Ⅰ.刀剣の甲虫Ⅴ
「くぁ〜っっ」
ハヤトはモニターから目を離した。だいぶ肩が凝った。
おかげで収穫もあった。実際に試してみなければ分からないが……
ハヤトはモルトに言われたことはまだ理解できてはいなかったが、何か糸口はつかんだような気がしていた。
窓に目を向ける。すっかり外も暗くなってしまった。時刻は午後八時を回っている。
ハヤトはラボの戸締まりを済ませ、研究棟を後にした。
ハヤトが凝った肩を回しながら歩いていると、とあるガレージに目に入った。
研究棟と男子寮の間にはA.G.S機体を始めとする軍の格納庫がある。
そのガレージのひとつから灯りが漏れていた。
こんな時間まで残っているのか。シュウやダンストン班長かと中を覗いてみると、そこには「MG-一号機」が格納されていた。しかも、整備途中のようだった。
トレードマークである固定砲に目がいく。
昼間の光景がフラッシュバックする。顔を顰めずにはいられない。
「こんな時間に誰だ?」
驚き後ろを振り向くと作業着姿のモルトが立っていた。
「君は…」
向こうも驚いたようだ。こんな時間に、しかも、こんな場所で出くわすなんて思いもよらなかっただろう。
「シーベンス少尉!」
とっさに敬礼をするハヤト。
「今は勤務外なんだ。堅苦しいのはよそう。」
「は、はぁ…」
ぎこちなく腕を下げる。本当に自分にあの言葉を放ったのと同じ人なのか。と、ハヤトはモルトの態度に脱力した。
「えっと、あの…少尉…」
「あぁ、モルトと呼んでくれて構わないよ。こちらもハヤト君と呼ばせてもらっても構わないかね?」
「もちろん、構いません。その……モルトさんはどうしてここに…」
「あぁ、コイツの整備にね」
モルトは後ろのMG-一号機を指差した。
その手にはスパナが握られていた。よく見ると、顔も油や何かで黒くなっている。
それよりもハヤトが気になったのは……
「ご自分で整備を?」
「まぁ、そんなところだね」
ハヤトは素直に驚いた。操縦者も最終チェックには立ち会ったりもする。だが、自分の機体の整備まで出来る者を彼は見た事がなかった。
「いやぁ…まぁ、なにぶん古い機体だ。今ではダンストンと私くらいしか、こいつの面倒は見れないからね」
「そうなんですか」
言われてみれば分からなくもないが、ハヤトの驚愕の念が薄まる事はなかった。
「今日はダンストンの手が空いていないからね。私が面倒を見ているというわけさ」
そういえば、トリ・トルの解析に整備班は駆り出されているんだった。
「戦場でトラブルが起きたら自分で対処しなくてはならなかった時もあったから、慣れたもんさ」
「手伝いますよ」
「そうかい?じゃあ、お言葉に甘えようか」
モルトの手付きは自然なもので、機体のことを熟知していることが見て取れた。
「手慣れてますね」
「戦場で不具合が出た時は自分で対処しなくてはならない時もあった。これぐらいはね。そこのドライバー取ってくれるかい」
「あ、はい」
モルトの眼差しは機械に対しているというよりは、人と会話をしている時と同じような感じがした。
「こいつは、MGシリーズのオリジナル機なんだ」
MG-一号機は大戦末期、グリーンバブで初めてコアを積んだ機体だ。確か、試作機として開発したものをそのまま量産し戦場に送り込んだ。と、士官学校で習った。
「実戦でそのままデータを取りながら改良を加えて、やっとこさ、量産まで漕ぎ着けた。A.G.Sなんて正体不明のものどう扱ったらいいかわからなくて、当時一兵卒に過ぎなかった私に白羽の矢が立った。それから今日まで一緒にやってきた。息子みたいなもんだ」
よく見てみると、MG-一号機の部品は古いものから新しいものまで、所々継ぎ接ぎだらけだった。まさにモルトと同じく歴戦の猛者なのだ。
