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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

「花火」

「おい! 人が倒れているぞ! 」

「救急車! 救急車! 」

「・・・動いてない・・・もうダメなのかも・・・」



野次馬の人ごみの間から、倒れている人の足が見えた。

その足には、俺には見覚えのあるクツ。

ピクリとも動いていない。


しばらく野次馬の中にいたが、やがて救急車の音がして俺はその場から離れた。

震える体を止めるように、腕に力を入れて。


きっとこのことは誰にも言わないだろう。

特に、母には絶対言わないだろう。

これは父との二人だけの約束だったのだから。




俺の住んでいる町の花火大会は結構有名で、その時期になると町がなんだか浮かれていた。

その日は人通りも多くなり、車も他県ナンバーであふれ、ツアーのバスがあちこちで見えるほどだった。

しかしその頃の俺は、この花火大会が嫌いだった。

花火大会だけじゃなく、お祭り、祝祭日、正月や盆、年中行事すべてが嫌いだった。

それが、父の酒を飲む口実になるから。

俺は父が酒を飲むのが大嫌いだった。


「おい! 酒をもってこい! 」

「もう、うちにはお金が・・・・」

そんな時代劇のコントみたいなことが、リアルに日常だった俺のうち。

母も俺もいつも殴られたあとが体のどこかにあった。

この頃の写真を見ると母親は顔のあざを隠すためにサングラスみたいな色のついためがねをかけていて、俺は夏でも長袖のタートルネックを着ていた。

もちろんそれは学校では格好のいじめのネタだったが、父親の暴力に比べて小学生のチカラはたいしたこともなく、俺には痛くもかゆくもなかった。

事実、あの頃学校で何をされたとかは一切記憶にない。


家出をするとか、誰かを頼るとか、そういう気力は母親には残っていなかったようだし、小学生の俺には何もできなかった。

人生数年で、俺はあきらめるということを知っていた。

残りの人生はいかにあいつから殴られないように、小さくなって生きること。

それが、そのときの俺のテーマ。


そんなある夏の花火大会の日。

町中がはしゃいで明るい気持ちでいるなか、俺も母親も、暗い気持ちで家にいた。

いかにあいつが怒らないようにするか、思いつく限りに気を配り、母や俺の食べ物は少なくしてでも、父の好みのつまみや酒を用意していた。

それでもやっぱり小さなことから父は怒り出し、いつものように母を殴り始めた。


外はドーーーン、パラパラ。

花火が夜空に散っていく。

華やかな光が窓に反射して、正座した俺の周りを明るくした。

中でもドーーーン、パチン。ガッシャーーーン。

食卓の食事が散っていく。


うーーーーーーーー、うーーーーーーー

名物の、正三尺玉を知らせるサイレンが遠くで聞こえる。


いつもなら小さくなって、時間が過ぎるのを待っていた俺なのに

なぜかそのとき、体が動いてしまったんだな。

殴られている母親の前に、遮るように立っていた。

スローモーションのように父の拳が飛んでくるのを覚えている。


ド、ドーーーーン。パラパラパラパラ・・・・・・


俺の目の前にも三尺玉が弾けて飛んで、夜空に光が溶けて消えた。




気がつくと俺は病院のベッドにいた。

そして泣き顔の母と、初めて見る老夫婦が覗き込んでいた。


小学生当時の俺はよくわかっていなかったが、母は若い頃家出をして父と一緒になり俺を生んだらしかった。

そのせいで実の親に縁を切られていたようだった。

だから殴られても帰るところがなかったんだが、俺が大怪我をしたのをみてさすがに縁を切った親を頼ったらしい。

俺は祖父母の存在を、そのとき初めて知らされた。

