第9話 OJT3 ~the senior colleague~
2017/04/06 改行修正しました。
「次はそこの民家でぇ・・・あ、そこですぅ。」
「は、はい!」
現在、歌原町再開発地区の新興住宅地で佐藤さんの指示を聞きつつ、荷物運びをしている。
となった訳はまあ、昼休憩の少し後、バイクに乗る前に遡るわけだが・・・
「あ、あのぉ。ちょっといいですかぁ?」
例の駐車場で、佐藤さんはこちらに手招きする。
「は、はい。」
「ええっとですねぇ、そのぉ、午前中の業務追認とかだとぉ、さすがに周りの様子とかですぇ、あんまり覚えられないと思うんですぅ。」
「は、はぁ。」
要するに、今のままでは僕がこの町、歌原町の道などを覚えられない、ということになる。
まあ、確かに、午前中は佐藤さんが配達業務は全てやってくれて、こっちはついているだけだった。
そして、感想を問われれば簡単な話で、「暑い」となるわけである。
それは即ち、あまり意識して担当地区の様子を覚えることに意識が向いていなかったことであり。
当然道とか周りの様子が覚えられているかというと、その欠片すらもないのは事実だった。
「それでですねぇ、それだとOJTの意味が無いとぉ、思うんですよぉ。
ですからぁ、午後の配達はぁ、冬海さんに任せようと思うんですがぁ・・・」
佐藤さんは、不安げな眼差しをこちらに向けてくる。
佐藤さんがそこまで考えてくれているとはこっちも思っていなかったので、それは嬉しい提案であるのだが・・・
「ええっと、それだと佐藤さんの業務が押してしまうんじゃ・・・」
そう、これは二度手間である。
何せ、住所がまだはっきりと覚えられていない僕が配達しようと思うと、それは佐藤さんの指示無しにはどうしようもない部分が出てくるのだ。
しかも、佐藤さんの集配用カバンにはそれなりの量が入っていた。
おそらく、佐藤さん一人でなら2時間と掛からず終わることのできる量であろう。
しかし、僕が配達するとなるとギリギリ5時前になるか、あるいは過ぎてしまうかもしれない。
「え、あ、いや、いいんですよぉ。それはぁ。道覚えてもらうほうがぁ、大事なのでぇ。」
顔の緊張が少し取れて、佐藤さんは続けた。
「僕、さすがにそこまでしてもらうわけには・・・」
「良いんですよぉ、冬海さんがこの町に慣れてもらうのが目的ですしぃ・・・」
どうやら、佐藤さんは譲る気はない様だった。
「そ、それなら、お願いできますか。」
「はいぃ!」
と、こういう訳で、僕は佐藤さんの好意に甘える形で仕事を再開したのである。
忙しなく郵便配達をして、今は歌原町再開発地区、新興住宅地のあたりの東側を郵送し終わり、そろそろ配達袋もスカスカになってきたころの事である。
「本当にすいません、僕が遅らせてしまって・・・」
「え、いえぇ、これくらいどうって事無いですよぉ。」
パタパタと手を振る佐藤さん。
実は今さっき5時のチャイム(児童へのお知らせを込めて、町内会が放送しているらしい。)が鳴ったのだ。
懐中時計を確認すると午後5時5分、やはりだ。
あの後、結局僕は住所を覚えていなかったこともあり、あんまり捗らなかったせいで、こうして終業時間を終えても配り切ることが出来なかった。
ノルマ失敗というやつである。
しかし、ここで帰るわけにはいかない。郵便物は全て運びきるまでは帰ってはならないのだ。
そんなことをすればおそらく首が飛ぶであろう。
僕はいいのだが、やはり申し訳ない気持ちになる。
だからと言って、こっちはOJT1日目、佐藤さんに付き合ってもらうのは佐藤さんの好意と、OJTの監督責任からくるものなので、僕は申し訳なくなるほかには何もできないのであった。
「ええっとぉ、今から送る郵便物で最後ですねぇ。」
「はい、最後は・・・どっちのほうでしょうか?」
僕は佐藤さんに尋ねる。
自分で調べようとも思ったが、佐藤さん曰く、
「街の様子はぁ、見て覚えなきゃなんですよぉ。
そこにはぁ、地図を追っているだけじゃぁ、分からない目印とかぁ、そういう土地勘をぉ、鍛えなきゃなんですよぉ。
