【番外編】 聖騎士の日常
ある伏線がここ以外に入らなかったため、今回は番外編となります。
それは少し昔の話。数字に直せば十年前になるだろうか。聖騎士の名を持ち、十三使徒序列一位の地位を持つ女性の名前はアーサー=ワンの姿は聖教会にあった。見た目は十三歳ほどの少女にしか見えないのだが、彼女は正真正銘、レイリア最強の異名を持つ魔法師だ。
「聖騎士様、お待たせしました」
「ん? ああ」
聖教会の一室で待機していたアーサーのもとに一人の男性がやってくる。その男性は聖教会の職員であり、アーサーの座るテーブルの前にティーセットを準備していく。
お湯を注ぐと同時に部屋中に香る匂いはローズ。そして皿の上に並べられたハーブのクッキーとともにアーサーへと差し出される。
それらは聖教会がティータイムに用意しているものであり、職員のほとんどが休憩時にはそのセットを囲んで同僚たちとの会話に盛り上がるものだ。
しかしアーサーはそのティーセットを見て、男性職員にある要望を出す。
「淹れてもらったところ悪いんだが、麦酒はないか? 一仕事終えた後の麦酒ほど答えるもんはねえーんだ」
「は、はい。すぐにお持ちします」
アーサーの要望を聞いた男性職員は慌てて部屋の外に出て行き、五分と経たずに麦酒をもって戻ってくる。その早さは今いる部屋が休憩用に設けられた大きな部屋であり、食糧庫がすぐ隣に備え付けられているからであろう。
まだ昼前のため他の人影はないが、午後になると人影が目立ち始め、多い時にはすべての席が埋まるような休憩室だ。そんな大広間に響くようにアーサーが声を上げる。
「くぅ~、やっぱ一仕事終えた後の麦酒は溜まらねーね」
「お疲れさまでした」
麦酒を口にして幸せそうな表情を浮かべるアーサー。そんなアーサーを労うように応える男性職員。
そんな時だった。その休憩所に三人の人影が現れる。一人は聖教会の制服を着た女性職員、一人は白衣を着た薬草医の中年女性、そして二人の背後に隠れるように俯きながらたたずむ子供。
どうやらこの休憩所を利用するみたいだ。しかしすぐに大広間の真ん中にいた男性職員が彼女たちを咎める。
「おい、今は聖騎士が使用中だ! 出直せ!」
「ひっ!」
大きな男性の声が広間に響くと、俯いていた子供がビクッと震える。
「す、すいませんでした」
「だ、大丈夫よ」
慌てて謝罪する女性職員と震えた少女を安心させようと声をかける薬草医。三人はすぐに大広間を後にしようとしたが、そこでアーサーが待ったをかける。
「別に問題はない」
「ですが……」
「問題はないといっているだろ?」
「はい、すいませんでした」
慌てて謝罪する男性職員。そんな男性職員に対し、アーサーは更なる要求をする。
「おい、プレミアムな麦酒が欲しい」
「プレミアムですか?」
聞いたことのない単語に戸惑う男性職員。しかし何を感じたのかすぐに返事をし直す。
「す、すぐに持ってまいります!」
そう言い残して男性職員は慌てて広間から出て行く。代わりに三人が広間の中に入ってきて、端の方に座ろうとした。だがここでもアーサーが待ったをかける。
「別に遠慮することはない」
「しかし……」
困惑する女性職員。だが相手があの聖騎士なら無理もないだろう。相席するだけで不敬とさえ言いかねない。だがアーサーから発せられる存在感の前に拒絶することはできなかった。
「失礼します」
女性職員に続き、薬草医の女性と子供もアーサーと同じ席に着く。その時、アーサーは子供の表情を見て驚きを隠せなかった。
まだ十歳にも満たないであろうその子供の瞳に色がなかったのだ。まるですべてに絶望し、魂が抜けたような光のない瞳を見て、アーサーは女性職員に事情を聞く。
「おい、何があった」
「えっと……」
アーサーが聞きたいことが何か、女性職員はすぐにわかった。しかし女性職員は例え相手が聖騎士でも、そう簡単に言っていいものなのか判断がつかない様子だ。だがアーサーはその女性職員を咎めようとはしない。
「まあいい。なら少し外してくれないか?」
「え? それはどういう……」
「そのままさ。この子供と少しの間だけ二人っきりにしてくれないか」
「え、あ、はい……」
戸惑いながらも了解して席を外す女性職員。薬草医の女性も何かを悟ったように席を外す。そして大広間に残されたのはアーサーとその子供。
「おい、お前名前は?」
「……」
アーサーの問いかけに黙り込む子供。
「これは参ったな」
自分の言葉に無反応の子供を見て頭をかくアーサー。よく考えてみれば、アーサーに子守りの経験はなく、どう接すればいいのかわからなかった。
そこでアーサーがあるものに気づく。それは先ほど男性職員が用意したティーセット。まだそれほど時間も経っていないため温かいままだ。むしろ子供にとってはそれくらいの温かさの方がよいかもしれない。
アーサーはティーセットを子供の方に差し出す。
「飲め」
つい癖で命令口調になってしまうアーサー。その言葉に少女がビクッと震える。内心しまったと思ったアーサーだが、特に言葉を付け足したりはしない。それは目の前でその子供がローズの香りがする紅茶に手を伸ばしたからだ。
その子供はマグカップを手にすると、そのまま口に運び、口に含む。
「……温かい」
少女はマグカップから口を話すと、小さくつぶやく。
「こっちのクッキーも食べるか?」
「……」
アーサーの勧めに黙り込む少女。そこでアーサーは再び命令口調で言った。
「これも食べろ」
今度はクッキーを一枚手に取り口に運ぶ子供。その姿を見たアーサーが確信する。
(奴隷上がりか)
目の前の子供がどんな人生を歩んできたかは知らない。だがその絶望に飲み込まれた光の宿っていない瞳に今のやり取りを考えれば、その子供が普通ではない人生を送ってきたことはわかる。
「ダルタ……」
そんな時だった。不意に子供が口を開く。
それが最初、何を見しているのかわからなかったアーサーだったが、すぐにその子の名前だということを理解する。
「ダルタか。いい名前だな」
アーサーの言葉にこくりと頷く少女。
「……パパとママがくれた」
「そうか」
「……おばさんは?」
「あたしか? あたしはなんだろうな。それと、あたしはまだ二十七歳だ」
アーサーの答えに首をかしげるダルタ。しかしそれ以上ダルタは尋ねることをしなかった。ただ目の前に置かれたクッキーを食べるだけだった。
そして数年後、アーサーがその大広間の前にある廊下を歩いていると、不意に少女たちの声がした。
「こら、ダルタ! サボってばかりいないで仕事しなさい!」
「ごめんなさい、メレナ~」
そんな声を聞き、アーサーはつい微笑んでしまう。だがこの時なぜ自分が微笑んだのかわからない。ただ、自然と笑みがこぼれてしまうのであった。
それはアーサーの長い長い人生において些細な出来事だった。だからお互い忘れてしまうのも無理はない。だがこの時のアーサーは嬉しかったということは紛れもない事実である。