そして怪我がよくなって退院しても、元の家ではなく祖父母の家に帰ることとなった。

気がつくと小学校も転校していて、今までとは違う苗字で呼ばれるようになっていた。


俺は殴られない生活になかなか慣れず、身を小さくしてしばらく過ごしていた。

そして何かしらの行事があると、緊張して、息をつめて過ごしていた。

だけど、どんなに警戒をしても、何も起こらなかった。

正月はお餅と、田舎らしい大根がたくさん入ったお雑煮と、それから初めてのお年玉をもらい

夏になると長袖の服は着る必要がなく、真っ白なTシャツを着て、転校して初めてできたたくさんの友達と遊んだ。


そしてまた花火大会がきたが、祖父母の家からは大きな花火も見えず地元のニュースで花火大会が無事に行われたことを知った。


ガリガリにやせていた母親も、実家でおいしいものを食べて見る見る健康そうに変化した。

もちろんサングラスも必要なくなり、夏は半そでのブラウスを着用するようになった。

いままでは気がつかなかったが、俺の母親は同級生のどの母親よりも若かった。今までの苦労と貧相な食生活が、実年齢より老けて見せていたのだろう。

着るものや化粧も気にするようになって、授業参観では友人に「お前のかーちゃん、美人だなぁ」なんて言われて、ちょっとばかり鼻が高くなる気分になれた。


そんな母親を周りも放っておくわけもなく、ある日母が働き出した先の同僚を連れてきた。

俺は中学生になっていた。


「君のお母さんとお付き合いをさせてもらっています。」

そう言った男の横で母が恥ずかしそうにしていた。

男は先妻を早くに病気で亡くしたらしい。

長く結婚など考えられなかったが、母と出会って気が変わった、と俺に話した。

思春期とか言われる年頃の俺ではあったが、男の横でニコニコしている母親を見たら別に反抗する気は起きず、幸せに慣れよカーチャンと背中を押したぐらいだった。



夏にささやかな結婚パーティをした。

母も、新しい父も、優しい祖父母もみんな笑っていた。

式場は気を利かせて小さな花火をあげてくれ、そして俺はまた苗字が変わった。


しばらくして、俺たち家族は新しい命を授かった。

いくら同級生のどの母親よりも若い母であっても、さすがに高齢出産で少しばかり生命の危機があったようだ。新しい父が懸命に看護している姿に俺はかなり感動し、お陰で無事に妹を迎えることができた。

一回りも違う妹はよく泣いて、よく笑った。

そして俺たちもつられて、よく笑った。

俺はもう年中行事をおびえることはなくなって、小さな妹のために行事を楽しく過ごせるようにいろんな工夫をした。

お正月のお年玉、春は花見、夏は自宅の庭で線香花火。

秋は稲刈りを手伝って、冬は雪ダルマをつくって、クリスマスにはプレゼントを用意した。



俺は幸せな毎日を送り、高校生になっていた。



偶然にも高校は俺が生まれた家の近くであったが、幸せな俺は気にしていなかった。

あの父親も、どこか遠くへ行ったのだろうと勝手に思っていた。


俺の苦しい記憶のあるアパートはすでに取り壊されてなくなっていて、そこにはきれいな花壇のある小さな公園があった。



そして俺は高校3年の夏を迎えた。




地元に残って近くの大学を進学するか、東京の大学へ進学するか夏になっても決めることができず、悩んでいた。

その頃、何かあるとあの公園にいた。

俺が殴られたアパート跡の公園。

俺の人生が変わった場所にいれば何かヒントがあるかもしれない、なんて言い訳しながら。

この公園のことは母親には何も言っていなかった。


あのアパートを出てから、俺も母親も本当の父親の話は一度もしなかった。

あの頃の話はできるだけ避けていた。

俺が退院したばかりのときは、何度か電話が鳴っても取らないようにしたり、真夜中に家のドアを叩く音がしたこともあったけど、母はそのことについてはいっさいしゃべらなかった。

