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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

ある王国の政権交代について

作者: 野良衛門

よろしくお願いします。

 「なんだあれは?」


 夜明け前、厳冬期、凍てつく空気と少な目の粉雪降りしきる中、ヴィーレフェルト王国首都アルメニアにある王城へと続くオスト通りをパトロールしていた第二〇一四警邏隊に所属する巡査長カール・ヴィドマーは思わず声をあげた。

 

 「(ヴァル!エミール!)」


 ヴィドマー巡査長はパトロールに同行していヴァルトゥール・トヘル巡査とエミール・フェラー巡査に小声で声をかけ物陰に潜むようにハンドサインで指示を出した。


 ヴィドマー巡査長が見たもの…。それは数百人以上と思われる集団であった。軍靴と騎乗馬、馬車の混ざり合った音が段々と近づいてきた。


 明日は立太子の儀が行われる。現国王ウィルヘルムには長男ウィリヴァルト、次男ベルントがいる。ウィリヴァルトは生を受けた時から優秀との評価が高く、また内政閥の筆頭で現宰相であるロイス侯爵アウグスト、軍閥筆頭の軍務卿モルゲンシュテルン公爵ラファエル等大方の貴族の支持を得ていた。一方のベルントはで疎んじられいた。唯一の理解者で溺愛されていた母親の正妃パメラが一昨年に亡くなり、担ぐ貴族もいない状態であった。明日行われる立太子の儀が終わり次第、断絶していた王家草創期の功臣リンツ公爵家を引き継ぐ予定になっていた。


 王都内は慣例として近衛騎士団、警備隊以外の小隊以上の軍は入れないこととなっている。ましてや二百年間戦争をしたことがなく叛乱も起きたこともなかった。


 「(巡査長。こいつは…)」


 エミールが小声で呟く。二人とも顔面蒼白で少し怯えていた。


 見つからないようにすることは当然だが一緒に行動すれば捕まるリスクが高い。伝えるべきところは二か所。取捨選択を見極めた上でヴィドマー巡査長は少し考えてから決断した。


 「(エミール、ヴァル!お前らは裏道から見つからねえように第二〇一四警邏隊頓所トンショに駆け込んで報告しろ!後は隊長の指示を仰げ!)」


 「(巡査長はどうされるんですか?)」


 「(俺は警邏隊本部ホンブに行く!あそこには同期が何人かいるし知らない訳じゃないからな!行くぞ)」


 「「(了解)」」


 三人は物陰から様子を伺い裏道に入ると二手に別れ小走りでそれぞれの目的地へと向かった。


 ヴィドマー巡査長は警邏隊本部へと向かう途中で今後どうなるか考えていた。あんな集団の事は警邏隊頓所や本部へ駆け込んでも恐らく何の意味もないだろうと。ならば職務を尽くしつつ身の安全を確保することが賢明だと。






~~~~~~~~~~~~~~~~~


 


 


 ヴィドマー巡査長がオスト通りで見た集団は先頭に三騎の胸甲騎兵、その後三列一縦隊でに火縄銃兵アルケヴス、槍兵、弓兵、大型馬車等が王城に向かって移動していた。物音で目が覚めた住民達は窓から一瞬その姿を見るとすぐに閉めてしまった。その軍装はいつも見かける警邏隊や近衛騎士ではなく完全武装された国軍だったからだ。さらにその上に白い襷をまとっていた。


 オスト通りを通過し王城の正門前に到着した集団は停止すると三騎の騎兵の内の真ん中にいた騎兵将校が門の前に進み出た。


 「開門!」


 将校が大きく朗々と響き渡る声で叫ぶとぐぐもった音を響かせながら門は開いた。普段は門の管轄は警邏隊で誰何が行われるはずだがそれすらない。変わりに門の向こうから数十人の兵士と軍装をした高貴な人物5人が進み出てきた。


 三騎の騎兵は下馬をすると屈みながら高貴な人物達の前へ進むと膝を立てて屈み真ん中にいた将校が一歩程前へ進み出た。さらに後ろに控えてた全将兵が一斉に膝を立てて屈む。



 「モルゲンシュテルン中佐。報告せよ」


 大きな体躯をした五十代くらいの威厳に満ちた銀髪碧眼にカイゼル髭を生やした男が将校を見据えた。


 「ヴィーレフェルト王国軍独立第九〇一教導大隊隊長王国男爵中佐アーダベルト・ヨアキム・フォン・モルゲンシュテルンよりベルント殿下、モルゲンシュテルン軍務卿閣下にご報告致します!独立第九〇一教導大隊九百五十四名、独立第二一四大隊九百四十一名、独立第三〇五大隊九百七十四名!命令により御前に参りました」


 二十代前半で同じ銀髪碧眼で少し細身ではあるが無駄なものをそぎ落とした騎兵将校が一分の隙も無く報告をした。。アーダベルトは軍務卿の弟の次男にあたる。幼少の頃から胆力を見込まれ実子がいるのに関わらず養子として引き取り育ててきた。彼は数々の武勲を上げ自力と軍務卿の引きにより爵位と軍における階級を持つに至った。


 「よう、来てくれた!、軍務卿、ここに至ってはもはや言葉はいらぬ!我が本懐を遂げるべく前へ進もう!」


 小麦色の髪を肩まで伸ばし緑眼で以前は小太りで目つきが気持ち悪いなど容姿について評価は芳しいものではなかったが半年の間に痩せて容姿の事もとやかく言われなくなっていた。ベルントは感動に震えながら声を発した。




 「了解いたしました。殿下。では中佐、手筈通りに」


 モルゲンシュテルン軍務卿は第三〇五大隊を宰相府へ向わせ、その中から一個中隊を抽出して門の守備として配備するようし、ベルント王子、配下の将軍、兵士とともに用意していた馬に乗馬し王宮へ向けて進軍を開始した。






 

~~~~~~~~~~~~~~~~~




 



 「ベルント殿下!モルゲンシュテルン軍務卿閣下!これはいかなる仕儀と相成りや!」


 王宮正門前に到着した国軍の前に華美な装備を付けた近衛騎士が五十名以上整列しその前に立太子の儀に備え王宮に詰めていた近衛騎士団団長を務めるアイゼン伯爵フランクが場末の旅芸人芝居じみた口調で誰何した。


 「アイゼン団長。我等は御病床から離れられない陛下をいい事に国政を壟断しさらに我を殺そうとした我が兄ウィリヴァルトを掣肘すべく蹶起したのだ。降伏すれば命と地位は保証するが如何に」


 若干どもりながら何とか棒読み口調でベルントは降伏勧告をおこなった。表情には何とか言い終えた安ど感と目の前にいる数も多くない近衛騎士団を前に膝を震わせていた。


 後で聞いているモルゲンシュテルン軍務卿や配下の将軍達やモルゲンシュテルン中佐以下将兵達は無表情でいた。


 「我等は近衛を王より拝命しております故、職務を全うするのみ!もはや賊軍に語る言葉などありませぬ!わが剣で答えましょうぞ!総員抜剣!」


 傍目で見ても言葉に酔っているとしか思えないアイゼン伯爵は騎士団に命を下した。騎士達は剣を構えるが戦意はあまり感じられない。他の騎士たちは今の国軍に近衛は敵わない事は理解はしているが騎士団長を前に口には出せない。


 「国軍兵士諸君に告ぐ!抵抗するものは討ち取れ!」


 ベルント殿下は命令を告げると軍務卿、将軍達と共に後方へと下がる。それと入れ替わりで火縄銃兵達が速足で隊列を組みなが前に出てきた。そして膝を突いて横隊でいつでも射撃可能の状態で銃を構える。モルゲンシュテルン中佐指揮下の第501教導大隊所属の火縄銃兵中隊だった。本来なら三列で横隊を組むのだが一斉射で十分と確認できているので一列のみにしていた。


 「中隊総員、射撃用意!目標、前方の近衛騎士!」


 モルゲンシュテルン中佐が朗々と響き渡る声で命令を下した。


 「貴様ら!王宮に銃を持ち込むとは卑怯なり!」


 アイゼン伯爵は慌てた口調で声を上げた。


 「総員!伏せろ!」


 「撃て《ファイエル》!」


 アイゼン伯爵の横にいた当直副官が慌てて指示を出したが近衛騎士団には最悪のタイミングで同時に中隊が発砲した。


まるで雪崩のような轟音が響き渡り伏せ遅れた近衛騎士達をなぎ倒していく。アイゼン伯爵も直撃を受け昏倒した。


 火縄銃兵が後方へ下がると後ろで待機していた複数の魔法兵が視界を確保するため詠唱して濃密に立ち昇った煙を制御した風で吹き飛ばした。


 魔法兵が下がると槍兵が隊列を組んだ状態で前に進んできた。


 「槍兵、正門前にいる近衛騎士を排除し、正門への導線を確保せよ! 前進!」


 槍兵は速足で前進し混乱を極めて隊列の体をなしていない近衛騎士団を排除していく。何とか銃撃を免れた近衛騎士は必死に抵抗するが数の暴力に飲み込まれていった。


 20分もかからずに敵味方の遺体、負傷者を排除して導線を確保すると国軍は後方に用意した破砕槌と工兵が前に進み出てきた。正門は鉄扉ではなくオーク材でできた木製ではあるが王城の正門程大きく頑丈ではないため二、三打ち付けて破壊した。



 「殿下、ご命令を」


 「では諸君、前進し王宮を制圧せよ!」


 モルゲンシュテルン軍務卿に促され高揚感に包まれたベルント王子は命令を下すと破砕槌を後退させ王宮に突入するために近接戦闘用の短槍、剣と盾を手にした兵士達が小隊単位で王宮に突入していった。


 「閣下」


 「首尾は?」


 「手筈通りに」



 ベルントが護衛の兵士達と共に王宮へ向かう際、後ろにいたモルゲンシュテルン軍務卿は何人かの将校から報告を受けていた。事前に打っていた手が順調に推移していることを知り頷いた。彼にとって既にこれから今日起こるであろうことは単なるセレモニーに過ぎない。


