第261話 動乱の始まり
「セイヤ様、ご準備はよろしいですか?」
「ああ」
無事に夜属性を手に入れたセイヤたちの姿はキレル山脈の奥深くに入り口がある精霊ルナの作った世界の中にあった。しかしそこにはアーサーとダルタの姿はない。
「では妾たちも行こうかのう」
ロナが指を縦に小さく振ると、何もなかったその空間に一つに扉が現れる。その扉はロナの世界から現実世界に戻るための扉であり、行き先はロナが自由に決めることができる代物だ。といっても、ロナがその扉の行き先に指定できるのは彼女が訪れたことのある場所であり、かつマーキングを済ませている場所のみだが。
それでも理論上は遠距離を一瞬で移動できるその扉は画期的だろう。
アーサーとダルタはこの扉を使って一足先にレイリアへと向かった。特級魔法師キリスナ=セイヤの使用人としてのプライドがあったダルタは頑なにセイヤから離れることを拒んでいたが、セイヤが命令としてアーサーについていくようにと丸め込み事は収まった。
二人はこれより聖教会に戻り、セイヤ討伐の失敗の旨を伝える予定だ。正確にはセイヤがアーサーを前にして使用人であるダルタを残して逃亡したと伝える予定だが、七賢人にとってみればセイヤを仕留めきれなかったことが問題であり、その過程は気にしないだろう。
まあ任務遂行率百パーセントを誇っていたアーサーが失敗したということで大騒ぎになるかもしれないが。
そして残ったセイヤ、ロナ、ギラネルの三人はこれからダクリア帝国に戻る予定だ。夜属性を手に入れたことでセイヤが大魔王ルシファーの座を手に入れることができたので、あとは来たる魔王会議でセイヤの大魔王就任を追認するためだ。
「ほれ、着いたぞ」
ロナが扉を開けると、その先に広がるのは大魔王の館の一部屋。そこはセイヤが初めてギラネルにあった場所であり、本来ルシファーの名を持つ大魔王が座る玉座がある部屋だ。
「セイヤ様、今日からここがセイヤ様の部屋となります」
そう言われて部屋を一望するセイヤ。壁際には父である先代大魔王キース=ルシファーの肖像画などが飾られている。
「俺はここで何をすればいい?」
「そうですね。特にすることはないかと」
「そうなのか?」
「ええ。大魔王ルシファーの役目はダクリア全土の統治であり、問題がなければ仕事はありません」
思いもよらぬ言葉にセイヤは呆気にとらえる。大魔王となった暁にとんでもない量の書類を渡されて、それらを全部読んで署名するなどといった仕事をするのかと思っていたセイヤにとっては何もしないとは予想できなかった。
「書類仕事は主に私が行いますので。詳しいことはルナに聞けばわかると思います」
「そうなのか、ロナ?」
振り向いたセイヤが自分の後ろにいたロナに尋ねる。
「そうじゃのう。キースも特に仕事らしい仕事はしていなかったのう。強いて言えば、寝首を刈られないようにすることかのう」
「寝首を?」
「そうでした。セイヤ様、これからがお気をつけください」
ギラネルが深刻そうな表情でセイヤに忠告する。
「大魔王となったセイヤ様は言わばダクリアの象徴です。その象徴の首を取ればダクリアで名を上げられると考えた輩がセイヤ様を襲ってくるかもしれません。まあセイヤ様の力をもってすれば取るに足らない相手でしょうが、警戒しておくに越したことはないと思われます」
「なるほどな」
ギラネルの説明を聞き、ダクリアはレイリア王国フレスタン地方のような実力主義の国なのかと理解したセイヤ。しかしセイヤが気を引き締めるのはもう少し先でよかった。
「といっても、魔王会議で正式に大魔王に就任しない限りセイヤ様の存在を知る者はいないので問題ないと思われます。それまではこの部屋を自由に使ってください。それにこの城もセイヤ様のものなので、何かあった時は私を通していただければ不便はないかと」
