第205話 ダルタと魔獣(上)
セイヤは目の前に魔獣を確認すると、急いで『魔力供給型全自動二輪車』を停止させた。
セイヤの目の前に現れたクマのような魔獣は先ほどの狼の魔獣とは明らかに纏う雰囲気が違うが、だからといって『魔力供給型全自動二輪車』で振り切れないほどではない。
むしろセイヤはダルタの異変に気付き、『魔力供給型全自動二輪車』を止めたのだ。
セイヤの肩に掴まるダルタの手は先ほどから震えており、セイヤの耳元ではダルタの乱れた呼吸が聞こえる。つい先ほどまでのダルタと比べれば、明らかにおかしい。
『魔力供給型全自動二輪車』を止めたセイヤは目の前で仁王立ちするクマの魔獣を見据える。体長は大体三メートルほどだろうか、茶色い毛並みに鋭い爪、そして腹部にある十字型の傷が特徴的だ。さらに魔獣はどこか興奮している。
そしてそんな魔獣を見たダルタに更なる変化が訪れる。
「お前は、お前はぁぁぁぁぁぁぁ。我、霧の巫女に奉納す。『霧散華昇』」
ダルタが詠唱を終えると、魔獣の頭上に大きな水色の魔法陣が展開される。セイヤはその魔方陣と魔法名から、すぐにダルタが水属性上級魔法である『霧散華昇』を行使したのだと理解した。
だがダルタの行使した『霧散華昇』は明らかに詠唱不足で、魔法陣もしっかりとしていない。
この魔法は失敗する。セイヤがそう悟った刹那、セイヤの予想通り魔法陣が魔力量に耐えられず一気に崩れた。
「まだだ、我霧の加護を受けるもの、ここに顕現せよ。『霧刃』」
『霧散華昇』が失敗に終わると、ダルタは『魔力供給型全自動二輪車』から降りて魔獣に迫りながら新たな魔法を行使する。ダルタが行使した魔法は霧属性初中級魔法の『霧刃』といい、『風刃』の霧属性版だ。
今度は詠唱もしっかりとしているため、ダルタの『霧刃』は成功するが、霧の刃をその肉体に受けた魔獣はダメージを受けたようには思えない。それどころか、ダルタを見て更に興奮しだしている。
「我、霧の加護を受けるもの、霧の巫女に注ぐ。『霧裂』」
『霧刃』を防がれたダルタは続けざまに霧属性中級魔法『霧裂』を行使して、魔獣に襲い掛かる。『霧裂』は『霧刃』よりも威力が高いため、今度はかなりの期待が持てる。
だが魔獣もただ魔法を受けてくれるサンドバックではない。当然ダルタの行使した『霧裂』を回避し、そのままダルタに襲いかかる。
「そんな攻撃くらうものか! 我……」」
ダルタは魔獣がその鋭い爪で攻撃しようと察するや、防御態勢には入らず、すぐに新たな攻撃魔法を行使しようと詠唱を始める。
しかしこのままではダルタは確実に深手を負ってしまう。そう悟ったセイヤはすぐにダルタの正面に防御魔法を行使した。
「『光壁』」
ダルタの正面に展開された大きな黄色い壁が魔獣の攻撃を防ぎ、ダルタの身を守る。そしてセイヤはすぐに自分の足に光属性の魔力を流し込み、上昇させた脚力で地面を蹴り、ダルタのもとに移動した。
「ダルタ」
「なに?」
セイヤが呼びかけると、荒々しく答えるダルタ。そんなダルタの様子を見て、セイヤはダルタのことを担ぎ、魔獣から距離をとる。
「離して!」
「静かにしろ」
「うっ……」
セイヤの上で荒々しく暴れまわるダルタを、セイヤは一言で黙らせる。そして魔獣から距離をとると、ダルタのことを降ろした。
「まずは落ち着け」
「落ち着けるわけないでしょ! あいつは私が殺す」
「なぜそこまであの魔獣に憎悪の念を抱く?」
クマの魔獣に対して異常なまでに憎悪の念を抱くダルタに理由を問いたセイヤだったが、本当はその理由を薄々勘付いている。
「あいつは……あいつは……お父さんとお母さんを殺した魔獣だもん」
「なるほどな。で、どうしてそう確信した?」
セイヤの問いは単純なことだ。ダルタは目の前の魔獣が両親を殺したと主張しているが、魔獣など暗黒領にはたくさんいる。そこには当然同じ種の魔獣だって存在している。
つまりダルタが親の仇だと思っている魔獣でも、もしかしたら同じ種だけの魔獣かもしれない。しかしダルタには確かな確証があった。
「あの魔獣のお腹の傷は……お父さんとお母さんがつけたものだから間違いない」
ダルタは魔獣の腹部にある十字型の傷を見ながら言う。確かにダルタの言う通り、魔獣の腹部にある傷は後からできたものであり、全個体についているとは考えにくい。
「ということはあいつがお前の親の仇ということか」
「そう……」
ここまで言われてしまえば、認めざる負えない。そしてダルタの心中も察する。
「一応聞くが、お前はあの魔獣を殺して、親の仇をとりたいか?」
「うん、とりたい。ここで逃がしたらまたいつ会えるかわからないから」
「はあ、愚問だったな」
セイヤはそういうと、ダルタから距離をとる。そんなセイヤの反応を見て、ダルタが驚いたように聞く。
「あいつと戦っていいの?」
「なんだ、戦う気はないのか?」
「そうじゃなくて時間とか」
ダルタが心配しているのはダクリア帝国までたどり着く時間の話だ。だがそんなこと、今のセイヤには関係がなかった。
「別に魔獣一体程度で時間は変わらないから安心しろ」
「じゃあ思う存分やっていいの?」
「ああ、やれ」
セイヤの言葉を聞き、嬉しそうな表情を浮かべるダルタ。セイヤはダルタにある忠告をする。
「気をつけろよ。あいつもお前に何か因縁がありそうだからな」
セイヤが言いたいことは、魔獣のダルタに対する視線だった。そこにはダルタと同じように、確かな思いが含まれており、ダルタのことを意識している。
しかしその理由はダルタにはわかっていた。
「多分だけど私のにおいを覚えてるんだと思う」
「におい?」
「正確に言うならお父さんとお母さんのにおい。そのにおいは当然私と同じだから、おなかの傷をつけた仕返しをしようとしているんだと思う」
「ほう、それは意外と賢い魔獣だ」
思わぬ魔獣の能力に感嘆するセイヤ。まさか魔獣が十年近く前のにおいを覚えているとは信じられなかったから。
「それならいっそう警戒しろよ」
「わかってる」
ダルタは魔獣のことを見据えながら、小さく詠唱を始めていた。
「我、水の加護を受けるもの、風の加護と共に顕現せよ。『濃錯霧』」
魔法を発動した次の瞬間、ダルタの周りが一瞬にして深い霧に包まれる。それは水属性と風属性の複合魔法である霧属性の魔法によるもの。その効果は濃霧によって視界を奪うことだ。
セイヤのおかげで冷静になったダルタは先ほどとは打って変わって、しっかりとした戦いを繰り広げられている。そんなダルタに安心したセイヤは、同時に心の中で少しだけ援護をしようと考えるのであった。




