第322話 クリムゾンブルーム
「あーあ、だりぃなー」
軽口をたたくジャックの背後に転がる肉塊は全部で十。それが生前どのようなかたちをしていたのかを肉塊だけから判別することはできないが、状況を見ればその肉塊が人間だったことは子供でもわかる。
地面を染める赤い色の液体は紛れもない血液。まだ流れたばかりのためか、妙に空気が生暖かい。
先ほどジャックが右腕を自らの手で落とさせた冒険者からまだ一時間も経っていない。だがそこには十人の粛清対象の遺体が転がっていた。
ジャックは魔剣を一振りしてついてしまった血液を振り払う。そして唯一生き残っていた少女に視線を移す。
目の前で起きた惨劇に少女は腰を抜かせて座り込んでしまっている。いつものジャックなら逃走されるリスクを削ぐために先に両足を切り落とすところだが、今の少女にそのような余裕はない。
少女を中心に地面が湿っているが、恐怖のあまり少女はそのことに気づいていない。目の前にいるのがあの死神ジャックだと知っていた少女は自分がどんな姿になっているかなんて気にしている余裕もないのだ。
死神という異名を持つジャックはその名の通り裏切り者を粛清していく冒険者だ。その実力はずっと昔から知られているが、実物を目にしたものはほとんどいない。なぜなら彼の姿を見たその瞬間がその人間の最後だから。
一部では終末を運ぶ魔法師とも呼ばれている彼の右手に握られているのは魔剣クリムゾンブルーム。その魔剣には特別な力が付与されていると言われている。
魔剣クリムゾンブルームは紅い華を咲かせるごとに強くなる。では紅い華とはいったい何なのか。答えは今もジャックの後ろに存在する。一面に咲いた紅い華、つまり飛び散った人間の鮮血。
魔剣クリムゾンブルームは斬って斬って血の花を咲かせるごとに強くなるというのが魔剣クリムゾンブルームの由来だ。そしてその持ち主は冒険者組合の暗部に所属する人を殺すことに躊躇いどころか悦びを感じるような人間。まさにそれらは出会うべくして出会ったとしか言えない。
「ひっ、ひぃぃぃぃ」
次はとうとう自分の番だと確信した少女は震えが止まらない。行き止まりの路地裏に追い込まれた時点で彼女たちの運命は決していた。
中には力ずくでジャックを打ち負かそうとした者たちもいたが、その結果が彼の後ろに転がる肉塊だ。死神ジャックに逆らうことができないという噂を改めて叩きつけられた少女には抵抗の意志など微塵もなかった。
Cランク冒険者の彼女ではジャックに一矢報いることもできないのだから。ジャックの後ろに転がる肉塊で何かが光った。それは太陽の光を反射した金色の板。見る者が見ればそれをすぐにAランク冒険者だけが持つことを許された金色のタグと理解するだろう。
そして同時にその肉塊が生前はAランク冒険者だったということも。
Aランク冒険者でさえジャックの前では肉塊と化す。理由は至極単純、その冒険者とジャックの間には埋めることのできないほどの実力者が存在していたから。
手練れの冒険者が束になってもかなわない相手こそが目の前にいる死神ジャックなのだ。いくら少女が頑張ったところで無意味に違いない。そして何をしようとも目の前に突きつけられた死から逃れることは不可能なのだ。
どうしてこうなった。なぜこうなった。震える身体で少女は必死に思考しようとするが、考えがまとまらない。自分が何を考えているのかさえ理解できない。
なぜ自分は殺されるのか。なぜ自分は死ななければならないのか。少女は必死に考え自問する。自分はまだ十四歳の少女であり、人生これから楽しいこともたくさんあったはずだ。しかしそんなことを言ったってジャックが考えを変えてくれるはずはない。
ジャックはニヤリと笑みを浮かべると、右手に握る魔剣クリムゾンブルームを振り下ろして少女の上半身と下半身を分離させた。
ボトッという音を立てて地面に落ちる少女の上半身。あたり一面に咲く始める紅い華がジャックをわずかに高揚させる。
「まったく大魔王様様だぜ」
剣を振って血を落とすジャックは心の中でこの状況を作り出してくれた大魔王に感謝する。
ジャックの暗殺稼業は本来これほどの頻度で行われることはない。多くても月に二回、最高でも週に一回だ。それがここ最近は連日のように粛清対象が生まれている。
理由は新たな大魔王ルシファーの誕生。
これまで代理であるギラネルが務めてきた大魔王。その現状を不満に思っている冒険者は多く、彼らは魔王に対して反感を抱いていた。しかし冒険者である以上、魔王制度そのものを否定することは自分の首を絞めることと同義になるので脱魔王派ではなく反魔王派を掲げていた。
けれども新たな大魔王ルシファーの誕生によって彼らの考えは一変した。大魔王就任式で見せた新しいルシファーの力は本物であり、彼らはその魔王に可能性を感じた。それによって彼らは冒険者組合の理念とは異なった行動をするようになってしまった。
彼らは元々スパイではない。純粋な反魔王派だったが、状況に変化によって思想を変えたに過ぎない。だがそんなことが冒険者組合で許されるはずもなく、こうしてみじめにも粛清対象になってしまったのだ。
どんなに高ランクの冒険者でもジャックの前では無力な素材だ。実力だけなら彼らは白金級の実力を兼ね備えているのだから。しかし歴史上において白金級の冒険者は数えるほどしかいないため、その名は歴史に残ってしまう。
冒険者組合の暗部で働くジャックがそのような名誉を承っては冒険者の品位について問題になってしまうのだ。だから冒険者組合は白金級の実力があるにもかかわらずジャックには金色のタグで甘んじてもらっている。それがこの国のためだと信じて疑わないから。
だが自分のランクなどジャックにとってはどうでもいいものだ。彼の基本的な動力源は過度の殺人衝動であり、人を殺せるならなんでもいいというのが死神ジャックだ。
冒険者組合がバックについている以上、彼の粛清は正当化され咎められることはない。ジャックが求めるのはそれだけであり、それ以上でもそれ以外でもない。
人を殺す瞬間に得られる快楽のみが彼の目的だ。だからジャックは今日もどこかに紅い華を咲かせる。世界が紅い華の花畑に染まるまで。




