第10話 二人きりの飲み会 ~the bad atmosphere~
2017/04/06 改行修正しました。
夕日が赤く映えり、影が自分の背丈より大分長くなった頃に、ようやく僕らは歌原郵便局に戻ることが出来た。
まあ、ぶっちゃけてしまうと5時30分ごろなのだが。
「ただいま戻りましたぁ。」
「ただいま戻りました。」
「ああ、お帰りなさい。」
そう優しそうな笑顔で言ったのはジョージさんだった。
挨拶をした後、ジョージさんと共に更衣室へと向かう。
因みに、佐藤さんは女性なので、勿論女性更衣室、職員室の奥にある二つの扉の左側の部屋、ジョージさんと僕は男性なので男子更衣室、右側の部屋である。
男子更衣室に入ると、職員室にもいなかった橋本さんが居ない。
「あれ、橋本さんは・・・」
「ああ、橋本君なら帰ったよ。ちょっと僕は今日の配達が遅れてしまってね。」
ははは、とちょっと疲れた笑いを浮かべがらジョージさんは言った。
ジョージさんは配達業務を始めて6年にもなる、この局内ではベテランの部類だ。
そんな人が、このあまり郵便物が多くない時期に5時までに配達業務が終わらないなんてことはありえない。
それに、佐藤さんが昼間に持っていた郵便物の量はやはり少なかった。
まあ、おそらくは本来佐藤さんが受け持つはずの郵便物をジョージさんが引き受けてくれたって所だろう。
でも詮索したわけでもないので、ここで突然お礼を言うのもおかしいと思ったので、後で佐藤さんにそのことを聞くことにして、僕は黙々と制服からスーツに着替えることしか出来なかった。
「それじゃあ、私は先に失礼するよ。」
「は、はい。お疲れさまでした。」
先に着替えを終わらせたジョージさんは、特に何もなくそのまま帰っていった。
その後、一人で着替えを終えた後、職員室に戻る。
職員室で佐藤さんに一応挨拶をしておこうと思って待っていたところ、5分くらいだろうか、着替えを終えた佐藤さんが更衣室から出てきた。
「あ、今日はありがとうございました、何から何まで・・・」
「いえいえぇ。」
ちょっと、佐藤さんはもじもじした様子で何か迷っているように見えた。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
と、僕が止めに入ると、何か決心したようにこちらを見てきた。
「あ、あのぉ!」
「は、はい!」
佐藤さんの語尾が強まったことに僕もつい驚いてしまう。
「い、今からぁ!食事いきませんかぁ!」
佐藤さんの顔がカァーっ、ととても赤くなっていた。
「え?僕とですか。」
職場内でこうして積極的に関わってくれるのはとても嬉しいし、それが現在、OJT期間中、上司のような立ち位置にいる佐藤さんならなおさらの事有り難いのだが。
「は、はいぃ、駄目ですかぁ?」
いつになく真剣なまなざしで尋ねてきた、その顔に陰りが走り、
急に声がしぼみ、表情が暗くなる。
昼のあの顔と同じであった。だからだろうな。
「いえ、良いですよ。僕でよければ、お付き合いします。」
こんなに快諾してしまったのは。
・・・
向かったのは、少し歌原町の市街地を抜けた、「居酒屋 すずろ」という飲食店であった。
「いらっしゃいませ~」
店員の快活な声が響くが、すぐに周りの様々な騒音で掻き消されていく。
「予約を取っていたぁ、佐藤ですぅ。」
「あ、佐藤さんですね。こちらです。」
サラリーマンらしき男たちが騒ぎあっている横を通り抜け、一段高いところへと案内される。
とはいえ、完全に仕切られているわけではない。お座敷の席である。
店員は僕らを案内すると、
「では、ご注文はそのベルでお呼び出し下さい。」
と、即座に持ってきた水とおしぼりを置き、去っていった。
しばらくの間、沈黙が続き、二人の間を気まずい空気が流れていく。
ま、マズい、流石にこの空気はあまりよろしくない。何か、何か言わないと。
「あ、あのぉ!きょ、今日はお疲れさまでしたぁっ!か、乾杯ぃっ!」
机の上には瓶ビールが2つ、その片方を持った佐藤さんが盛り上げようとして、似合わない大声を出した。
「か、乾杯」
佐藤さんがビールグラスを差し出してくるのに合わせて、僕もグラスを出す。
カンと甲高い音が響き、二人で同時に呑み始める。
「ああ、旨い。」
思わず声が出てしまう、果たしてビールを飲んだのは何年ぶりであろう。
