第211話 頼みすぎには注意しましょう
太陽が完全に地平線に沈んだころには、すでにセイヤたちは噴水広場の前にはいなかった。現在二人がいる場所は噴水広場から徒歩十分ほどのところにある食事処だ。
中の雰囲気はレストランというには活気づいており、大衆食堂といった表現の方があっているだろう。しかしその内装はほとんどレストランと変わらないため、一目見ただけでは区別がつかない。
さらに店内の雰囲気はダクリア四区の中に内接されていた食事処にも似ている。
「いらしゃーい」
二人が店内に入ると、すぐに従業員の男が二人のもとにやってくる。
「何名様でしょうか」
「二人です」
「かしこまりました。カウンター席ならすぐにご案内できます」
「テーブル席は?」
「すいません、ちょうど今埋まっていて、十分ほど待っていただければご案内できますが」
「ならカウンター席で」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
二人は従業員に案内され、店の奥にあるカウンター席に着く。カウンター席からは厨房が見えており、厨房の中では十人ほどの従業員が忙しく料理を作っている。
セイヤたちは十五席あるカウンターのうち、左から二番目と三番目に腰を下ろした。
「ご注文がお決まり次第お呼びください」
従業員はそう言い残してカウンター席から遠のいていき、他の客の接待に回った。
残された二人は壁に貼られた料理の数々を眺めながら、自分の食べたいものを決めていく。
「うーん、どれにしようかなー」
「あんまり頼みすぎるなよ」
「大丈夫大丈夫」
壁に貼られたメニューをどこか危なげない目で見るダルタに対して、セイヤは少し不安そうな表情を浮かべる。なぜかダルタは先ほどから機嫌がよく、このままでは全メニューを頼みそうなくらいだ。
「結構多いねー。セイヤはもう決めた?」
「俺か? 俺は鳥の肉をふんだんに使ったシチューとパンを頼むつもりだが」
「シチューか……それも捨てがたい……」
メニューのことを、セイヤが今まで見てきた中で一番真剣に見つめるダルタ。どうやらダルタはかなり迷っているらしい。
「うーん、シチューもいいけどオムライスも……それに牛筋から作ったビーフシチューも……」
なかなか決められないダルタにセイヤはやれやれといったような表情を浮かべ、そのまま従業員を呼ぶ。
「すいません」
「はーい、ご注文はお決まりでしょうか」
「えっ、セイヤは私はまだだよ」
セイヤが従業員を呼んだことに困惑するダルタだが、セイヤは気にせず注文を進める。
「あのシチューと、オムライス、ビーフシチュー、それに……」
セイヤが一通りの注文を終えると、従業員は厨房へと戻っていく。
するとすぐにダルタがセイヤに聞いた。
「頼みすぎはダメなんじゃないの?」
ダルタの言う通り、セイヤは頼みすぎはダメだといった。しかもたった三分前に。
だからダルタは一気に注文をしたセイヤのことを不思議に思った。
「それは迷ってなかなか決まりそうになかったからだ。一応、すべて少なめにしてもらったから量的には問題ない」
「あ、そうなんだ」
ダルタはどこか浮かない顔で頷く。
確かにセイヤの言っていることに筋は通っているが、どこかいつものセイヤと違うと思ったダルタ。そしてその感覚は正しかった。
今ダルタと会話していたというのに、セイヤの意識はダルタには向いていない。正確に言うのであれば、周りに警戒心を払ってダルタとの会話に集中していなかった。
なぜならセイヤは一瞬だけだが不穏な視線を感じたから。それはほんの一瞬だった。どこから見られたのか、まただれが見ていたのかはわからないが、感じた視線は不快だった。
まるでセイヤのことを嘗め回すかのように見渡す視線。それはどう考えても好意的な視線とは言えない。だがその視線は一瞬で消え去り、今はない。
だがそれでも不審に思ったセイヤはなるべく早くこの店を出て宿に戻りたいと考えた。だから悩んでいる何を頼むかで迷っているダルタの分を一気に頼んだのだ。
(それにしても今の視線……まさかな……)
セイヤは心の中で、まさかと思いながら注文を待つのであった。
そして二人が待つこと十五分、頼んだ品がすべてそろった。