 (…我らにとっては始まりに過ぎないのだ)


 彼はそう心の中で呟くと新たな指示を将校達に出していった。







~~~~~~~~~~~~~~~~~








 ドンドン!と大きくドアを叩く音にアルメニア郊外にある近衛騎士団駐屯地の官舎の一室で仮眠を取っていたヴィーレフェルト王国近衛騎士団副団長を務める王国騎士ケーニヒスリッターカール・ハインツ・フォン・レーマンはすぐに起きた。



 彼は三時間前まで立太子の儀の式典、警備の打ち合わせやそれに伴う事務処理、団長であるアイゼン伯爵フランクに提出する決裁書の作成に追われていた。彼は沈着冷静との評価があり騎士としての能力もさることながらこういった事務処理能力も騎士団内でも優れていた。現在、団長は王宮に詰めていた。通常王宮の警備に騎士団百名を交代で行っている。


 「入れ!」


 ドアから本日の副担当当直を務めるビッテンコート近衛騎士団第一〇二中隊副隊長が飛び込むように入ってきた。


 「至急、報告します!完全装備の国軍が駐屯地を包囲し始めました!」


 「何んだと!」


 レーマンはいきなり横っ面を張り飛ばされたような衝撃を受けた。


 「で、人数は?」


 「恐らく二個大隊以上は」


 「ビッテンコート、どこの隊かわかるか?」


 「正門にいる隊は独立第大隊です。つきましては第二〇五大隊隊長フォン・クライン少佐から布告文が」


 ビッテンコートは文書を手渡した。ベルント王子の名前で近衛騎士団に一両日間の禁足を命ずと書かれていた。


 「魔術で【念話】で王宮との連絡は取れるか」


 「ビエラー魔術隊長から妨害障壁アンチマジックシールドがすでに展開されているとの事です」



 ビッテンコートは首を振りながら答えた。軍事における魔術はもっぱら【念話】による部隊間の運用が主で相手への攻撃、防御は膨大な魔力の消費を伴い人の命数を削り取ってしまう為、常識上禁忌(妨害念話等は例外)とされている。この世界において魔術士の育成は高コストを伴い軍隊が中心に行っている。ヴィーレフェルト王国では国軍の管轄である。


 「わかった。消耗しては元も子もないから最低限の頻度に落とせ」


 レーマンは苦虫を噛み潰すように命を下した。


 「はっ!」


 第二〇五大隊は北部国境防衛軍所属し毎年、災厄のように起こる国境紛争にも参加し実践経験が豊富であった。ヴィーレフェルト王国は東、南、北を山に囲まれ西は海に開けた国である。西、南、北の国境線や水利、鉱物資源を巡って国境紛争は存在するものの周辺諸国と軍事力は拮抗しておりここ二百年戦争の経験はなく遡ると大。


 「総員に完全充足の上、一〇一から一〇四中隊は正門前に、一〇五から一〇八は裏門前に一〇九は他の門に小隊単位でバリゲートを築いて待機させろ!向こうから手を出さない限りこちらは一切手出しするな!用意が出来次第すぐに正門前に行く!」


 「了解いたしました!」


 ビッテンコートが敬礼をして退出するとレーマンは部屋の窓からカーテン越しに正門前を見た。かなりの規模の部隊が逆茂木、土嚢を積み上げ始めてた。1個聯隊規模この駐屯地を包囲しているはずだ。王宮から救援に駆けつけるよう命令は下されいるだろうがおそらく王宮に向かっているであろう国軍1個聯隊と普段の警備で詰めている騎士団100人では話にならない。五年前に一度だけ演習を国軍と同規模で行ったが判定は騎士団が全滅判定を受けている。訓練がてら行っている魔物盗賊討伐しかしたことがない騎士団とは練度が違った。この立太子の儀において国軍がここ数年国境紛争で活躍した部隊に栄誉を与えたいと各国境防衛軍団から抽出した部隊を臨時として式典用に一個旅団を編成し式典に参加することとなっていた。


 レーマンは装備を身に着けながら考えていた。ベルント殿下と軍がどうやって結びついたかわからなかった。あのミソっかすの次男については強力かつ唯一の後ろ盾であったパメラ妃殿下が亡くなられてからどの派閥もよりつかなかったからだ。ましてや王に対して忠義に篤いモルゲンシュテルン軍務卿が肩入れすることなど考えられない事であった。五年前に彼が国境防衛軍の将軍や国軍の役職を歴任し軍務卿として就任して以来劣悪な装備品を供給していた商人ギルドの大幹部やそれに癒着していた軍閥貴族を一掃するなどの辣腕を振るい軍の士気を高め国境紛争で負けることが多かった国軍がほぼ有利な条件で停戦こぎつけるまでにしたのだった。また歴代軍務卿で出兵論を全くしないことで有名であり彼の母親が先王の妹であることから王国の藩屏として重責をになってきた。


 装具を整え、正門に向かおうとドアに手をかけようとした時、ノックの音が聞こえた。今度は慌てた風ではなかった。


 「入れ」


 入ってきた男は近衛騎士の装備を着込んでいたが見たことのない顔であった。


 「誰だ?」


 思わず剣に手をかけた。


 「お待ちください。モルゲンシュテルン中佐の使いの者です」


 目の前にいた騎士がかつて若いころ軍務院にいた頃の同室だった男の名の使いと名乗り手紙を差し出した。そこには彼の名前書かれてはなかった。


 『何もしないでそのままでいてほしい。すぐに決着カタはつける』


 レーマンは手紙を一瞥すると火をつけて大きな灰皿へ落とした。


 「戦況は?」


 「すでに王宮の正門を突破しました」


 騎士は淡々と答えた


 「わかったと伝えてくれ」



 レーマンが手で払う仕草をすると騎士はそのまま去っていった。


 彼は近衛騎士団には珍しい国軍からの転属組の一人であった。北部防衛軍団で中隊を率い武勲を上げ内務系法衣男爵家の三男でありながら自力で王国騎士爵を勝ち取るだけの才覚を有していた。本来なら大隊を率いる予定だったが彼の父親が前任の近衛騎士団長と懇意にしていた関係上転属せざるを得なかった。


 レーマン自身、近衛に愛着を感じてはなかった。現在の団長であるアイゼン伯爵とは反りが合わないのもあったし国軍出身者からしたら気位が高いだけで派閥の拡張に勤しみ実践経験や集団戦を理解しない古式ゆかしい物でしかないからだ。


 おそらくアイゼン伯爵はもう死んだか拘束されたと思ってる。ただ、素直に降伏するとは思わないし五年前の演習でモルゲンシュテルン中佐の事を未だに恨んでいる。自分の欲求、つまり殺したい程憎んでいる相手が目の前にいるなら部隊指揮など放り出してそれを満たそうとするだろう。だがそれは叶わない痴人の夢みたいなものだ。モルゲンシュテルン中佐の武技で王国内で敵うものは誰もいない。


 自分が近衛で伝手だけではない事を示せたのも軍務院時代に彼と毎日のように手合わせし鍛えることが出来たからだ。国軍にいる同期の連中も彼の影響を受けてきた者ばかりだ。だがそれを知っているのは軍務卿、国軍や軍務院時代の同期くらいであまりその他の王国上層部や高位貴族は眉唾物としか思っていない。アイゼン伯爵もその一人だ。軍務卿の親族だからと高を括っている。


 レーマンは官舎を出て正門に向かっていた途中で第一〇一中隊のミューレル隊長が駆けつけてきた。彼はアイゼン伯爵に対してあまりいい感情を持っていない中隊長達の一人だ。アイゼン伯爵と懇意している中隊長は本日の当直で王宮に上がっている者を含めると騎士団内に半数はいる。


 「状況は?」


 レーマンが歩きながら訊ねた。


 「押し出しても構わないのですが全滅覚悟で行かないと王宮に届きそうにないですな。国軍はそれくらい用意周到で分厚く固めています」


 ミューレルが首を振りながら苦笑した。二人は話ながら正門に向かっている。


 「他の者(アイゼン伯爵派)は大人しくしているか?」


 「びびってますね。普段は威勢の事を言っててもいざとなったら指示も出せていません。副隊長達が何とかしてますがね」


 レーマンはこれでは戦い以前だなと自嘲するように嘆息した。これが近衛騎士団の実態だとまざまざと見せつけられた思いがこみ上げてきた。


 「おそらくもう終わるだろう。後はこちらが生き残る事を考えねばならん」


 「知っていたんですか?」


 ミューレルが眉間に皺を寄せながらレーマンにだけ聞こえるように訊ねた。


 「まさか?つい先程だ。理由は聞かないでくれ。でも少なくともこのまま大人しくしていれば命は助かる。これだけは保証するよ」


 レーマンが敢えて朗らかな口調で笑みを浮かべた。これからは生き残りを賭けた剣を使わない戦いが始まる。おそらく近衛騎士団は縮小の憂き目にあう可能性が高い。出来るだけのことはするつもりだがろくでもない事になるだろうだけは覚悟を固める必要があることは彼の中では理解できた。








~~~~~~~~~~~~~~~~~








 「ベルント殿下とモルゲンシュテルン軍務卿が叛乱を起こすと申告します」


 体調を崩したウィルヘルム国王より預かっていた王室直属の諜報組織である通称【王の守護者】から王宮に国軍が突入する一時間前に報告を受けた王国宰相ロイス侯爵アウグストは自身の政治生命の命脈が尽きたことを確信した。


 「せめて一週間前なら止めることが出来たのじゃが……」


 「申し訳ありませぬ。軍の防諜はもう今の我等にはとても手に負えませぬ。宰相府ここに来るのが精一杯でしたので」


 「陛下には使いは出したのか?」


 「同時に行きましたが恐らく王宮の方が国軍は手厚くしています。【念話】も無理でした由にて」


 【王の守護者】の頭が苦悩に満ちた表情を浮かべた。


 「で、確かにウィリヴァルト殿下のベルント殿下に対しての暗殺の証拠が出たのは事実じゃな?」


 「はい閣下、これがその詳細であります」


 頭が差し出した書類に目を通した宰相は一つため息をついた。ベルント王子は死に体も同然で黙っていても王宮から出て行くのに殺そうとするのは家族故に憎悪が余計に激しくなるのだと思った。窮鼠猫をも噛むしかも首筋を狙ってだ。


