第97話 暗黒騎士(下)
「ユアちゃん……このまま私ごと……撃って」
リリィは自分に刺さる倶利伽羅剣をつかみながら、ユアに『ホーリー・ロー』を撃てと要求した。
しかし当然ながらユアにそのようなことができるはずもなく、泣きながら首を横に振る。
「大丈夫……私は妖精だから死なないわ……だから……はやく」
たとえリリィが妖精であって死なないとしても、ユアにはユリアルの結弦から手を離すことはできなかった。
ユアに仲間ごと敵に攻撃するなどできるわけもない。ましてや至近距離なら尚更だ。
リリィにとっては体を張って生まれたチャンスだ。
このチャンスを逃しては、暗黒騎士のことを倒すのは難しくなる。それに、どんな強力な攻撃だろうとも、契約者であるセイヤが生きて魔力を操れる限り、妖精のリリィは死ぬことはない。
どんなに深い傷を負ったとしても、セイヤに魔力を送ってもらえれば、再生することができるから。
「できない……」
「やるのよ」
「やだ……」
「やりなさい……」
絶対に撃たないと拒否するユアと、自分ごと撃てというリリィ。そんな二人を暗黒騎士はどうするのかと興味津々で見ていた。
暗黒騎士は知っている。ユアの『ホーリー・ロー』では、妖精であるリリィを消滅させることはできず、自分にも傷を負わすことはできないと。
つまりユアの『ホーリー・ロー』は、撃つだけ無駄なことだということだ。だからこそ、二人のことをただ静観していた。
「絶対撃たない……」
「ユアちゃん!」
ユアはユリアルを構えるのをやめ、下におろす。たとえなんと言われようとも、ユアは絶対にリリィごと暗黒騎士を撃つ気などなかった。
「やっぱりね。甘すぎるわ」
暗黒騎士はリリィに刺さった倶利伽羅剣を抜きながらそう言った。倶利伽羅剣を腹部から抜かれたリリィは、その場に倒れこむが、かすかに意識をつなぎ留めている。
ユアはすぐにリリィに駆け寄り、聖属性魔法を行使して傷口をふさぐ。倶利伽羅剣で失った血液や細胞を発生させればどんな外傷だろうと、ユアには簡単に治せてしまう。
リリィの傷口は思ったより浅く、すぐにふさがった。しかしなぜか、リリィの魔力はユアの聖属性魔法を持ってしても回復しなかった。
「どうして……」
「ユア……ちゃん……戦って……」
リリィは傷口を塞いでもらったユアに対し、そういった。
自分の魔力が回復していないことが分かったリリィは、ユアに無駄な魔力回復をさせて魔力を消費するよりも、目の前にいる強敵に集中してもらいたかったから。
この戦いで、属性的な問題だが、リリィは全く役になっていない。そのことを自分が一番理解しているリリィは、これ以上ユアの足手まといにはなりたくなかった。
リリィの考えていることを理解したユアが、静かにユリエルを手に取り立ち上がる。
「すぐに終わらせる……」
ユアはリリィのそう言い残して、暗黒騎士と向かい合う。
「聖属性を使う相手は初めてね」
暗黒騎士は余裕そうな態度をとっているが、しっかりとその目でユアの動きを一つ一つ見て、警戒している。
「『単光』」
ユアは自分の足に光属性の魔力を流し込み、脚力を一瞬で数十倍に上昇させ、暗黒騎士に向かって踏み出した。
『雷神』を使う暗黒騎士の前では、光属性の魔力を分散させる『局光』よりも、一点集中型である『単光』を使い、速さを出さないと追いつけない。
高速で迫ってくるユアに対して、暗黒騎士は倶利伽羅剣で防御し、自身も『雷神』を強める。そこから二人の高速の戦いが始まった。
ユアがユリエルで暗黒騎士の首にある鎧の隙間を狙うと、暗黒騎士は倶利伽羅剣の柄を利用してユリエルのことをはじく。
ユリエルを弾かれたことにより、無防備になったユアのことを暗黒騎士は、倶利伽羅剣をスライドさせるようにしながらユアに斬りかかる。しかしユアの左手に生成された小さな短剣が、その攻撃を防いだ。
二人の攻防は徐々にその速さを増していき始める。
二人の攻防を見ていたリリィは、すでに二人の姿をとらえることはできない。
いつの間にかリリィの姿は妖艶な大人の女性から小さな幼女へと変わっているが、ユアたちはそのことに気づかない
「少し遅くなってきたわね」
「まだいける……」
高速の攻防の中で、ユアのことを挑発する暗黒騎士の声からはまだ十分に余裕が感じられた。