「ご注文は以上でよろしいでしょうか?」
「はい、問題ありません」
セイヤが答えると、従業員がカウンターから離れていく。
「わー、おいしそう!」
「食べるか」
「うん」
二人の座るカウンターの上に運ばれてきた料理は全部で十品、そのどれもから美味しそうな匂いがしている。
「「いただきます!」」
挨拶をした二人はスプーンを片手にそれぞれの料理を口に運んでいく。
まずはセイヤが鶏肉をふんだんに使ったシチューをスプーンですくい、そのまま口に運ぶ。すると口に含んだ瞬間、セイヤの口の中をほのかな甘さとまろやかな舌触りが包み込み、セイヤの舌を唸らせる。
「うまいな」
「本当? こっちもおいしいよ」
ダルタはそう言いながら、ビーフシチューを次々と口に運んでいく。ダルタの頼んだビーフシチューは口に入れる度にまるで牛が口の中で暴れまわるかのように牛筋の風味がして、こちらもおいしい。
そして二人はその後、かなりのハイペースで料理を平らげていった。
といっても、やはり頼んだ料理が多かったため、二十分後には二人の料理を食べるペースは瞬く間に減速していく。しかし残すわけにはいかないため、二人は必死にスプーンとフォークを動かしていく。
そんな時だった。カウンターの一番端の席、つまりセイヤの隣に新たな客が現れる。
「よいしょっと」
隣の客は席に着くと、壁に貼られたメニューを見渡す。そんな客の様子を、セイヤはずっと見ていた。
別にセイヤも隣に座った客が、この場にあっている客ならば気にはしないだろう。しかしその客は、どこかこの場には不似合いだった。
まずその容姿だ。端的に言って若い、いや、若すぎる。年を言うのであれば、十三歳かそれ以下の少女だろう。しかしその幼い容姿にもかかわらず、纏う雰囲気はどこか大人っぽく、高貴さを感じる。
その客をわかりやすく言うのであれば、見た目は少女、中身は高貴な女性、といった感じだろう。
だがセイヤが驚くのはそれだけではなかった。
「とりあえず麦酒いっぱい」
「はいよー」
少女は躊躇うことなく麦酒、つまり酒を頼んだ。レイリアではアルコールの含まれた飲料を飲んでいいのは十八歳からになっている。ダクリアでのルールは知らないが、これほど発展しているのであればレイリアと同じようは感覚でいいだろう。
しかし目の前にいる少女はどう見て十三歳の少女、その肉体がアルコールに耐えられるとは思えない。
だからセイヤはお節介だと思いながらもつい口走ってしまう。
「その年で酒とは感心しないな」
「ああん? 私か?」
突然セイヤが話しかけたことに、少女は眉をひそめながら答える。
「そうだ。まだ十歳くらいなのに酒とは体に悪いぞ」
「なんだてめぇ、言っとくがあたしは二十七だぞ」
「はっ?」
「だから二十七だって」
理解を超えた答えに唖然とするセイヤ。
「二十七? 歳が?」
「ああそうだ。あたし二十七歳」
「なっ……」
あまりのことに言葉が出ないセイヤだったが、すぐに自分が不敬な態度で接したことを謝罪する。
「それはすまない。てっきり十三歳くらいかと」
「ふん、まあ若く見られることは悪くないから気にするな」
少女はそう言って、セイヤに肩をたたく。
「それにしてもあんたらよく食うな」
「ん、ああ、これか? 実は頼みすぎて」
セイヤがカウンターに並べられた料理を見て苦笑いを浮かべる。すると少女が言った。
「ならその手つかずのカレーくれないか? もう腹ペコで待てないんだ、金は払うから」
唐突に言われた提案、しかしその提案はセイヤにとってうれしかった。はっきり言って、すでにセイヤのおなかは限界だ。もうこれ以上はいる気もしない。ましてやカレー一人前など。
「ああ喜んで。食べてもらえるならうれしいよ。あとは金はいい」
「いや、そういう訳にはいかないだろ?」
「大丈夫だ。元はと言えば調子に乗って頼みすぎたこっちが悪いんだ。カレーだっておいしく食べてもらえる方がいいに決まっている」
「ふむ……」
セイヤに言葉で何かを考える少女。
「そっか、ならお言葉に甘えて」
「ああ」
セイヤがカレーを渡すと、にっこりと笑みを浮かべる少女。そしてその笑みを見て、セイヤはやっぱり幼いと思うのであった。