 「恐らくベルント殿下も察知し保身を保つべく軍務卿ラファエルに泣きついたのじゃ。軍務卿はだいぶん前から証拠も握ってたんじゃろ。下手に奏上した場合、今の陛下ではウィリヴァルト殿下への処罰は手心を加えてしまうじゃろうからの。そうなればいつまたベルント殿下の命を狙うか判らん。堂々巡りじゃな。軍務卿は半ば簒奪の汚名を着てでも蹶起するしかなかった、あやつは今の王家に介入したくなかったがはずじゃがここに至ってはと覚悟をしパメラ様への義理も通せることを考え同心したのじゃろう」


 宰相は秘書官長を呼び国軍が間もなくこちらに来ることを伝え衛兵に抵抗をせず司令官をここに通すように伝えた。逡巡する秘書官長に対して抵抗さえしなければ命は取られることはないと告げ渋々ながらなんとか秘書官長を納得させ宰相府内に指示を行き渡らせた。そして宰相は自分の机に戻ると直筆で命令書を作り宰相が持つ印綬で捺印すると頭に手渡した。



 「ベルント殿下ではなく軍務卿にですか?」 


 その命令書には事が終わった後、然るべき時期を見計らってモルゲンシュテルン軍務卿の下に出頭し指示に従うように書かれていた。


 「殿下は扱いに困るじゃろう。軍務卿の方がよかろう」


 「アンネロ―ゼ殿下はいかがなるでしょうか」


 「儂が軍務卿ならデュッセルドルフ王国に丁重に送り届けるよう算段を付ける。確か今回来ている特使殿は理解が早いはずじゃ。何とかなるじゃろ。かの国王ならどうするか判らんがすぐには攻め込むことはしまいよ。何かの弾みで殺してしまったり、ベルント殿下の手に落ちたりなんぞしたらそれこそ亡国の誹りは免れん。まあ、その辺は軍務卿が上手くやるじゃろて」


 頭の質問対して宰相は長い髭に手をやりながら少し思考して答えた。ふと窓の外を見ると遠くから松明を持った集団がこちらに向かって来る姿が見えた。


 「そなたらも早く宰相府ここを去れ。国軍がこちらに向かって来よるわ。今までご苦労じゃったな」


 「……閣下」


 「儂らは大丈夫じゃ。隠退すると言えば殺す理由がない」


 宰相はそう言い頭を下がらせた。


 宰相は王国に奉仕し仇なす政敵や諸外国とは硬軟織り交ぜ、清濁併せ吞み、剣を使わない戦いを己の才覚を駆使し戦い抜いて来たことに何ら恥いていなかった。


 唯一の後悔はウィリバルトの心根について国王、王妃に直言しきれなかったことだった。政務に忠実で懸命に国の為に彼なりに働いてきた国王。生来の明るさと愛情を惜しみなく注ぎ続けた王妃。国王夫妻の思いに対して、ウィリバルトはすべて無駄にしてしまった。表面的には優等生を取り繕い性格的に欠落甚だしいが政治的に無害な弟に対して、『依怙贔屓されている』と『我が妻に色目を使った』と難癖をつけ、憎悪を殺意にまで昇華しついには下賜される屋敷に崩落させるように細工し失火を起こさせて証拠を消そうとまで暗殺を計画するに及ぶような性分であることを『年を重ねれば大丈夫』と国王夫妻の言葉にはぐらかされてきた。そこに踏み込み切れずに身の危険を感じたベルントを叛乱へと駆り立ててしまった。



 「まあ、あまり長生きはしたくないもんじゃな……」


 宰相は韜晦を滲ませた表情を浮かべひとりごちた。


 



