第244話 青龍
そこにいたのは澄み切った青色の胴体を持った巨大な龍。鱗の一つ一つがまるでサファイアのように輝いており、その巨大な体をうねらせながらセイヤたちの方を睨んでいた。
「もしかしてこれがキレル山脈の主か?」
「ああ、そうだ。ビビったか?」
「それはビビるね。こんな化け物を使役する精霊とやらに」
アーサーに対して軽口をたたくセイヤだったが、その言葉の半分は本音だった。目の前に現れた青龍の発する威圧感はアーサーたちが使う闘気とは違い、ただ無秩序に周囲にまき散らされている感じだ。制御されていない威圧感だというのにこれほど肌をひりつかせるというなら、仮にこの威圧感を制御されて全てを向けられたならば足がすくんでしまうのではないか。
そんな感想がセイヤのなかに生まれる。
「う、う、う、う、う、うそ……こんなの聞いてない……」
こちらを睨む青龍の姿を見てガタガタと震えはじめるダルタ。しかし彼女がそのような反応をしてしまうのは致し方無い事であった。
何しろ目の前に現れた青龍は魔獣の中でも最凶クラスの魔獣であり、普通に生活している分にはまず遭遇しないような存在だから。これまで数々の異常な体験をしてきたダルタであったが、青龍との遭遇はそれまでの経験と比べても桁違いだった。
その存在を前にして多少だがギラネルも表情が強張っているように見える。唯一アーサーのみが普段と変わらずに立っていた。といっても、先ほどから闘気を全開にして青龍に向けて発しているが。
「さて帝王。わかっているな?」
「ここからは俺も戦うってことだな?」
青龍を前にして自分の加勢が必須だと確信するセイヤ。これまで精霊との決戦のために力を温存してきたセイヤだったが、流石に今回ばかりは手をこまねいているわけにはいかない。
今のセイヤだからこそわかること。おそらく昔までのセイヤであったならば青龍の真の実力を測ることができず、それほど恐れることはなかっただろう。それは圧倒的な実力差の前では敵を実力もわからないから。だが今は違った。これまでの経験を経て、かなりの実力をつけて来たからこそわかる相手の真の実力。
そしてそれはダルタも一緒だった。相手の実力が理解できるからこそダルタは震える。ダルタが恐怖に飲まれている以上、ここはアーサーとギラネルに加えて自分も応戦するしかないとセイヤは確信していた。
けれどもアーサーの答えは違った。
「違う。ここでもお前は戦う必要はない」
「どういう意味だ?」
「そのままの意味だ。お前はやつとの戦いに備えるだけでいい」
「何を言っている? あんな化け物を前にして黙って見ていられるか」
「お前こそ何を言っている。お前がこれから相手にするのはさらに化け物なんだぞ」
アーサーの指摘に言葉を返せなくなるセイヤ。確かにアーサーの言う通り、セイヤがこれから相手にするのは青龍以上の実力を持った存在。ここで消耗するのは得策とは言えなかった。
「それにすでに攻撃されていることに気づけない雑魚はいらん」
「どういう意味……これは!?」
そこでやっと気づいたセイヤ。目を凝らしてやっと見えるほど淡い魔力だが、確かに青龍からセイヤたちに向かっておびただしい量の青い魔力が放たれていた。そして黄色い魔力がセイヤたちをその魔力の嵐から守るよう包み込んでいる。
もしアーサーの魔力が無かったら今頃セイヤたちは青龍の放つ青い魔力によって身体機能を沈静化させられて動けなくなっていただろう。
だがセイヤはなぜその攻撃に気づけなかったのか疑問に思う。この空間に入る前から警戒を最大にしていたのにも関わらず気づけなかった理由。その答えはすぐにわかった。
「威圧感か」
「そうだ」
セイヤの答えを肯定するアーサー。青龍が放つその圧倒的な威圧感に意識が集中するあまり、淡い魔力に気づけなかったのだ。
「だからお前は下がっていろ。ここはアタシがやる」
そう言ってアーサーは聖剣エクスカリバーを構えると、青龍のことを睨む。
「この堕龍はどうやら強化されているらしいな」
「みたいだな。あいつめ、面倒なことをしやがって」
ギラネルの言葉に不機嫌そうに同意するアーサー。その瞳はとても冷たく、獲物を見据えている。
(これがレイリア最強の名を持つ魔法師)
心の中でアーサーの見せる表情に圧倒されるセイヤ。そして次の瞬間、戦いの幕が切って降ろされる。
足を踏み出すと同時に一気に加速して青龍に迫るアーサー。対して青龍は上空に上昇してその攻撃を回避する。聖剣を振り抜く前に回避されてしまったアーサーはその場で急停止すると、そのまま地面を思いっきり蹴って上空にいる青龍に向かって斬りかかった。