どうやらセイヤが正式に魔王会議で承認されるまでは他の使用人たちにはセイヤの存在を積極的に公開はしないらしい。だがセイヤにしてみれば、そっちの方がよかった。人の上に立った経験がほとんどない、むしろ人から蔑まれた人生を送ってきたセイヤにとってはみれば人に命令して使うのは肌に合わない。
そう言う意味ではギラネルを通した方が気が楽だった。
「あとセイヤ様には勉強をしていただこうかと」
「勉強?」
「はい。といっても、魔法や医学ではありません。ダクリアについてです」
「それは制度という意味か?」
セイヤのダクリアに関する知識は一般人程度だ。しかもその一般人というのは魔法を職業にしていない人たちが知る程度のことであり、ダクリア四区で受けた冒険者試験からもわかるように魔獣の個体名など全くと言っていいほど知らない。
「それもありますが、近年の勢力図についてもです」
「勢力図?」
「はい。このダクリアにはいわゆる穏健派と急進派がいます」
「そういう話か」
「そういう話です」
ギラネルが教えたいこととはダクリアの制度や魔獣の知識もそうだが、それ以上に派閥関係やその勢力図だった。上に立つ者として、最低限知っておかなければならない知識をセイヤに教えようとしていたのだ。
「それについてはこちらで教師を準備いたしますので、今日はお休みください」
「ああ。悪いな」
「いえ、セイヤ様は戦いの後ですから」
いろいろ説明したギラネルだったが、セイヤはロナとの戦いを終えてまだ時間が経っていない。夢の中での戦闘だったために肉体の疲労はないが、精神的な疲労がかなりあった。そのためすぐにセイヤに何かしてもらおうとは思っていない。まずは体を休めて、それから万全の状態で魔王会議に臨んでもらおうというのがギラネルの考えだ。
「では私はこれで失礼します」
「ああ」
挨拶を終えたギラネルが部屋を出るとと、扉の前には一人の老人の姿があった。すでに扉を閉めた後なのでセイヤたちは気づいていない。ギラネルはその姿を見つけると、少しだけ嬉しそうに話しかける。
「久しぶりですね、ダルダル卿」
そこにいたのはダルダル=ベルゼブブ。ダクリア六区を統治する魔王の一人だ。
「こちらこそ、大魔王様」
「いえ、私はもうルシファーではありません」
「ということは、セイヤ様は無事に力を?」
「はい」
ダルダルは扉の先にいるであろうセイヤのことを考えて、少しだけ笑みをこぼす。彼がセイヤに初めてあった時、セイヤは彼に自らの存在を問うた。そしてダルダルはセイヤに少しのヒントを与えた。その時点でセイヤが夜属性を手に入れられるかどうか怪しかったが、今の状況を考えればセイヤが夜属性を手に入れたのは確実。
それが彼にとっては嬉しかったのだ。しかしその表情が一瞬にして険しくなる。その変化を見てギラネルも何かがあったのだろうと察する。
「どうかしましたか?」
「アスモデウスが殺された」
「本当ですか!?」
「確かな情報です。すでに国内にも流布されています」
夢王アスモデウスの死はニュースとなってダクリア全土を駆け巡っていた。
「誰がアスモデウスを?」
「直接手を下したのはミコカブレラという男です。でもその背後にいるのはベルゼブブ」
「急進派が急進派を? なるほど、急進派も一枚岩ではないと」
「みたいですね。おそらくベルゼブブは急進派を手中に収めようと」
「そういうことですか」
その知らせにギラネルは驚いたが、取り乱しはしない。それは彼らには強力な切り札がいたから。
「それとマモンの席も狙っているようで」
「マモンもですか。これはいよいよですね」
「そうでしょう。あとはセイヤ様に任せるしか」
「そうですね。我々はできる限りに事をしましょう」
「ええ」
扉の外でそんな会話をしていたとは微塵も知らないセイヤ。だがその話を盗み聞ぎしている女性がいた。彼女は心の中でつぶやく。
(ほう、これはきな臭いのう……)