もしかしたら父ではなかったかもしれないけど、俺は父からなんだろうと勝手に思っていた。

だから、あえて俺もそのことには触れなかったんだ。


ある晴れた日のこと。


いつものように公園のベンチに座っていると、向いのベンチにボロボロの作業着の男がいることに気がついた。

気がついた、というのも空気みたいに存在感がなく、最初からいたのか俺が考えごとしている間に現れたのか、全くわからなかったからだ。

白髪交じりの長い髪の毛と濃い髭で表情はわからなかったが、こっちをじっと見ていることはわかった。

なんとなく気持ち悪いような気がして、目をそらした。

今日はもう、帰ろう。

携帯で時間を確認しながら立ち上がると、かすれた声がした。

「漱……か?…」



男が俺の名を呼んでいた。

振り返って男の顔を見た。髭の中のしわの刻まれた顔に、確かに見覚えがあった。

俺とよく似た顔の男。




俺や母を殴っていた、あの父だった。

反発とか、怒りとか、激しい感情は沸き上がっては、こなかった。

自分でびっくりするくらい素直に「うん。」と返事をしていた。

静かな再会だったと思う。

いつもならうるさいセミの声も、ボリュームを最小にされていたみたいに静かだった。

ただ。黙ってお互いの顔を見ていた。



沈黙を破ったのは父の方だった。

元気だったか?と小さな声で言った。

記憶の中の父は、酔ってどなってばかりいたので、その声は別人みたいに聞こえる。

あのころは怖くて仕方なかった声が、今はとても弱々しい。

俺はうなずいて、母さんも再婚して、元気だよと答えた。

そうか、と父が見せた笑顔も、とても弱く見えた。



あれから10年経っているんだ。俺が大きくなった分、この人は年をとったんだ。

すこし寂しい気持ちがした。

普通なら、どう感じて、どう接するんだろう。

テレビでやってる感動の対面みたいに泣くのが普通なんだろうか。あのころはよくも殴ってくれたなコノヤローと怒るのが普通なんだろうか。

小さい頃に殴られすぎた後遺症なのか、俺は普通の感情が少ないみたいだ。


なんにも、感じない。


たいしたことは話さなかった。

今近くの高校に通っていること、この公園ではぼーっとしにきているんだと言うことを話しただけ。


父も近くに住んでいること、持病があって病院通いをしていて、帰りは必ずこの公園を通っていることなんかを話した。

心臓が悪いらしい。不整脈で胸にペースメーカーという機械をいれているそうだ。父はちらっと左肩付近を見せた。傷と四角い膨らみがあった。その皮膚の下にはそれが入っている、と。


自分や母が幸せな日々を送っている間、父は心臓を患って、機械を身体に埋め込む手術をしていた…

そう考えると、すこしかわいそうな気がして。

「また、会えないか?」

そういった父に「いいよ」と、うなずいていた。


毎週火曜日が父の通院の日で、俺はそれにあわせて公園に通った。

よれよれの作業着の父も、毎週公園に現れた。そして俺を見て、昔とは考えられないほどの笑顔を見せた。

そして話すことは一般の父親らしくない、パチンコの釘の見方や競馬の馬の見方なんて、俺の実生活に関わりのないことばかりだった。だけどなぜか不思議と面白かった。父親の話し方がうまいのか、俺の中に流れてる血のせいなのか。あんなに嫌っていた父親なのに、なぜか毎週火曜日が楽しみになるほど。


「吸うか?」

「たばこ?! 俺は未成年だよ!」

「俺が高校生くらいの頃は、学校のトイレで吸ったもんだぞ」

「そんなんだから心臓悪くしたんじゃねーのかよ」

「くく…そうかもしれんなぁ」

そういって差し出された赤いマルボロは煙いだけで、やっぱり俺には苦手な香りだった。

試しに吸って、むせた俺を見て父は「それでいいんだ」と笑った。

「おまえは長生きできそうだな」と。



家に帰ると、母がたばこのにおいがすると言い出して、いいわけを考えるのに苦労した。駅の喫煙スペースの近くで参考書を読んでいた、とか適当なことをいってごまかした。母は何か言いたい表情をしたが、なにも言わなかった。

俺もそれ以上はなにも言わなかった。




「なあ、漱」

ある日、父がまじめな顔をして言った。

恒例の花火大会の近づいた、夏の始まりのことだった。

夏休みに入り、クラスのみんなは受験体制になっていて、俺はそのピリピリした雰囲気になんとなく気後れしていた。そんなこともあって、火曜以外も公園であてもなく参考書を開くことが多かった。



「どうしたの、深刻な顔して」

いつもの競馬やパチンコの話をする、父親らしくない表情とは違ったので、すこし妙な感じがした。普通に父親みたいな顔をしていて。

俺の顔はすこしこわばっていたかもしれない。


「あのな、漱。俺の心臓は、いつ止まるかわからないらしい」

「え、だって、ペースメーカーが入ってるんでしょ?」

「脈がゆっくりになったら機械が補助してくれるけど、止まったらどうにもならないからなぁ」

「どうにもならないって、人事みたいだなぁ」

「若い頃好き勝手やったせいかな。しかたないよな」

「……」

なんと答えていいか、わからなかった。

言葉がうまく出てこなくて、ただ父の顔を見つめていた。

「それでお願いがあるんだ。他人にはお願いしにくいから、漱、おまえにお願いしたいんだ」

そして父は父親らしい顔をして、自分が死んだ後の話をした。


話を聞いても、その願いを叶えるのはもっと先だと思ったんだ。空中をふわふわ漂う雲みたいに、現実味のない話で。

だってそこに父はいて、普通に話していたから。

毎週火曜日によれよれの作業着をきて、よぉ、今度は競馬を教えてやる、だとか麻雀のイカサマを伝授しようとか、むちゃくちゃな話をし始めるに違いない。

日は高くなり、一日ごとに気温が上昇しても、いつもとかわらずに毎週火曜日には俺の前で赤いマルボロを吸って。


酒はもう飲まない、と父は言っていた。記憶も健康な体も、家族もみんな奪っていったから。

実際のところはわからない。でも、俺は殴られもしなかったし、いやな思いをすることもなかった。行事のたびに怯えることもなかった。あの頃のモンスターはもういない。ここにいるのは病気の、俺の血のつながった父親だ。


