八話 (五十嵐)
ピッ ピッ ピッ ピッ
規則正しい電子音が壁も床も一面真っ白な部屋になり続ける。
(ああ そうだ俺)
「今日喧嘩したんだ」
平成36年 4月20日 17時01分
「でさ俺気がついたら保健室にいてよぉ──」
誰の返事もない。それでも少年は語る。
「今日も学校楽しかった」「クラスメイトは相変わらず全員優しい」偽りの言葉を吐く。
「でも学校までの道に猫沢山いやがるのが最悪なんだ」
だから 遠回りして一緒に行こう。
目の前に横たわる彼女へ。届いてると信じ。今日も傍で囁く。
***
一人分の足音しか聞こえない。転々と街灯に薄暗く照らされた路地を歩きながら、皇真は携帯のホームボタンを長押した。
少しずつ鮮明になっていく画面にはいつもと変わらぬ。目がチカチカする程にカラフルなスーツに身を包むおっさんが映り込む。
「お話し終わったの⁇」
「ああ」
短い返しに「そっかぁ。晩御飯はどうするの⁇ スーパー寄ってく⁇」軽い調子で頷き、今は何処がお得だの特売日に群がる主婦じみた情報を話し出す叶空に思わず頬が緩む。
他人からしたら馬鹿げている行動でも、危険に晒されないかぎり基本余計な干渉をしない。
例え日課である望みない願掛けにも言及してこない叶空に、皇真は存外好感を持っている。
「おっさん」
少し悩み適当に打っていた相槌をやめ呼びかけた。冷蔵庫には僅かばかりの食料だけ。買い足さねばいけないが。
(めんどくせえ)
ドタバタした一日に疲労感がずっしりと乗りかかりこれから料理などしたくない。
「この近くに弁当安売りしてるコンビニねぇ⁇」
「えー 健康に良くないよ」
「うっせ。もう遅いしだりぃ」
ふいに自分達以外のガヤガヤ騒がしい幾つもの音や声が耳に入って来て、皇真の足が止まる。
常ならば帰宅している頃である繁華街には、会社帰りのサラリーマンや学生達のお喋りで賑わっていた。
「あらら。この時間帯人多いね」
カメラレンズから覗いたのだろう。叶空の言うようにまともに進む事さえ難しい状況だ。
これでは俯き画面を見ていればぶつかり、ナビする声も聞き取りにくい。
携帯をポケットにしまい鞄から龍が渦巻く和柄のワイヤレスセットを装着すると、皇真は空腹を満たすべく止めていた足を踏み出した。
『ありがとございましたぁ〜』
ダルそうな挨拶を受け流し、コンビニを出たら左耳から「いけない忘れてた」と呆れた声が語りかけてきた。
「皇真君この先信号渡って道なりに行こう」
思わず首を傾げる。
晩御飯を調達し。さぁ帰るぞって時に指されたのは雑居ビルや飲食店が建ち並ぶ、自宅とは真逆の方向だったからだ。
(なんでだよ)
顔をしかめる皇真へ叶空はからかい気味に答えた。
「電気屋さん。行かないと困るのは皇真君だよ。ほんとお弁当にしたのは正解だったね」
『だって家帰ってもご飯作れないもん』
告げられた言葉は余計に訳がわからず考えこむ。
(電気屋⁇ メシが作れねぇ⁇ 何言ってんだ。IHはちゃんと動くし鍋やフライパンも──)
そこまで至りようやく理解した。
「……マジか」
立ち止まっている皇真に、コンビニ袋を下げ自動ドアをくぐる多くの客達がうっとうしそうな視線をよこすも。そんなの関係なしに片手で顔を覆う。
(確かに。家帰ろうがメシ作れないわ)
米炊けねぇんじゃな‼︎
「マジかぁ」
再度苦渋を音にせよ現状は改善してなどくれない。
朝一番に起こった不運を失念していた。
