―1―
人の世はまさに戦乱の時代。
彼方此方で戦火の狼煙が上がりここ、禕牙の里もその流れに揺れていた。
「……いつ戻るの?」
不安そうな声で少女が問う。
透き通るように白い肌。月光を思わせる青みがかった銀白の髪が風に揺れて細い輪郭を縁取る。長い睫毛が潤んだ瞳に陰を落として今にも泣き出しそうに見えた。
「そんなにかからない。たぶん、3日もあれば戻れる」
刀鬼弥は少し困ったように答えた。
燃えるような紅い髪と瞳。少女とは対照的な日に焼けたしなやかな肌は黄金の稲穂の色をしている。
「今回は文を届けに行くだけだし、危ない事もない。」
だから心配するなと少女の頭を撫でた。
「咲夜は心配性だな」
「だって……」
咲夜が一つ瞬きすると、堪えていた涙がポロリと溢れて落ちた。
「前の任務では怪我をして戻ったから……」
「あんなの擦り傷だって」
刀鬼弥はその時に負傷した右腕を軽く回して見せる。
「お前も知っているだろ?
俺らは多少の怪我なんてすぐ治る」
「矢で射抜かれた傷を擦り傷とは言いいません」
咲夜は怒ったように言い返す。
「もし、頭に当たっていたら……。
いくら鬼でも命はないのに。」
「俺がそんな間抜けに見えるか?」
刀鬼弥は優しく撫でていた手に力を込めて咲夜の頭をガシガシと強く撫で回した。
「や、やめて刀鬼弥! 髪が……!」
咲夜が慌てて頭上で暴れる刀鬼弥の手を掴もうと両手を上げた瞬間、その細い手首を逆に刀鬼弥が掴んだ。
そのまま咲夜を自分の方へと引き寄せる。倒れ込むように刀鬼弥の胸の中に収まった咲夜の背を逞しい腕が抱きしめた。ふわりと甘い花の香りがする咲夜の耳元に顔を埋めて刀鬼弥は優しく囁く。
「待ってろ」
お前は何も心配しなくていい。
ただ俺を信じて待ってろ。
刀鬼弥の言葉に咲夜は小さく頷いて、その胸に頬を寄せたまま目を閉じた。トクントクンと規則正しい鼓動が聞こえる。
咲夜の3つ年上の幼馴染。ついこの間まで、やんちゃな悪戯っ子だったあどけない少年はいつからこんなにも大きく強くなったのだろう。自分をすっぽりと腕に収めてもなお、余りあるその大きさに改めて驚きを感じながら咲夜は思った。
「ちょっと! 刀鬼弥! 咲夜に何してんのよ!」
怒鳴り声と共に咲夜は後ろからグイっと引かれ刀鬼弥の腕から引き離される。
「なにって、別に蓬が心配するような事は何も。
今夜から任務で里を出るから、その挨拶だよ。」
「なんで挨拶するだけなのに、咲夜にくっついてんの。」
蓬は咲夜を自分の背中に庇うようにして刀鬼弥に向かって人差し指を突きつけた。幼馴染3人組の一人である彼女は、咲夜の事になると何事にも見境がなくなるらしい。
「なんだ、蓬も仲間に入れて欲しいのか?」
仕方ないなと言うように刀鬼弥は蓬に向かって両手を広げる。
「ほら、来いよ。」
「ばっっかじゃない!?」
蓬は刀鬼弥の腹に拳をボスッと埋め込むと、ふんっ!と鼻を鳴らした。
「いっってぇー!お前、今、本気でやっただろ⁉︎」
「当たり前でしょ⁉︎ だいたい、刀鬼弥が莫迦な事ばっかり言うのが悪いんだから。これから任務だって言うならこんな所で油売ってないで、さっさと支度してきなよ。」
「はいはい。分かってるよ。」
大袈裟に肩を竦めて刀鬼弥はわざとらしく溜息をついた。
「2人とも何か土産でも買ってきてやる。俺の帰りを楽しみに待ってろよ。」
ニヤリと笑う刀鬼弥に蓬はぱっと顔を輝かせた。
「本当に⁉︎ それじゃ咲夜とお揃いの物にしてね!」
返事の代わりに肩越しにヒラヒラと手を振って刀鬼弥は
「じゃあな」と2人に背を向けて去って行った。
「お土産、何だろうね。楽しみだね。」
ゆるく一つに編んだ亜麻色の髪を背中で揺らしながら蓬は嬉しそうに咲夜の顔を覗き込んでニッコリ笑う。
「何処に行くか聞いた?」
咲夜は小さく首を振った。
「うぅん。聞いても教えてくれないと思う。」
「まぁ、そりゃそうだね。」
蓬は刀鬼弥が去った方に目を向けて咲夜の言葉の意味を悟って難しい顔を作る。
禕牙の里は鬼の一族が住む里だ。そして鬼達はその身体能力の高さから忍び働きを生業としている。
ただ、禕牙は他の里の忍びと違い決まった主人を持たない。
依頼された任務を受けて遂行するのが禕牙の方針だ。
時には同じ里の仲間であっても敵味方に分かれて任務をこなす事もある。それ故に依頼を受け、取りまとめて指示を出す頭領以外には里の仲間にも自分の任務を明かす事はない。話すとしてもせいぜい、いつからいつまで里を出ると言った事くらいだ。
「どうか無事で……」
咲夜は祈るように呟いた。鬼であっても任務の如何によっては命を落とす者も居る。
咲夜には父の記憶がない。咲夜が生まれる前に亡くなったからだ。父も忍び働きの最中にその命を落としたと聞いている。
幼馴染の刀鬼弥と蓬、そして咲夜の3人は兄妹のようにして育った。1番年下の咲夜は、いつも2人から甘やかされている。兄のように、姉のようにそして友としてもいつも3人で笑い、はしゃぎ、喧嘩もしながら今までずっと互いの1番近くで生きてきた。
この2人が居なければ、咲夜は夢を持つ事も、美しいものを見てただ美しいと感じる心を持つ事も、素直に涙を流す事も、感情のままに怒る事もなかっただろう。
「どうか、無事で……」
もう見えない刀鬼弥の背中に向かって咲夜はもう一度
囁いた。