第277話 ノアの力
ノアの姿を捉えた瞬間、ロナはもう一つの世界を創りだし、その世界にノアを引きずり込む。それは夜属性を使うことで作り出すことのできるロナの固有世界であり、何人たりとも干渉することのできない世界だ。
周囲の景色がそれまでいた魔王の別荘から何も存在しない無の世界に変わったのを見て、ノアは少しだけ驚いた様子を見せる。
「へえ、君も世界を作り出せるんだ。でもこの感じだと、《他の世界は存在しない》という真理、もしくは《他の世界を観測できない》という法則を否定することで矛盾を生じさせて疑似的な世界を創りだした、ってところかな」
ロナの作り出した世界を冷静に分析するノアの表情に焦りの色は見えない。それどころか先ほどよりもどこか楽しそうである。
「その余裕がいつまで続くかのう」
「もしかしてまた戦う気?」
「あたりまえじゃ」
戦意をむき出しにするロナに対して、ノアは少しがっかりした様子を見せた。それはロナでは自分に勝てるどころか傷一つつけることも叶わないという事実を知っているから。
「学習しないなあ。君じゃ僕には勝てないって」
「ならやってみるまでじゃ。顕現せよ、『世界の源』」
ロナの言葉の直後、何もなかった空間にガラス玉が現れると、それらは一瞬にして剣へと姿を変える。その数は合わせて三百。しかもどの剣も歴史に名を残すような名刀と遜色のない一品だ。
空中の現れた三百の剣はロナが手を振り下ろすと、無防備に立っているノアを目がけて発射される。その速度は人間が視認できる限界を優に超えていた。
「確かに君は夜の力を使える。でも、所詮それは紛い物さ」
ノアが嘆息するように言葉を発した直後、彼の足元に白い魔方陣が展開させた。そしてその魔方陣からノアの身体も見えなくなるほどの大きな盾が姿を現し、自らに向かって飛んできた三百の剣をすべて防ぎきる。中にはぶつかり合った衝撃で折れてしまった剣もあるが、盾の方は全くと言っていいほど傷はついていない。
どうやらその盾はロナの生み出した剣よりも更に上位のものらしい。
「なら、これでどうじゃ」
ロナは再びガラスの玉を顕現させると、今度は一本の槍に姿を変える。そしてその槍に対して夜属性の魔法を行使し、その存在から一つの原則を消失させる。その原則とは《この槍を防ぐことのできる盾は存在し得る》という原則だ。つまりその槍は一時的にどんな盾でも貫くことのできる最強の槍となったのだ。
「なるほど、面白い使い方だね」
「その余裕を消し去ってやるわい」
「じゃあ僕も立てに少しアレンジしようかな」
そう言ったノアは自らの眼前に存在する大きな盾にある原則を上書きする。その原則とは《この盾はどんな攻撃でも防ぎ切れる最強の盾である》というもの。これによってその盾は一時的にどんな攻撃を防ぐことのできる最強の盾となる。
そしてぶつかり合う最強の槍と最強の盾。疑似的にどんなものでも貫くことのできる槍となったロナの攻撃と、どんな攻撃も防ぐことのできる盾となったノアの盾が接触したその刹那、ロナの槍が一瞬にして砕け散ってしまう。
しかしロナは特に驚いた様子も見せずに次の攻撃を行った。それは槍を放つと同時にノアの背後に顕現させたガラスの玉を剣に変化したもの。例によってその剣にも夜属性行使して疑似的に最強の剣としている。
ノアがその剣に気づいたが、その時はすでに手遅れだ。
「しまった……」
完全に死角を取られてしまったノアは呆気なくその剣によって心臓を貫かれてしまう。苦悶の表情を浮かべながら地面に倒れこむノア。どうやら本当に心臓を貫かれてしまったようで、既に呼吸もしていない。
だがロナの表情は冴えなかった。それはまだノアが死に至っていないことを知っていたから。次の瞬間、ノアの死体が蜃気楼のように消えると、その場所に傷一つないノアの姿が現れる。
「やはり夜の力で死の結果を消失させたか」
「それはそうさ。むしろこっちの方が夜の力の正しい使い方だろ?」