ユアは自分の限界ギリギリまで『単光』を強め、自身の速度をみるみる上昇させていく。しかし暗黒騎士はユアの速度にしっかりと着いてきた。
先ほどよりも、さらに速い攻防が始まる。ユアはそう思っていたが、すぐにユアの体に異変が生じ始めた。
ズキンズキンと、強烈な頭痛がユアのことを襲い、鼻からも血が出始めたのだ。ユアの速度がどんどん落ちいき、ついには座り込んでしまう。
「はぁはぁ……」
苦しむユアの姿を見た暗黒騎士が、『雷神』を弱めながら倶利伽羅剣をユアに向かって突き立てて言う。
「無理のし過ぎね。速度だけ上げても、脳や体はその速さに耐えることはできない」
ユアは暗黒騎士の言っていること理解していたうえで、『単光』を使っていたのだが、一瞬でも気を抜いた瞬間に死ぬ、というプレッシャーがユアのことを焦らせてしまい、身体の限界超えてしまった。
一瞬の判断ミスで焦ってしまったことを後悔するユア。だが、すでに遅い。
暗黒騎士の倶利伽羅剣がユアの顔の前に突き出されている。
「終わりね。でもまあ、あなたたちとの闘いは楽しかったし、いい暇つぶしにもなったわ」
「くっ……」
自分たちとの戦闘を暇つぶしと言われ、悔しいと思うユアだったが、もうどうしようもない。
自分がどんなに速くなったところで、暗黒騎士に追いつかれてしまう。
自分がどんな魔法を使おうとも、暗黒騎士は強力な魔法で防ぐだろう。
自分がどんな不意打ちをしても、暗黒騎士にスキはうまれないだろう。
それに暗黒騎士は倶利伽羅剣の能力も使わっていない。
このままでは自分は死ぬと、ユアは悟った。
どうせ死ぬなら、最後にあの技を試してみるのもいいのではないか、と考えるユア。完全に成功したことなどなければ、自分がどうなるかもわからない。
もしかしたら魔法を発動した瞬間に、脳が耐え切れず、焼き切れるかもしれない。もしかしたら肉体が耐え切れず、至る所から出血するかもしれない。
そんな危険なリスクを伴ったとしても、ユアは魔法を発動することを決めた。
「まだやる気? 馬鹿なの?」
ほとんど勝負が決まったというのに、魔力の錬成を始めるユアを見た暗黒騎士が呆れながら言う。
ユアはなんと言われようとも、魔力の錬成をやめる気はない。錬成するのは聖属性ではなく、光属性の魔力。想像するのは自分の最愛の人であるセイヤの姿。
ユアはセイヤがその技を使う姿を、誰よりも近くで見てきた。
光属性の魔力の錬成を終えたユアは静かに魔法名をつぶやく。
「お願いセイヤ。『纏光』」
セイヤのことを考え、魔法を発動したユア。ユアの体全体を、光属性の魔力が包み込む。
光属性の魔力に包まれていくユアの体には、それまで戦闘で受けた傷などがあったが、そのすべてが再生していき、消えていく。
「ここからが本番……」
次の瞬間、暗黒騎士の視界からユアの姿が消える。
(油断した……)
ユアが視界から消え、自分の慢心を攻める暗黒騎士は、再び『雷神』を強めようとした。しかしその前に、わき腹に強い衝撃を受けてしまう。
「ぐっは……」
鎧越しにも関わらず、ユアの蹴りの衝撃はかなり大きく、暗黒騎士は苦悶の表情を浮かべる。
(速い……)
ユアの攻撃を受けた暗黒騎士は、そう思ったが、すぐに次の攻撃が暗黒騎士のことを襲い、考えることを許さない。
次々と襲ってくる衝撃により、暗黒騎士の魔力が安定せず、『雷神』を強められない。一瞬の油断が生んだこの状況に、暗黒騎士は小さく舌打ちをする。
「うっ……」
次々と攻撃を受ける暗黒騎士は、魔力を操れないのなら魔力を操ることやめればいいと思い、魔力を思いっきり体外へ放出した。
暗黒騎士を中心に広がる無秩序な雷属性の魔力は、高速で移動するユアの攻撃を躊躇わせる。
(もらった)
「しまった……」
一瞬だが生まれた時間に、暗黒騎士は『雷神』を強めることに成功した。
これにより、二人は再び高速の世界へと入るが、その世界は先ほどよりも断然速い。ものすごい速さでぶつかり合うユリエルと、倶利伽羅剣は大きな衝撃を生み、倒れこんでいたリリィがその衝撃を直で受けてしまう。
「きゃあああああああ」
衝撃に飛ばされたリリィはそのまま気を失ってしまうが、ユアにリリィのことを考えられる余裕はなかった。
