第162話 四人の反撃
ゆっくりとだが侵攻を続けてきているダクリアの軍勢を見据えたアイシィ。
距離にして二百メートルもないだろう。相手側はゆっくりとだが、確かにアイシィたちに近づいてきている。
「ふぅ、いける」
アイシィは次の瞬間、地面を思いっきり蹴って駆け出した。
「奇襲、奇襲、ただちに攻撃せよ」
「「「了解」」」
三百人近い軍勢に対して、単騎で乗り込んでくるアイシィに一瞬だけ面食らった相手たちだが、すぐに攻撃に移る。
「「「『火弾』」」」
敵軍から大量の火の弾がアイシィに向かって撃ちだされる。その数は大体百発ほどであろうか、一人の魔法師が相手をするには多すぎる数だ。
しかしアイシィは百発の『火弾』前にしても怖気づいたり、焦ったりはしない。その表情はいつも通りの無表情。
「いける」
「なに!?」
ダクリアの軍勢たちは次の瞬間、己の目に入った光景を疑った。なぜなら一人の少女が百発近い『火弾』」を次々と手に握る双剣で斬り落としていったから。それも寸分の狂いもなく。
「怯むな! 撃てぇ!」
リーダー格の男に言われて、敵軍から再びあまたの魔法が放たれるが、アイシィは落ち着いてその魔法を斬り、沈静化させていく。
次々と魔法を斬っていくアイシィの姿は彼女の師匠であるセイヤそっくりだった。
「くそ、まだだ。撃てぇ!」
リーダー格の男が再び声を張り上げて指示を出すが、敵陣から魔法が放たれる気配がない。敵軍の魔法師たちも悟ったのだ。このまま魔法を撃ったところでアイシィには聞かないことを。
一方、アイシィが敵の攻撃を防いでくれた間に、カイルドたちも行動に移っていた。
「いける?」
「ああ、まかせろ」
自信ありげに答えたカイルドは詠唱を始める。
「我、炎神の加護を受けるもの、炎神の使徒、重力の加護、剛力の技、炎の儀式、蒼穹より舞い降りし悪人の魂、今こそその心を改めたまえ。『阿修羅』」
カイルドの長い詠唱と共に展開された大きな赤い魔法陣。そして次の瞬間、その大きな魔法陣から一人の人間が姿を現す。
人間と言っても普通の人間ではない。腕は六本、顔は三面、しかし体は一つ、これこそ火属性最上級魔法の一つであり、カイルドが使える最強の魔法、『阿修羅』だ。
カイルドは魔法陣から出現した『阿修羅』に対して指示を出す。
「阿修羅、俺の魔力を全部使ってあれを焼いてくれ」
カイルドが指示を出すと、阿修羅の六本の腕がすべて上を向き、手の上に魔力の球を作り始める。赤く輝く六つの魔力の球、その光が高密度に濃縮された魔力だという事は一目でわかった。
「大丈夫?」
「ああ、問題ない」
全魔力を『阿修羅』に注ぎ込んでいるカイルドのことを心配するジンだが、カイルドは問題ないと答えた。けれども、その額には大量の脂汗があり、かなり苦しそうだ。
内心ではかなり苦しいと思っていたカイルドだが、最後の力を振り絞って『阿修羅』の指示を出す。
アイシィの作戦は失敗が許されない。失敗をしたらそれは自分たちの人生が終わりを迎えるという事だ。
絶対に成功させる。カイルドはその思いで魔法名を叫んだ。
「いくぞ。『六情滅殺』!」
カイルドが魔法名を叫ぶと、『阿修羅』の手の上で作り出されていた六つの高密度エネルギーの魔力の球が一斉に撃ちだされる。
「防御だ! 防御!」
ダクリアの軍勢を率いるリーダー格の男の慌てた声が響く。
『阿修羅』から撃ちだされた高密度エネルギーの魔力を見て、ダクリアの軍勢はすぐに防御態勢に入った。中には闇属性魔法の行使準備をしている者たちまでいる。
それほどまでに『阿修羅』が作り出した魔力の球の存在感はすごかった。突如現れた圧倒的存在感を放つ『阿修羅』を前に、ダクリアの軍勢は攻撃することを止めてしまう。
