第241話 それは目覚める
その日、大きな轟音が響いたキレル山脈の地形の一部が変わった。轟音の発生地点がキレル山脈の奥深い入り組んだ場所であったからか、今も先ほどの轟音が木霊している。
「うぅ~まだジンジンするよ」
自らの耳を抑えながら顔を顰めるダルタ。彼女の被害が耳鳴り程度に収まったのは、ダルタがとっさに展開した水属性の防壁のおかげだろう。容赦なく襲い掛かる轟音に対して水属性の鎮静をぶつけることでその被害を最小限に抑えたダルタのその判断速度と行使までの手際の良さは轟音を発生させた二人から見てもかなりの実力だと思わせた。
「悪い、助かった」
「ううん、当然だよ。私の役目はセイヤを守ることだからね。
ダルタのおかげで轟音を逃れたセイヤが礼を言うと、ダルタが当然だと胸を張る。一方でダルタの展開した防壁に守られなかったアーサーとギラネルは闘気をコントロールすることで難を逃れたようだ。
「それにしても派手にやったな」
目の前に広がる光景を見ながらそんなことをつぶやくセイヤ。その言葉には隣に立つダルタも無言の同意を示す。
二人の目の前に広がるのは山肌に開いたぽっかりとした大きな穴。先ほどまで硬く暑い岩肌がそびえ立っていたのが嘘のようにえぐり取られていた。事情を知らぬものがその穴を見たならば一体どうやって生まれたのか予想もできないような立派な穴だが、それを見て不満そうは表情を浮かべる人物がいた。
その人物とはセイヤの前方に立つギラネルだ。目前に広がる大きな穴を見ながらギラネルはやれやれといいたげに文句を言う。
「もっとどうにかならなかったのか」
ギラネルの言葉の先にいるのはその穴を作り出した張本人であるアーサー。魔獣の殲滅を優先させるために広域魔法を行使したギラネルとは違い、ただ力任せに魔力を放出したアーサーの攻撃は魔獣を殲滅するにはオーバーキルであった。
しかしアーサーは気にした様子を見せない。
「そうか? これぐらいやっておかないと足りないだろ」
「いくら何でもやりすぎだ。地形を変えてどうする」
「そんなもん平気だろ。こんなところに人は来ない」
「それはそうかもしれないが……」
「それに何百年と変わらずそびえ立つ山の形を変える方がワクワクするだろ?」
「お前なぁ……」
アーサーの言い分に頭を抱えるギラネル。その後ろでは規格外の話のせいか頭がフリーズしたダルタの姿があったが、誰も気にしなかった。というよりも、気にするほどの余裕はなかったから。
「ちっ、まだ湧いてくるか」
「これではきりがないな」
どこか憎たらしく吐き捨てたアーサーと呆れたままのギラネル。二人の視線の先には一体どこから出て来たのかといいたくなるほどの数の魔獣が現れた。
「まじかよ」
轟音を生み出した二人の攻撃で辺り一帯の魔獣をまとめて殲滅したにも関わらず、すぐにこれほどの魔獣が現れたことに驚きを隠せないセイヤ。このキレル山脈に到着する前はダリス大峡谷と同じくらいであろうと言われていたセイヤだが、ダリス大峡谷ではここまで魔獣と遭遇はしなかった。つまりキレル山脈はダリス大峡谷よりも厳しい場所だとセイヤは感じる。
「ん?」
だがセイヤはすぐに異変に気付く。
「魔獣が通り過ぎていく?」
フリーズから回復したダルタが目の前で起きる光景をそのまま口にする。
ダルタの言う通り、どこからか現れた魔獣たちは先ほどまでとは違ってセイヤたちに襲い掛かるどころか、まるで何かから逃げるように一目散へとセイヤたちの横をすり抜けていく。
「もしかしてさっきの魔法が利いたのかな」
ダルタがそんなことを言うが、セイヤは心の中で違うと確信する。もし仮に魔獣たちが二人の攻撃を見て逃げ去るのなら、むしろ逆方向に走っていくだろう。しかし魔獣たちはセイヤたちの方に向かって逃げてくる。
そこから得られる結論は一つだった。
「この先で何かあったのか」
誰に言ったつもりもなく口からこぼれたセイヤのつぶやき。そんなつぶやきを聞いたアーサーとギラネルがニヤリと笑みを浮かべる。
「どうやら目覚めたらしいな」
「ああ。随分なお寝坊さんだな」
逃げ去っていく魔獣を見ながら何かを確信している二人。そんな二人に対してセイヤが尋ねる。
「どういう意味だ?」
「そのままの意味さ」
「はい、あれが目覚めたのです」
「あれ?」
一体何を形容しているのかわからない言葉に首をかしげるセイヤ。それはセイヤの隣に立つダルタも同じようで「あれってなんだろう?」といいながら首をかしげる。
事態をよくわかっていない二人に対してギラネルが説明を加える。
「奴とはこのキレル山脈の主のことです」
「主? それってつまりセイヤが戦う?」
「ええ、夜属性を手に入れるためにセイヤ様避けて通ることのできない相手です」
ギラネルの説明を聞き息を飲むダルタ。その主と戦わないにもかかわらずダルタが息を飲むのはその主とやらの実力が計り知れないだろう。先ほど目の前で見たアーサーとギラネルの実力はダルタが見てきた中でも最も強い魔法師である。しかしそんな魔法師たちよりも魔獣が恐れるその主とは一体どれほどの実力なのか、ダルタには見当もつかなかった。
「思ったよりビビんないんだな、帝王」
「ん? まあな」
セイヤの毅然とした態度を見て感嘆するアーサー。その顔からはセイヤもっと主に対して恐れを抱くと思っていたようだ。
「当たり前だ。セイヤ様は大魔王の名を継ぐ御方だぞ」
なぜか誇らしげなギラネル。そんなあギラネルのことを放置してアーサーが話を続ける。
「ま、わかっていると思うがかなりの強敵だぞ」
「だろうな」
「ダリス大峡谷を経験している分落ち着いているのか?」
「どうだろな。実際に戦ってみないとわからない」
「それは頼もしい」
セイヤの受け答えに嬉しそうな表情を浮かべるアーサー。それはギラネルも同じようで、どこか懐かしそうにセイヤのことを見つめる。
(これは一体……)
この時、セイヤの身体にはある異変が起きていた。それはまるで自分の中で何かが目覚めようとしている感覚。セイヤはこのような感覚を以前にも感じたことがあった。それはセイヤの中に眠るもう一人のセイヤ、魔王モードが発動する時にだ。発動しないまでも、魔王の力がうずくことは何度もあった。
しかし今回はどこか違う感じがした。それは言葉に表すことはできないのだが、魔王の力とは違った別の何か。セイヤであってセイヤでない。そんな感じだ。
その違和感のせいでセイヤはキレル山脈の主の力に対して恐れを抱かなかった。いな、抱くことができなかった。
(恐れることを拒んでいるのか?)
自分の中で沸き上がる謎の感覚に困惑せざるを得ないセイヤ。けれどもいくら考えようとも結論に至ることはできなかった。
《大丈夫。私が守る。だから安心して》
セイヤの中で何かがそう呟いた。だがその声がセイヤに届くことはなかった。




