第141話 風の力
魔法師たちの顔を見たモーナは、彼らが人間なのか、わからなかった。
顔の右半分は鉄に覆われており、口には機械のようなものがマスクのように取り付けられている。頭にはいろいろなパイプが体から接続されており、唯一人間的と言えるのはその左目付近だけであろう。
といっても、その左目は虚ろで光が宿っていない。
「シュー」
「フシュー」
フードを脱いだカマエリーナ魔法学園の生徒は、髪の長さから少年と少女だとわかったが、モーナは何といえばいいのかわからなかった。
「あなたたちは生きているの……?」
意識はあるのか、それよりも生きているのかと聞きたくなったモーナ。しかし彼らは言葉を発することはできず、口からなる音は呼吸音だけ。
魔力を使っていたというところから、まだ人間であることは間違いないだろうが、彼らはもう人間というよりも改造人間だ。
「シュー」
「フシュー」
モーナの攻撃が止んだ瞬間、少年と少女がゼロ加速でモーナ迫り来る。
「きゃああああ」
少年少女たちの攻撃を防ごうとしたモーナだったが、防ぐことができずに、蹴り飛ばされてしまう。とっさに着地して体勢を立て直そうとしたモーナ、しかしその前に少年によって空中で攻撃されてさらに飛ばされる。
「テンペスト」
モーナがナイフを飛ばし、間合いを取ろうとしたが、その前に少女がゼロ加速でモーナに迫り、回し蹴りでモーナの腹を思いっきり蹴る。
「うっ……」
肉体的ダメージは無いが、精神ダメージがモーナのことを襲い、『風道』が乱れた。
その隙を逃さんとばかりに、少年と少女がモーナにゼロ加速で再び迫る。ナイフでは遅い、モーナは飛ばされながらすぐに悟った。そしてこのままでは負けると。
「テンペスト」
次の瞬間、モーナが空を飛んだ。否、空中を滑った。
モーナは空中を滑ったことにより、少年と少女の距離を一気に離す。いくら少年と少女がゼロ加速だからといっても、その最高速度を超えてしまえば、追いつかれることは無い。
それに彼らの速さは雷神の最高速度に比べたら遅い。
「まず、これでひと段落です」
空中をまるで滑るかのように移動するモーナに対して、少年と少女が人間離れした跳躍で攻撃を仕掛けるが、モーナは悠々とその攻撃を避ける。
モーナが使った魔法は『風道』だ。ただ対象の質量や体積の変数をナイフから自分の数値に変えて、モーナ自身を風の道を通るようにしたのだ。
それによりモーナはまるで空を飛んでいるかのように、空中を滑走していた。
しかしその反動で、モーナは空中を滑走している限り、ナイフを操ることができない。もし空中を滑走しながらナイフを操りたいのであれば、モーナと同質量同体積のナイフを準備するか、モーナ自身がナイフと同質量同体積になるしかない。
しかしそのようなことは不可能なため、実質モーナはナイフを操れないという事だ。
「さて、ここからどうしましょうか」
モーナが考えていることは攻撃手段がないという事もであるが、それ以上にどうやって相手をリタイヤさせるかである。
はっきり言ってしまえば、モーナの目の前にいる少年と少女たちは人間ではない。形や顔こそ人間の面影を残しているが、動きや身体能力は人間のそれをはるかに越す超人クラス、下手をしたら特級魔法師よりも上かもしれない。
そしてそれは痛覚もである。
レイリア魔法大会では、人は絶対に死なない。それは肉体へのダメージを精神ダメージに変換する特殊な結界が張ってあり、その精神ダメージが許容範囲を越えればリタイヤとなるから。
ちなみに許容範囲は、その人が一瞬で意識を失うほどのダメージを受けたら、である。
それは逆に言ってしまえば、精神ダメージが許容範囲を越えない限り、たとえどんな攻撃を受けてもリタイヤすることは無いという事である。
そしてモーナの目の前にいる少年と少女は肘を逆方向に曲げても、何のリアクションを示さない存在だ。
おそらく痛覚やダメージを受ける精神がそもそもないと考えていい。正確に言えば、すでに精神を殺されているのであろう。
それはまさしく人体実験の結果によって生み出された存在だ。モーナは一人の人間としては人体実験を許すことはできないが、一人の魔法師としては捕まって人体実験の材料にされたのは彼らの自己責任と思うしかない。
残酷なことだがそれが魔法師としての責任である。
それに今はレイリア魔法大会だ。彼らが例えどのような経緯で人体実験の材料されたのか、また犯人は誰なのか、それを考えるのはモーナの仕事ではない。教会の仕事だ。
モーナの仕事はただ一つ、アルセニア魔法学園を優勝に導くために最善を尽くすだけ。
「痛みを感じない以上、あれを使うしかないですね」
モーナはそう言って、右手に握る大きな杖に魔力を流し込み始める。すると大きな杖についている七個の魔晶石の内、三つが光り始める。