今なら攻撃のチャンス。アイシィはそう思ったが、攻撃を仕掛けることは無い。あくまでアイシィの仕事は囮をやりつつ、防御に専念することだ。
今はまだ、攻撃を仕掛ける時ではない。
それに対し、ダクリアの軍勢は完全にアイシィのことを忘れていた。というより、カイルドの行使した魔法しか見ることができなかった。
「来るぞ!」
ダクリアの軍勢が『阿修羅』の動きを一瞬たりとも見逃さないという思いで、防御魔法を行使する。それもかなり強固に。
絶対に防いで見せる。ダクリアの軍勢の中にいる防御隊は、絶対に止めるという思いでいた。だからこそ、次のあっけない光景に言葉を失う。
「「「なに!?」」」
ダクリアの軍勢の全員が衝撃の光景に言葉を失った。
目の前で起きた何とも信じられない光景、それはこの状況をスクリーンで見ていた観客たちを絶望させるのも容易かった。
「失敗したのか?」
ダクリアの軍勢を仕切るリーダー格の男が呟く。
なぜなら目の前で起きていることが、失敗したようにしか見えなかったから。
現在、カイルドの呼び出した『阿修羅』は高密度エネルギーの魔力を六発、撃ち続けている。しかし撃った先にあるものはダクリアの軍勢ではなく、ただの海。爆発的な攻撃力を誇る『六情滅殺』は海に向かって撃たれていたのだ。
ものすごい音を立てて蒸発していく海水。もし『六情滅殺』が自分たちに向かってきたらどうなっていたことか。背筋を凍るような感覚に襲われたダクリアの軍勢だが、結果は失敗。失敗しては何の意味もない。
何ともあっけない幕切れにダクリアの軍勢は笑い始めた。
「はっ、驚かせやがって」
「警戒して損したじゃねーか」
「なんだよあれ」
「やっぱりまだ餓鬼だな」
次々と魔法を失敗したカイルドのことを嘲笑し始めるダクリアの軍勢。
それに対し、観客席では絶望の声が響き渡っていた。
「終わった……」
「もうあいつらに魔力は残っていない」
「あいつらはもう……」
スクリーンに映る四人を見る限り、まだ諦めてはいないようだが、状況は絶望的だ。
リリィとカイルドは既に魔力切れ、ジンの『不可視弾』は相手の防御魔法を破ることはできない。アイシィは相手の攻撃をどうにかして双剣で防いでいるようだが、三百人の相手をするにはきつすぎる。
そんな絶望の中、アイシィたちは諦めてはいない。
「ジンさん、お願いします」
「わかった。風の巫女、ここに。『乱気流』」
ジンがカイルドのミスを取り返すかのように続けざまで魔法を行使するが、ジンの攻撃に対して、ダクリアの軍勢がとった行動は無視だ。
なぜなら、ジンの行使した『乱気流』には殺傷能力がないから。風属性初級魔法『乱気流』は相手の目くらましや、バランスを崩す際に使われる魔法であり、今の状態での行使は無意味だ。
湿った風がダクリアの軍勢に吹き付けるが、ダクリアの軍勢は「それがどうした?」と言いたげな表情でジンのことを見る。
「どうやらパニックになったらしいな」
「まあ、まだ子供だからな」
「これは楽勝だ」
ジンがパニックになって、殺傷能力のない『乱気流』を行使したと考えたダクリアの軍勢。
魔力切れが二人に、冷静さを失った魔法師が一人、この時点でダクリアの軍勢は残ったアイシィだけを敵と認識していた。
「野郎ども、敵は一人だ! 一気にケリをつけるぞ!」
リーダー格の男が声を張り上げて仲間を鼓舞していく。そして仲間たちもその声に呼応していくかのように声を荒げていく。
「「「ウォォォォォォォォォォォォォォ」」」
ダクリアの軍勢が一気に地面を蹴って、アイシィに襲い掛かり始める。
アイシィには魔法が効かないとわかっているダクリアの軍勢は武器を手に取りアイシィに向かって駆け出す。
距離は約二百メートル、三十秒もせずにアイシィはダクリアの軍勢に襲われる。
観客席の誰もがそう思った。