ノアの言葉にロナは舌打ちしたい気分になった。彼の言葉は遠回しにロナの力では自分には勝てないと言っているようなものだったから。
「君の『世界の源』は面白い魔法だ。《万物に変化することのできる物質は存在しない》という真理を否定することで発生する矛盾を使って作り出しているようだけど、それはただの紛い物に過ぎない。そもそも夜の力は対象を生み出す力ではなく、対象を消し去る魔法なんだから」
ノアはそう言うと右手に白い魔方陣を展開させ、先ほどロナが顕現させたガラスの玉と同じものを作り出す。
「確かに君の魔法は僕以外の相手なら有効だろう。でも《万物に変化することのできる物質》を対象にして聖なる力を使って生み出したコレの前では所詮は贋作でしかない。その贋作で僕を倒せると思っているなら片腹痛いね」
やや不機嫌な口調のノアは右手のガラスの玉を一本の剣へと変える。
「それに君のその魔法は君の固有世界だから機能するものであり、他の法則や真理が複雑に入り乱れる現実世界では成功する可能性は極めて低い。そうだろう?」
ノアが右手に握る剣を振り下ろすと、途端に当たりの景色は一変する。現れた景色は先ほどまで二人がいた魔王の別荘の遺体が安置されている場所だ。
その剣に付与されていた効果は《魔法による全ての事象改変を切り裂く》というもの。それによってロナの固有世界は一瞬にして消し去られしまったのだ。
「十年前、せっかく生き延びられたのに無駄死にする必要はないと思うのになあ」
自らが優位に立っているからこそ言えるその言葉にロナは何も言い返せない。今の彼女はノアの気まぐれによって生かされているのと同義だったから。
ノアは目の前に置かれた夢王の遺体が入っている棺を魔法陣の中にしまうと、右手に握っていた剣に新たな効果を上書きする。その効果とは《空間を切り裂いて転移する》というもの。ノアが撤退すると察したロナは皮肉のつもりで言葉をかける。
「お人形遊びに飽きたら、今度はお人形集めか?」
「まあ、そうだね。君も楽しみにしているといいよ。今度の聖戦を」
「聖戦じゃと?」
「そう。僕の集めた駒と君たち人類の戦いを。それに人類側に君がいるとなると、少しは楽しめそうかな」
まるでおもちゃ遊びをするかのような屈託のない笑みで語るノア。その姿は年相応の反応なのかもしれない。彼の年齢がその見た目と一致しているならば、だが。
「でも気を付けてね。退屈だったら、僕が直接手を出すから」
「お主の目的は一体なんじゃ?」
「うーん、それは君も知っているんじゃない? この世界を生きて来たなら」
「まさかお主は本当にそんな理由で戦争を起こそうというのか?」
「そうだよ。だって弱い者が淘汰されるのがいつの時代においても鉄則だからね。もし君たちが僕を止めたいなら、僕よりも強い存在を準備することだね」
ノアは自分が世界で一番強いことを確信している。だから今も余裕の態度でいられるのだ。
「といっても、そんなことは無理だろうけど。だって僕は聖なる力と夜の力を操る全能な存在なんだから。君たち人類に僕と渡り合える存在なんているはずないもんね」
この時、ノアは知らなかった。今、人類には聖属性と夜属性を使うことのできる魔法師が存在することを。しかしその魔法師はまだ未完の大器だ。完成してノアと渡り合えるようになるにはもう少し時間を要する。
「ま、せいぜい頑張ってね」
ノアはそう言い残すと、右手の剣を振り下ろして生じた時空のはざまに姿を消すのであった。
この話を書いていて思ったのは、これは6章の最後に持ってきて7章以降に繋げる方がいいのでは、というものでした。ですが今年最後ということもあり、締めはノアで行きたいと思います。
ということで今年も1ヶ月お世話になりました。来年は今年以上の話数を書けるように頑張りますので、どうか来年もよろしくお願い致します。それでは皆様良いお年を。




