第47話 特級魔法師と十三使徒(下)
突如として姿を現した氷竜、その存在感はかなりのものだった。
広場を飲み込まんとばかりに放たれる威圧感は、相当な実力者ではない限り、耐えることが難しい。だが幸いなことに、広場にはその相当な実力者しかいなかった。
「おいおい、とんでもないものを出してくれたな」
「いえ、こうでもしないとライガー殿を倒すことはできませんから」
バジルの言葉に嘘偽りはない。ましてやお世辞でもない。それはバジルの本音だ。
バジルは氷竜を解放しない限り、ライガーには勝てないと、本気で考えていた。しかし、それにしてもバジルの魔法はやりすぎだった。
「こんな化け物を街中に出してみろ。大パニックだ」
ライガーの言う通り、もし仮に氷竜がモルの街に出てしまうことがあるのなら、街では大パニックになるだろう。しかしバジルはこうでもしないと、ライガーに勝てる気がしなかった。
リリィの使うゲドちゃんよりも、はるかに強そうな氷竜が動き出す。
氷竜はその口を開き、ライガーに向かって氷のブレスを吐いた。
グルルル、グギャァァァァァ
まるで吹雪のような白いブレスがライガーに襲い掛かり、その身を凍らせていく。しかし、次の瞬間にはライガーの纏う雷が氷を溶かし、何事もなかったかのように立つライガー。
今の攻防を見て、これまでの数十倍の濃密さがあるとセイヤは感じた。
「これは?」
その時、セイヤは不意に体が重くなる感覚を感じた。それはライガーも同じようで、自分の手を見つめている。
「ほう、沈静化か」
「ご名答。今のブレスは、攻撃ではなく、氷属性の魔力を大気中に散布しただけです」
ライガーの言う通り、セイヤが感じた体の重さは氷属性の沈静化によるものだった。水属性から派生した氷属性は当然ながら沈静化の特殊効果を引き継いでいる。
そして大気中の蔓延した氷属性の魔力の粒子を吸うたびに、体の内部から沈静化していくのだ。
これぞバジルの奥の手。しかし、同時に自分もその対象に含まれてしまうため、バジル自身も体の重さを感じていた。
呼吸をすればするほど、体が重くなっていく。そうなってしまえば、あとは時間との戦い。どちらがより長く、戦闘を続けられるかだ。
「これが十三使徒の力か」
ライガーは氷竜のことを見据えて、そう吐き捨てた。
呼吸をすれば体は次第に沈静化により、動かなくなっていく。だからと言って、呼吸をしなければ本末転倒。そんな状況の中、ライガーは氷竜とバジルの相手をしなければならない。
セイヤから見ても、ライガーのピンチだった。
けれども、ライガーの表情にはまだ余裕が感じられる。なぜなら、ライガーにはまだ奥の手があったから。
「そろそろこっちも本気で行くぞ」
「本気?」
ライガーの言葉に、バジルが首をかしげる。しかし、その意味はすぐに分かった。
「我が雷の魂よ収束せよ、雷の巫女の剣よ、捧げよ、『雷極神』」
次の瞬間、ライガーが無秩序に纏っていた雷が、あるものを形成していく。それは緑色に輝く雷でできた鎧。
そんな鎧が、ライガーの全身を纏われていた。
「これが雷神の真の姿……」
「そうだ。これでもう、沈静化の効果は受けない」
バジルはライガーの姿を見て、言葉を失う。なぜなら、雷の鎧をまとったライガーこそが、アクエリスタンで雷神として恐れられる真の姿だったから。そしてその姿を見ることができるとは、思ってもいなかったから。
いわく、その鎧は絶対に砕けない。いわく、その鎧は最強の鎧。いわく、その鎧をまとったライガーには敵わない。
セイヤの中で、雷神の伝説が思い出される。
「これがライガーの本気か」
セイヤも初めて見るライガーの真の姿。その姿を見たセイヤは、一瞬だけ雷神と戦ってみたいと思った。
グギャァァァァァ
大きな咆哮と共に、氷竜がライガーに向かって再び氷のブレスを吐いたが、その攻撃に対しライガーは雷神鬼を一回だけ振り下ろす。
ブン、という音とともに雷神鬼から撃ち出された雷が、まっすぐと氷のブレスに向かって進んでいき、相殺する。
グギャァァァァァ
氷のブレスを防がれた氷竜が、再び氷のブレスを吐こうとするが、ライガーはわざわざ撃たせてくれるほど優しくはない。
「ふん!」
もう一度大きく振り下ろされた雷神鬼。そしてその雷神鬼から先ほどよりもはるかに強力な雷が撃ち出され、氷竜に襲い掛かる。
ギャァァァァ
雷に当たり、苦痛の叫びをあげる氷竜。しかしライガーの攻撃はそれで終わるはずがなかった。
「次で終わりだ」
ライガーが、氷竜との戦いに終止符を打つため、最後の攻撃に移ろうとした。それは雷神の最後の手であり、奥義ともいえる技。
「雷の加護、雷の巫女、その大いなる姿を現世に顕現せし時、その大いなる存在が……」
「させません。氷の神の怒り。『結界零度』」
バジルが魔法を行使した直後、ライガーの周りに氷の結界が出現する。
その魔法はバジルの出身一族であるナーベリア家の固有魔法であり、バジルの必殺技でもあった。
氷の結界に囲まれたライガーの腕が氷に拘束されてしまう。そして、今までで一番強力な沈静化がライガーの体に襲い掛かる。それは最強の鎧『雷極神』を持ってしても、だった。
そして次々と氷のツタがライガーの体にまとわりついていき、その体を拘束し始める。そして次第にライガーの体にまとわりついていたツタに、棘が生じ、その鎧に触れる。