 



~~~~~~~~~~~~~~~~~











 明日、王太子妃になる予定だったアンネローゼにとって幸せな日々が続いていた。ヴィーレフェルト王国の南に接する国デュッセルドルフ王国の現国王ディートリッヒの三女として生を受け三年前にヴィーレフェルト王国のウィリヴァルト王子に嫁いできた。昨年に嫡男フェリックスが誕生し心優しいよき夫と恙なく暮らし、宮廷内の政争と戦争の火種が絶えす心落ち着かない日々を過ごしてきた自分の故国と比べ比較的穏やかに過ごすことができていた。時折、夫の弟から自分の身体を舐めるような虫唾が走る以外何物でもない視線に辟易していがそれも立太子の儀が終われば彼は別家の当主としてこの王宮を出ることとなりそう命が長く持たないだろう舅亡き後、自分が王妃になり遠い将来の王になるであろう息子を育てていく事に傾注することになると思っていた。


 「姫様!起きてください!」


 いつもは冷静沈着で自分が生まれてから付き従って来た侍女頭アーデルハイドが慌てて起こしにきた。周囲から普段の王宮とは違う聞いたことがない喧騒に包まれていた。


 「どうしたのです」


 「ベルント王子とモルゲンシュテルン軍務卿が叛乱を起こしました!すでに王宮の門は突破されこちらに向かってきてます!」


 「殿下は?」


 「すでに王宮内は乱戦になっているため所在が判りません」


 アンネロ―ゼはいきなり奈落に落とされた気分になっていた。ベルント王子が乱心するのは理解はできるがモルゲンシュテルン軍務卿が同心していることには納得がいかなかった。しかしアンネロ―ゼにとってはそんなことよりもここに至っては我が子の生存することが第一になった。


 「侍女頭殿!アンネロ―ゼ殿下、フェリックス殿下はこちらに⁈」


 近衛騎士の一人が室内に入ってきた。時折、アーデルハイドと話す姿をアンネロ―ゼは見かけてたことがあった。彼は膝を付いて言葉を発した。


 「直答お許しください。ウィリヴァルト殿下殿下より伝言です。フェリックス様と共にこのまま落ち延びよとの事です」


 「他には殿下は何か仰っておられませんでしたか?」


 アンネロ―ゼは縋るように訊ねたが彼はお急ぎくださいとしか言わなかった。


 「姫様、急ぎましょう。生きていればきっと何か後でわかるはずです」


 アーデルハイドは商家の娘が最近よく着ている服を渡しすぐに着替えるように催促した。


 これ以上、訊ねても詮無い事と理解したアンネロ―ゼは騎士を一旦下らせ支度すると部屋を出て騎士の案内で兵士達による喚声や剣戟、王宮内で働く人々の悲鳴で混乱の坩堝と化した王宮内を人目を避けながら自分が普段知り得ない部屋や通路を伝って王宮外へと脱出することに成功した。


 アンネロ―ゼは途中、自分が支度している間に騎士が何故か近衛騎士の装備からいつの間にか用意していた国軍兵士の軍装に赤襷掛けた恰好に着替えていた事や王宮内で叛乱兵達に出くわしかけたが何故か向こうが避けていた事など些か疑問に思っていたが逃げるのに必死だったので記憶の片隅に押しやった。


 街の路地を伝いながら大きな商会らしき建物に辿り着くことが出来た。当然、表口ではなく裏の奉公人達ので出入口である。騎士が扉を大きな音を立てて何度も叩いた。


 「あの、どちら様で?」


 中から使用人らしき声が聞こえてきた。


 「今日の天気は?」


 「大雨で川の水が溢れてきた」


 「少々お待ちください」


 騎士と使用人の『合言葉』のやり取りを経てしばらくすると扉が開かられた。中から身なりの整った壮年の男が現れた。


 「ささ、中にお入り下さいませ」


アンネロ―ゼとアーデルハイドが館内へと入ろうとしたが騎士は動かなかった。


 「騎士殿、どうなされました」


 アンネロ―ゼは不思議そうな顔をして訊ねた。


 「殿下、私めはここまででございます。後は大恩ある王家へ忠義を尽くしとうございまする」


 アンネロ―ゼは不安ではあったが恭しく一礼した騎士を見て共に来るようなどとは言えなくなった。ノブレス・オブリージュとはいかにという振る舞いに彼女に出来ることは希望を叶えさせることであった。


 「そう言えばそなたの名も聞かずしてここに参ってしまったのです。名も聞かずにでは妾はただの恩知らずになってしまいする。せめて名を聞かせて貰えませんか?」


 「これはしたり、お許し下さいせ。私は王国騎士、ゲオルグ・ハンス・フォン・コーラー。陛下より近衛騎士を拝命しております」


 アンネロ―ゼは騎士の前に御手を差し出した。騎士は両手を押し抱くようにして手の甲に口づけると一礼して立ち去って行った。

 

 アンネロ―ゼ達は男の案内で豪華な装飾や調度品が置かれた応接室に通された。召使がノックをして室内に入り茶菓子テーブルに作法通りにを用意し一礼して退室していった。


 「妃殿下、侍女頭殿。間もなく我がが参りますのでしばらくお待ちくださいませ」


 「お待ち下さい。妾は生を受け今この時までに街にアーデルハイドだけと出たことがなく疎いのです。ここはどこかお教え頂けますでしょうか」


 「殿下!」


 「これは失礼を致しました。手前どもの落ち度、お詫びしたします。こちらはアンスバッハ商会の商館でございます。詳しいことは我が主より説明させていただきます」


 席に座り少し落ち着けることができたアンネロ―ゼは壮年の男に訊ねた。アーデルハイドが思わず窘めようとしたが止めなかった。男はさも迂闊であった表情を浮かべ詫びた。


 では後ほどと男は一礼するとそのまま立ち去った。アーデルハイドに促されアンネロ―ゼは用意された茶菓子を口に入れた。今まで生きた心地がしなかったせいか食べたことで落ち着くことが出来た。



 それから暫く経ってノックがしてどうぞと声を掛けると失礼しますの声と共に入ってきた癖っ毛、濃茶髪とどこか憎めない人懐っこそうな表情をした中肉中背の成年が入ってきた。アンネロ―ゼはこの者の事は幼少から知っていた。


 「ハンス!ハンスじゃないの!」


 アンネロ―ゼは思わず立ち上がった。さすがのアーデルハイドも彼女を止めなかった。ハンスがここの主であることを彼女でさえ知らなかったのだから。


 ハンス・マリウス・クルマン。デュッセルドルフ王国はおろかヴェストファーレン諸国家群と呼ばれるこの地域有数の大店であるクルマン商会の次期会頭である。王宮に父であるクラウスと共に御用商人として出入りしアンネロ―ゼ身分差を考えずに言うと幼馴染と等しい存在だった。この男は王宮内の者が何かほしい物があるとすぐに気付きかつ用立てることができた父、クラウス譲りの嗅覚と話術を持ち合わせる才覚の持ち主であった。


 「アンネロ―ゼ姫殿下…、いえ、今は妃殿下ですね。お久しぶりでございます」


 ハンスは昔と変わらない笑みを浮かべて挨拶した。ここはクルマン商会がヴィーレフェルト王国内で商いをする出先の商会でありよく出入りしていたことと彼は元々明日行われる予定であった立太子の儀に参列する為ヴィーレフェルト王国に来ていたことと王宮の異変に気付き探らせていたところアンネロ―ゼ達がこちらに来ると連絡があり待機していたという。


 「ハンスは今日のこの事態を知っていたのでしょうか?」


 「いえいえ手前どもこの様な仕儀になりましたことも連絡があるまで判りませんでした。ですが妃殿下、ここ至っては故国くに戻りましょうぞ。何、心配はいりませぬ。必ずフェリックス殿下共々安全に送り届けます故ご安心なさいませ。用意が出来次第出発致しますゆえ奥に休む部屋がありますので暫くお休み下さいませ」


 ハンスは相手に安心と信頼を増せるようないつものような笑みを浮かべながらアンネロ―ゼに語り掛けた。その後客が泊まれる部屋へ案内するので暫く待つように告げると召使を呼び案内するように頼んだ。


 アンネロ―ゼ達を見送るとハンスはもう隣にある別の応接室へ入った。そこには中年の髭を蓄えた貴族然とした男がワインを嗜みながらソファーに座っていた。


 ハンスは何かこの男に言いたげな瞳を一瞬向けると男の席の向かいにあるソファーに腰かけた。


 「特使閣下、あまり手前どもを巻き込まないで下さいませ。ヴィ―レフェルトの連中が後をつけていたらどうなったことやら」


 「ハンス、そうカリカリしなさんな。ハゲるぞ」


 男は鼻を鳴らしながら笑みを浮かべた。この男の名はカウフマン伯爵カールハインツ。今回の立太子の儀に参列する為にデュッセルドルフ王国の特使としてこの国に来ていた。国内の外務閥でも新参ではあるが裏の顏として諜報においては重き役割を担っていた。


 「まあ、キミのおかげでアンネロ―ゼ様の安全を確保でき且つフェリックス様の身柄確保できたのは僥倖だ。感謝しているよ」


 「本当ですか?まさか今回の事は我が国も予測していたことじゃないでしょうね?」


 「まさか、これが予測出来るなら我が国の栄光は永遠に約束されたものになるだろうね」


 ハンスは疑いの眼を向けるがカウフマンは肩を竦めるだけで平然としている。


 ハンスは目の前にいるこの男は油断ならない男であることを知っていた。彼には独特の嗅覚がありゴタゴタが絶えない国内において猜疑心の強い王の信頼を集めるだけの才覚を有しているからだ。


 「ハンス。キミに前払いがてら一つ話をしよう」


 「閣下、それは良い話なのでしょうか?」


 「少なくとも私や我が国に取ってはあまり良い話ではないがね」


 カウフマンは一瞬だけ苦い顔をした。


 「それはそれは……、面倒事ならお断りしたいことで」


 ハンスは眼を細めた。この男にも困った顔をする習慣があるのかと感心した。


 「そう言うなよ。こうなる事は予測は出来なかったがここ一、二年の間にヴィーレフェルト王国内の我が国はおろか各国の間諜や協力者が消された」


 「えっ?それはまた……」


 「間諜同士の力量は今まではあまり変わりはなかったがここ一、二年の間に相手の防諜が格段に上がった。各国も同じ目に遭っている。全く、再構築に何十年もかかる話だ。キミ達も警戒した方がいい。五年前のこの国の軍閥貴族と癒着していた商人ギルドの末路をたどらないように気をつけたまえ」


 「閣下、ご気遣い有難うございまする」


 ハンスは頭の中でこの商会の仕舞時を勘案した。あの当時の商人ギルドは目に余る物であった為、新任の者が着任すれば実績を積む為に狙われる。ましてやモルゲンシュテルン軍務卿が相手となると潰されて当然であった。ただ、警戒するに越したことはなかった。


 「さっきの騎士は数少ない我々の者だ」


 「なるほど」


 「だが彼も相手に取り込まれた可能性が高い。実はアンネロ―ゼ様達の身柄に関してはあの者を通しての話だったからな」


 ハンスはなぜ手際よくアンネロ―ゼ達が王宮からこちらに辿り着くことが出来たか合点がいった。


 「当初、我々はウィリヴァルト殿下が王位につき次第戦争を吹っ掛けるのかと警戒していたのだ。陛下にご報告を申し上げたところ本来ならあり得ないのだが私を特使として行く事が決まったのだ」


 ハンスは通常、王家に連なり重きをなす者が使節として派遣されるはずだが先王の側室の三男で外務閥として表向き高くない彼が派遣される事にきな臭さを感じていた。予測していたのかと疑念に持つ理由の根拠がここにあった。


 「ハンス、これなる物に見覚えがないか?」