「終わりにしましょうか。『エス・テンペスト』」
モーナは大きな杖を少年と少女に向けると、静かにテンペスター家の固有魔法の名を呟いた。
モーナが魔法を行使したが、何も変化が訪れない。少年は魔法を警戒して動かなかったが、何も起きないと理解した瞬間、モーナに向かって跳躍しようとした。
しかし右腕をほんの少し動かしたその瞬間、少年の左腕が何かによって切り裂かれる。
それは少女の方も同じで、一歩踏み出した瞬間、少女の右足が何かによって切り裂かれる。
しかし精神が死んでいる二人はそんなことを気にせずに、跳躍してモーナに斬りかかった。跳躍していざモーナに斬りかかろうとした二人だったが、次の瞬間、無数の何かが二人のことを斬りつける。
バサバサバサという音を立てて切り裂かれる二人は、何が起きたのか理解できなかった。
「その風は動けば動くほど、あなたたちのことを襲います。なので動かないことをお勧めしますよ」
モーナはそう言ったが、すでに二人のことを視界には捉えていない。
テンペスター家に伝わる固有魔法『エス・テンペスト』はレイリア王国でも有名な魔法である。その魔法の使用用途は主に拷問だ。
『エス・テンペスト』は対象を中心に周囲に、半径二メートルの空気の球体を作り出す。そしてその空気の球体の内と外は完全に隔離されており、対象は動けば動くほどそれに応じた攻撃を受ける。
なぜなら対象が動けば、その分、風が生じるから。
対象が球体内で動いた際に生じた風は、球体内を暴れまわり、かまいたちとなって対象を襲う。つまり対象が動けば動くほど、かまいたちとなって対象を襲うのだ。
この魔法を普通の人間に行使した際、それは永遠に終わることのない苦痛に変わる。
少し呼吸しただけで空気が動き、風が生じてかまいたちとなり対象を襲う。そしてそのかまいたちを受けた人間は苦痛に顔をしかめて動いてしまう。動いてしまったら再び風が生じてかまいたちとなって苦痛に襲われる。
その痛みはどんどん増していく、まさに地獄。
結局、一度この魔法を使ってしまえば、術者が解除しない限り終わることは無い。終わりがあるとすれば、呼吸をしなくなって動かなくなる死のみである。
モーナはこの魔法をあまり好まない。なぜならこの魔法はまるで人間を弄ぶかのような魔法で、使う方としてもあまり心地のいいものではないから。しかし魔晶石の空きが三つあった時に思い付いた魔法はこれだった。
今はその時の自分に感謝している。おそらくこの魔法がなければ自分は今も目の前で風の地獄にとらわれている少年と少女に勝つことはできなかったから
「さて、これからどうしましょうか」
モーナは空中を滑走しながら、どこかへと消えていく。
そして残ったのは、一歩歩くたびに猛烈なかまいたちに襲われる少年と少女たちだけだった。
場所は地図上では南西にある強風エリアとは真逆、地図上で北に位置する海エリアと東に位置する岩山エリアの間にあり、北東に位置する密林エリア。
多種多様な木々が高々と存在し、森エリアよりも湿度が高い。そんな密林エリアの中を、金髪碧眼の少年が歩いていた。
少年の手には二本の剣が握られており、デザインが同じことから双剣だということがわかる。
そんな金髪碧眼の少年、セイヤは特に周りを気にした様子もなく歩いていた。なぜなら、密林エリアで戦おうと思う者など、そうそういないから。
密林エリアはその多種多様な木々から隠れるのには向いているが、戦闘するには足場が悪すぎる。それに高い湿度は魔法師たちの体力をみるみる奪っていくため、このエリアにいる者たちは隠れ凌ぐことを目的にしていた。
例え敵と遭遇しても、お互い戦意がなければ戦わずに去ることだってあり得る、観客たちからしたらつまらないエリアなのだ。
そんなエリアに転送されたセイヤは、密林エリアに留まる事を決めていた。なぜなら不用意な戦闘をして、力を見せるよりも、少しでも体力を温存しておいた方がいいから。
しかし密林エリアにいる誰もがそう思っているとは限らない。中には木々の隙間から不意打ちを狙っているものだっている。
別にルールを破っていないため反則ではないし、むしろそっちの方が本来のレイリア魔法大会の在り方だ。
そしてそんな選手たちが、セイヤの目の前にも現れた。
「久しぶりだなぁ」
「よぉ、アンノーン」
「元気にしていたか~?」
突然セイヤの前に姿を現した三人に人影。しかし全身に黒いローブを纏っており、フードまで被っているため、顔は見えない。
唯一わかることといえば、ローブについているエンブレムがカマエリーナ魔法学園のものだという事だけであろう。
しかしセイヤは瞬間的に理解する。目の前にいる少年たちが何者かを。
「お前らは……」
セイヤはいつの間にか自分のことを囲むように立っていた三人少年たちを睨む。その目には驚きと同時に、警戒の色が含まれていた。