「そういえば、この機体のベースになった昆虫を知っているかい、ハヤト君?」
「すいません。あんまり詳しくなくて」
「ミイデラゴミムシっていう昆虫だよ。ヘッピリムシって言えばわかるかな」
「あのガスを出すやつですか?」
「そうそう、それ。こいつには白兵用の催涙弾なんてものもあったりしたんだよ」
「じゃあ、MGっていうのは…」
「ミイデラゴミムシの略さ。他にもメガ・ガンとか意味はあるらしいけど」
「それはなんというか…」
なんか…嫌だ。
「だろう?だから、モグって呼んでいたら、いつの間にか浸透してしまってね。今ではこの意味を知る者はほとんどいないよ。よしっ」
モルトはエンジン部分を閉め、コックピットへ向かった。間もなくして、MG-一号機は起動し、全身のモーターを駆動させた。
ハヤトにはモグが昼間の時よりも元気な様に思えた。
頭部のコックピットが開いてモルトが顔を出した。
「ありがとう。こいつも嬉しそうだ」
エンジンを切り、ガレージの中はまた静かになった。
「モルトさんはモグを大事にしているんですね」
たしか、現存するMGシリーズの中で未だに完全な状態で残っているのは、ここにあるモルトの愛機だけだ。もしかしたら、他の機体は存在すらしていないのかもしれない。
「もちろんだ。こいつには何度も命を救われてきた。君は違うのかい?」
「え…」
急な質問で言葉が詰まる。
考えてみるが、うまい言葉が出てこない。
いや、ちがう。
彼にはわかっていた。自分がモルトの質問に対しての答えを持ち合わせていないという事を。
そんなハヤトをモルトは静かに見ている。
「少し、いいかな」
ハヤトはモルトに連れられて、あるガレージの前まで来た。
モルトが照明をつけた。
一瞬、光に目が眩んだが、すぐにここがどこだか理解した。
「 六四-甲型」のガレージだ。
多くのパイプが繋がれ、それらが計測器へとつながっている。ガレージの状態を見るからにまだ作業の途中であるようだ。
ガレージに待機している甲型をハヤトは初めて目にした。
「こいつのことをどう思う」
唐突にモルトが投げかける。
もちろん優秀な機体ではあるし、自分の機体だという自覚もある。しかし、モルトとモグの間にあるような時間や思い出などはハヤトと甲型の間にはまだない。とても、モルトに断言できるような言葉をハヤトは持ち合わせていない。
モルトは続けた。
「ハヤト君。六四-甲型は今までにないくらい大勢の人間が関わっている機体だ。人それぞれに思いや託した願いがある。私やアマミヤ君、技術部の面々。ダンストンを始めとする整備班。AP社のスタッフ。そして、君自身。」
ハヤトはラボで見た物を思い出した。
そうだ。アマミヤの研究データに目を通したがどれも丁寧にまとめられていし、ファイルの更新履歴はどれも深夜、遅い頃となっていた。それに今日はAP社に顔まで出していた。シュウ達も飯の時間を返上してまで甲型の面倒を見てくれている。現役を退いたはずのモルトもこうやって時間を割いてくれている。それに…リーナにも心配をかけた。
「甲型は君だけの機体ではない。いずれ、戦場に配備されることになれば多くの兵士…いや、多くのグリーンバブの国民の命を守る剣となるだろう」
モルトは甲型を見つめていた。しばらくして、何事かを改めて決意したのか深く頷いた。
ハヤトは甲型に近づいた。ボディに触れてよく見てみると表面はよく磨かれていて、整備班の人たちの気遣いを感じる。モルトのモグのような戦場での傷跡はないが、その機体には着実に重みを帯び始めていた。
考えたこともなかった。自分のことに精一杯でそんなところまで頭が回らなかった。
「操縦者が信じていれば、機体もいずれは答えてくれる。そういうもんだ」
「モルトさん…」