現在のユアの速度は、『纏光』を最大限に使ったセイヤの最高速とそん色ない。いわば、神速の世界に入っている。
だが、ユアは自分が神速の世界に入っていることを、認識することができていなかった。
あのセイヤでさえ、神速の世界に入った際には視界から色を消して、視界をモノクロにしている。しかし今のユアは視界をモノクロにできていない。
モノクロにできていない視界での神速であれば、当然ながら脳にかかる負担も増す。現に今のユアには思考などなく、ただ本能的に戦っているだけだった。
この状態はいわば暴走に近い。
「危ないわね……」
神速の世界の中で視界をモノクロにしている暗黒騎士には、しっかりと思考があったため、ユアの状態がどれほど危険なのかを理解していた。
もしユアがこのままの状態で暴走を続けてしまえば、どうなるかわからない。
ユアの暴走を止めるには、強制的に『纏光』を解かなくてはならない。だが、いまの『雷神』では、ユアの『纏光』と同等の速さこそ出せるが、上回ることは不可能。
だから暗黒騎士は新たに魔法を行使する。
「我が雷の魂よ収束せよ、雷の巫女の剣よ捧げよ、『雷極神』」
次の瞬間、暗黒騎士の周りに、無秩序で纏われていた雷が集まりだし、緑に光る雷でできた鎧が、暗黒騎士の全身をつつみこむ。
また、雷の鎧を纏った暗黒騎士の持つ倶利伽羅剣にも変化が訪れる。突如、現れた雷竜が倶利伽羅剣に吸い込まれていき、倶利伽羅剣が光出し始めた。
そして倶利伽羅剣の刀身に、白い文字が浮き上がり、緑色に光りだす。
これこそ暗黒騎士の最終形態だった。この状態になってしまえば、神速で移動するユアなど、赤子のように扱うことだってできる。
思考のないユアは、暗黒騎士から放たれる異様なプレッシャーを脅威がわかっていない。そのため、何も考えず暗黒騎士に向かって直進する。
「終わりよ」
本能的に神速で迫りくるユアの体を、暗黒騎士は倶利伽羅剣を使って全力で叩き落とした。
ドバン!
次の瞬間、大きな音とともに、地面がひび割れるようにへこむ。そしてその中心には、体を強打して動けなくなったユアが姿があった。
打ちつけられた衝撃により、ユアの肋骨などは骨折をしていたが、おかげで『纏光』は強制的に解かれた。
「ううっ……」
体を襲う痛みに耐えながら、暗黒騎士のことを見上げるユア。その顔からは思考を取り戻していることがわかる。
ユアは損傷の激しい部位を中心に、聖属性の魔法で治療をしているが、『纏光』の影響で脳にもダメージが及び、うまく魔力を操れない。
「どうやら戻ってきたみたいね」
そう言いつつも、倶利伽羅剣を倒れているユアに向ける暗黒騎士。ユアは今度こそ終わりだと悟った。
「どうやらわかっているみたいね?」
「最後に教えて……なんであの技を……」
ユアは最後に、なぜ暗黒騎士が『雷神』を使えるのか、と聞いたが、暗黒騎士はその問いには答えない。
「じゃあね。かわいいお嬢さん」
ユアに向かって倶利伽羅剣を振りかぶり、とどめを刺そうとする暗黒騎士。ユアは心の中でセイヤに謝った。
(ごめん……セイヤ……)
倶利伽羅剣が振り下ろされると同時に、ユアの意識はそこで途切れた。
「なんとか終わったわね」
ユアの意識が落ちたことを確認すると、暗黒騎士は静かにそう言った。視線の先で倒れているユアには斬られたような傷などは見当たらない。
他にも倒れているリリィとモーナも、負った傷は致命傷ではなく、ただ意識を失っているだけで、命に別条はない。
実は最初から、暗黒騎士には三人を殺す気などなかった。足止めをして、適当に時間が経ったら、意識を飛ばして戦闘を終えるつもりだったのだ。
暗黒騎士は『雷極神』を解き、広間から出ていく。その直前、暗黒騎士は一度だけ後ろを振り向き、一言、
「もっと強くなりなさい、氷の兵隊さん」
そう言い残して、暗黒騎士と呼ばれる女性は静かに姿を消した。
いつも読んでいただきありがとうございます。これにてユアたちの戦いは終わりになり、次からはセイヤVSマモンに入ります。
さて、暗黒騎士さんの話は終わりましたが、彼女はいったい何者なのか? そして放置されているアイシィたちはどうなったのか? お楽しみに!
ということでよかったら次もよろしくお願いします。




