第24話 ダリスの主(下)
セイヤが意識を取り戻すと、そこは不思議な場所だった。
先ほどまで自分がいた孤島ではないことは確かなのだが、そこがどこかはセイヤにわからない。
水の中だというのに不思議と息をしなくても、苦しくはない。そんな不思議な水の中で、セイヤは思い出す。
(ユア……)
初めて自分のことを必要としてくれた少女、しかしもうその少女はこの世にいない。今にも手に残る冷たいユアの体の感触がセイヤに現実を突きつける。
もう会えない、そう思うと心の中で怒りが生じるのがわかった。
その怒りはユアを手にかけたウンディーネにではなく、ユアを守れなかった無力な自分に対してだ。
(俺がもっと強ければ)
(強くなりたいか?)
セイヤの声に誰かが答えた。周りを見るセイヤだが、誰も見つけることができない。けれども声はセイヤに問いかける。
(強くなりたいか?)
(もしかして、またあんたなのか?)
その声はセイヤが施設で殺されそうになった時に聞いた声と似ていた。しかし今回の声はその時の声よりもどこか若い気がする。
(質問には答えたほうがいい。はやくしないと、あの少女も手遅れになるぞ)
(もしかしてユアを助けられるのか!?)
まだユアを助けられる。そう考えただけでセイヤはうれしくなった。一度失った大切な少女、もしもう一度チャンスがあるというなら、セイヤは今度こそ離さない。
セイヤが今、心の底から望むことはユアが生き返りまた一緒に過ごしたいということだけだ。
(あの少女を助けることはできる。あとはお前の選択次第だ)
(ユアを助けられるなら、なんだってする)
(そうか。ならお前に力を貸してやろう)
セイヤの覚悟に謎の声はどこか笑ったような感じで答えた。すると次の瞬間、水の中を漂うセイヤのことを黒いモヤモヤしたものが包み込み、一気に水中から飛び出る。
「なによ、これ!?」
急に意識を失ったと思ったら、再び意識を取り戻したセイヤに驚愕をするウンディーネ。
その驚愕はセイヤの豹変した姿に対してもだが、それ以上にセイヤという存在の豹変に対してだった。
立ち上がったセイヤは静かに目を開く。瞳の色は先ほどまでの青い瞳ではなく、きれいな紅色をして、髪の色も金髪から銀と白の間の色に変わっている。
そして纏っている雰囲気も、先ほどまでとは格段に違っていた。
まさに豹変したセイヤは、地面に倒れ込んでいるユアのことをそっと持ち上げると、静かに寝かせ、ユアに向かって魔法陣を展開する。
魔法陣は全部で三つあり、そのすべてが白い魔法陣だ。セイヤは魔法陣を展開すると、静かに魔法名を口にする。
「『聖絶結界』、『聖典の呪縛』、『聖刻』、事象返還開始」
次の瞬間、ユアの体は白い結界に包み込まれた。その結界はとても暖かくどこかやさしい感じがするが、強力な結界だということがわかる。
結界内のユアの体中に白い文字が浮かび上がると、左に向かって回転を始める。白い文字は左に回り続けると、あるところで止まり、ユアの体内に吸い込まれていった。
そのときユアの体が一瞬だけ光ったように見えたが、再びユアの体に白い文字が浮かび上がり左回転を始める。
同じ動きを何回も繰り返した後、文字はユアの体からきれいに消えて結界も同時に消滅した。
セイヤはすべての工程を終えるのを確認すると、ウンディーネと向き合う。ウンディーネは豹変したセイヤに恐る恐る疑問を投げつける
「あなた何者? こんなの見たことないわよ。何をしたの?」
「さあな、これが何なのか自分でもまだわかってない。ただいえることは、今やったのは禁術ってことぐらいだ」
セイヤが行った魔法は聖教会のなかでもトップの地位に就く女神と、一部の七賢人しか知らない秘術中の秘術であり、死んだものを生き返らせる奇跡の魔法だ。
死んだものを生き返らせる魔法は他にも存在するが、セイヤが使った魔法よりは劣る。
この魔法は別名「事象返還強制魔法『ライフ』」と呼ばれる魔法であり、使える者は聖属性を扱う女神の中でもごく少数。
その存在は、誰にも知られてはいけない魔法。
「禁術ね、ますます何者か知りたくなったけど残念。死んでもらうわよ」
ウンディーネは豹変したセイヤを見て早いうちにケリをつけようとする。
豹変したセイヤから発せられる威圧は本当に人間なのか疑いたくなるレベルで、できればウンディーネは、すぐに逃げ出したかった。
しかし彼女には逃げ出せない理由があった。
妖精や精霊というものたちは魔力の供給源がなくては生きていけない。
逆に言えば魔力の供給源さえあれば妖精や精霊たちはどんな傷を負ったとしても死ぬことはない。だが妖精や精霊たちの魔力を供給できる場所は限られており、そんな簡単には見つからない。
そしてウンディーネにとって魔力の供給源はダリス大峡谷にある湖や川の水などであった。
もし彼女がダリス大峡谷から移動する場合、新たな魔力の供給源を見つけない限り、生きていけず、消滅してしまう。
だが魔力の供給源を新たに見つけることは難しい。つまり彼女がここから逃げ出すということは、ほぼ死を意味するのだ。
「悪いがそれは無理な話だ。来い、デスエンド」
セイヤの声とともに現れたものは、双剣ホリンズではなく大きな剣、大剣だ。
その大きさはゆうに一メートルを超え、全身を紫色に染めた、まるで闇の剣。