しかしアイシィは余裕な表情を浮かべて事前に詠唱に入っていた魔法を行使する。
「轟け。『雪原の停刻』」
次の瞬間、世界の流れが止まった。観客席の誰もがそのように錯覚した。
それはアイシィのこの魔法を見るのが初めてであるジンとカイルド同じだ。
先ほどまで猛烈な勢いで走っていたダクリアの軍勢は皆、まるで時が止まったかのように動かない。
『雪原の停刻』————空気中に小さな雪を作り、対象の動きを完全に停止する魔法。これこそアイシィが狙っていた作戦だ。
「終わったのか?」
「はい」
カイルドは目の前で止まっているダクリアの軍勢を信じられないといった眼差しで見ているが、彼らはもう生きてはいない。『雪原の停刻』によって生命活動を停止させた死体だ。
本当ならカイルドの『六情滅殺』で終わらせてもよかったのだが、相手には闇属性の消滅という脅威があった。
そこでアイシィは、カイルドの魔法が失敗したかのように見せて、相手側を油断させてから仕留めたのだ。やりすぎでは、と思う人もいるかもしれないが、戦いでは何が起きるかわからない。準備は万全なほうがいい。
「おつかれ」
「ありがとうございます」
一気に三百人近い軍勢を仕留めたアイシィのことを労うジン。それに対するアイシィのお礼は、ジンが自分を信じてくれたことへの感謝だった。
自分のことを信じて海の水を蒸発させたカイルド、そして生まれた水蒸気を敵陣まで運んでくれたジン、今回の作戦は二人の協力がなければ到底完成しなかった作戦だ。
形こそ違うが、今回の作戦はアイシィがアルセニア魔法学園の代表決定戦でセレナたちと見せたオペレーションデルタにそっくりである。
「終わった」
アイシィはやっと終わったと思う。普通に考えれば勝率ゼロパーセントの戦いを、何とか知恵を振り絞って勝利した。この経験はアイシィの自信になるはずだ。
これで海エリアと森エリアの境界線付近での戦闘は終わりを迎える、はずだった。
しかしダクリアとの戦いはまだ終わらない。
「まさか三百人が一気にやられるとは驚きだよ」
「「「!?」」」
突然ダクリアの軍勢の方から声がして、三人はすぐに声のした方を見る。
もう生き残っている人間はいないはずだというのに、なぜ声がしたのか。答えはすぐにわかった。
「そんな……」
アイシィが驚愕の声を上げる。
時間を止められた軍勢の中から姿を現したのは無傷の男。年は二十代前半の背丈が高い男だ。
宙に浮遊している男の服には一切の汚れもなければ、その表情は余裕。本当に『雪原の停刻』を受けたのかと思いたくなるレベルだった。
「いい攻撃だったよ。でも、まだ甘いかな」
男はアイシィたちのことを見下しながら、緑色の魔法陣を展開する。
「くっ……」
アイシィはすぐに氷の剣作ろうとしたが、三百人を相手にして予想以上に『雪原の停刻』に魔力を持っていかれたため、上手く魔法を使ことができない。
「くそ」
「なぜ」
それは魔力切れのカイルドも同じであり、ジンもなぜか風を操ることができなかった。
「そういえば君は風属性だったね。残念だけどここにある風は全部僕のものだから、君はもう風を使えないよ」
男の口から発せられた衝撃の事実。
「君たちはよく頑張った。でもここで終わりだ」
男は冷酷な瞳でアイシィたちを見下すと、アイシィたち向けて魔法を放つ。
「じゃあね」
男の展開する魔法陣から強烈な風が吹き荒れて、丸腰のアイシィたちに襲い掛かる。
(負けた)
アイシィが心の中でそう思った瞬間だった。
「せっかくのいい雰囲気が台無しじゃない」
色っぽい声と共に、三人に襲い掛かろうとしていた風が消える。
そして妖艶な雰囲気を纏った青い髪の女性が姿を現した。
いつも読んでいただきありがとうございます。
次は月曜日の21時の予定です。




