Ⅰ.刀剣の甲虫Ⅵ
翌日ハヤトは街へと繰り出した。
隣には年相応に着飾ったリーナが歩いている。
「突然で悪かったな」
「ランチ一回分で手を打ちます」
折角貰った休暇をひとりで空費するのも良くないと思ったハヤトは今朝、食堂で一緒になったリーナにダメ元で声をかけたのだが、
「大丈夫です。それでは一時間後に正門前で」
そう言ってトレイを持って立ち上がり、足早に食堂を後にした。
食堂でも思ったことなのだが、今日のリーナは機嫌がいい様だ。急な誘いだったにもかかわらず快く付き合ってくれたし、心なしか声が弾んでいる様にも思える。
「それにしても珍しいですよね?ハヤトから誘ってくるなんて」
「突然の休暇だったし、他に誘うやつも思い浮かばなかったしな」
空は雲ひとつない快晴だ。こんな日に野郎と出かけるのもどうかと思う。
「それに昨日の埋め合わせも兼ねて」
「そ、そうですか……」
前髪をくるくる捻るリーナ。
彼女の服装はオフショルのシフォントップスにショートパンツでカジュアルにまとめられていて、淡い色合いも彼女の明るいブロンドを引き立たせていた。
いつもは軍から支給される無骨な制服に身を包んでいるせいもあるのか、妙に意識してしまう。
「どうかしましたか?」
つい見つめてしまっていたらしい。少し気恥ずかしい。
「いや…そういやお前、身長伸びたか?」
「え…あぁ、今日はウェッジソールですからね」
リーナの足元に目をやる。
靴底とヒールが一体になっていて楔のように三角形をしている。こちらもカジュアルな足元を演出していてよく似合っている。
「どおりで目線が高いと…」
リーナの頭の上で手のひらを行ったり来たりさせる。
いつもならハヤトの肩より下くらいなのだが、今はもう少しある。
「人前でそういうことするのやめて下さい」
恥ずかしいとハヤトの手を叩く。
「ところで、買い物って何買うんだ」
「えっと、シャンプーとか日用品とか…いろいろです」
「そんなもん基地の購買とかでも買えるじゃないか」
一応基地の中でも日用品などの必需品は取り扱っている。下手に街中で買い揃えるよりは安上がりなのでハヤトやシュウは専ら基地の購買を頼っている。
「別にそれでも構わないんですけれど、品揃えはやっぱり外の方が…」
やっぱり、女性はそういうところも気になるらしい。そういえば、先輩が酒を揃えるなら外に探しに行った方がいいと言っていた気がする。それと似たようなものかとハヤトは勝手に解釈した。
「了解した。どこからだ」
「えっとですね」
携帯端末を取り出し、指で数回操作する。すると街のマップが映し出された。その幾つかに印がついている。それが今日回る予定の店なのだろう。
「これ、全部回るのか?」
「そうですね。こういうのはまとめて見とかないと。商品の入れ替わりとかありますし」
当然のように言い放ったリーナにハヤトは「マジでか」と言いそうになった。
「あ、あのお店ですね。行きましょう」
リーナは上機嫌で店の方に駆けていく。
まぁ、こういうのもありだろう。ハヤトはリーナの後ろについて店の中に入って行った。
「今日は結構収穫ありました」
「ふぁ〜そうだな」
満足気なリーナに対し、ハヤトは少し眠たそうだ。
ハヤトの手にはそれなりに袋が増えている。
一緒に買い物に来てはいるが、ハヤトには何が良くて悪いのかの判断も付かないので下手に口出しせずにリーナの横で傍観していた。時折どちらがいいかなど聞かれたがよくわからないので勘で答えたりしていた。そういえば心なしかハヤトが選んだ方を購入していることが多かった気がする。
「そろそろ休憩がてらに飯でもどうだ?」
腕時計を見ながらリーナに提案する。
「そうですね。どこにしましょうか」
二人は今、大通りの方に戻ってきている。レストランやカフェは幾つか目につくがお昼時でどこも混んでいる。
「少し歩くけど馴染みの店があるんだ。そこでもいいか?」
「そうなんですか。じゃあ、行ってみましょうか」
大通りから離れ、二人は少し狭い路地にある老喫茶を訪れた。
年季の入った木の扉を開くとベルが鳴った。
「いらっしゃい」
出迎えてくれたのは長身の老店主だった。制服はシックに決められていていかにもという感じだ。店内も落ち着いた雰囲気で時間がゆっくりと流れているようだった。
「こんにちは、マスター」
「うん?」
老店主はカップを磨く手を止めハヤトの顔を凝視した。
「もしかして、ハヤト坊ちゃんかい?」
「マスター…坊ちゃんは止してくれよ。今年で二十四だぜ」
握手を交わして二人は再会を喜んだ。
「士官学校に入る前だから…もう何年だ。すっかり頼もしくなって」
「マスターは白髪が増えたな。そろそろ店仕舞いじゃないのか」
「まだやめられないよ。私の珈琲を楽しみにしてくれている常連さんもいるしね」
ここでハヤトは後ろで固まっているリーナの事を思い出した。
「こちら店主のトーマスさん。小さい頃からお世話になってる」