(炊飯器 壊れてたんだ)
指の隙間から覗くほかほかの弁当。今から買いに行けば完璧にさめてしまう。
(……また温め直しゃいいか)
朝は和食それも炊きたての白米でないと嫌だ。今日は仕方なく諦めたが明日もとか耐えらないぞ俺。
「つか機械が忘れるって」
「えへ」
通常ならありえない。アラームや電子手帳に書かれた内容が消えてしまうのと大差ない事だ。でもこの携帯は時折今みたいなミスをしでかす。
まるで────。
じわりと広がる違和感に馬鹿馬鹿しくなり首を軽く左右に振る。
(アホか俺。早く用事済ませちまおう)
タイミング良く信号は青だ。と、進もうとしたら。
車線を挟んだ先大勢の人々が行き交う中。吸い込まれるように、ガードレールに座り込んでいる一人の男が目にはいった。
痛んだ銀髪にジャラジャラ着けているシルバーアクセサリー。自身とお揃いの制服を纏う少年。
「あっ」
昼間皇真を階段から殴り飛ばし、放課後まで昏睡させた人物がいろんな店からもれる明かりに照らされハッキリ見えた。
ある種因縁の再会だ。
数時間も立たない内に会ってしまうなんて。
しかも彼は自分を傷つけた為に三日間の謹慎処分を下されたはずだ。
起きた際に保険医が証言していたので間違いない。
罰を言い渡された日の夜に帽子さえせず街にいるあたり、反省なぞ欠片もしていないのか。
仮に今見つかればまた襲い掛かられる可能性がある。
無意識に皇真の喉がなる。
ただし常識外れの理由で。
(流石不良‼︎ 夜が活動タイムか‼︎)
頬に貼ってあるガーゼはお飾りなのだろうかと問いたい程に。電流のように流れる期待と尊敬から皇真は身ぶるいする。
(ふぉおー‼︎ もしやこれからゲーセン⁉︎ それともどっかチームとの抗争に行くのか⁉︎)
どちらにせよきっと奴は自分の憧れる不良ライフをするに決まっている‼︎
漫画や映画にて養った勝手なイメージはどんどん膨らむ。
あわよくば俺も参加したい。本来の目的を放り欲望のまま慎重に近づく。
「皇真君 そっちじゃないよ。おーい聞こえてる⁇」
聞いてない。聞いてたとしても無視だろう。全神経を集中させ相手を警戒させぬよう少しずつ距離を詰める。
無謀な賭けまで後数メートル。
(……ん⁇)
僅かな所で。自分以外にも彼に歩み寄る人影が複数いることに気づいた。
風貌からして友人だろうか⁇
なんとなしに観察していると。
ドクロや蛇の刺繍が特徴的なジャケットを着た同世代と思わしき若者達は、皇真が声をかけるより先に彼へ向かい馴れ馴れしく肩を組んだ。
(おおぉ‼︎ 仲間 仲間だぞ あれ‼︎)
なるほど、奴は待ち合わせをしていてガードレールにいたんだな。そう解釈した皇真は急いだ。
相手が来たのだから此処に留まる理由がない。
(早く参加するぞ俺)
本当は挨拶代わりに拳を差し出すつもりだったが、あの金髪みたいに肩を組んだ方が良いだろうか?
くだらぬ考えをしてる内に彼を囲む形で進み始めた集団を追いかける。
はずだった。
不良と親睦するぞと意気込んでいた身体が停止する。
(ヤバい)
ずっと凝視していたからこそ、見えてしまった。
集団の間からチラリと彼の背中に鈍く銀色に光る物が押し付けられている事実に。
喧嘩‼︎
即座に予定を書き換える。
声をかけるのはやめよう。
こっそり跡を付けよう‼︎
(不良の喧嘩‼︎ テレビじゃなくて生で拝見させて貰おう‼︎)
三度のメシより不良。炊き立てのご飯をかなぐり捨て皇真は進む。