まだ俺は近しい人が死ぬとか、そういった目にはあったことがなかった。安っぽいドラマや映画でしか人の死を見たことがない。だからなのか死ぬもか生きるとかの実感は丸でなかった。

数ヶ月前に再会した実の父親がもうすぐ死んでしまう。

あまりのドラマティックな出来事に、これはフィクションなんじゃないかと思うほどに。


きっと俺はリアルな映画を見ているんだ。




8月の一番初めの火曜日だった。

あの話を聞いて、そんなに経っていなかった。


夕方になっても、まだ暑く、俺は日陰を選んで歩いていた。父の病院の終わるころを予想しながら公園に向かっているときだった。

公園の向かいの道路に人だかりができていることに気がついた。

救急車を呼べ、とか、人工呼吸、とか聞こえた。

ざわざわざわ・・・と、背筋に何かが上っていくのがわかったんだ。


嫌な予感てやつは、たいてい当たる。



見覚えのある作業着。

そこが磨り減って、そろそろ新しいの買いなよっていってた靴。

タバコのやにで黄色くなった指。

白髪交じりの頭が遠くに見えた。



「いいか、もうお前とは親子じゃない。」

あの日、父はそういった。

「お前にはちゃんと、新しい父親がいるから、俺の息子だと名乗り出る必要はないんだ。」

あの時俺は否定したが、父は強い口調で言った。

「俺が死んだのがわかってもかかわらなくっていい。ただ、火曜日に現れなかったら俺のアパートにあるものを処分してくれ。」

「押入れの箱をみんな処分してくれ。」

「お前にも、母さんにも、迷惑をかけたくないんだ。お願いだ。」




本当は父の言葉なんて無視して、俺がその人の息子ですと大声で言えばよかったのかもしれない。

人として、そこで背を向けるのは間違っていたに違いない。救急車で一緒に行って、最後まで近くにいてあげるべきだったのだと思う。


でも、

俺は父の言葉に従って、背を向け、聞いていた父のアパートに向かっていた。

遠くに救急車のサイレンが聞こえる。

野次馬が「もう、ダメかもしれねぇな」と言っているのも聞こえた。

それでも俺の足は止まらなかった。



昔、俺たちが住んでいたおんぼろアパートよりも、さらにおんぼろのそのアパートの玄関先に俺はいた。

父に聞いていた鍵の隠し場所を探って、合鍵を見つけて、木製の扉をゆっくり開ける。ギィっと大きな音がした。

中は思ったよりきれいで、何もない部屋だった。

テーブルの上にある灰皿の吸殻だけがたくさんあった。部屋中も父の吸っていた、赤いマルボロの香りで充満していた。

「押入れの箱を処分してくれ」

その言葉のとおりに押入れを開ける。そこには一組の布団と、衣類の入ったプラスティックの衣装ケース。それから小さなお菓子の空き箱があった。



処分しろという箱は、この箱に違いなかった。

俺と、母さんと、父さんの写真の詰まっていた小さな箱。



赤ん坊の俺。

ハイハイしている俺。

父の足につかまって立っている俺。

母のエプロンを引っ張っている俺。

笑っている小さな俺。

そして笑顔の3人家族の写真。


この箱には幸せだった時間が詰め込まれていた。

開けてはならないパンドラの箱だった。

俺と母のいなくなった10年間、父はずっとこの写真を眺めてすごしていたんだ。

自分が壊してしまった幸せを、きっと、悔やみながら。



ドーーーン、パラパラ。

外で音がした。


花火が夜空に散っていく。

今日は花火大会だったんだ。

俺が殴られたあの花火大会の日。

華やかな光が窓に反射して、カラフルな光の粒が少しだけ見える。しばらく続けて花火が弾けて、夜空に光が溶けて消えた。


あの日弾けた三尺玉。

ばらばらになった家族は、もう戻らない。


その箱を持って、俺は走り出していた。

父の通う病院は知っていたし、救急車もたぶん一番近いその病院に向かっているんじゃないかとなんとなく思ったからだ。


空の上では華やかな光が舞っていた。

尺玉、スターマイン、少し形の変わった花火。

道行く誰もが空を見て、その瞳に花火を映していた。

誰も俺に気がついていない。


病院も、祭りで出払っているのか、静かだった。