「どうも、店主のトーマス・ナガツカです。お見知り置きを」
軽く会釈をするトーマス。その姿は一瞬執事か何かにも見えた。リーナも合わせて会釈をした。
「リーナ・シュバルツフォードです。ハヤトとは士官学校からの付き合いで懇意にしてもらっています。こちらこそ宜しくお願いします」
トーマスは感心した様子で彼女をしばらく眺めた後に微笑んで、
「よくできた娘じゃないか。ハヤトも隅に置けないな」
なんのことだ。要領得ないという顔をしているとトーマスが続けた。
「彼女なんだろ。大事にしてあげなさい」
「「……!!」」
うん?違うのかい。という風に二人を見やるトーマス。
「ち、違います。まだ、そこまでの関係じゃ…」
顔を真っ赤にしながら必死に弁明するリーナ。
「じゃあ、これからその可能性はあるんだね」
「な、な、な……」
今度こそ耳まで真っ赤にして湯気まで出しそうだ。
「マスター。俺らはそんなんじゃねぇって」
付き合いは長いがそんな事実は一切ない。
「でも、満更でもなさそうじゃないか」
リーナはびくりと肩を上げる。そして、大きく目を見開いたかと思うと俯いてしまった。
「マスター!」
そろそろ冗談にしてもタチが悪い。ハヤトは声を荒げた。
「すまないね、お嬢さん。冗談が過ぎたようだ」
笑顔を浮かべながらトーマスが謝辞を述べる。こういうところは昔から変わらない。
「いえ、こちらこそ取り乱してしまって」
リーナの顔はまだ赤いが、どうにか会話ができるまでにはなったようだ。
「そんじゃ、マスターいつもの奴出してやってくれよ。とっておきのやつ」
「あぁ、お安い御用だ。腕によりをかけよう」
二人はテーブル席に案内され、やっと一息つけた。
「すまないな。久しぶりでマスターもちょっと調子に乗り過ぎただけなんだ」
両手を合わせてリーナに謝罪する。
「大丈夫です。それに二人の様子を見てたらわかります」
カウンターでご機嫌に調理をするトーマスを見て、リーナはちょっと羨ましくなった。
「トーマスさんとはどうやって知り合われたんです?」
リーナには一介の少年があの老店主と知り合う図はあまり想像ができなかった。
「親父とマスターが仲良くてさ。マスターは俺が赤ん坊の頃から知ってる」
「お父様が…」
それは付き合いも長いはずだ。
「じゃあ、家族同然ですね」
「そうだな、誕生日なんかも一緒に祝ってくれて」
話しているハヤトの目はとても優しくて、周りの人からたくさん愛されてきたのだろう。
「そういえば、お父様は何をしてるんですか」
「あー、うん…」
急にハヤトの歯切れが悪くなった。瞬間的にリーナはまずいことを聞いてしまったかと後悔した。
沈黙が重い。
踏み込むべきか、踏み込まないべきか。リーナが逡巡していると、
「お待ちどうさま。マスター特製のオムライスだ」
トーマスが二人の前にお皿を差し出した。
お皿の上には鮮やかに染まったチキンライスに見事なオムレツ、その上にはパセリが添えられていた。
「ここからが仕上げなんだ」
そういうとハヤトはオムレツに縦に切れ目を入れ、チキンライスを覆うように左右に広げた。そうするとどうだろう、お皿の上でタンポポのようなオムライスが花開いたではないか。感心しているとトーマスが声をかけてきた。
「さぁ、リーナちゃんもやってごらん」
おそるおそる自分のオムレツにナイフで切れ目を入れていく。開くところで少し手間取ったがリーナのお皿にもちゃんと黄色い花が咲いた。
「ある映画でやっていたものなんだが、ハヤトに作ってくれとせがまれてね。特別メニューなのさ。冷めないうちに召し上がれ」
リーナはタンポポに慎重にスプーンをいれ、一口パクリ。
すると、優しいケチャップライスの風味と、とろとろの卵が混ざり合って……
「幸せな気分になりました」
「ありがとう」
マスターは嬉しそうに微笑んだ。
「うん、やっぱりうまいな…」
ハヤトも感慨深そうだ。
それを見つめるマスターの横顔はどこか寂しそうであった。
「マスターの料理うまかったなぁ」
二人はトーマスの店を後にして帰路に着こうとしていた。
「そうですね」
ハヤトの後ろを歩くリーナ。
—沈黙。
あの後から、ハヤトは少し様子がおかしい。態度が急変したというわけではないのだが、彼の周りを取り巻く空気といえばいいのか雰囲気と呼べばいいのか。
とにかく、何か違うように思えた。
聞いていいものなんだろうか、その先を…
先に口を開いたのはハヤトだった。
「マスターもまた来いって言ってたし、次行くときも付き合ってくれないか」
ハヤトは以前リーナの前を歩いているため、表情はうかがえない。
「はい、それはもちろん…」
少し雲が出てきていた。ひと雨来るかもしれない。
きっと、何かを抱えているのだろう。
自分でどうにかしなければならない何かを。
それはハヤトにしか解決できないものなのだろうけれど、
けれど、何かできることはないのだろうかー。
彼のために、私ができることー。
「ハヤト…」
その瞬間、街中にサイレンが鳴り響いた。