第291話 地下に広がるもの
聖教会の奥深くにある廃屋のような一室から地下に通ずる階段があるなどダルタは知らなかった。それどころかこのような部屋がることさえも初めて知ったくらいだ。
しかしダルタが知らないのも無理はない。なぜならこの部屋の存在をはじめ、その先に広がる地下の空間を知る者は聖教会でもアーサー=ワン一人しかいないのだから。聖教会のトップに君臨する七賢人たちでさえもこの部屋をはじめとした地下空間の存在は把握できていない。
「この先に一体何があるんですか……」
階段の先は暗闇になっていて構造を捉えることはできないが、その先から流れ出る禍々しい雰囲気にダルタは鳥肌が立ってしまう。その先にあるものはこの世のものとは思えないほど負の感情が入り混じったようにも思える空間。
できることなら足を踏み入れたくないとさえダルタは思ってしまう。
「ダルタは魔力操作に自信はあるか?」
「魔力操作ですか? 一応は」
魔力操作とはその名の通り魔力を操作する技術のことである。一般的にはその技術が高ければ高いほど魔法を行使する際の威力は高いとされる。例を出すとすれば料理において完璧な材料の比率が存在したときに、いかにその材料比に近づけるかというものだ。
当然その比率に近づければ近づけるほど美味な品が出せる。魔法も同じであり、適切な量の魔力を使用することができれば魔法の威力も格段に上がるとされている。しかしこれは一般的なことであり、中には自らの最適な比率を感覚だけで導き出す魔法師もいるが、基本に忠実なダルタはこの魔力操作が得意であった。
ダルタの魔力操作について確認したアーサーはお手本を見せるかのように魔力を全身で纏う。それはどこかセイヤの『纏光』に似ているが、体内まで魔力を流し込むセイヤとは違ってアーサーが纏うのは体の表面だけ。分かりやすく言えば魔力の鎧をまとっている感じだ。
「魔力で体を包むようにして鎧を作れ」
「鎧……えっと、こうですか?」
「ふん、上出来だ」
アーサーの予想を超え、はるかに精度の高い魔力の鎧を作り出したダルタ。どうやら彼女の技術はそれなりのもののようだ。
そして不思議にも魔力の鎧をまとったダルタは先ほどまで感じられた禍々しいオーラが弱くなるの感じる。
「これは……」
「いいか、この先も魔力の鎧を解くなよ。じゃないと飲まれるぞ」
「飲まれるって……何にですか?」
「負の念だ。ま、そういうのは見てから聞くんだな」
アーサーがためらいもなく地下に潜ると、あわててダルタも続く。そして二人は聖教会の地下に存在するその空間に足を踏み入れた。
地下へと続く階段は想像よりも長いものだった。五分以上下り続けているというのに、一向に地面が見えてこない。アーサーが光の玉で辺りを照らさなければ何も見えないその空間からは魔力の鎧越しにも負の感情を湧き立てられてしまう。
まるで空気そのものが恐怖の念によって構成されているようなその空間は魔力の鎧なしでは飲まれてしまうと言われても無理はない。しかしダルタのそんな感想はすぐに打ち消されてしまうのだ。
「階段はここで終わりだ」
「…………」
「一気に明かりを先に広げる」
「うっ……」
その場に降り立った瞬間、今までの負の感情がかわいいと思えるほど濃密で禍々しい空気がダルタに襲い掛かってくる。その空気にダルタは口を押えて倒れこんでしまった。
「魔力を乱すな」
「は……はい……」
なんとか魔力の鎧を解かずにいられたものの、その顔色はすこぶる悪い。十分も満たない時間でのその変化を客観的に見れば異常だろう。ダルタは目を閉じてゆっくり深呼吸をし、魔力の鎧を厚くすると立ち上がる。そして目の前に広がる光景に言葉を失った。
「ここは……」