受付のおっさんは、ケーブルテレビで実況中継している花火を見て寛いでいた。

「あ、あの、ちょっと前に救急車で中年の男の人が運ばれてきたと思うんですけど・・・・」

受付のおっさんは少し怪訝そうな顔をしていた。

「父かもしれないんです。あの、母とは離婚しているから前の父ってことなんですけど」

個人情報とかあるから、もしかしたら会わせてくれないかも知れない。俺は父の名前と、ペースメーカーをこの病院で入れたということを伝えた。

おっさんは案内してやるよ、と言って席を立った。


ケーブルテレビのスイッチが切られて、遠くの花火の音がさらに小さくなった。


静かな病院の、静かな廊下だった。

案内してくれるおっさんも、ずっと黙っていた。

静かだからか、小さくても花火の音はずっと聞こえていた。


花火の音がフィードバックするように、殴られていた記憶を呼び覚ます。悔しさや悲しさ、いろんな痛みがごちゃ混ぜになって襲ってきた。心臓まで響く花火の音。何度もなんども鳴るから、だんだん息苦しくなってくる。失った感情が、俺の中で暴れているみたいだ。


嫌いだった花火大会。

俺は年を重ねるごとに、新しい家族や生まれたての妹のおかげで嫌いではなくなっていった。

父にとってはどうだったんだろうか。

黄ばんだ写真の成長しない俺を見ながらすごした10年ばかり、嫌いになっていったのだろうか。

失った時間をどうすごしていたのか。



「ここだよ。」

受付のおっさんがひとつの部屋を指し、去っていった。長い廊下の一番奥の部屋。病院らしい白い扉。

こんな奥にまでも、花火の音は聞こえていた。

俺は震える手で、ゆっくりとノブを回した。


「父さん・・・・・。」

もう花火の音は聞こえなかった。


何の音も聞こえてこなかった。





「男の癖に、なんて顔してんだよ。」

そこに父は座っていた。病室のベッドの上で弱弱しく笑っていた。

「俺が公園に来なかったら、もう関わるなと言ったのになぁ」

そういった父の目には光るものが浮いていた。

そして少しうれしそうにも見えた。

「それに・・・・処分しろっていったじゃねーか。」

俺はずっとその箱を抱きしめていた。恥ずかしいことに。

「俺に、変な処分を頼むなよ・・・・・変に泣けたじゃねーか」

「へ、それでそんな顔になってんのか」

「う、うるさいっ」

思わず鼻をすする。


「あのさぁ・・・。

俺は昔に殴られたこととか、母さんをあざだらけにしたこととか、やっぱり全部許せない。だけどな-----」

病室の窓がかすかに揺れる。最後の三尺玉が弾けているのかもしれない。

「だけど、父さんは父さんだから。

まったく関係なしにはできねーよ・・・」




「だからさぁ、長生きしてくれよ・・・・」





相変わらず、火曜日にはいつもの公園にいる。

地元の大学へ推薦も決まり、戦争みたいな受験の喧噪とも無関係に過ごしている。友人たちに気楽でいいなと陰口をたたかれながら。

最近はiPodで音楽を聴きながら、公園から抜け出て父の病室へ向かうのがいつものコースになっていた。


最初はいろんな管がついていて、医師に歩くなだとかベッドから動くなだとかいろいろ行動にも制限があった。しかし、だんだん管も抜け、今では点滴もなくなり、腕にたくさんの針跡が残るだけになった。動いてもいいと言われたら早速喫煙室に行って、看護師に怒られた、と父は笑っていた。

「これまでやめたら、俺にはなにも残らねぇからな」

笑いながらタバコを吸うしぐさを見せる。

変わりない、ヤニ色の指をして。


俺もきっと変われないと思う。だからなにも言わない。無理に変えることはない。

大学に進学しても、就職しても、こうやって火曜日には父とパチンコやら麻雀やら俺には何の役にも立たない話につきあって行くんだろう。

そんな親子関係でもいいじゃん。

父の心臓が止まってしまうまで、きっと続いていく。



来年の花火は公園で父と見よう。そんなことを思いながら。

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