「いや、歳をとると説教臭くなっていけない。話半分で聞き流してくれて構わないよ」
照れ臭そうに弁解する姿は、年相応なおじいちゃんのように見えた。
「いえ、ありがとうございます」
何か憑き物が取れたような気がした。
むしろ、大切な事を思い出したとでもいうべきだろうか。
やはりというか、モルトは照れ臭そうに笑顔を浮かべた。
そういえばと、モルトが作業着のポケットを探り始めた。
「長いこと軍に居ると教官を務める機会もあってね。…あった、あった。これは色々な戦術教導の資料を私なりにまとめたものだ。よかったら使ってやってくれ」
「大切に使わせてもらいます」
差し出された小型メモリーをハヤトはしっかりと受け取り、握りしめた。
「さて、もう遅いし、休むとしようか」
「そうですね」
二人がガレージを後にしようとすると…
「おら、おまえらっ!こっからが本番だ!!お飾り共々、明日中には完璧に仕上げるぞ!!!!!」
「「「「うっすっ!!!!!」」」」
威勢のいい号令とともにツナギ姿の男たちの大声がガレージに響き渡った。ここが住宅街なら近所の人から苦情が来ていたところだ。窓ガラスなんて未だに揺れている。
先頭を歩いている屈強そうで気難しそうなのが整備班の長、ダンストンだ。
「おい、ダンストン。今何時だと思っているんだ」
「まだ居たのかモルト。モグの調子はどうだ」
二人の会話はお互いの関係の長さを物語っていた。二人の様子は同窓会で久しぶりに顔を合わせた旧友のようだった。
その後ろで次々作業を再開させる男達の中に見馴れた顔があった。
「シュウ!」
「なんだ、大将!なんでこんなとこいんだ?こんな時間に」
時計を確認してみると、そろそろ日付が変わりそうだった。
「お前らこそ、今からやるのか?」
シュウがハヤトの元に走ってきた。
「おうよ。甲型も明日中には完璧にしてやるから、そしたらリベンジマッチだ。モグに目にもの見せてやろうぜ」
言葉とは裏腹にかなり疲れている様子だったが、とても心強く感じる。改めて、自分は色々な人に支えられていることを実感した。
「ああ、よろしくたのむ」
「なんだよ、今日はやけに素直だな」
シュウは少し赤くなって顔をそらした。
「俺も俺なりに頑張ってみるよ」
「……調子狂うなぁ」
ハヤトの様子にシュウは顔を背けて呟いた。
「そうだぜ、坊主。こんなジジィ、さっさと棺桶にぶち込んでやれ」
ダンストンがハヤトの首に腕を回してそう言った。
「いや…あの…」
どうも、この人のノリは苦手だ。自分とは合わないとハヤトは思った。
「若者を困らせるんじゃない。それに、お前も歳変わらないだろ」
モルトが助け舟を出してくれた。
「それに負ける気も毛頭ない」
なにやら釘も刺されたらしい。
「とりあえず、お前らパイロットはとっとと休め。ここは俺らの戦場だ。とっとと出てけ」
そして、あっという間に外に追い出された。
「そうだ、言い忘れたが、明日の甲型の訓練は無しだ。しっかり休んどけよ、坊主」
「おやすみ、大将」
「わかりましたっ。皆さん、よろしくお願いしますっ!」
背中越しに掛けられた声に大声で答える。ガレージにいる全員に届くように。
嵐のようだった。
外に出るとハヤトはそう振り返った。ダンストンの声はガレージの外まで聞こえてくる。
「それじゃ、私は家に帰るのでコッチだ。おやすみ、ハヤト君」
「お疲れ様でした。お気をつけて」
ハヤトは、つい反射で敬礼した。
モルスは軽く敬礼し、ガレージを後にした。
寮へ帰る途中、肌を撫ぜる夜風が心地よかった。
星空の広がる空を見上げ深く息を吸い込む。
深夜の澄んだ空気がハヤトの全身にゆっくりと染み渡っていった。
2015 8/21 改訂しました。
2015 12/8 改訂しまいた。