 カウフマンが懐から布にくるまれた物をテーブルに差し出した。ハンスは布から刃物らしき物を取り出した。長いひし形であるが切先から真ん中にかけて細長く下には拳一つ分が握れる柄のような物があった。両刃であり使い勝手は裏仕事をする人間にはうってつけの物である。但し、少なくともこの周辺世界の物でないことは確かである。ただ、この刃の作りが形は全く違うがある物に似ていた。


 「間違いでしたらお許し下さい。手前どもが五、六年前にベシクタシュ帝国に商いで行った時に【フソウカターナ】と呼ばれる剣の刃先が似ています。東方世界にある【シミター】や【ミャータオ】とは違います。【フソウカターナ】の強度切れ味は独特ですから向こうでは中々手に入らず高値で取引されてます。だけどコイツは作りが粗雑ですね。本物と比べてかなり強度が落ちます」


 ハンスは一通りナイフらしき物を見た後布に丁寧に包んでカウフマンに返した。おそらくこれは何等かの争いで得た鹵獲品でここから先は彼の関知することではなかった。元より詮索するつもりはない。


 「これからどうなるでしょうか?」


 ハンスは先の展望をカウフマンがどう判断しているか尋ねた。


 「恐らく後一時間で決着するだろう。そして暫く様子見だね。本来なら有り得ない端役《ベルント王子》と脚本家《モルゲンシュテルン軍務卿》がタッグを組んだ歪な劇が始まったんだ。端役が主役を演じ切ることが出来るかは当人達以外は判らない。いや、脚本家次第だな。今のところ我々が第二幕に出演するかは陛下に判断して頂く以外にないがね。取り敢えずはアンネロ―ゼ殿下を無事に帰国して頂くことに傾注しようではないか」


 カウフマンは言い終えるとグラスにあったワインを飲み干した。


ハンスは近いうちにこの建物はおろか商会をたたむことにした。長い間この地域は平穏であったが戦争の季節になる可能性が高くなったと見ていい。軍需関係の物資の仕入れに力を入れるべきと判断した。







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 『ベルント王子、モルゲンシュテルン軍務卿叛乱』


 ヴィーレフェルト王国国王ウィルヘルムは侍従長フロイテンベルグ伯爵ジキスムントより伝えられた際、ここ一月程続いていた微熱がさらに上がったような悪寒が走った。あの小心なベルントがラファエルと手を携えるなぞある訳がないと思っていた。


 ウィルヘルムは五十年前に起きた国境紛争をきっかけに貴族の改易、内陸部への領地替えをおこなった通称『プファルツの変』から今のこの状態に至るまでの経緯を振り返っていた。


 その当時、ウィルヘルムの父ルドルフは王都の法衣貴族を中心とした【王都派】と辺境貴族を中心にした【領地派】の対立に苦慮し中々思い切った政策を打ち出せず苦悩していた。


 ウィルヘルムが即位する直前に現宰相ロイス候の政敵であった【王都派】前宰相ファルタ―メイヤー侯爵アルベルトが偽召喚状を使って北部国境に面していたデュイスブルク王国との国境紛争中だったモルゲンシュテルン軍務卿の父で【領地派】の旗頭であったモルゲンシュテルン伯爵アロイスを召喚し領地を離れたことを前宰相がデュイスブルク側に情報を流した為、その当時国内でも有数のミスリル鉱山があるプファルツを奪われる羽目になった。


 それをきっかけにした【王都派】はモルゲンシュテルン家取り潰しを画策した。


 だがその当時外務卿を務めていたロイス候と王太子であったウィルヘルムが召喚状が偽物であると証明し、逆に前宰相と加担した法務卿、【王都派】の主だった者に以前からかき集めていた賄賂等他の罪状を含めた証拠を手に改易、当主隠居、降爵、の処分を下した。


 また国防の観点と【領地派】勢力を削ぐ目的で内陸への領地替えと鉱山の国有化を順次おこない国境警備には国軍を充てることにした。そして仕上げとしてモルゲンシュテルン家にルドルフの五女フレデリカを降嫁させ公爵に陞爵する離間策で【領地派】を解体させた。なおフレデリカは二男一女を生んだが次男を産んだ後健康を害し翌年亡くなった。またアロイスも『プファルツの変』後あまり王都に出てくることなく二十年前に領内で病死した。


 ウィルヘルムはアロイスの死の前に密かに会いに行き腹を割って話し合った。彼は自分の事を恨んでなくだだこのまま穏やかに死に望みたいと言葉を残し世を去った。


 ウィルヘルムは王太子に就いた後ずっと子ども扱いし父王に提案した政策に悉く反対した老獪な前宰相を中心とした【王都派】を苦々しく思っていたまた辺境貴族ながら当時から強国と名を馳せていたデュイスブルクに一歩も引かない武名と小国に匹敵する財力を持ちわせていた才気溢れるアロイスを中心にした【領地派】を危険視していた。


 ふとしたきっかけで前宰相らが召喚状を偽造しデュイスブルク王国の間諜と接触していたことを掴み泳がせていた事と【王都派】の陰謀を実現させることで辺境貴族に国境を任せられないように仕向けるようにした一石二鳥の策は前宰相ら【王都派】に引導を渡しアロイスを王国の藩屛に取り込むことで【領地派】の求心力を失わせた。その後は周辺国が国内の豊富な鉱物資源を狙って紛争を仕掛けてくるが譲歩と奪還を繰り返しながらも大過なく治め、しばし不作があっても飢饉を自分が考えられる限りなんとか最小限に抑えてきたつもりだった。


 後継問題でも現宰相であり盟友のアウグストと父アロイス譲りの武名で国境紛争では負け知らず、政でも『プファルツの変』以降、肥大化と汚職という膿に塗れた国軍の外科手術を行い体制を一新させたラファエルの二人で優等生ではあるが清濁併せ呑む事を苦手とし偏りがちな考えを持つウィリヴァルトを支え後進を育成してくれるものと確信を得ていたはずだった。


 ウィルヘルムが体調を崩し余命もそんなに持たないと確信したのはパメラが亡くなってからだ。

 南東部に位置するゲルゼンキルヘン王国から嫁いできたパメラは大らかで明るく【王室の太陽】などと呼ばれ臣下に分け隔てなく接し愛してくれた。


 ウィルヘルムは『プファルツの変』前後、苦悩する日々が続いていたがパメラのおかげで何度も救われてきた。側室が三十人いた父に対してパメラだけで十分で側室を持たなかった。パメラは何度も側室を持つように言ってきたが彼女の言うことを何でも聞いてきたウィルヘルムはこれだけは己を貫いた。パメラがいたからこそウィリヴァルトとベルントが決定的に仲違いすることはなかったと思っていた。


 パメラには溢れんばかりの母性がある故どうしても周囲から出来損ないと疎んじられていたベルントに構ってしまいそれをウィリヴァルトは疎ましく思い陰に隠れて時折虐めたりしていたが大人になれば解決するものだと思った。実際にベルントには王都にある建て替え予定のリンツ公爵家の屋敷をさげ渡し一生食えるだけの年金を渡すことと国家的な行事以外は出仕もしなくてもいいと伝えていた。


 そんなパメラが一昨年に急に体調を崩し起き上がるのも困難になるまでに時間がかからなった。パメラは死に際してウィリヴァルトにはベルントを一生面倒見るように言い、またアウグストとラファエルにはベルントの行末を案じ守ってやるよう懇願した。当然ウィルヘルムにも同じように伝えていた。


 パメラが亡くってからウィルヘルム自身も体調が優れずベッドから離れられなくなっていたが出来るだけ離床しウィリヴァルトに権限を徐々に渡すようにしてきた。


 ウィリヴァルトがベルントに対して露骨になってきたのが一年前であった。いきなりベルントの年金を半分にすると布告を出してきたのだ。今まで王の寝室に入ってこなかったベルントが血相を変え布告文を片手に飛び込んで来たことで発覚した。すぐにウィリヴァルトを呼びつけ注意したところベルントが無駄遣いをしていて今の年金でやり繰り出来ていない状態で商人達より支払いが悪いと苦情が来たと平然といい、アンネロ―ゼに対しても懸想して自分の方こそ困っていると言い放った。


 ベルントは半年前から同じものを商人から買ったのがいきなり倍の料金を請求されいくら商人達に値引きをお願いしても認められず自分の事を吝嗇で放蕩息子だと言いふらされ、アンネロ―ゼの事に関しては自分がウィリヴァルトが結婚して以来、話しかけたことがないのに濡れ衣だ主張した。


 両者には一旦預かることにして宰相を参内させ事の次第を調べるように命じた。一時間もしない内にアウグストが現れ、ウィリヴァルトがウィルヘルムから徐々に政務を担うようになってから幼少の頃からの学友で将来の大蔵卿と見なされているグレーフェンベルグ伯爵エーレンフリートを中心とした所謂【学友グループ】と称される者(取り巻き)達がウィリヴァルトの意を受けて商人と結託してベルントの年金にアシが出るように工作ししかも商人達からの訴えという形にして自分達の名が出ないように工作していた事が明らかになった。


 宰相になぜすぐに判った聞いたところいつか必ずするものだとパメラが亡くなってから網を張ってとのことだった。今まではパメラがいたおかげで影を潜めていたがエーレンフリート達は個々には大人しいがウィリヴァルト次第でゴロツキにもなれると断じていた。

 

 翌日ウィルヘルムは裁定を下し隠居こそはさせなかったがエーレンフリート達の公務罷免と王宮からの出入りも禁じた。ウィリバルトに対してはウィルヘルム自身が翌日から数日体調不良で起き上がれなかった程であったが証拠を突き付け長時間に渡って叱責した。


 それ以降はウィリヴァルトが表立ってベルントに対しては何もしなくなり執務にも熱心に取り組みその結果もう閣僚達が支えてもらいながら国政を任せても十分にやっていけると判断していたはずだった。一方のベルントは顔を出さなくなり二人が顔をあまり合わすことすらなくなった。


 だがらこそベルントが今になって軍務卿と組んで叛乱しようとは夢にも思わなかった。何故こうなったかベッドから身体を起こしながら自問自答していた。


 (パメラよ、余らは息子二人に厳しくなり切れなかった。二人して宰相アウグスト天上ヴァルハラにて詫びねばならんな)


 「ジキスムントよ、もしバリゲートを築いたなら撤去せよ」


 「なぜです?ベルント殿下と言えども叛逆の咎は免れませんぞ」


 「軍務卿ラファエルが鍛えし国軍相手に無駄じゃ。ベルントが後を継いでも王家の血は繋がるのだ。今日は国璽尚書も王宮に詰めているのだろう?ウィリバルトの命を救わねばならん」


 それは叛乱に屈服することを意味していた。国王の言葉に思わず逡巡した。


 「陛下、それは……」


 「まあ、尤も余は断頭台ではなくベッドにて死にたいと思うのは贅沢なのかれんがな」


 言葉の最後に苦い笑みを浮かべたウィルヘルムに対して一瞬、眼を見開いた後、侍従長はこれぞヴェストファーレン貴族の矜持を見せながら膝を下し一礼した。


 「陛下、このジキスムント、身命に誓って最後の奉公としてお約束致します」


 








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 叛乱の知らせが届いて二時間、ウィリバルト王子は近衛騎士達と執務室前にバリゲート築き立て籠もっていた。国軍兵士との睨み合いがずっと続いている。明日、遂に立太子の儀にて王太子となり国権を国王からほぼ引き継ぎ事実上ヴィーレフェルト王国このくにをこの手に掛けていたはずっだった。あの惰弱なベルントがモルゲンシュテルン軍務卿と手を組むとは思わなかった。


