第207話 ダルタと魔獣(下)
ダルタと魔獣が戦闘を始めて、そろそろ十五分ほどが経とうとしていた。しかし依然として、両者は互いに決定打を与えることはできていない。
無傷なまでも、消耗が激しい二人。ダルタにおいてはかなりきつそうだ。
「はあはあ」
「グルゥ~」
深い霧の中で自分の周りを警戒しながら少しでも体力回復を試みる両者。
セイヤはそんな両者のことを見て、このままでジリ貧だと悟る。そしてこのままの状態で戦闘が長引けば、確実にダルタが負けるとも思っていた。
濃霧をうまく利用して立ち回っているダルタだが、そもそも彼女は前衛に立つような魔法師ではない。だというのに、今は前衛に、それも単独で臨んでいる。
その時点でこれほどの戦いを繰り広げているのは称賛ものだ。しかし戦闘が長引けば長引くほど、ダルタにボロが出る可能性が高い。現に今だって正面の警戒が甘い。
それに対し、魔獣は消耗しているものの、まだ余力が感じられる。おそらくセイヤが『闇波』を使って魔獣の魔法を阻害しているせいで魔獣は魔法を使う選択肢を捨てている。
そのためダルタよりも断然に魔力の消費量が少なく、体力も残っているのだろう。つまりこのままいけば、どうあがいたところでダルタのガス欠での敗北が待っているということだ。
「はあ、あまり気乗りしないが仕方ない」
セイヤはそう呟きながら、ダルタのもとに移動する。その際、魔獣と誤認されないように気配は消して近づく。
「ダルタ」
「!? ……セイヤ?」
ダルタは突然背後からセイヤに呼びかけられたことに体を震わせて驚くが、セイヤは気にせず本題に入る。
「このままじゃお前は負ける。だから俺があいつの動きを止めるから、お前はそのうちにあいつにとどめをさせ」
「そんなのい……」
そんなのは嫌だ、と反論しようとしたダルタだったが、すぐにその言葉は途切れた。実はダルタ自身をわかっている。このままでは自分があの魔獣に敗北すると。
セイヤだってダルタの復讐心が理解できないわけではない。むしろ共感だってできる。しかし一人で復讐を成し遂げたいと言って負けてしまえば、元も子もない。だからこそダルタに反論されることを承知済みでこの提案をした。
そしてダルタもセイヤが自分の気持ちを理解したうえでこの提案を出していることが分かった。セイヤは今まで自分の思うように戦わせてくれた。それはダルタの思いを汲んでのこと。そのうえで、セイヤは援護を申し出て来た。
ダルタは自分の気持ちを押さえつけて、確実に復讐を成し遂げる方を選択する。
「お願いセイヤ」
「任せておけ」
セイヤはそういうと、上昇させた視覚能力で魔獣のことを視認する。そして魔獣に対し、魔法を行使した。
「『暗槌』」
セイヤが魔法を行使した刹那、突如魔獣に謎の重力がのしかかる。それは体を動かすのも無理なほど重い重力で、魔獣はその場に釘付けにされてしまった。
魔獣の動きを止めたことを確認したセイヤはすぐにダルタの名前を呼ぶ。
「いまだダルタ。お前の全力をあいつにぶつけろ」
「わかった」
ダルタは力強く頷くと、魔獣がいるのであろう方向を見つめる。
「お前が、お前がお父さんとお母さんを殺した。だから私は絶対におまえを許さない。これはお前を殺すために生み出した私だけの魔法。喰らえ。我が魂を霧の巫女に奉納する、故に霧の巫女は我に見返りをかしづけ、ここに相恵の契約。『霧剣地獄-千-』」
ダルタが詠唱を終えると、一種にして辺り一面に広がっていや深い霧が晴れる。否、正確に言うのであれば、霧が剣の形に変わっていき、太陽の光が刺さった。
空中で待機する無数の白い剣。そのすべてが深い霧から生まれたというのであれば、その数は高が知れない。まさに千本あるのではないかと思うぐらいだ。
ダルタは冷徹な瞳で魔獣のことを見る。
「これで終わり。あの世で私のお父さんとお母さんを殺したことを悔やみなさい。『千刺』」