「かつて牢屋として使われた場所だ」
ダルタの視界に入ってきたのは永遠にも続くかのように思えるほどの牢屋の数々。その中には囚人のものであろうか、数々の骨が転がっており、中には血痕のようなものも見て取れる。囚人のものと思える骸骨の腹部には大きな石のようなものが転がっていたが、その石を見た瞬間ダルタはそれが魔封石だと確信する。
「昔は魔封石の加工技術が無かったから囚人に飲み込ませていたんだ」
「魔封石を飲み込む……」
「中には当然飲み込もうとしないやつもいたが、そいつらは無理やり飲み込まされるか、あるいは腹部に穴をあけられて直接埋め込まれた」
その恐ろしい諸行にダルタの顔は青ざめると同時に、この空間を占めている負の感情の正体を理解した。それは怨念だ。おそらく囚人の怨念が何百年にもわたって留まり増幅してこれほどの空間を作り上げたのだろう。
「ここに捕まっていた人たちはいったい何をしたのですか?」
「まあいろいろだが、多くは王に対する大逆罪で捕まった当時のレイリアにおける最悪の犯罪者たち。そいつらを収容するためにできたこの牢屋を管理していたのが昔の聖教会だ。だが王国の崩壊とともにこの施設は忘れ去られ、今となっては誰も知らない場所となっている。当時は凄い騒がしかったが、今ではこんなにも静かになってしまった」
まるで直接見たことのあるような口ぶりだが、骸骨の状態を見る限り少なくとも死後二百年は経過しているので想像だろう、とダルタは思った。
「さて、先を急ぐぞ」
「あの聖騎士様」
牢が広がる通路を進もうとするアーサーに待ったをかけたダルタ。彼女はここまで来て一体何をしたいのかを聞きたかった。
「私たちはなぜここに来たのですか?」
「それは時期にわかる。もう少しだからついてこい」
「は、はい」
戸惑いながらも返事をしたダルタ。その口調とは別に体は素直に歩き出したアーサーについていくのは強い怨念を含んだ空間に一人でいるのが怖かったからだろう。
歩きながら左右を見渡すとどこの牢にも腹部に石を抱えた囚人たちの骨があり、多くの人が捕まっていたことが分かる。そんな空間の先に一体何があるのかとダルタは疑問に思うが素直についていくしかない。
すでに明かりが遠くまで伸びているために目的の場所は遠くからでも視認することができた。それを目にした瞬間、ダルタは今までとは違った空気が漂うのを感じる。
そこにあったのは大きな木でできた両開きの扉。身の丈の十倍はあるだろうその木の扉は縁を金属で加工されているが、かなり昔の前のものだとわかる。
「ここが目的地ですか?」
「そうだ。開けるから手伝え」
「は、はい」
二人はそれぞれの扉に手をかけると思いっきり力を込めて押し込む。最初はビクともしなかった扉だが、続けていくうちにギギギという音を立ててわずかに動き出す。そして一気に押し込むと中の空間が視界に飛び込んできた。
そこは扉よりも高い天井を持つ大きな空間だった。そしてその中心には冷気を漂わせる大きな氷山、いや氷の塊が十二個ほど置いてある。
氷の塊を見たダルタはすぐに気づいた。その中に人間らしき存在が閉じ込められていることに。
ダルタの視界に入ってきたその光景は氷漬けにされた十二人の人間の姿だ。先ほどまでの骸骨とは違い、肉体がしっかりと残っている。
「これも罪人なのですか……?」
「いや、こいつらは違う」
「ではどうしてこんなことに?」
「こいつらは待っていたのさ」
「待っていた?」
どういう意味かダルタには皆目見当もつかない。
「そう、この時を。聖と夜の力を持つ帝王が現れる時を」
「彼らは一体……」
「こいつらは初代十三使徒。円卓に騎士と呼ばれた私の部下たちだ」
その言葉を理解するのにダルタは数秒要するのだった。




