にく2
地獄にも似た光景を眼下に一人の魔王が王座に腰を下ろす。魔王は全身に黒い鎧を身に着けているが、頭部だけは露わになっている。首から下が物々しく黒一色に染まっているのに対し、露わになる頭部はとても可憐で華奢だ。
しかしその表情には似つかわないほど鋭い眼光を持つ魔王の名前はフォーノ=マモン。前任のブロード=マモンの遺志を継いで新たにこのダクリア二区の統治者になった人間である。
「マモン様」
王座に姿を現した一人のメイド姿の女性。その女性はかつてブロードに仕えていた、今では数少ない以前の魔王を知る者である。
その従者は以前からフォーノのことを知ってはいたものの、全身を常に黒い鎧で隠していたために素顔は知らなかった。だから初めてフォーノの素顔を見た時は驚きを隠せなかった。
「前線より伝令です。現在、魔王軍と敵軍は拮抗状態にあり。特に敵軍の途切れることなく送られてくる援軍に手を焼いているとか」
「そうか」
至るところで爆発が起きる街を見据えながらフォーノが従者に問うた。
「それで負傷者の数は?」
「それが……」
フォーノの答えに従者は正直に答ええいいものかと戸惑いを見せる。だが彼女が回答を戸惑うのは仕方のないことである。なぜなら報告された負傷者の数があまりにも常軌を逸していたから。
「敵軍の負傷者は多数。対して魔王軍の負傷者はゼロ」
ダクリアの歴史において前例がないほど大きく激しい戦いが繰り広げられているというのに、フォーノたちの魔王軍の負傷者はゼロという報告は普通ならばおかしい。
どんなに実力者がいようとも、これほど両軍入り乱れた戦いが起きていれば少なからず負傷者はでるはずである。だというのに負傷者がいないというのはあまりにも不思議で、君が悪いとしか言いようがなかった。
「二区周辺に確認できる援軍の数は」
「空中部隊によりますと敵の援軍と思われる一段の数が多数確認されたとか」
従者の報告を聞いてフォーノが今一度戦況を確認する。
「前線から援軍の要請は?」
「ありません。それどころか自陣から兵を撤退させてほしいという要請が」
「まったく、彼らの自信は……」
部下からの要請に困った表情を浮かべるフォーノ。その姿が従者には意味が理解できなかった。
拮抗しているなら援軍を出して一気に殲滅すればいいではないか。それに敵軍も次々と援軍を出しているのだから、こちらもそれに呼応するように援軍を出すべきだろう。なのにどうしてこの魔王は敵を一気に叩かないのだろうか。
従者がそんなことを考えていると、フォーノが従者に命令する。
「至急、帝国にいる魔王サールナリン=レヴィアタンと連絡が取りたい。繋いでくれると助かる」
「は、はい!」
慌てて従者が操作するのは映像通信機器。これはブロードの開発した代物であるため、利用するならブロードに仕えていた従者に頼む方が使い勝手もいいのだ。
あっという間に操作を終えると王座の前に表示されたスクリーンにサールナリンの姿が映し出される。
「久しぶりだね、シルフォーノ!」
「お久しぶりです、サールナリン。それと今の私はフォーノです」
シルフォーノという名前にスクリーンのわきで控えている従者が不思議そうな表情を浮かべるも、サールナリンには関係ないようだ。
「別に問題ないでしょ。いまさら」
「はぁ、あなたには困らされるわ。サールナリン」
「それでいいんだよ」
何がいいんだと言い返したくなるシルフォーノだったが、ここでそのような議論をするのも意味がないのでシルフォーノは本題へと入る。
「帝国の方は動きがあった?」
「こっちは全部もぬけの殻だね。この間セイヤくんと捕まえた支部の人間に帝国内の拠点を全て吐かせて捜索したけど、やっぱりあの情報は本当みたい」
「てことは脱魔王派の全員が二区に迫ってきてるという訳ね」
