第193話 夜の暗黒領
太陽が地平線に沈みかけようかとしている頃、暗黒領を猛スピードで駆け抜ける何かの姿があった。その速さは視認するのがやっとで、正体を掴むことは難しい。
魔獣かと思える何かだったが、その速さは魔獣ではあり得ない。ましてや魔法師が乗る魔装馬でもない。聞こえてくる音は轟音だが、音がしたころにはすでにその姿ない。
そんな速さで暗黒領を進んでいたのは『魔力供給型全自動二輪車』に乗るセイヤとダルタだった。二人は『魔力供給型全自動二輪車』で半日近く暗黒領を進んでいた。
すでにダリス大峡谷などは越えており、現在はレイリアからも離れている。その距離はフレスタンの最北端から魔装馬を飛ばして丸一日といった距離だろう。そんな距離をアクエリスタンから半日で進んだというのだから『魔力供給型全自動二輪車』の速さが分かる。
「ああー気持ちいー」
「落ちるなよ」
「はーい」
『魔力供給型全自動二輪車』を運転するセイヤの後ろに座るダルタは気持ちよさそうに体中で風を感じていた。しかしセイヤにしっかりと掴まりながらも、どこか府抜けているダルタはかなり危なかった。
信じられないことに、すでにダルタは五回ほど振り落とされそうになっていたのだ。毎回あと少しというところでなんとかセイヤに掴まり、どうにか生き残るダルタだったが、運転するセイヤにとっては怖くて仕方がない。
現在、セイヤの運転する『魔力供給型全自動二輪車』は物凄いスピードで進んでいる。それはレイリア王国内のように周りの目を気にする必要もなければ、飛び出しに注意する必要もないから。
レイリア王国には人などいて潜在危険なども多かったが、今セイヤたちがいる場所は暗黒領だ。それもかなり奥地の。当然ながら人などいるはずもなく、いるのは魔獣だけ。そして魔獣が飛び出したりするはずもない。
そもそも広大な平地である暗黒領で飛び出しなどということが起きるはずもなかった。
だからセイヤは『魔力供給型全自動二輪車』の出せる最高速度で暗黒領を進んでいる。そのスピードは波の魔法師では到底出せない速度だ。
そしてもしその速度から落下をすれば、九十九パーセント即死だろう。たとえ生き残ったとしても五体満足というわけにはいかない。そして近くに医療施設はないため、治療は不可能だ。つまり生き残ったとしてもその先で待っているのは死のみだ。
そんな危険があるというのに、ダルタは今もセイヤに掴まりながら気の抜けた返事をする。
一応、セイヤには死者を蘇らせる魔法や、体を再生させる魔法があるが、その魔方はそう簡単に使っていい魔法ではない。死という運命を捻じ曲げることはあまりいいこととは考えられていないから。
世の中には様々な魔法があるが、その中でも人の命に関わる魔法は扱いが特別だ。なぜなら生命を操る魔法にはそれ相応の代償が必要になるから。
例えばセレナが使う『フェニックスの焔』にしても、行使の際は使用者の寿命を代償に、対象のことを生き返らせる。外面だけを見ればただの蘇生魔法だが、その中身は危険な魔法だ。
ほかの魔法も同様で、行使には何かしらの代償が伴う。そしてその魔法で生き変えさせられた者たちは、レイリアにおいてあまりいい目で見られない。他人の何かを奪って生き返った存在、そういう風に思われるのだ。
だからこそ、蘇生魔法の存在はできる限り秘匿され、使用についても聖教会が管理をしている。そしてセイヤも蘇生魔法のことは隠し、使用も最低限だけにしていた。
そんなセイヤの苦労も知らず、今もダルタは気持ちよさそうに風を感じている。
「はぁ、本当に落ちるなよ」
「はーい、大丈夫ー」
相変わらず気の抜けた返事をするダルタに、セイヤは本当に話を聞いているのかと思うのであった。
セイヤがダルタの人生を心配しながら進むこと一時間、ついに太陽が地平線へと沈み、世界を暗闇が包み込む。
「今日はここまでか」
「はーい、そうです……あれ、風がなくなってきた!? どうして!?」
太陽が沈んだことにより、辺り一面が暗くなる。当然ながら街灯どころか光るものさえ存在しない暗黒領は辺り一面を暗闇に包まれ、何も見えない。まさに本当の暗闇だ。
そしてそんな暗闇に包まれた夜の暗黒領を進むことは自殺行為だ。たとえセイヤたちのように『魔力供給型全自動二輪車』であっても。
暗闇に包まれた暗黒領では辺り一面何も見えない。視認できる距離はせいぜい自分から周囲五メートルといったところだろう。
