第330話 母子の再会(中)
母親とは強い生き物だ。子供を産むときに尋常ではない痛みを長時間にわたって経験し、産後は子育てのために終わりの見えない肉体的、精神的な負担を強いられる。だが同時に自分が腹を痛めて生んだ子供だからこそ特別に感じ、そして何があろうとも子供の味方でいてくれる存在だ。
そしてモカ=フェニックスもまたそんな母親の一人だった。彼女は常々娘であるセレナ=フェニックス、その妹のナーリ=フェニックスのことを一番に考えて生きてきた。
『フェニックスの焔』を操るフェニックス家ということでレイリア王国内でも普通とは少し異なる立場にあった彼女たちであったが、モカは娘たちを普通の家と同じように育てた。フェニックス家に舞い込んでくるような特別な仕事もモカが一人で処理をし、子供達をフェニックス家の娘としてではなく、モカ=フェニックスの娘として独り立ちさせようとしていた。
だから娘たちに自分から『フェニックスの焔』を押し付けるように教えたことは一度もない。モカはいつか娘が望んだら時に業を教えようとセレナを生んだ時に心に決めていた。
そして何があろうとも娘たちを国から守ろうとも心に決めていた。『フェニックスの焔』はその特異性からレイリア王国内でも稀少な能力として継承を強く望まれている。それはつまり様々な思惑を持った人間たちがモカからセレナへと『フェニックスの焔』を伝授させたいと考えていることを意味する。
しかしモカはそんな役目をセレナに押し付ける気は毛頭なかった。極端に言えば、セレナが望まないなら『フェニックスの焔』は自分の代で途切れてもいいと考えていた。時代に沿って柔軟に変化できな伝統はもはや伝統と呼ぶにふさわしくはない。それはただの古来からの押し付けであり、時代を経るごとに邪魔なものへと変化していく。
なのでモカはセレナがもし『フェニックスの焔』の継承を望まないなら、たとえ国中が敵になろうとも娘を守ろうと常々思っている。いや、思っていたという方が正確だろう。
けれども子供というのは親の予想を容易に超えていく存在であり、ゆえに予測不可能な存在だ。
ついこの前までセレナは優秀な魔法師だった。名門アルセニア魔法学園の所属し、その中でも生徒会という優秀な生徒しか所属できない組織に身を置く名実ともに将来有望な少女だった。モカもそのことが誇らしくなかった言えば嘘になる。
ゆくゆくはこの国を代表するような魔法師になるかもしれないといった淡い期待を抱いていたのも事実だ。しかしその希望はあっという間に打ち砕かれた。もっと正確に言えば、セレナは常識の範疇でも優秀な魔法師から外れた存在へとなった。
それはモカが被害にあったモカ=フェニックス誘拐事件。その事件はレイリア王国という一つの枠組みを超えてレイリアとダクリアという二つの国の間で起きた問題だ。普通に生きていたら一生知ることのなかったダクリアという国に触れたことでモカだけでなく、救出に来たセレナの立場も一変してしまった。
その事件が終わったと思えば今度は聖教会に身柄を拘束され、解放されたと思えば次は出場したレイリア魔法大会でダクリアからの侵攻を受けてしまった。これらの一連の出来事はモカの予想どころか、普通の人間が予想できる範囲を悠々と超越している。
実を言うと、セレナがレイリア魔法大会に出場すると聞いたときにモカは嫌な予感がしていた。レイリア魔法大会はレイリア中の学生魔法師が憧れる祭典であり、モカもその大会に出場する意義はよく分かっている。だが同時に直前の出来事で何か不吉なことが起きるのではないかと考えてしまっていたのも事実。そしてその予想は当たってしまった。
幸いなことにその事件でセレナは何とか生き残ることができた。けれどもその後からセレナを取り巻く環境は一変する。レイリア魔法大会での功績や、セイヤとの関係によって世間からの目は様々なものへと変化した。
だがモカが一番に心配したのは世間の目ではなく、娘が置かれている状況だった。一体何が起きているのか全貌を把握していなかったモカだが、セレナが黙って家を出ることが多くなっていることに不安を覚えていた。
何か良からぬことに巻き込まれているのではないか。
そんなモカの不安は見事に的中してしまう。突如家に訪れた聖騎士アーサーによって語られたセレナたちの現状。そして彼女たちが身を寄せるトップが何をしようとしているのか。
それらをすべて聞いたとき、モカは言葉を失うと同時に、やっと娘と同じ場所に立てたと思った。
誘拐事件の時は助けてもらう側だった。セレナが聖教会に捕まった時はただ吉報を待つのみだった。レイリア魔法大会の時は傍観者として無事を祈ることしかできなかった。
だが今回は違った。
「間に合った」
モカはそう思った。今度こそ、自分は娘であるセレナと肩を並べて娘のために戦えるのだと喜んだ。国を打倒するなどといった目的はどうでもいい。モカが望むのは母親として娘と一緒に戦い、そして娘を守ることだ。
最近すれ違っていた娘とやっと分かり合えるのだろうとモカは思っていた。
しかし現実は違った。やっと娘と再会したと思ったら、投げかけられた言葉は彼女が予想していなかった言葉だった。
ショックを受けなかったと言えば嘘になる。だからモカはただただ謝罪したのであった。