大学出て以来、親元を出たことなんて無かったからな、ビールもそれ以来か。
佐藤さんはじっとこちらを見ている。
ビールグラスには少しだけ口を付け、その泡は戻り切ってはいない。
「あ、あのぉ。今日ぅ、大丈夫でしたかぁ?」
あの表情で言う佐藤さん。
「え?いえいえ、こっちこそですよ。本当に何から何まで・・・」
「でもぉ、多分私にも至らない点があったと思うんですよぉ・・・その、私ぃ、あんまり教えるのとかはぁ、上手にできないんですよぉ。
ですからぁ、OJTの形をぉ、とらせてもらったりとかぁ・・・」
ビールの泡が無くなっていく、表面が淡い小金色に染まり始める。
「あの、僕もうまくは言えないんですが・・・」
「はいぃ?大丈夫ですよぉ。」
佐藤さんの眼がこちらをしっかりと捉える。真剣な表情、正しくそれであった。
「僕が言うのはあれなんですが、佐藤さんはとても優しい人だと僕は思います。
1日しか見てないのにと、思いますよね。」
「いえいえ、そんな。」
「勝手な妄想です。すいません。でも、理由はあるんです。
僕は、まあ、恥ずかしながらたくさんの会社に勤めていた経験があるんです。」
「そんな、恥ずかしいなんてことないですよ。」
佐藤さんはにっこりとこちらを向き、手を振ってくれた。
「あはは、ありがとうございます。
まあ、僕はそういうわけでたくさんの社員教育を受けてきたわけですけど、佐藤さんみたいに教えてもらったの、初めてなんです。」
佐藤さんは顔をキョトンとさせている。
「僕の事をよく見てくれて、一生懸命になってくれて・・・その、言い方が悪いんですが、多分、人にこうした業務について教えるの、初めてだと思うんです。
なのに、よく気が付いてくれて、休憩とか。果ては、佐藤さんの業務が長引くのに、僕のために業務実践を提案してくださったり・・・」
「多分ですけど、こうして食事に連れていってくださったのも、そういった好意の一つだと思います。
盛り上げてくださったのも、多分・・・」
そう、おそらく佐藤さんはあんまり盛り上げるタイプの人ではないはずだ。
でも、それでも、僕に提案や、こうした盛り上げ役までやってくれた。
「ち、違いますよぉ、私はただぁ・・・」
「いいんです。理由がどうであれ、私にはそう見えたんですから。本当に僕は感謝しています。」
「そ、そんな、私なんて・・・」
きっと、佐藤さんは"頑張って"僕の事を見てくれている。裏では何をしているのか分からない。
普段の佐藤さんは僕には分からない、まだ出会って2日なのだ。
向こうも分からないだろう。
でも、だからこそ、言わないといけないと思う、佐藤さんが壊れてしまう前に。
「ですから・・・」
佐藤さんは次の言葉を待っているのだろう。
ビールの泡はとうになくなってしまい、表面は綺麗な黄金色に染まっていた。
僕はじっと佐藤さんを見る。軒先の喧騒はここには届かず、無音であった。
「そんなに頑張らないでください・・・」
「そ、そんな、頑張ってなんかいないですよぉ。」
必死に否定する、その姿がむしろ肯定しているように見えるのも気づかない様子だった。
分かる。と、こんなに簡単に言ってしまうのは間違いだ。
だって僕はその辛さが分からないから。
ただ、彼女がここで、僕に言われてしまったことの意味をどう捉えているかくらいはわかる。
すなわち、用なしと。そんな言葉で形容できる言葉を。
でも、他に見当たる言葉が思い浮かばなかった。
それは酔っているせいなのか、違うのか。
「僕は、その、言うのがへたくそなんです。そんな意味で言っているわけじゃないんです。」
僕は続けて言う。
「その・・・僕はこんなにしっかりと教わったことが無いんです。
でもそれは、佐藤さんが僕のためにあれこれ、それこそ頑張ってしてくださって、そのお陰なのはよくわかります。
でもそれだと、佐藤さんがいつ、どうなるかなんて、想像もつかないんです。無理をしないでください。」
佐藤さんはあんまりしっくり来ていない様なのだが・・・僕はあんまりうまく言えなかったようだ。
「でもそれじゃぁ、仕事を覚えられないんじゃぁ・・・」
佐藤さんは涙目で聞いてくる。
本来はその通りなんだが、あんまり説得は得意じゃない僕は、ここでごねられない。
「大丈夫ですよ!僕なんてったって、何度も転職していますし、つまり、教わるプロですから。」
胸を張って虚勢を張ってみるが、あんまり佐藤さんの表情は晴れないままのようであった。