 (ひょっとしたら旧リンツ邸に細工していたことが露見したのか?)

 

 弟ベルントの暗殺計画が父王にバレたと思ったがしたとしても父王は許すであろうと高を括っていた。それに証拠は前の年金の時のようにヘマはしていないしグレーフェンベルグ伯爵達にも表立って行動させないようにしていた。父王が亡くなり自身が王位についてから実行する予定であった。懇意にしていた商人、職人ギルドに手を回し旧リンツ邸の工事に細工を施して夜間、自宅を崩落させ予め自分の息がかかった使用人に放火させ証拠も残さないようにするというものだった。


 ウィリヴァルトの中で弟を抹殺するのはずっと前から決まっていた。思えば小さき頃から弟とはそりが合わなかった。要領が悪く何をしても覚えが悪く馬にさえ碌に乗ることが出来ない。自分と話す時はおろか人と話す時は眼を合わさないしボソボソとしか言わない。自分の世界に閉じこもりきりで余程の事がない限り自分の居室から出てこなかった。そんな彼を許せないウィリヴァルトは父母の目を盗んでは手を挙げる事は当たり前で【学友グループ】に嗾けて彼の居室に虫や動物は放ったりと悪戯という名の不満解消をすることで精神の均衡を保っていた。


 ウィリヴァルトが殺意へと切り替わったのが四年前に王家主催の舞踏会に国賓、婚約者としてデュッセルドルフ王国から来ていたアンネロ―ゼに対して臣下達が気を効かせて二人で庭園の四阿でいる所を茂みに隠れて覗き見ていたり、ウィリヴァルトが席を外している隙に話しかけたりとまるで熱病に取りつかれたような態度と視線を自分の婚約者に向けていたのだ。そして決定的だったのが後日、そんな弟の態度に普段から弟の態度に気付いた母が父王に婚約者をベルントに嫁げないか言っているところを偶然に聞いてしまったことにあった。


 事実はパメラ王妃が今まで女性にあまり興味がなかった次男がアンネロ―ゼに恋慕を抱いたことに長男の婚約者であったことを嘆いていただけだったが普段から母が弟の肩を持つ事に不満を持っていたウィリヴァルトが曲解するのには逡巡しようがなかった。そこから半年から一年に一度ベルントの身の回りで奇怪な事故が起こるようになった。だがベルントも表立ってアンネロ―ゼに対して接触してこなくなったが懸想する視線は止めなかった。父王から立太子の儀が終われば弟がリンツ公爵家を継ぎ王宮から出て行く事を告げられ暗に弟に手を出さないように諭されても曲げようとはしなかった。


 自分が弟に後継者争いに力づくで敗れた事実を棚に上げて父王は自分を謹慎くらいで許してくれるだろうし政などしたことがない弟に担わせないはずなので自分が不在の間、宰相が代行し軍務卿は王命で罷免されるだろうと楽観していた。アンネロ―ゼの所在が判らないことには不安を覚えているが父王の手前、弟は手を出さないはずだと都合の良いように幻想していた。


 するとバリゲート前に詰めていた国軍兵士が左右に分かれ身なりの良い初老の男が前に進み出てきた。ウィリバルトにはそれが誰かわかった。少なくともこの時点で自分の命が救われたと思った。バリゲートから離れ前に出た。目の前に現れた男は国璽尚書リンデマン侯爵テオドールであった。後ろにモルゲンシュテルン中佐が控えてはいた。


 「国事尚書、ご苦労であった。近衛騎士の諸君、戦いは終わったようだ。剣を収めよ」


 ウィリヴァルトは安心したかのように告げた。まるで自分が勝者であるかのように振舞っていた。



 「殿下、私は陛下の裁定を伝える為に参りました。今から詔書を読み上げますので宜しくお願い致します」


 「おおっ、そうであったな。済まぬ事をした」


 国事尚書に促されるとウィリヴァルトは姿勢を正し膝を立て王命を待った。


 「ヴィーレフェルト王国国王ウィルヘルムよりベルント・ヨーゼフ・フォン・ヴィ―レフェルト暗殺未遂の件につき裁定を下す」


 「どういうことだ!」


 思わずウィリヴァルトは立ち上がり国璽尚書に詰めよろうとしたがモルゲンシュテルン中佐が立ち塞がった。


 「殿下、控えなされませ!詔書が読み上げられている途中で遮ることは王に対する叛逆と見なされまするぞ」


 ウィリバルトはモルゲンシュテルン中佐を一瞬睨んだが彼からの視線に只ならぬ気配を感じ元の位置に戻った。国内で剣を志す者で彼に敵う者はいないからだ。彼の模擬試合を何度も見ているウィリバルトは自分が敵わないを体感していた。


 「では続けます。旧リンツ邸建替え工事の際、建物を崩落できる仕掛けを施しさらに実行後放火し証拠を隠滅する計画をグレーフェンベルグ伯爵らと謀議し計画した旨の内容の物証、自白で明らかとなった。詳しくは改めて審理を行い裁定を行うとする。本事案に関係する容疑者はすべて捕縛、監禁せよとの事。よって立太子の儀は中止とし主犯であるウィリバルト・ヨアキム・フォン・ヴィ―レフェルトについては廃嫡の上王位継承権をはく奪し拘禁とする。ベルント・ヨーゼフ・フォン・ヴィ―レフェルトについては王位継承権第一位とする。なお立太子の儀については本日より十日後改めて行うものとする。以上である」


 「そんな事があるか!」


 ウィリヴァルトは国璽尚書に切りかかろうと立ち上がり剣を抜いた瞬間、何時でも魔力を発動できる状態していたモルゲンシュテルン中佐は【身体強化】をおこない瞬時にウィリヴァルトの背後に飛び込み延髄を右手で一撃し気を失わさせた。ウィリヴァルトは糸が切れた操り人形のように倒れかけたがモルゲンシュテルン中佐が辛くも左手で抱き留め床に倒れ伏すのを防いだ。


 「ウィリヴァルト殿下は狂を発せられたようだ!衛生兵、すぐに軍医に見てもらうように手配せよ!」


 「はっ!」


 後ろに控えていた国軍兵士達の中から5人程の衛生兵がシーツを持って現れると即席の担架を作りウィリヴァルト寝かせると軍医の元へと連れて行った。モルゲンシュテルン中佐は後ろで控えていた近衛騎士達の前に進み出た。


 「この中で最先任の者は?」


 「はっ!私であります」


 「卿の名は?」


 「近衛騎士団第一一〇中隊所属王国騎士フリッツ・ワルター・フォン・ラーケンであります」


 「剣は預からせてもらうが駐屯地まで送らせよう。後はレーマン副団長の指示を仰げ」


 モルゲンシュテルン中佐から告げられラーケン達は唖然とした表情を浮かべた。


 「我々は拘禁しないので?」


 一瞬何を言っているか解からなかったモルゲンシュテルン中佐はある事に気付き思わず笑みを浮かべた。


 「そうか、そうだったな。卿達近衛騎士団についてはアイゼン団長はすでに拘束されレーマン副団長が代行している。騎士達については罪に問わないとの事だ。今日の事はこれで終わりだ。卿達は安心して駐屯地へ戻るがよい」


 「はっ!了解しました」


 モルゲンシュテルン中佐はここを指揮していた大隊長を呼び近衛騎士達を駐屯地へ送り届けるように伝え王宮内の清掃、出来うる限りの原状回復の指示、調度品等の略奪、窃盗、婦女子への強姦、拘禁者への虐待の禁止の徹底。違反者を発見した場合は即時拘禁し憲兵への引き渡し徹底を指示した。


 「見事だな。中佐」

 

 「はっ、閣下。申し訳ございませぬ」


 国璽尚書に声を掛けられモルゲンシュテルン中佐は敬礼をした後に謝罪した。


 「よいのだ。しかし咄嗟の判断とは言え殿下を軍医に任せたのは賢明だな」


 「はっ、軍務卿閣下より陛下に『息子殺しの汚名』を着せてはならぬとの指示を頂いております故、殿下を弑い奉る訳には……」


 「なるほど」


 詔書の内容を否定し剣を抜いた場合、叛逆罪が適用されそれは即刻死を賜る事になる。だが狂を発したとなれば命だけは救われる可能性が高い。尤もそれは社会的には死を意味するのだが。


 「それに今回主だった碧き血を持つ方は誰も死を賜ることはありませぬ。ベルント殿下にはグレーフェンベルグ伯のような側近もいません故、多くの血を流してしまうわけには参りませぬ。隠退、出家、降爵、罰金で終わらせたいと。尤も今回の謀に加担した商人ギルド、職人ギルドはそのままとはなりませぬが」



 国璽尚書はモルゲンシュテルン中佐の話を聞き軍務卿達は予め血を出来るだけ流さぬように事を進めようとしていたことが伺えた。今回の事で多少の混乱は仕方がないが逆に血が流れ過ぎてしまうと宮廷内の政治的混乱は拡大の一途を辿ってしまうであろうことが容易に想像出来たからだ。


 「では私は陛下の元に戻るとしよう。暫くは寝る間もないくらい忙しくなるからな」


 「はっ、ではお送り致しまする」


 国璽尚書は事の次第を報告する為モルゲンシュテルン中佐ら国軍兵士らを伴いこの場を去っていった。彼はこれで終わりではなかった。立太子の儀の延期などやることがありそれは多忙を極めることが伺えたからだ。







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 ベルントは王の寝室に入る前に大きく深呼吸した。一時間前に王宮に突入したベルントとモルゲンシュテルン軍務卿ら国軍は今からウィリヴァルト王子王に謁見し自分を王太子に任じてもらうように願う。つまり国軍の力で事実上の譲位を迫ろうとしていた。自分の後ろにはモルゲンシュテルン軍務卿を中心とした軍部の主だった者や兵士が控えていた。


 「殿下、落ち着いてください」


 彼の横には王宮に着いてからいつの間にか傍に来ていた王宮の召使であるお仕着せ(メイド服)を来た少女が少しキツイ口調で促してきた。灰色がかった瞳で少しつり目、いつも無表情、被虐心に溢れた口調、白いメイドカチューシャを頭に焦げ茶色の髪で前下がりショートボブの髪型、お仕着せの中には投げナイフや自分の知らない武器がいくつもある。


 半年前に軍務卿から自分付きの侍女兼護衛として付けられた。身の回りの世話から曲者の撃退までこなす。彼女の名はリーセロッテ・マリア・フォン・ディックハウト。ディックハウト男爵家の七女(妾腹)で行儀見習いとして王宮に奉公に出しているという理由を表向きにはしている。










 ベルントは思い出していた。半年前の年金の件から自分の毒見役が相次いで亡くなったり、動物の死骸が投げ込まれたりする等、今度は自分の兄への不信感と殺されるという恐怖感から一念発起して夜間に秘密裡に王都にあるモルゲンシュテルン家の屋敷に転がり込むように助けを求めた。仕方なしに軍務卿は部屋へ通して話を聞いていた。



 「で、助けてほしいと」


 偶然とはいえ屋敷にて食事を摂り少し眠ってから軍務府へ出勤する予定だったモルゲンシュテルン軍務卿は表情には表さないが困惑していた。今の彼に宮廷内では表立って敵対するものはいないが潜在的に宰相府や力を一時的に落としたとはいえウィリヴァルト王子の側近【ご学友グループ】や五年前に綱紀粛正と癒着で失脚させた軍部の非主流派など隙あらば素知らぬ顔で相手の足元に穴を掘るのも厭わない連中がこのことを嗅ぎ付け『軍務卿に逆心あり』と喜んで騒ぎ立てるに決まっているからだ。


 「母様が何かあれば軍務卿殿か宰相殿を頼れと申しておりました。迷惑なのは解かっています。だけど殺しても何の特にもならないのに兄上がその気なのでどうしようもなかったんです」


 (王妃パメラ様、貴女には敬愛の情は今でも持っております。お二人を愛していたのは理解していましたが分け隔てない愛は兄弟にとって不幸を呼びます。そしてそれは臣下にも降りかかりますことを理解出来なかったのですか?)

 