下から迫ってくるアーサーに対し、青龍は咆哮を発する。もちろんそれはただの咆哮ではなく、水属性の青い魔力を含んだ沈静作用のある咆哮。
「そんなものは効かない。おりゃ!」
咆哮がアーサーに到達するまでの刹那の時間でアーサーは音速を上回る速度で剣を振り抜き、その剣圧で青龍の咆哮を吹き飛ばす。しかしアーサーの攻撃はそれだけでは終わらず、いつの間にか空中に行使された小さな『光壁」を足場にして再加速する。
そしてそのまま青龍に向かって斬りかかろうとするが、青龍の方もすぐに防御態勢に入る。水属性の魔力が纏われたその尾でアーサーのことを打ち落とそうとした。
「ちっ」
振り下ろされる尻尾を目にしたアーサーは再び空中に『光壁』を行使し、今度は横に跳んで回避する。けれどもそれだけで終わらないのがレイリア最強の魔法師。
振り下ろされた青龍の尻尾が先ほどまでアーサーのいた場所に到達しようとしたその刹那、その場に残されていた『光壁』が急に黄色い魔力でできた鎖に姿を変え、青龍の尾に絡みつくようにして拘束する。
「光の王女の加護をもって宣告す。『光槍』」
続けてアーサーは自分の尾についた光の鎖に注意を引き付けられている青龍の顔面に向かって更なる魔法を行使した。展開された黄色い魔方陣から青龍を穿とうとする光の槍の嵐。その嵐を青龍は水のブレスをもって撃ち落とす。
「一端ここまでか」
攻撃を防がれたアーサーはそう言い残して自由落下に身を任せる。だが当然のことながら目の前に生まれた大きな隙を青龍が見逃すはずもなく、アーサーに向かって追い討ちをかける青龍。
光の槍を撃ち落としたのと同様に水のブレスがアーサーに向かって撃ち出される。しかしそのブレスは落下するアーサーに届く前に霧散した。
「『闇滅』」
青龍の攻撃を一瞬にして霧散させた犯人は上空を漂う青龍を見上げるように立っているギラネルだった。そんなギラネルの隣に降り立ったアーサーが言う。
「悪い、助かった」
「戯言を。わざと俺に援護させたくせに」
「ふん」
ギラネルの言葉に対してわずかに笑みを見せるアーサー。
「それで、行けそうか?」
「問題ないな。今のであれがどれほどまで強化されたかはわかった」
「じゃあ手はず通り、俺たちは先に進むぞ」
「構わない。ああ、一応ダルタは置いていけ」
「ダルタを?」
「ここらで一度死地を経験させとくべきだろう」
アーサーの瞳に映るのは青龍を見てガタガタと震えるダルタ。
「死ぬかもしれないぞ?」
「ここで死ぬくらいならいずれ死ぬ」
「手厳しいな。だがわかった」
アーサーの要求を受け入れたギラネルがセイヤに向かって言う。
「セイヤ様、ここはアーサーに任せて私とセイヤ様は先に進みます」
「本気か?」
ギラネルの言葉に信じられないと言った表情を浮かべるセイヤ。それはここで別れるのもそうだが、ギラネルの言葉にダルタの名前がなかったこと方が驚きだった。
「セイヤ様、大丈夫です。彼女はアーサーが守ります。ですから私たちは先に進みましょう」
ギラネルの言葉を受けてもなおダルタが心配なセイヤ。だが今のダルタの状態を見たら心配するのも無理はない。先ほどからずっと恐怖におびえ、今はセイヤの方を不安そうな表情で見つめている。その姿はまるで生まれたばかりにもかかわらずは母親に捨てられそうな子猫のようだ。
しかしセイヤの迷いを打ち消すかのようにアーサーが叫ぶ。
「帝王、お前は自分の役目を果たせ! ダルタはそんな柔じゃない!」
アーサーの言葉にハッとするセイヤ。確かに今のダルタは怪物に怯える一人の少女だが、セイヤは彼女の強さを知っていた。レイリア王国を出てここまでくる間にどれほどの不安があったことだろうか。けれどもダルタはその不安を乗り越えてここまでやってきた。それにキレル山脈に着いてからセイヤを守ってくれたのもダルタだ。
そんな彼女を信じてあげなくてどうする。
セイヤは決意する。ダルタを置いて先に進むことを。
「セイヤ……」
「お前なら大丈夫だ、ダルタ!」
セイヤはそう言い残して先へと進む。決してダルタの方は振り返らない。見捨てるような冷徹な行為でも決して振り向かない。それはダルタがやればできる子だと信じているから。
「いくぞ!」
「はい、セイヤ様」
そうしてセイヤとギラネルは二人を残して先に進むのであった。そしてそんなセイヤの背中を儚げに見つめるダルタ。
「セイヤ……行かないで……」
ただ縋るようにセイヤの名前を呼ぶダルタ。だが、その声はセイヤに届くことはなかった。
なぜかこのままアーサーとダルタの過去を掘り下げたいと思いましたが、そうなるとセイヤの出番がなくなるのでやめておきます。




