第22話 ダリスの主(上)
「大丈夫か?」
「うん……」
離れないようにユアのことを強く抱きしめるセイヤと、セイヤの腕によって強く抱きしめられているユアは、現在進行形で垂直落下していた。
二人が雷獣を仕留めた直後、突如地盤が崩落し始め、落下を始めた二人。しかし今回は暗闇でもなければ、下の地面もしっかりと見えている。
「よっと」
セイヤは落下している中、空中で体の向きを変え、見事に地面に着地する。そしてお姫様抱っこをするような形で抱きかかえているユアのことを隣に降ろした。
セイヤによって降ろされたユアの顔はどこか赤面しているように見えたが、そのことにセイヤは気づかない。
「さて、ここからどうするかだが」
セイヤは周りを見渡しながら言う。
二人が降り立った場所は、先ほどの場所よりもさらに開けた場所であり、周りが水によって囲まれている。
その場所を表現するのであれば、湖に浮かぶ孤島といった感じだ。
そしてその場所で最も特徴的なことは孤島の周りを埋め尽くす水だろう。
はるか遠い水底を余裕で視認できるほど澄んでいる水。その水は自然に湧き出る水とは思えなかった。
「おかしい」
「うん……」
周りに出入り口を探したセイヤだったが、残念ながら見つけることはできない。ユアも辺りを見回したが、やはり出入り口を見つけることが出来ない。
そんな時だった。孤島に女性の声が響く。
「騒がしいと思ったら、ねずみが入り込んだのね」
「「!?」」
二人は急に響く色っぽい声に驚く。なぜならここは強力な魔獣たちの巣窟であり、二人以外に人がいるはずもなかったから。
セイヤはすぐに声のした方を見る。すると、そこに居たのは空中に浮かぶ椅子に座り、頬杖をついている女性だった。
青い髪にまるでサファイヤのような瞳を持つ女性、何より特徴的なのはその零れ落ちそうなくらいの双丘。
そして女性の纏う妖艶な雰囲気が、女性のことをさらに色っぽく見せ、思春期の男子たちが見たらすぐに前かがみになりそうなぐらいだ。
しかしセイヤが前かがみになることは無い。そんな邪念を持てるほど、今の状況を楽観視できるセイヤではなかった。
「まさか……」
それはユアも同じである。ダリス大峡谷の、それも奥深くに人間など居るはずもない。そうなってくると、おのずと答えが分かってきた。
「お前、ウンディーネか?」
「ふうん、私のことを知っているのね」
セイヤの問いかけを肯定する女性。そう、彼女こそがダリス大峡谷に住み着く水の妖精ウンディーネである。
まさかウンディーネが出て来るとは思っていなかったセイヤだったが、これはある意味、運がいい。
今まで戦ってきた魔獣たちは、その動物的本能で戦ってきたが、現在、目の前にいるウンディーネは違う。
彼女は魔獣たちと違い、会話ができる。それはつまり、戦わずして話し合いができるという事だ。
セイヤはさっそくウンディーネに話しかける。
「話がしたい。聞いてくれ」
「話? なにかしら?」
ウンディーネが話の通じる存在で良かったと思うセイヤ。セイヤはさっそく本題に入った。
「俺らには戦う意思はない。俺らの目的はこのダリス大峡谷を通ってレイリア王国に帰ることだ」
「そう、だから?」
「ここから出してほしい。当然、お前には危害を加えない」
それこそがセイヤの提案。ここで争うことほど不毛なものは無い。できれば戦いを避けて平和的に解決をしたいと思っているセイヤ。
それに対するウンディーネの答えは拒否だった。
「断るわ。ここから抜け出すには私を倒すしかない。そして私に倒される気なんて毛頭ないわ」
ウンディーネの言葉を聞き、不審に思うセイヤ。
いくらなんでも、そのようなことがあるわけがない。ここがウンディーネの作った固有結界の中でもない限り、ウンディーネを倒さずとも外に出ることは可能だ。
「なぜ嘘をつく? お前を倒さなくても外には出られるはずだ」
セイヤの言葉に、ウンディーネは少し驚いた表情を浮かべる。
「あら、わかるのね。今まで来たやつらはみんなこぞって私に襲い掛かって来たわよ?」