ダルタが上げていた右手を降ろした刹那、一斉に千本の霧の剣が動きを封じられている魔獣に向かって降り注ぐ。そこには一切の慈悲が存在しない。
魔獣は剣が体に刺さる度に悲鳴のような叫びをあげるが、ダルタは気にせず剣を降り注ぎ続ける。そして三十秒もせずにすべての剣が降り注ぐと、その時にはすでに魔獣は息を引き取り、体中に穴が開いていた。さらに腕や足は今にも取れそうになっている。
それがクマの魔獣の最後の姿だった。
「満足か?」
「うん」
「ならあの死体は俺が処理するぞ?」
「うん」
ダルタの答えを聞くと、セイヤは魔獣の亡骸に対して『闇波』を行使する。そして魔獣の亡骸を消滅させた。
その光景を見たダルタはやっと終わったと胸をおろした。約十年にも及ぶ長い復讐が、やっと終わったのだ。
「セイヤ」
「どうした?」
改まった態度でセイヤのことを呼ぶダルタに、セイヤは少しばかり困惑する。
「ありがとう。ううん、ありがとうございました。魔獣討伐、私の復讐に力を貸していただき」
「どうしたんだ、急に改まって?」
「いえ、なんでもありません。むしろこれまでの不敬な態度をお許しください」
まるで人が変わったかのように改まるダルタ。その姿にはポンコツオーラは感じられない。
「どうしたんだ、本当に?」
「いえ、本来はこの姿が私たち使用人の本当の姿です。それに関して、私はあることを隠していました」
「あること?」
「はい。それは契約の儀です」
契約の儀という聞きなれない言葉に首をかしげるセイヤ。だがダルタは話を続ける。
「契約の儀とは特級魔法師に使える使用人が、主人に対して永遠の忠誠を誓う儀式であり、そのタイミングは使用人が自分で決められます」
「つまりお前は今まで俺に忠誠してこなかったと?」
「えっ? あっ、ええっと……こういう時の教科書は……」
セイヤの指摘に慌てるダルタ。その姿はいつものダルタで、少しだけ安心するセイヤ。だがダルタはすぐにまた雰囲気を変えた。
「ご無礼を承知で申し上げますと、そうなります。しかし仕事は誠心誠意努めてきた所存でございます。そして今回、私の私用に協力いただいたことで、私、ダルタは特級魔法師キリスナ=セイヤ様に永遠の忠誠を誓うことを決意いたしました」
ダルタの説明を聞き、セイヤは何となくだ全容を把握する。つまりこの儀式は特級魔法師と使用人にとって必要なことなのだろう。
「わかった。それで俺はどうすればいい?」
「はい、厚かましいとは思いますが、私の額に口づけをいただければ……」
ダルタはそういうと、片足を地面に付き、膝立ちになる。そして顔を上げて、セイヤのことを見つめた。
「額に口づけをすればいいんだな?」
「はい……」
ダルタが頷くと、セイヤはすぐにダルタの顎に右手を添えて、頭の位置を固定する。
「うっ……」
「どうした?」
「いえ、なんでもありません」
赤面するダルタを見て、セイヤはすぐに終わらせることを決める。
「いくぞ」
「はい、お願いします」
ダルタが返事をして目をつぶると、セイヤは自分の唇をダルタの額に持っていき、少しの間口づけをした。そしてすぐに唇を離すと、終わったことを伝える。
「終わったぞダルタ」
「はい、これで私はセイヤ様に永遠の忠誠を誓います」
「それはいいんだが、話し方は前みたいに戻してくれ。なんか違和感しかない」
「いえ、そういうわけには……」
「命令だ」
「わかり……わかった」
ダルタの話し方がいつも通りになったことに笑顔を浮かべるセイヤ。
「やっぱりそっちの方がダルタっぽいな」
「何よ私ぽいって!?」
「さあな、ほら、行くぞ」
セイヤはそう言って、『魔力供給型全自動二輪車』の方に歩いて行く。
そんなセイヤの背中を見ながら、
「私セイヤと口づけしたんだ。これは結婚したと同じ……」
と呟くのであった。