 軍務卿はベルントの話を聞きながら心の中で控えめに罵倒した。彼は王都において家宰の役割を担っている家臣を呼ぶといくつかの指示を出していた。


 しばらく経って家臣が部屋に入ってきてメモらしき物を渡しそれを読んでいた軍務卿は一瞬思考の海に沈み改めてベルントに峻厳な眼差しを向けて問いただした。


 「殿下、助けるだけなら何こでもなります。しかしこれを終わらせるには三つ覚悟が必要です。一つ、王位に就く覚悟。二つ、自分の兄と父親の二人と命のやり取りをする覚悟。そして最後に義姉アンネロ―ゼ妃殿下の存在を自分の中で消す事。これをお約束出来ますか?」


 「軍務卿殿は誤解している。義姉上の事は何もないのに何故、兄上みたいな事を言うんだ?」


 「殿下、パメラ様から貴方には絵の才能があると大変お褒めになられパメラ様の肖像画を見せていただきました。大変精巧に描かれておられた記憶があります。聞けば今はアンネロ―ゼ様の肖像画をかなりの数を描かれ部屋一面に飾っておられてますよね」


 「……はい」


 ベルントは否定したが軍務卿の追及する腹の底から冷たく響くような声の前に認めざるをえなかった。一方で軍務卿は思わず舌打ちしそうになったが二つの事に躊躇がないことに驚いた。


 「軍務卿殿、こうは考えられないか?僕は義姉上の…」


 「殿下、お帰り下さい」


 「…解かった諦めるよ。三つは約束するよ」


 ベルントはなおも抗弁し本懐を遂げた後、然る後に自分がアンネロ―ゼと結婚しフェリックスを養子にすればと言おうとしたが即座に否定し且つ話の終わりを告げられた為、断念した。


 「宜しいでしょうか。正直、アンネロ―ゼ様の件はご自身からウィリヴァルト殿下に苦情を申されています。少なくともたとえ殿下の思うようになってもご自身で命を絶たれます。これは明言しておきます」


 「……僕はそこまで嫌われているのか。軍務卿殿、ハッキリ言ってくれるね」

 

 「上に立つとは時に刃となる事実を突きつけられても耐えて頂かなけばなりませぬ。それにもっと辛いことにも」


 ベルントは自分が義姉にそこまで嫌われていることに驚愕し傷ついていたが軍務卿は容赦がなかった。


 「後、お聞きしたいのは、何故、宰相閣下でなく私なのですか?少なくとも閣下の方が円満に解決出来るかも知れませぬぞ」


 「宰相殿は父上とは盟友とも言える関係だ。今回の年金の事でも兄上の心根は理解はされていた。だが、宰相殿には踏み込む事は出来ない。僕を精々自主的に修道院へ行くことを勧めるだろう。でも、兄上は僕の命を取らないと気が済まない。最低、宰相殿が亡くなった後、僕は刺客に闇討ちされるか毒入りの食べ物を知らぬ間に食べるか二者択一だ。どの道僕は殺されることになる。軍務卿殿、貴方は理解されているはずだ。兄上では来るべき事に対してこの国は持たない事を。その証拠に一連の国軍改革や貴方が病気がち、気弱で領外に出たがらない嫡男殿でなく貴方と同じようにモノが見える弟殿の次男を養子にして貴方の軍での仕事を継がせようとしているからね。確かに、表面上、兄上は優秀だ。何もしなければ『プファルツの変』以降父上と宰相殿が築き上げた今の体制を維持出来れば何事もなく治めれる。だが今まで続いていた【北】と【東】の戦乱が治まり二百年前に手放した故地を取り戻そうとこのヴェストファーレンに野心を向け始めている。特に我が国は垂涎の的だ。このままではあの猖獗を極めた【バイエルンの軛】の再来になる。兄上は宰相殿が亡くなられた後グレーフェンベルグ伯を宰相につけるはずだ。私からしたら父上や貴方の父上の政敵だった【圧搾機アルベルト】にも劣る利権配分思考しかない男に。兄上は殊の外何でも言うことを聞く【ご学友グループ】を重用し父上亡き後貴方や宰相殿の息がかかった者は排除するはずだ。あの二人で政権を担うと十年後僕達の国の民は全員大国の奴隷と化すだろう。僕にだって見える目もあれば聞こえる耳もある。伊達に蔵書記録庫や自分の部屋に入り浸っている訳じゃない。僕には父上や兄上のような股肱の臣はいない。軍務卿が考えられる限りの臣を揃えてくれればいい。貴方に僕を助ける利点はこれしかない。僕は決めた。どうせ生きるならせめて人として生きたい。だからこの僕を買ってほしい」


 軍務卿はいつの間にかベルントの話を聞いている内に膝の上に置いていた両手を握り締めていた手汗をかいていた。目の前にいるのはただの引きこもりではなく王道を往く才ある者であった。そしてあらゆる事を吟味した上で決断を下した。


 「解かりました。殿下、貴方の命、私めが買いましょう」


 軍務卿は近日中に二十四時間護衛を付ける者を送る事を約束した。後日リーセロッテを筆頭に三名が二十四時間召使兼護衛として派遣された。王宮の召使になるのは並大抵ではなかったが軍務卿が五年前に国軍改革をおこなった際、侍従長フロイテンベルグ伯爵の係累が粛清した軍閥貴族が犯した贈賄に連座していたのを秘密裡に処理した。


 軍務卿は侍従長にねじこみその結果、侍従長の推薦と元々の悪評と仕えづらさのせいでベルントの召使のなり手に不足していた為、潜り込ませることに成功した。その後、食事の中に毒が仕込まれ、外出の際に馬車に爆発物をしかけられ、また襲撃が頻発したがいずれも彼女達の活躍によって今日に至るまでベルントを守り抜いた。ベルントはこの一連の出来事をウィルヘルムに訴えたりせず沈黙していた。それは本人も望まなかったしモルゲンシュテルン軍務卿の意向も働いていたからだ。


 ベルントは今まで蔵書記録庫、自分の居室に入り浸り、偏食のひどく怠惰な日々を過ごしていたがリーセロッテ達によって半ば強制的に規則正しい生活に変わった。


 今までは朝も中々起きないことがしばしばでパメラでさえ起こすのが困難であったが目を覚ますと頬にナイフを突きつけ殺気を漲らせるリーセロッテを視認するや否や素早く起き上がり寝坊したことを謝罪する所から朝が始まった。


 ベルントは生きがいでありライフワークであったアンネロ―ゼの肖像画を描く事を強制的に禁じられ暖炉にて自室に所狭しと貼っていた完成した全部の肖像画を焼却処分(ベルントはその日を聖アンネの虐殺と名づけ心の中で滂沱の涙を流した)された。


 今までは何一つ運動をしてもうまくいかず馬も乗れなかったがシゴキという名の罰則つき(食事抜き)乗馬特訓や足腰を鍛える為と称する生命の危機を感じる鬼ごっこいう名のクロスカントリーを実施した。また何度か毒物を混入されたのを幸いにリーセロッテ達が作る魚、野菜、豆類を中心とした食事に変わり(しかも残せば罰則)、半年後には精悍とまではいかないが健康かに痩せその結果容姿も可もなく不可もないくらいになった。(但し、隠し持っているアンネロ―ゼの肖像画を眺めている時の表情が一番アブナイとリーセロッテ達はみている)



 このような半年間の出来事が走馬灯のように思い出していた時、侍従長がベルントを呼びたしに現れた。


 「殿下、陛下がお会いなさるそうです。ご案内します」


 「わかりました」


 静かにベルントは返事をすると一瞬後ろに控えていたリーセロッテを見た。


 「じゃ、リーセ。行ってくる」


 「はい、殿下。行ってらっしゃいまし」


 リーセロッテは侍従長の案内で部屋に入っていくベルントの後ろ姿を見て肉体的には引き締まっているが半年前と比べて大きくなった我が主の後ろ姿をみて少し色々な思いで感慨深げに見つめていた。


 「リーセロッテ、男は一瞬で大人になるだろう」


 声を掛けられたリーセロッテはその主がモルゲンシュテルン軍務卿であることは判っており振り向いて一礼した。


 「そなたとグレーテル、バルバラはここまでよく殿下を守り抜いた。よくやった」


 「はい、閣下。お褒め頂きありがとうございます」


 「そなた達の師、チヨメとイザベルの強い推挙であの侍従長にねじ込んだかいがあったわ」


 「それに殿下自身に強き想いがあればこそです」


 珍しいモノを見た軍務卿はカイゼル髭をなでると笑みを浮かべた。


 「殿下に対して辛辣であるそなたが褒めるとは珍しいものよ」


 「わたくしとて何でもいつものようにとは思いませぬ。少なくとも努力は認めて差し上げないと浮かばれませぬ」


 リーセロッテは表情を変えずに自分の主が入っていった扉を見据えて言った。ここからはベルントと父王の二人の戦いである。軍務卿、リーセロッテは彼の帰りを待つだけだった。






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 (巣立つなぞあり得ないと思っていたが…)


 父王ウィルヘルムは久しぶりに息子ベルントにあった瞬間、驚いた。確かについこの間まで頼りなく自分達の支えなしには生きてはいけない類であった息子が心身ともに逞しくなって自分の目の前に現れたのだ。ベルントは侍従長に付き添われ近くまで来ると膝を屈し頭を下げた。


 「お久しゅうございます。陛下」


 いつもは自分から声を発する事はなくこちらの問いにビクビクとしながらボソボソと答えるだけだったのが普通に自分から挨拶をした。本当なら何か言ってやりたいのだが事が叛乱クープなだけにそれ相応の話をしなければならなかった。


 「そなた、今回の仕儀。判っておろうな」


 ウィルヘルムは厳しく叱責するような声を発した。


 「生きる為にございます。そして私が生きこの国を導くことが我が国にとって最善であります」


 「生きると?ウィリバルトは今度は何をしたと言うのだ?」


 内心ではウィリバルトが半ば暗殺を目論んだと思うが敢えて問うた。


 「はい、陛下。兄上は即位後、私の暗殺を目論み、その証拠、犯人の捕縛は既に終えています。後は陛下に以下の者の処分をお認め頂きたく願います。商人ギルドケスラー商会、ブライトナー商会、を全財産没収の上解散、会頭ら5名、職人ギルドのマスターら5名は後日、フリードリッヒ広場にて斬首。グレーフェンベルグ伯爵家、ボクスベルグ子爵家、ダムロッシュ子爵家、ダイゼンホーファー男爵家、ホルンシュタイン男爵家の閉門並び当主は賜薬。そして主犯ウィリヴァルトは廃嫡、王位継承権剥奪の上賜薬」


 「なっ!ならぬぞ!そなたっ、言っていることが何か解かっておろうな!」


 ベルントの口から実の兄である王子や大物貴族家に対する処分の要求があまりにも苛烈であった為、思わずたじろいてしまった。


 「はい、陛下、何の落ち度もない者ましてや王家に連なりし者に対して徒党を組み処罰ではなく暗殺を企てるなぞ前代未聞。ここで処分を甘くすれば鼎の軽重を問われまする。故に厳しく出なければなりませぬ」


 ウィルヘルムはベルントの姿勢をみてもうウィリヴァルトを王位に付けることはもはや敵わない事を悟った。そうなったらもう条件闘争になってしまう。


 「そなたに王位を譲る条件として誰も血を流さずに済む事で手を打ってくれぬか?せめてウィリヴァルトの命だけは助けて欲しい。これは父としてそして亡くなった母の願いでもある」


 ベルントはウィルヘルムからの回答がほぼ満額である事に満足した。但しウィリバルトについては修道院送りにし逃亡を企てれば【事故死もしくは病死】にするつもりでいた。


 「承りました。出来うる限り善処致しまする」


 ウィルヘルムは侍従長に国璽尚書、書記官長を呼ぶように言った。これをもってベルント王子の立太子と王位継承権第一位となることが認められた。


 





 

 