「言っただろ。こっちに争う気はないと」
それはセイヤの本意である。ただでさえ魔力を消費している状態だというのに、それに加えて妖精と戦うなど馬鹿馬鹿しい。妖精や精霊の類を相手にしたら逃げるのが定石だ。
「でも残念ね。私にはあなたたちを外に出す気はないわ」
「なぜだ?」
「だって、私の存在が知られてしまうじゃない。そんなの嫌よ」
妙に色っぽく言葉を発するウンディーネ。
彼女の願いはこのダリス大峡谷で静かに暮らすこと。もし自分の存在を知る者がいるのなら、すぐにその存在を消すというのが彼女のポリシーである。
だからこそ、ウンディーネはセイヤたちの存在を消し去ろうとしていたのだ。
「それなら心配ない。俺たちはお前の存在を口外しない」
「それを信じろと?」
「ああ、そうだ」
真剣な眼差しでウンディーネのことを見つめるセイヤ。それはユアも同じだ。ユアもこんなところで妖精と戦いたくなどなかった。
しかし初対面の相手に信じろと言われて信じられる者など、そう簡単にはいない。ましてやそれがウンディーネのような、人との接触を断ってきた存在なら尚更。
「残念だけど、無理よ」
ウンディーネはセイヤのことを見下しながら、拒絶の意思を見せると、セイヤに向かって魔法陣を展開し始める。
「悪いけど、消えてもらうわ」
ウンディーネは展開した魔法陣から水のレーザーをセイヤに向かって撃ちだす。そのレーザーは海龍の撃ち出した水など比にもならないほど強く、威力のあるものだった。
しかし、セイヤが水のレーザーに対して『闇波』を行使すると、水のレーザーは一瞬でその存在がそもそもなかったのではと思えるくらいに消滅した。
「へえ、やるわね」
「まあな」
ウンディーネはセイヤの闇属性を見て、すぐにセイヤができる魔法師だと悟る。
ところで、なぜセイヤの『闇波』が海龍の攻撃よりも威力のある攻撃を簡単に消滅させられたのか。
答えは闇属性に対する慣れにあった。
海龍と対峙した時、セイヤはまだ闇属性を取り戻したばかりで慣れていなかった。だから海龍の攻撃に対しても、かなり苦戦していたのだ。
だが今は違っている。
セイヤは先ほどの雷獣との戦いで一度死に近づいた。すると不思議なことに、今までよりも闇属性に対する感受性が高まり、今まで以上に闇属性を身近に感じるようになっていた。
その結果、海龍の攻撃よりも威力の強いウンディーネの攻撃を簡単に消滅させることが出来たのだ。
「やっぱり逃がすわけにはいかないわね。もしここから出たいというのであれば、私のことを倒して契約でもさせてみなさい。そうしたらここから抜け出せるわ」
「はあ、仕方ないな。ユア、やるぞ」
「うん……」
二人は再び武器を握り、ウンディーネに向かって構えた。
ウンディーネも纏う雰囲気を一瞬で変貌させる。
そして場の空気が一瞬で変わった。
双剣ホリンズを手にするセイヤと、レイピアであるユリエルを手にするユアは、いまだ宙に浮かぶ椅子で頬杖をついているウンディーネのことを見据える。
一方、ウンディーネの方は頬杖をついたまま、セイヤとユアのことを見下す。その表情からはまだまだ余裕が感じられた。
まず初めに動いたのはウンディーネだ。
「ウォーターキャノン」
ウンディーネがセイヤとユアに向かって水を撃ちだす。
「『闇波』」
しかし、ウンディーネの攻撃に対して、セイヤが『闇波』を行使すると、ウンディーネの行使した魔法は一瞬で跡形もなく消滅する。
「ユア」
「任せて……」
ウンディーネの水が消滅した瞬間、ユアが自分の足に『単光』を行使して、脚力を上昇させて跳躍をする。
そして一気に椅子に座っているウンディーネにユリエルで迫った。
「甘いわね。ウォーターレーザー」
自分に向かって跳躍してくるユアに対して、ウンディーネは青い魔法陣を展開させてユアに攻撃をする。
その攻撃はウンディーネが先ほどセイヤに向かって行使した魔法と同じである。
「甘いのはそっちだ。『闇波』」