前回ダクリア二区に向かう際にも暗黒領で一夜を明かしたセイヤだが、そのときは星が輝いていた。しかし本日の天気は曇りのため、星の光さえない。本当の暗闇だった。
曇った空と辺りを見渡し、これ以上進むことは危険と判断したセイヤは進むことをやめ、その場で一夜を明かすことを決めた。しかし風を感じて何も聞いていなかったダルタは急に風が無くなったことに戸惑う。そして同時に、今までセイヤの話を流していたこともバレた。
そんなダルタに、セイヤが不機嫌に聞いた。
「問題だ。どうして止まったと思う?」
「えっと……」
特に難しくもないセイヤの質問だが、ダルタは答えられない。解答は「暗闇で危険だから」だが、ついさっきまで風を感じながら何も考えていなかったダルタは、全く状況を把握できていなかったのだ。
ダルタはしばらく考えるそぶりを見せると、急にハッとした表情になり答える。
「わかった! 故障したんだ!」
『魔力供給型全自動二輪車』をバンバン叩きながら自信ありげに答えたダルタ。しかしセイヤの表情が冴えないことを見ると、ダルタは再び考え出す。
そして今度はすぐに答えを出す。
「そうか、疲れたんだ! 長旅ご苦労様です!」
今度はとても可愛らしいスマイルでセイヤの方をバンバン叩くダルタ。そんなダルタに対し、セイヤは心なしか殺意を覚える。ピクッピクッ、と動くセイヤのこめかみ。
そんなセイヤの表情を見たダルタが慌てて言葉を続ける。
「て言うのは冗談で、おかえりなさいませ、ご主人様! あっ、違った、えっと……お、お勤めご苦労様です、旦那様!」
セイヤの表情を伺いながら必死にセイヤを笑顔にさせようとするダルタ。しかし彼女の行動は逆効果で、さらにセイヤのこめかみがピクピクと動く。
「ええっと……ええっと……」
どんどんと厳しくなっていくセイヤの表情を見て、慌てはじめるダルタ。そんなダルタに対してセイヤは低い声で言う。
「お出かけ気分でいるなら帰れ。これは遊びではない」
その言葉はセイヤのダルタに対する優しさだった。
二人が今いる場所は暗黒領の、それもレイリアから離れた場所だ。そしてそこは二人にとって未知の場所であり、何が起きるのかわからない。それは異端の力を持つセイヤにとっても不安な場所だ。
一時の迷いが、今後の運命を大きく左右するかもしれない。一瞬の遅れが最悪の事態を招くかもしれない。何が起きるのか、誰にもわからない。そんな場所である。
ましてや今は暗闇が支配する夜だ。周りに広がる闇はどこまでも続いており、何が潜んでいるかわからない。
そんな場所だというのに、ダルタはどこか気が緩んでおり、周りに対する警戒心が感じられない。それに自分が暗黒領にいるという覚悟もだ。
かつてダクリア二区に向かう際、セレナたちも同様の状態にあったが、今のダルタはセレナたち以上に覚悟が足りていない。おそらくこのままいけば、確実にダルタは死ぬ。だからセイヤはあえて厳しくいったのだ。
セイヤの言葉に、ダルタの表情が厳しくなる。
「はい……ごめんなさい……」
セイヤの予想に反し、ダルタは素直に謝罪をした。その表情は重く、本当に反省していることが分かる。だがセイヤはその表情を見て違和感を覚えた。
「お前、本当に反省しているか?」
「え、えっ? し、していますよ、ちゃんと」
セイヤの発言になぜか驚いたダルタ。別に今のセイヤは殺気を放ってもいなければ、戦闘態勢の際に纏う雰囲気を纏っているわけでもない。言ってしまえば普通の少年だ。
そんなセイヤの何でもない発言に驚いたダルタ。そんなダルタを見て、セイヤは確信する。
「外面だけ反省とはいい技だな」
「でしょ! 私外面だけは得意なん……あ、なんでもない! なんでもない、なんでーもなーい。別に外面だけよくしているわけじゃないから! 本当だから!」
セイヤに詰め寄りながら必死に弁明をするダルタ。しかし今更言い直したところでもう遅い。
「そうか、よくわかった」
「へっ?」
セイヤは頷くと、静かにダルタの頭に手を伸ばす。そして次の瞬間、二つの拳でダルタの頭を挟み込む。
「え? これってまさか……」
「ああ、おそらくそのまさかだ」
セイヤがニヤリと笑みを浮かべる。
「あ、あ、あは、あははは……」
「ふん、覚悟しろ!」
「いやぁぁぁぁぁぁぁ……」
セイヤはダルタの頭を挟んだ二つの拳をぐりぐりと動かし始めた。そして暗闇に包まれた暗黒領には少女の悲痛な叫びが響くのであった。
いつも読んでいただきありがとうございます。次で暗黒領は一度終わります。次は火曜日の21時頃の予定です。