「そうなるのかな」
シルフォーノとサールナリンの会話を聞いてしまった従者は顔が青ざめている。今も激しい戦闘が繰り広げられているというのに、これからもっと敵の援軍が来ると言われれば青ざめるのも仕方がないことだろう。
しかし従者とは対照的にシルフォーノたちの表情は依然として余裕に満ちている。
「それで援軍の方は必要?」
「微妙なところね。今のまま戦況が推移すれば必要ないけど」
「つまりイレギュラーな存在が出てきたらひっくり返されるという訳だね」
「そうね。ただ戦いに置いてこの可能性は常に存在するけど」
ここでいうイレギュラーな存在とは脱魔王派側に天才的な軍師が現れてただ送り込まれている兵士に目から鱗が落ちるような作戦を託すとか、一人で戦況を変えられるような、それこそ大魔王ルシファーのような魔法師が現れることを言う。
ただこの可能性はとても低く、こういう時に備えるのはやりすぎという意見があるのも事実だ。
「これからの方針としてはどうするつもり?」
「まずは一端休戦でもしようかしら」
「それで敵が集まるのを待つってこと?」
「そうね。それで向こうが総力戦に出たら一気に叩くとか」
「それが一番理想的だよね」
この魔王たちは一体何を言っているのだと思わず突っ込みたくなってしまった従者。なぜわざわざ敵にチャンスを与えるような作戦を立てるのか理解できなかった。
「でも、そうなると援軍が必要かな」
「まあ最悪私が出れば問題ないんだろうけど」
「その間に館が落とされた大変だよね。四区から冒険者でも派遣しようか?」
「だめよ。そんなことをしたら本当に内戦が起きるもの」
「シルフォーノの部下は頑固者が多いもんね」
「忠誠心は強いんだけど」
困った表情を浮かべるシルフォーノに対し、もっと困るべき懸念があるだろう!と突っ込みたくても突っ込めない従者が歯がゆい思いをする。
「援軍を頼むとしたら師匠とかが適任かしらね」
「雷神を派遣したらそれこそ戦況が荒れるよ」
「相手が脱魔王派だけならサールナリンの案でもいいんだけど、今回は事情が事情だから困るのよ」
「確かにあっちが手を出して来たら四区の冒険者じゃ太刀打ちできないかもね」
シルフォーノとサールナリンは頭を抱えたくなる思いだった。
「脱魔王派の裏にいる魔法師と、それとはまた違って彼らを狙うであろう魔法師。どっちも一筋縄ではいかない相手だから困るってもんよ」
「もし彼らが出てきたらどうする訳?」
「どっちかなら私が相手するけど、二人同時に来たら困りものよね」
シルフォーノが恐れている最悪の事態になれば、被害は一気に広がるだろう。
「でも片方はある意味では味方なんでしょ?」
「敵の敵は味方って言うけど、正直あれが何を考えているかなんてわからない。むしろ今の状況を考えたら、あれは一人で両方を敵にするかもしれないわ」
たった一人で魔王軍と革命軍を相手取る謎の存在。そのフレーズだけで従者が足がすくむような気がした。
「最悪の場合を考えると、警戒すべきは特級魔法師二人に脱魔王派全軍。つまり少なくとも三人は強力な存在が必要になる。そうなった時に私は部下を連れて脱魔王派たちを相手にすることになるから、今この館にいるルナに特級魔法師を任せても、やっぱり一人足りないのよね」
「そこに反魔王派がちょっかいを出して来たら大変だしね」
考えられる最悪の事態。それが起きる確率を考えれば、とても低いのだろう。しかし今の状況ではそれが起こり得るから恐ろしい。
「とりあえず私は掃討作戦に集中するから、もし新たな女王を掴んだら教えてくれると助かるわ」
「わかったよ。特に他勢力の動きは注視して、可能なら牽制しとくよ」
「お願い」
こうして魔王たちによる電話会談は幕を閉じる。そして戦況は新たな局面に移ろうとしていた。