今にもユアに被弾しようとしていた水のレーザーに対し、セイヤが『闇波』を行使すると、水のレーザーは一瞬で消滅した。
セイヤが自分のことを守ってくれると信じていたユアは、迷いなくウンディーネに向かってユリエルを突き刺す。
「これで終わり……」
ユリエルをウンディーネに突き刺したユアは、ウンディーネの体内に光属性の魔力を流し込み、その肢体を内から弾けさせようとする。
これでユアたちの勝利が決まる、はずだった。
「甘いわね」
ウンディーネがニヤリと笑みを浮かべた。
次の瞬間、ウンディーネの腹部に刺さっていたユリエルが、まるで体の内部から押し出されるかのように、ウンディーネの体から抜ける。
そしてウンディーネの腹部に出来たはずの傷があっという間に消えた。
「そんな……」
ユアはあまりの光景に言葉を失う。なぜならユアは見てしまったから。ウンディーネの身体が一体何で出来ているのかを。
「全部水……」
「正解よ」
ユアの言葉をウンディーネは笑みを浮かべて肯定する。
ユアの言う通り、ウンディーネの身体はすべて水で出来ていた。ウンディーネの身体にユリエルを刺した際に感じた感触は、魔獣を刺した時の感触とは違っていた。
ユアがウンディーネを刺した際に感じた感触、それはあまりにも抵抗が無さ過ぎて、本当に刺したのかが怪しくなるほどのものであった。
だが、ウンディーネの身体がすべて水で構成されているというなら、その感触にも説明がつく。
そして光属性の魔力を流し込んだというのに、ウンディーネがいまだその肉体を内から弾けさせない理由にもなる。
水、それも水属性の魔力が混じった水で構成されるウンディーネの体内では、どんな魔力を流そうとも、そのすべてが沈静化して効果をなさない。
それはおそらくセイヤの闇属性を持っても同じだ。
つまり、ウンディーネに属性の特殊効果を駆使した攻撃は無意味。
一瞬にしてウンディーネに対する対抗手段を無くしたユア。しかし今のユアは一人ではない。頼れるパートナーがいる。
「隙がありすぎだ」
突如、椅子に座るウンディーネの背後に現れたのは、光属性の魔力を纏ったセイヤ。セイヤはその両手に握るホリンズでウンディーネの首を背後から狙う。
「気づいているわよ」
ウンディーネはセイヤのことを一瞥もせずに、自分の後方に青い魔法陣を展開して、セイヤに向かって水のレーザーを撃ちだす。
だがウンディーネのその攻撃はすでにセイヤに通じない。
「無駄だ。『闇波』」
セイヤは青い魔法陣から撃ちだされた水のレーザーに対して、『闇波』を行使し、消滅させた。
けれども、セイヤが水のレーザーを消滅させることなどウンディーネも承知済み。
ウンディーネの本当の狙いはセイヤを撃ち抜くことではなく、セイヤの攻撃に対して時間を稼ぐことだった。
狙い通り時間を稼いだウンディーネはすぐに次の手に移る。
「ゲドちゃん」
ウンディーネがその名を呼んだ瞬間、孤島の周りを囲んでいた湖の水の一部が一瞬でセイヤの前に集まりだして、巨大な球体を形成していく。
「『闇波』」
「させないわ」
「なに!?」
セイヤはとっさに巨大な水の球体に向かって『闇波』を行使して消滅させようとしたが、ウンディーネがセイヤの『闇波』に向かって水属性の魔力を放ち、消滅の能力を沈静化で抑える。
セイヤの『闇波』が封じられたため、ウンディーネが作ろうとしていた巨大な水の球体が完成した。
それはとても大きな水の球体、そしてその球体の表面に亀裂が入っていき、その本当の姿を現していく。
「おいおい嘘だろ」
「信じられない」
地面に着地した二人がその本当の姿を現した水の球体を見て言葉を失う。
「これは限界まで強化したドラゴン、略してゲドちゃんよ」
ウンディーネの爆発的にネーミングセンスのない名前とともに姿を現したのは、全身をウンディーネ同様に水で形成された巨大なドラゴンだった。
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