どこか沈んだような靜鬼の声に、常ならぬ気配を感じて旭鬼は問いかける。
「別に。」
靜鬼は短く答えると空を仰ぐようにして目を閉じた。
それ以上の返事をするつもりはないらしい。まるで全身から触れらる事を拒否するような空気を発して、靜鬼はそれっきり黙り込んだ。
1人になりたい時もあるのだろう。心配な事に変わりはないが、今はそっとしておいた方が良いのかもしれない。旭鬼は「そうか」と小さく呟いて靜鬼に背を向けた。
「旭鬼」
歩き出そうとした旭鬼を靜鬼が呼び止める。
足を止めて振り返ると靜鬼はほんの一瞬だけ瞳を陰らせ、すぐにいつもの笑顔を見せた。
「咲夜が探してた。」
「わかった。」
旭鬼も短く答えて頷くと屋敷に向かい歩き出す。今日は誰も彼もが少しおかしい。いったい何なんだ?と首を傾げて考えてみるものの、旭鬼にはさっぱり見当がつかなかった。
「居るか?」
屋敷に戻ると咲夜の部屋に行き声をかける。返事はすぐあった。「入るぞ」と声をかけて襖を開けると、咲夜は縫い物をしていたらしい。裁縫箱を片付けている所だった。
「お前が探していたと靜鬼に聞いたのだが。」
「はい。頼まれていた繕い物が出来たので、早くお渡ししたくて。」
咲夜は羽織を開いて旭鬼の背に回ると、それを肩にふわりと掛けてくれる。そのまま袖を通して、擦り切れていた羽織の裾を見ると綺麗に直されていた。
「見事だな。」
関心したように旭鬼が言うと、咲夜は嬉しそうに笑う。
「羽織の内側も見て下さい。」
旭鬼が羽織を開き裏地を見ると、擦り切れていた裾の丁度裏側の場所にひとひらの花弁が縫い付けてあった。
「この生地が旭鬼様の目の色と同じ淡い藤色だったので、当て布にしてみたんです。」
薄藤色の桔梗の花が紫紺の生地の上に嫋やか咲いている。
旭鬼は目を細めて微笑むと咲夜に礼を言った。
「ありがとう。大切にする。」
咲夜も嬉しそうな笑顔を見せて頷く。ふわりと甘い香りがした。
旭鬼は目の前で微笑む咲夜の首筋に顔を寄せると、その香りを追って銀白色の髪を一筋、手に取った。驚いたように目を見張る咲夜の視線を受け止めながら、柔らかな髪に鼻を埋め香りを嗅ぐ。
「あ、あの、旭鬼様?」
戸惑う咲夜に旭鬼は薄藤色の瞳を向けて問いかけた。
「お前は以前、どこかで俺と逢った事があるか?」




