第315話 ポーリーノ
大爆発が発生した直後、ポーリーノはすぐに周囲を見渡す。辺り一面を支配していた霧はいつの間にか姿を消し、周囲の状況が明確になる。だからポーリーノたち一行はその周囲の景色を見て言葉を失った。
「これは一体……」
周囲に広がる光景は彼らが先ほどまでいたはずのモルの街どころか、有機的なものが一つも見当たらない完全なる無の空間。わかりやすく表すのであれば周囲を黒い布で包み込まれたにもかかわらず、その終わりを触ることのできないような空間。
しかし暗闇とは違い、不思議と視界は良好。光が差し込んでいる様子はないのにもかかわらず、そのあたり一面が黒で包まれた世界では昼間の街中と同じくらい物が良く見える。
「ポーリーノさん」
「わかっている。何者かの敵襲だ」
ポーリーノたちは聖教会に所属する魔法師であり、その中でも十三使徒序列四位の魔法師に仕える優秀な魔法師だ。これくらいのことで慌てふためて冷静さを失うほど未熟ではない。
すぐに陣形と組むと周囲を警戒する。
「精神支配系の魔法は確認できません」
「幻術でもありませんね」
「そうか」
精神系の魔法に長けた部下たちが突然の出来事の正体が精神支配系の魔法でないことを確認する。だがそれが明らかになったことで彼らはより一層混乱することになる。
「となると……」
「物理的な空間形成?」
「でもこれほどの空間形成が可能なのか?」
「少なくとも周囲四キルはあるぞ」
人間が水平に視認できる距離はせいぜい四キル程度。つまり終わりの見えないその世界は彼らを中心として少なくとも半径四キルは広がっていることになる。
それほど大規模な魔法を行使できる魔法師などレイリア王国内でも限られるはずだ。もし彼らが聖教会にいたならばすぐにその術者の情報を探し出せたかもしれない。だが彼らがいるのは謎の空間であり、当然手元に資料などない。
だから彼らは記憶を頼りにして術者を調べる。
「これほど大規模な魔法となると少なくとも上級魔法師以上だ」
「でも私たちに気づかれずに行使したことを考えたら特級魔法師以上よ?」
「いや、協力者がいるとすれば上級魔法師でも可能だ」
「でもどうして上級魔法師が? 一体何の目的が……」
それぞれ意見を出しながら話し合うポーリーノたち。しかしその中で一人が信じられないといった表情を浮かべながら座り込んでしまう。
「うそ……でしょ……」
「どうしたんだ?」
「ここ……終わりがない……」
何を言っているんだと誰もが思った。しかしすぐのその者が偵察を得意とする魔法師だと思いだしたポーリーノたちは彼女が何を言わんとしているのかを理解する。
「何が見えたんだ?」
「何も見えない……」
「それはどういう……」
「ここは少なくとも十キル、いえ二十キルは終わりがない。いいえ、それだけじゃないわ。これだけ遮蔽物のない世界だからかもしれない。この世界は水平よ」
「なん……だと……」
世界が水平。それは彼らが習ってきた常識を覆すどころか否定するものだった。魔法的な観測によって世界は球体だと既に証明されているこの世界で遮蔽物のない水平な世界を構築することは物理的に不可能だ。
精神支配によって偽りの世界を作り出すならまだわかる。だが彼らはこの空間が精神支配的なものではなく物理的なものだと知っている。つまりこの空間はあまりにも異様なのだ。そしてその異様な世界を作り出せる魔法師など存在するはずがなかった。
「まさか相手は特級魔法師か十三使徒とでもいうのか……」
「いや、いくら彼らでもここまでのものを作り上げることはできないはずだ」
「なら私たちは言った何と戦っているの!?」
「もういっそう神が相手だと言ってもらえた方が楽だ」
自らの常識を打ち破るこの空間に彼らは思考を放棄したくなった。一体何をどうすればこのようなでたらめな世界が組み立てられるのか。
まさか神が定めた常識を易々と否定して世界を構築できるなんて、それは常識を定めた神以外ありえない。当然世界が平行だったらという仮説はこれまでにも生まれてきたが、それを実行するのは神への冒涜されてきた。
たとえそれが小さな世界でも、神を冒涜する者の創造は聖教会によって禁じられていた。聖教会に所属する彼らはその考えを身近で感じてきた。そもそも物を創造する力が存在しないはずの世界でそのような禁忌が定められていることに違和感を覚えるべきなのだが、誰もそのことに違和感を覚えなかった。
なぜなら違和感を覚えるということができなかったから。正確に言うのならそう考えないように誘導されていたから。
つまるところ、彼らにとってこの空間は異様以外の何物でもない。すぐにでも否定したい。すぐにでも壊して自分の常識に戻りたい。しかし彼らにはどうすることもできなかった。
「十三使徒の部下といえど、所詮は小童だ。奴らが見たらなんというだろうか」
どこからか聞こえてきた声にポーリーノたち警戒する。その声の主がこの空間を作り出した魔法師だということは誰にでもわかった。
「お前はいったい何者だ? ここはどこなんだ? 俺たちをどうするつもりだ?」
「質問の多い小童だ。少しは自分で考えたらどうだ?」
声の主はそう言ったが、それは無理な話である。ポーリーノたちにとってこの状況は生まれて初めてのものであり、状況を把握しようにも手掛かりが何もない。はっきり言って状況から推察することなど不可能だ。ましてや彼らが聖教会に所属する魔法師なら猶更。
何も言えなくなってしまったポーリーノたちを見た声の主は嘆息する。
「信じられん。この程度も見破ることができないとは」
「なに……」
「仕方がないから特別に教えてやろう」
どんな気まぐれか、声の主であるエムリスがこの空間について説明を始めた。
「儂は時間と空間を司る魔道士。そしてここは虚無の空間」
「魔道士だと? からかっているのか?」
「では逆に問うが、魔法にこのようなことができるとでも?」
「それは……」
「意地悪だったかな。正解は可能だ。だがそれは一部の限られた者のみであり、儂には不可能」
「まさかあんた以上の存在がいるとでも?」
エムリスから告げられた真実にポーリーノたちは絶句する。彼らはエムリスの使う謎の力以上の魔法を知らない。もしいるならば特級魔法師どころでは済まなくなるほどだ。
「それであんたの目的は?」
「目的は足止めだ」
「足止めだと」
「そうだ。今儂らの連れが主たちの長と話をしている。そこに横やりを入れさせないのが儂らの役目だ。だからそれまでそこで大人しくしていろ」
「ふざけるな! ここを脱出してハルトス様の下へ行く!」
「勝手にするが良い」
その言葉を最後にエムリスの気配はその空間から消えた。そしてポーリーノたちはその空間を抜け出すために動き出すのであった。
現実世界に戻ってきたエムリスは隣にいたダルタに不満を吐露する。
「今の時代の魔法師というのはここまで愚かなのか? それともこ奴らだけか?」
「えっと、一応あの人たちはこの国でもトップクラスの……」
「まさか。謙遜もほどほどにした方が良いぞ、ダルタ。お主の方が聡明だ」
「そ、そうですか……?」
なんと返していいかわからずダルタはただ戸惑うのであった。