棘は鎧に刺さりはしないものの、触れているだけでも十分だった。
「終わりです。その魔法は初撃で防がない限り、もう逃げ出すことはできません。ツタに生じた棘が次第にあなたの魔力を吸っていきます。あなたの負けです」
すでに勝利を確信しているバジル。
たとえライガーが『結界零度』を破ったところで、氷のツタが奪った魔力は戻らない。そしてそんな状態で氷竜と戦ったところで、ライガーに勝ち目などはなかった。
それはセイヤの目から見ても明らかだった。
すでに体中に巻き付いた氷のツタ、そしてそこから生じる無数の棘、しかもその棘が魔力を吸っているというのだから、絶望的だ。
『雷極神』の効果を使おうにも、『結界零度』の沈静化がそれを許さない。
この戦いはライガーの負けだ。セイヤもそう思っていた。
しかし、当のライガーだけは違っていた。その表情には、まだ余裕が感じられる。
「勝手に終わりにしてもらっては困るな」
「なんだと!?」
変化は唐突に現れた。ライガーの纏う雷の鎧の色が急に変化し始める。緑色の鎧が、次第に赤色へと変化しだしたのだ。そして次の瞬間、ライガーのことを拘束していたツタが、一瞬にして蒸発した。
「火属性の割合を高めたのか」
セイヤはライガーの変化を見て、理由を理解した。
ライガーの雷はダリス大峡谷の雷獣と同様、火属性と風属性の複合魔法だ。そしてその比率は通常一対一。けれども、今のライガーが纏う雷の比率は一対一ではなかった。
セイヤが見る限り、風属性と火属性の比率は三対七。それはつまり、ライガーの纏う雷の鎧が火属性に近いということだ。
そして火属性に近くなるということは、その分、活性化の度合いも上がるということだ。これにより、活性化したライガーの『雷極神』が『結界零度』を打ち破った。
「まさかそんな手をつかうとは……」
「これが特級の力だ」
「恐れ入りました。ですが、次で決めます」
「ほう、やってみろ」
二人の纏う雰囲気が、一瞬にして変わる。
より一層鋭くなった二人のオーラ。そのオーラが次ですべてを終わらせるということを物語っている。
バジルは氷竜に自分の残った魔力すべてを注ぎ込み、最後の攻撃に移行する。
ライガーもまた、体に纏う雷の質を上げていき、纏うオーラも本気になる。
「これは……」
本気になった二人から放たれるオーラが、空間をも軋ませていく。そのことにいち早く気付いたセイヤは、すぐにこのままではいけないと感じた。
しかし二人は戦いに集中しすぎて気づいていない。
もし仮に、このまま二人の攻撃がぶつかり合えば、結界はいとも簡単に崩壊し、その衝撃がモルの街に襲い掛かるだろう。そうなってしまえば、大参事だ。
「くそ、やるしかない」
セイヤはすぐに右手を構え、紫色の魔法陣を展開する。だが、魔法陣には文字など書かれていない。なぜなら魔法を構築する時間さえ惜しいから。
「行け、ダークキャノン」
魔法陣が展開されるや、セイヤはすぐに魔力を撃ち出した。それはただの魔力であって、魔法ではない。まるでリリィの使うウォーターキャノンのような魔力が、二人に向かって襲い掛かる。
そして無秩序に撃ち出された大量の闇属性の魔力が、氷竜とライガーの纏う雷を一瞬にして消滅させる。
「これは!?」
「セイヤか」
突如魔力が撃ち出されたことに驚く二人。そんな二人に対してセイヤは言った。
「いい加減にしろ。お前らはモルの街を吹き飛ばす気か?」
「なに!?」
そこでバジルは気づいた。もしあのまま攻撃をしていたら、モルの街が吹き飛んでいたことに。
普通の魔法師同士なら問題はないだろう。しかし、彼らは特級魔法師と十三使徒という特別な存在。彼らほどの実力者が本気を出してぶつかり合えば、結界も持たない。
「すまなかった。感謝する」
自分が何をしでかそうとしていたか、気づいたバジルはセイヤに謝る。最早、決闘なんてどうでもよかった。モルの街が、自分の故郷が無事なだけで、バジルはよかった。
「さて、どうする?」
ライガーがバジルに聞いた。それはもちろん、決闘はどうするかということだ。
しかしすでにバジルには戦う気などなかった。
「私の負けでかまいません。今日はご迷惑をお掛けしました。帰ります」
「そうか。メレナ!」
「はい」
バジルが呼ぶと、すぐに使用人のメレナが姿を現し、バジルのことを案内していく。
そしてバジルの姿が見えなくなると、セイヤはライガーに聞いた。
「最後の、わざと俺に消させただろう」
「さあ、どうかな。だが、お前は十三使徒に貸しを作った。よかったな」
「はぁ」
ニヤリと笑みを浮かべながら言うライガーに対し、困った表情を向けるセイヤ。
ライガーほどの経験を積んでいる魔法師なら、最後のような暴走はあり得ない。つまり、あえて暴走してセイヤに処理をさせることで、バジルに借りを作ったのだ。
そして、借りができたバジルはセイヤの秘密を守るだろ。それは必然的に、バジルがセイヤの陣営に入ったということを指している。
「おそろしいな」
セイヤは雷神鬼を担ぎながら屋敷に戻るライガーの背中を見て、そう思った。そして同時に、自分にもいつ覚悟を決める時が来るかもしれないのか、とも思うのであった。
そしてその後、買い物から帰ってきた女性陣に鉢合わせると、セイヤは夕食まで、ユアとリリィのファッションショーに付き合わされるのであった。