確かにぃ、地図を見たいのはわかりますがぁ、私がいる間は私が教えますのでぇ、地図はあんまり開かないようにぃしたくださいですぅ。」
と、いうわけなのである。
こういった職業では一番大事なのは迅速に届けることだから、最終的には指導者がいたら、その人に聞いたほうが近道、とも言っていた。
むろん、指導者がいない場合は、地図を使って試行錯誤するのが一番早いらしいが、そういうものらしい。
「・・・ええっとぉ、向こうの住宅街のほうですねぇ。行きましょうぅ。」
ヘルメットをキュッと被り、起動させてあったエンジンをスタンドを外すことで推進力に変える。
そうして、最後の宅配物の待つ家に着くのには5分とかからなかった。
「ここら辺ですねぇ・・・あ。」
道先、と言えばいいのだろうか、ちょうどその家がある通りの交差点辺りに、一人のとても小さな少女が立っていた。
年齢にしたら5歳にも満たないであろう。身長も僕の腰辺りと言ったところだ。
目の色が青色で、髪の毛もやや茶色ががっている、おそらく外国人であろう。
その少女は僕らを見るや否や、
「あ、おじさんたち、てがみとどけてくれるサンタさん?」
と、笑顔で言ってきた。
僕は突然言われたことと、子供、それも小さな子供になると扱いが分からなくなるので、固まってしまったが。
「あ、はいぃ。そうですよぉ。」
笑顔で答えていたのは、佐藤さんだった。
「えへへ、やっときたよー、おかーさんにいってくる―!」
嬉々としてこの通りを歩いていき、やがて、最後の宅配物が行きつく先、その家へと入っていった。
僕もその少女についていき、その手紙を、ポストに入れようとする。
「あ、それはぁ、あの子に渡してあげて欲しいですぅ。」
佐藤さんの手が、郵便受けの前を遮った。
「え?」
「あの子ですよぉ、今さっきの子ぉ、ですよぉ。」
どうやら、あの少女が、この手紙の宛先らしい。
というわけで、手紙をポストに入れずに待っていると、やがてさっきの少女と、その母親らしき女性が玄関先に出てきた。
なぜ、その女性が母親だと思ったのかと言われれば、その少女とその女性が、少女が開けっ放しにしていたのだろう、空いた玄関の先で
「ねーねー、おかーさん、おとーさんのきょーのおてがみ、なにがかいてあるんだろー?」
「そうね、海の話とかかしらね。もしかしたらクジラが出たりして。」
「わー!いいないいな!みたいみたい!」
と言った会話が聞こえてきたからだ。
少女は、玄関を出て僕のもとに来ると、
「ねーねーおじさん、はやくおてがみちょーだーい!」
と、元気よく言ってくる。
どうやら玄関が空いているのはお咎めないらしい。
「はい、どうぞ。」
手に持った手紙を、その少女に渡してやる。
笑顔は大丈夫だろうか、引き攣ってはいないだろうか。
「わーいわーい!ねえねえ、もうよんでもいいかなぁ?」
「うふふ、家に入ってからでも読めるでしょ。ゆっくり読みましょ。」
しかし、その心配は僕の中では一瞬のうちに溶けてしまったようであった。
その少女が、玄関に帰る前に、満点の笑顔で、
「おじさん、ありがとう!」
なんて言われてしまったのだから。
「ところで、あの手紙、何が書いてあるんですか?」
「そういえばぁ、言ってませんでしたねぇ。
あそこはぁ、父親さんがぁ、単身赴任らしくてぇ。
そこでの仕事の様子とかぁ、色々娘さんに向けてぇ、書いているみたいですねぇ。
細かな内容まではぁ、私はわかりませんがぁ。」
言いながら、佐藤さんの表情は優しいものになっていく。
「はぁ、そうなんですか。」
なるほど、だから海の話とかクジラの話とかが出てきたのか。
海運系の仕事だろうか?
「でもぉ、あの家はぁ、すごいですよぉ。」
続けて佐藤さんが話し出す。
「笑顔がぁ、絶えませんからぁ。本当にいい家族なんだろうなぁって。」
空のほうを向いて、佐藤さんはそう呟いた。
「まぁ、私の思ったことですけどねぇ。」
こちらに向き直り、パッと明るい声音で話したのはほんの一瞬の出来事であった。