第328話 運び屋
聖教会が統治するレイリア王国と大魔王ルシファーを頂点にするダクリア大帝国の二国間に広がる地域をレイリアの人々は暗黒領と呼ぶ。偶然か必然か、ダクリア大帝国の人々もその一帯を暗黒領と呼んでいた。
しかし両者の暗黒領に対する認識は少しだけ違う。レイリアにおける暗黒領は国土の外に広がる未開に地域で、いまだに強力な魔獣たちが生きている危険な地域。普通に生きていればまず関わることのない場所だ。対してダクリアにおける暗黒領はそれぞれの魔王たちが統治するダクリア各区の間に広がる地域であり、その場所はいかなある魔王の干渉を受けていない中立地帯。魔獣も存在はするが、それよりも魔王たちの干渉を受けない場所だという印象が強い。
同じ呼称でも両国の人々の認識はここまで違っていた。
そして現在、その暗黒領を西から東に、つまりレイリア王国側からダクリア大帝国側に横断している一台の馬車があった。一頭の馬がものすごいスピードで暗黒領を駆け抜けているにもかかわらず、後ろに引いている馬車には少しの振動も伝わっていない。
その馬車はより正確に表現しているなら地面をけっているというよりは地面を滑空しているといった方がいいかもしれない。馬の手綱を引く男は黙って操縦に集中している。彼は人の輸送も引き受ける行商を表向きな職業としているが、実際のところは金さえもらえれば、どんな人たちも運ぶ暗黒領の運び屋だ。特に裏の仕事、冒険者組合の暗部とも強いコネクションを持つダクリアの裏の世界ではそれなりに名の知れた男だった。
ところでダクリアでも馬は使われているのかと言われれば答えはまだまだ現役だ。技術力が高水準にあるダクリアでは馬に代わって高推進力をもつ魔力で動く二輪車や四輪車が主流なのは否定できない。しかし魔力を持たない非魔法師などはまだまだ馬を使っている。
だがこの運び屋は魔法師だ。その気になれば魔力を動力とする二輪車や四輪車も使用することはできる、ならなぜわざわざこのような時代遅れの馬を使っているのか。
その答えは彼らの顧客にあった。裏の世界で運び屋として知られる彼らが相手にするのは何も冒険者組合の暗部だけではない。場合によっては魔王たちや脱魔王派の面々とも関係を結ぶ。そうなれば当然のことながら仕事の場所はダクリアだけでなくレイリアも含まれてくるのだ。
例えば先のレイリア魔法大会侵攻事件。その主犯である魔王デトデリオン=ベルゼブブはレイリア付近に移動する際にこの運び屋の手も借りている。もし仮に彼が魔力を動力とした二輪車や四輪車を使ってレイリアに近づけば怪しまれること間違いなしだ。だが馬を使っていれば馬車が主流のレイリアでも怪しまれることはない。
身分確認等で怪しまれることはあるだろうが、いきなり攻撃される確率はうんと下がる。そう言う意味で運び屋の馬はまだまだ需要があった。
といっても、馬の性能はレイリアと比べてしまえば雲泥の差だ。
運び屋の使う馬の足には特別製の蹄がつけられており、それは一種の魔具である。近年になって観測されるようになった大気中の魔力粒子を利用することで馬は地面から数ミリ浮くことができる。そのおかげで地面との摩擦がなくなった馬は信じられないほどのスピードで進むことができるのだ。
この画期的な発明はダクリアの歴史を大いに変えた。大気中の魔力粒子とはその名の通り大気中にあり、言い換えてしまえば万人が使えることができるということだ。それが何を意味しているかというと、非魔法師にでも使用することができるということだ。
つまりもしこの技術が発達していったならば将来的に非魔法師でも魔法師と同じように魔法が使えるようになるのかもしれないということだ。これまで存在していた魔法師と非魔法師という枠組みが撤廃されるかもしれないということである。
だがあくまでもこれは未来のはなしであり、今はまだ机上の空論にしかすぎない。それに今の技術力では大気中の魔力粒子を集めて魔法を行使することは不可能に近い。万人が使える魔力粒子とその魔法師に最適化された体内の魔力では後者の方が全ての面において高い値を計測するだろう。
それに魔力粒子を返還する装置、つまりこのような蹄などはまだまだ発展途上のものであり、流通量も少ないためにかなり高値でやり取りされている。そのため非魔法師が簡単に持つことはおろか、使うことさえもできないのだ。
結局のところ富裕層の魔法師たちが自らの魔力の消費を抑えるためにこのような装置を導入しているのが現状だった。そしてこの運び屋もまたその富裕層の一人であり、これまでも様々な客を相手にしていた。
けれどもそんな運び屋でも今ばかりは緊張していた。理由は彼が今現在馬車の中に乗せている客のせいだ。
その客はレイリア王国内で乗車すると、ダクリア大帝国までといって黙り込んでしまった。運び屋は客の態度にやや不満を覚えたが、何かを言うことはなかった。客である以上、文句を言うことはできなかったから。
しかしその客は彼が今まで相手にしてきた中で一番恐怖を覚えた男だった。特に何かをされたという訳ではないが、その男が内に隠している何かが彼に畏怖を抱かせたのだ。運び屋は自分の直観に絶対の自信を持っている。
それは生まれ持った素質であり、おそらくは後天的に手に入れることのできないような才能。彼はこの才能のおかげでこれまでも客の背後を詮索しなくてもその実力を測ることができた。だからこうして長年に渡ってこの業界で生き抜いてこられたのかもしれない。
そんな彼の感覚がその男にあってからというものの絶えることなく警鐘を鳴らしているのだ。危険だ、と。
信じられないかもしれないが、その客は人間ではないのかもしれないと運び屋は思ってしまうほどに。それはまるで人の皮をかぶった怪物だと。
冒険者組合の暗部でも、ダクリアの魔王でもこれほどの者はいなかった。確かに規格外の力を持ってはいるが、それでも人間の範疇にはとどまっていた。だがその男は人間とは別種の何かを持っているように思えたのだ。
だから男はただ黙って仕事に集中する。後ろにいる客に自らの動揺を悟られぬように。
しかしその客は男の動揺に最初から気づいていた。そしてその勘の鋭さに微笑を浮かべていた。男の名前はミカエラ。《天使》の異名を持つ特級魔法師の一人だ。




