ほい!
なぜ三半規管が乱れているはずのジャックが平常時と同じ用に動けているのか理解できなかったデンシルはジャックと距離をとる。それは本能的な恐怖と長年の戦闘経験が生みだした選択であるが、この場合においては正解だった。
一方のジャックは右手に握る剣を二回閃かせてデンシルに闇属性の魔力が乗った斬撃を撃ち出す。十分な距離をとっていたデンシルはジャックの攻撃を難なく防ぐことに成功するが、問題にすべきはジャックの攻撃が間違いなくデンシルに向かってきたということ。
すでにジャックの三半規管は正常になったと考える方が妥当だろう。なぜジャックの三半規管がこんなにも早く回復したのか理解できないが、その答えを知ったところでジャックに勝てるわけでもないのでデンシルは戦いに集中する。
しかし既にデンシルの手の内はジャックに晒してしまった。逆にデンシルはジャックの手の内をほとんど知らない。ジャックが使ったのは基本的な闇属性の魔法のみで、魔法のレベルだけで言えばジャックは警戒するほどでもない。
警戒すべきなのはジャックの技量だ。予備動作を感じさせずに動く肉体操作、殺気を全く感じさせずに正確に首を獲りに来る技量、戦闘に置いての判断力、これは全てジャックは超一流だった。そんなジャックが基本的な闇属性の魔法しか使えないはずがない。
それにジャックの腰にはもう一本の剣が帯刀されており、ジャックはまだ二本目の剣を抜いていない。つまりジャックはまだ本気を出していないとデンシルは考える。
(貧乏くじを引かされたか……)
自分でジャックの相手を選んでおいて何を言っているのかと思いたくなるが、デンシルの心の嘆きも仕方のないことだ。
デンシルの実力は一般的な冒険者の中で頭一つ秀でている。実際にジャックも最初はデンシルの攻撃に苦戦していたことから彼の初見殺しはかなり有効である。相手が一般的な冒険者なら彼の初見殺しを受けて焦り、そして続けて誤った選択をするはずだ。
だが今回の相手であるジャックは二回目以降、正確にデンシルの攻撃を対処して見せた。結果論だがデンシルのミスは相手にジャックを選んでしまったことである。
まさか志望者の中に冒険者組合暗部に所属する人間がいるなど考えもしないに決まっている。そう言う意味ではデンシルに同情すべきなのかもしれない。
(奥の手を使うしかないようだな……)
デンシルは一度周囲の状況を確認すると大きく息を吐く。両者の間には十分な距離が開いているが、ジャックの技量を持ってすれば距離などないに等しい。
「チャンスは一回。それを逃せば俺は死ぬ」
一人つぶやくデンシルの表情には少し笑みが浮かぶ。だがその笑みは勝利を確信した笑みではなく、これから始める第博打に対する高揚感だ。
この技は使用者であるデンシルも使ったことがない魔法。考案し、実現まで漕ぎつけたデンシルであるが試すにはあまりにも危険すぎる魔法。
しかし今はこの魔法を使わなくてはジャックを止めることができないと確信していた。このままではジャックに為す術なく殺されると感じたデンシルの最後の足掻きだ。
「集え、自身の理を御する魔の回路。収束し、それを解き放つは我が礎を築く強き思い」
デンシルの中で魔力が練られていくのが感じられる。しかもその魔力はとても澄んでいて、同時にとても禍々しい。まるで嵐の前の静けさを見ているような感覚に陥るが、デンシルの魔法はまだ続く。
体内で練られた魔力はデンシルの肉体の中心に収束していく。
「今一度語り掛けるは我が使命と我が責務。大気を支配するこの主に呼応せよ、波動を感じ、共鳴の時をもって我が肉体を受肉し、我が肉体と一体になれ」
続く詠唱がデンシルの体内の魔力を全て一転に収束され、体外からも空気がデンシルの魔力に呼応しているのがわかる。
デンシル以外のその場にいた誰もが異常を感知すると同時にデンシルの方に視線を向ける。これから何が起こるか予想はできないが、高難易度の魔法が発動しようとしてることはわかる。
同時に自らの身を危険に晒されるのではないかと危機感を露わにする者たちもいるが、デンシルの相手を務めているジャックはどこか楽しそうにデンシルを見据えている。
ジャックの握る普通の剣が纏う魔力はいつの間にか美しい紫色になっている。その事実が意味することはジャックの魔力も練度が上がり、質が良くなっているということ。つまり先ほどまでの魔力とは格が違うということである。
規模だけで言えばデンシルの方に意識を持っていかれるが、魔力の質だけで言えばジャックも負けていない。それどころかジャックの方がみるみる魔力の質を上げており、その魔力が一種の境地に達するのも時間の問題だろう。
この時点で他に戦闘を繰り広げていた冒険者たちはジャックとデンシルの二人に注目せざるを得なかった。まだ激しいぶつかり合いをしていたハマスとエンジも注意を持っていかれる。
ちょうど他の志望者を気絶させたところのセイヤも背後から感じる二つの大きな気配に意識を向けてしまう。この時ばかりは倉庫内にいた誰もがジャックとデンシルの二人に注目していた。
ジャックとデンシルの二人がぶつかり合えばどうなるのか興味を抱く者は少なくない。だが同時に二人がぶつかり合ったら何が起きるのか予想できないもの事実だ。もしこのまま二人の攻撃がぶつかり合えばこの場にいる全員が巻き込まれて怪我では済まされないかもしれない。
元々この戦いは脱魔王派の冒険者たちになるための採用試験であり、言ってしまえば実力を測る場であって殺し合いをする場ではない。そう言う意味で試験を取り仕切る大柄の男の行動は早かった。
「そこまで!」
大柄の男の声が倉庫内に響く。その声が意味するのは二次試験終了の知らせであり、これ以上の戦いは不要という宣言。
その宣言を聞いたジャックは構えていた剣を下ろし、錬成された魔力も虚空に消えていく。一方のデンシルの方は魔法を行使する直前だったようで、ここでキャンセルできないといった表情を浮かべた。
声には出さないが、デンシルが焦っていることはすぐにわかる。彼は発動直前だった魔法を無理やりキャンセルしようと試みるも、それが結果的に仇となる。無理矢理キャンセルしようとした魔法は術者の制御下を外れて暴発する危険性がある。
今まさにその状況だった。
「しまった……」
誰もがデンシルの魔法が暴発すると覚悟した刹那、一同は大気が揺れるのを感じた。それは初めての感覚であるが、すぐにそれが闇属性の魔法だということに気づく。音もなく色もないその魔法が一瞬にしてデンシルの暴発寸前の魔法を消滅させた。
その事実に一同は驚きを隠せなかった。