大剣デスエンドにはところどころに白い文字が書かれているが、その文字が何と書いてあるのかは読めない。
ウンディーネは大剣デスエンドを手にしたセイヤを見た瞬間、自分との格の違いを感じる。すでに今のセイヤは先ほどまでのセイヤとは全くの別人であり、どこか冷たい感じがする。
三体のゲドちゃんを急いで形成して、同時にセイヤに攻撃させるウンディーネ。
セイヤは自分に突っ込んでくる三体のゲドちゃんを一瞥すると小さく一言、言葉を発する。
「消えろ」
次の瞬間、三体のゲドちゃんはその姿を跡形もなく消して消滅した。
咆哮を発するゲドちゃんもいたが、セイヤの一言はゲドちゃんの沈静化作用を持つ咆哮までもを、魔法を使わずに消し去る。
「何をしたの。何をしたっていうのよ。ふざけないで! 海神ネプチューン!」
ウンディーネは何が起きたのか理解できず、新たな魔法を発動する。
その魔法はウンディーネの持つ最強の守護者であり、どんな相手でもこの魔法の前では跪かせた。
しかし今のウンディーネはこの魔法でもセイヤに勝てるという確信はない。
湖の水が集まりだして作り出された大きな巨人の男は、ゲドちゃんがかわいく見えるほど大きかった。
海神ネプチューン、ウンディーネの最強の守護者であり、その手には大きな剣が握られている。
海神ネプチューンはその剣でセイヤに斬りかかった。
轟音と共に振り下ろされる海神ネプチューンの剣を、セイヤは右手に握る大剣デスエンドで受け止め、魔法を行使する。
「デスディメンション」
大剣デスエンドに書かれている白い文字が紫色に光だし、セイヤは闇属性の魔力を流し込む。
すると次の瞬間、セイヤの前にいたはずの海神ネプチューンが音もたてずに静かにその姿を消した。
海神ネプチューンはまるで次元のはざまに消えたかのように、消滅してしまったのだ。
このときウンディーネは悟った。
自分の目の前にいる男は、自分なんかが手を出していい男じゃなかったと。自分はなんて愚かな選択をしてしまったのだろう、この男は絶対に関わってはいけない存在だと。
そんなことを考えていたウンディーネに、セイヤが言う。
「さっきから水遊びばかりだな。少しは自分で戦ったらどうだ?」
「ふふっ……言ってくれるわね。なら私の最高最大最強の技をお見舞いしてあげるわ」
両手を上に広げて魔法陣を展開するウンディーネ。
このとき彼女は覚悟を決めていた。
今から使う魔法は魔力の供給源であるこの湖の水をほぼすべて使ってしまう技であり、この魔法を使ってしまえば、自分はこれから長い間弱体化してしまう。
だがもし、ここでこの魔法を使わなければ自分は目の前の男に消される。
例え妖精が死なないとしても、この男はそんな常識をあざ笑うかのように、自分を消滅させるだろう。どうせ消える運命なら、残った希望にかけると。
ウンディーネの頭上に構えられた手には、大きな水の球体が螺旋回転していきながら形成されていく。
湖の残っている水をほとんど使っているため、とても大きく、その姿はまるで小さな地球に似ていた。
見ただけでとんでもない技だとわかるが、セイヤは笑っていた。
「この技を受けて生きてられるかしら? この技は作っただけで相手を沈静化させて生きる気力を無くすのよ。さらに魔法自体の威力も強力、この魔法を受けてもそんな余裕な姿でいられるかしらね? さあ受けるがいい! 『彗星爆弾』」
先ほどよりも大きな轟音と共にセイヤに向かって落とされる巨大な水の球体『彗星爆弾』、セイヤは右手に握る大剣デスエンドに再び魔力を流し込む。
再び大剣デスエンドに書かれた白い文字が紫色に輝きだすが、その色は先ほどよりも強い。発動する魔法は『デスディメンション』よりもはるかに強い魔法。
セイヤは自分に向かって落ちてくる『彗星爆弾』に向かって、大剣デスエンドを突き付けると魔法を行使する。
「デスウェイブ」
大剣デスエンドの剣先からは発せられる一つの大きな波、その波はどんどん広がり巨大な『彗星爆弾』を包み込む。
波に包み込まれた『彗星爆弾』は、みるみる小さくなっていきその存在を消滅させた。
「そんな……あんた化け物でしょ……」
「さあな」
ウンディーネはセイヤの魔法に驚いて座り込むが、どこか納得していた。
そしてセイヤならもしかしたら……と考えてみたが、ウンディーネはすぐのその考えを捨てる。
湖の水のほとんどを失ったことでウンディーネはもう生きることはできない。あとは消滅を待つ運命、どうせ消滅させるなら目の前の男に消されたい。
ウンディーネはそう思った。
「やるなら早くやりなさい」
「そうか……じゃあな」
「ええ……」
セイヤは右手に握る大剣デスエンドでウンディーネのことを斬る。ウンディーネはその姿を跡形もなく消すように消滅した。
ウンディーネの消滅を確認したセイヤはそこで意識を失う。
白と銀が混じったような髪の色はいつの間にかいつもに金色に戻り、瞳の色も紅色からいつもの碧色に戻っていた。
どうやらいつも通りのセイヤに戻ったようだ。
そして残ったのは、仰向けで倒れているセイヤとユアだけだった。
いつも読んでいただきありがとうございます。これにてダリス大峡谷での戦闘はすべて終わりました。次からはのんびりとアクエリスタンに向かうのでよろしくお願いします。