~~~~~~~~~~~~~~~







 ベルントは走っていた。兄を捕縛拘禁したが一緒にいると見られていた義姉と甥が行方不明中の報告が入ると一旦平静を装いながら隙をみてリーセロッテにトイレに行くと告げ、ふりをして幼少の頃から勝手知ったる王宮で一度も行ったことはないが義姉のいる後宮の一室へと喧騒のまだ止まない王宮内を縫うように単独で向かった。


 確かに軍務卿には義姉の事は諦める約束はしたが行方不明である以上探さなければならない。自分が保護をすれば誰も口出しは出来ない。この国の王権は事実上自分が握っているのだから他の事は軍務卿達臣下に任せてもこれくらいは自分で保護しなければ。今は嫌われても大事に扱えばいつか自分に気持ちを向けるはず。自分の中での想像を描きながらベルントは後宮内に入って行った。


「……いない」


 後宮内のアンネロ―ゼの部屋と思われる一室に入ったベルントは焦燥感に包まれながら呟いた。乳児用のベッドも義姉の寝室にもさも慌てて出て行ったような痕跡があるだけであった。室内には花の匂いがだだよいさもついいましがたまでここの主が在室していたようだった。ベルントはなお諦めず後宮中の部屋を捜したが見つからなかった。人を使えばと考えたが残念ながらそんな事はあの軍務卿やリーセロッテが許さない。故に独力で捜さなければならなかった。


 後宮内で掃除をしていた召使を見つけ、声を掛けた。


 「おい、そなた。アンネロ―ゼ殿下とフェリックス殿下はどこへ行ったか存じないか?」


 「はい、どこに行ったかは存じませんが近衛騎士と一緒に出て行かれたみたいです。ウィリバルト殿下が落ち延びよと仰せられたようで」


 「わかった。ありがとう」


 近衛騎士は先程、モルゲンシュテルン中佐と一緒にいたはずだ。何とか近衛騎士に接触して居場所を突き止めたい。今ならまだ間に合う。ベルントは引き返そうとした。


 「…殿下、今からどこへ」


 振り返るとリーセロッテとグレーテル・マリア・フォン・ビルンバッハとバルバラ・アウレリア・フォン・シュムーデとベルント付きの召使が立っていた。赤毛でポニーテールをシュシュで纏めた少し勝気なとび色の瞳がグレーテル。小麦色の緩くふんわりとしたウェーブがかかった髪型にマリンブルーの瞳に左目尻に泣きボクロがあり二人に比べ胸が大きいのがバルバラであった。


 「リーセ、丁度よかった。モルゲンシュテルン中佐を呼んでくれないか?」


 「アンネロ―ゼ殿下のこと以外なら承りますが」


 「…うぐっ」


 間髪入れずのリーセロッテからのゼロ解答にベルントは思わず唸った。


 「殿下、少しお休みにならないといけません。この後は公務がありますので」


 「そうですわ。アーダベルト様をまさかこま使いに使うなんて考えていませんよね?」


 グレーテルからは日が昇ったら今までウィリヴァルトが執り行っていた公務が控えているのでその間に休むようこの後の予定を半ば強制する旨を言外に告げ。バルバラからは自身が憧れている男をパシリ使う事は許されていないと半ば命令口調で言った。モルゲンシュテルン中佐は王宮内に勤める女性達の間では人気が高くバルバラはもはや信仰に近い感情を持っていた。


 「殿下、トイレが長いのはよくありません。御典医殿の診察を受けなければなりませんが…」


 「…ごめんなさい。僕が悪かった」


 最後にリーセロッテからとどめを刺されベルントは白旗を上げた。


 「殿下、約束通りにアンネロ―ゼ殿下の事は忘れましょう」


 グレーテルはベルントの眼前に何かを差し出した。


 「ああっ、それを何で…」


 それは三年前に自分で作ったロケットであった。中にアンネロ―ゼの細密画が施されている。この三人が召使として来た日にアンネロ―ゼを描いた絵がすべて焼却されておりそのロケットは数少ない生き残りだった。彼女達に見つからぬよう細心の注意を払って保管してた物だった。そしてあろうことかグレーテルは火が灯っている暖炉の中へおもむろに投げ入れた。


 「…ああっ」


 声はか細かったがベルントは魂からの叫びを上げた。


 (…かっ神は死んだ…)


 「殿下、戻りましょう。日が明けたら忙しくなります。大丈夫です、今の事は些細な事になりますから」


 リーセロッテが何の慈悲もなく告げるとベルントはトボトボ歩き連行されていった。


 こうしてベルントによるアンネロ―ゼ捜索は僅か一刻も経たぬ内に終了した。打ちのめされたベルントは首を垂れて歩いてたが彼の心の片隅に諦観とは対極な感情が少しずつ湧き上がっていた。


 (……まだだッ。義姉上、貴女の苦境はこのベルントが必ずお救い致します故、今しばらくお待ち下さいませ…)


 


 


 

 






~~~~~~~~~~~~~~~








 ヴァルトゥール・トヘル巡査とエミール・フェラー巡査は第二〇一四警邏隊頓所トンショに駆け込んだ際、実は自分達が警邏パトロールに出た後に禁足令が出た事を知った。結局、勅令が下され、立太子の儀の中止とウィリヴァルト王子王位継承権剥奪と王子と関係者の拘禁等の処分を所長であるアンドレアス・ブリンクマンから告げられた時、運がいいのか悪いのかよく分からない気持ちになっていた。そして五時間後、国王より勅令が下り終息した。


 「何も知らず国軍に遭遇していたら運が悪かったら死んでいたのかもしれんのだぞ。まあ、無事でよかった」


 他の警邏隊員達も概ね無事だったらしく、頓所内に安堵の空気が漂った。


 「ヴィドマー巡査長殿はご無事でしょうか?」


 トヘルは分かれて警邏隊本部へ逃げ込んだはずのヴィドマーの行方を心配した。


 「アイツは大丈夫だよ。俺が警邏隊員として一から十まで仕込んだからな」


 心配顏のトヘルに対してブリンクマン所長は笑顔で答えた。


 「ヴァル、飲みなよ」


 フェラーからスープが入ったカップが渡された。


 一口飲んで少し落ち着く事が出来た。丁度その時にヴィドマー巡査長が帰ってきた。


 「所長、ただいま戻りました」


 「ご無事だったんですか」


 フェラーとトヘルはヴィドマーの傍に寄った。


 「悪いが先に所長に命令書を持参したから後にしてくれ」


 「「わっ、わかりました」」


 二人はヴィドマーの元を離れた。そしてヴィドマーはブリンクマン所長の前に出て敬礼した。


 「ブリンクマン所長に報告致します。巡査長カール・ヴィドマーただ今戻りました。それから警邏隊本部より所長あての命令書を持参致しましたのでお渡し致します」


 通常はこういった形で命令書を渡される事がないが非常時なのでヴィドマーが臨時に持ってきた。彼は連絡用鞄から命令書を取り出しブリンクマン所長に差し出した。


 ブリンクマン所長は封止された便箋をナイフで開けて命令書を見ると明朝、警邏隊本部へ出頭するように書かれていた。


 「警邏隊本部の様子は?」


 ブリンクマン所長が訊ねた。


 「特にはそんなに混乱はなかったです。ベルント王子からの禁足令にも淡々と受け入れてましたし、近衛の駐屯地みたいに国軍に包囲されてません。実はここまで国軍に送ってもらいましたから」


 「そうか」


 「これからどうなるのでしょうか?」


 フェラーは今後の見通しについて訊ねた。


 「あまり、変わりはしないよ。警邏隊にはグレーフェンベルグ伯爵家の係累もあまりいないし粛清された訳でない。立太子の儀は十日後に延期になっただけだ。禁足令もすぐに解かれるだろうから、またいつものように頑張って仕事をするだけさ」


 ブリンクマン所長の言葉にフェラーは頷いた。何事もなく日常に戻るだけの事。尤も王家や貴族の皆様は大変だろうけど自分達にとっては他人事。今日は災難だったと彼はそう思う事にした。


 外の窓を眺めると日が差し込み始めた。


 (まあ、明けぬ夜はないという事か)


 日が昇り始め今日も太陽は誰にでも平等に照らすかのようにきれいに照らしていた。


 





 

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