七話 (不良少年と五十嵐)
※ 未成年者の喫煙は法律上禁止されています。
良い子はマネしないでください。
ギィと錆び付いた金属音をたて、閉まったドアの向こう。一人屋上に残された側の少年は、おもむろに上げた足を勢いよく振り下ろした。
平成36年 4月20日 14時30分
ダンッ
(くそっ くそっ‼︎ 冷静に冷静になれ)
ダンッ
(考えろ 分析しろ)
ダンッ
(今かき集められる情報は⁇ オレがすべき事はなんだ⁉︎)
ダン''ッッ
いっそう強く地面に足を叩きつける行為は、靴底にある己の服からこぼれ落ちた物が、原形を留めぬ程になった頃ようやく止まった。
「坊っちゃま」
唐突に少年以外いない屋上で、獣じみた低い声が発せられた。
普通ならばギョッとするだろう。だが少年はさして驚く様子なく、瞼を閉じゆっくり深呼吸をしだす。
(……よし、もう大丈夫だ)
次に開かれた時には怒りの色は消えていて、代わりにあるのは冷淡な瞳であった。
「あの人に繋げ」
「……畏まりました」
それだけ告げさっさとポケットから、横面に発信中の電子文字が点滅しているワイヤレスヘッド取り出す。
自然に行われる、姿が見えぬ相手との短いやりとり。少年にとってそれが日常なのだと示す。
(とにかく連絡するのが先決だ)
耳に当てたイヤホンから、数回のコール音が鳴る。
「あっ、お疲れ様です。報告したい事があって……え⁈ いやその…………はい……はい。実は──」
電話の相手は上の立場の者らしく、やけに緊張した様子で本題を切り出す。
『学校』『暴走族』『能力』
『五十嵐 皇真』
一通り説明を終え、上司か得意先との会話かのように「詳しい事を調べしだい、そちらに行きます」と締めくくり通話は切られた。
「……坊っちゃま」
「なんだよ」
再び視認出来ぬ声が少年に呼びかける。しかし最初に発せられたハッキリしたものとは違い、その声色は迷い気味だ。
「調べる……と仰っておりましたが、どのように?」
10年程前の話だ。大企業から中小企業を問わず顧客達の『個人情報流出』の被害が相次ぐ事件があった。
幸い直ぐに収まったものの、一度出回ってしまった結果は変わらない。
寧ろ二次災害の方が酷く『晒されてしまった情報を○○万円で保護・消去しますよ』と言ったオレオレ詐欺の餌になったりなど、国民の大半を今も不安に貶めている。
以後プライバシーを守る為に、被害元である会社は勿論、そういった情報を数多く有している施設。特に学校では厳重な管理が義務付けられている。
つまり容易に覗ける物ではない訳で……。
「バーカ。んなの足で稼ぐに決まってるだろ」
「足で……」
「たくっ、察しの悪い奴だな。聞き込みだよ き・き・こ・み‼︎」
少年はどこか誇らしげに「捜査の基本だろ」と鼻で笑う。
もし姿が見れたのなら、その顔は盛大に眉根が寄せられているだろう。獣じみた声の主は、喉に餅でも詰まらせたかのように問うた。
「あの、失礼ながら。私はこの二年間、坊っちゃまが学校内での誰かと親しげにしている所を、拝見したことが…………その……ない……のですが⁇」
最後は消え入りそうな声で「後私の記憶が確かなら、今日は放課後補習でしたはず」と付け足された内容に、本日何度目かの沈黙が訪れた。
当たり前だ。言外に『友達もいない。教師の信頼も薄いお前がどうやって【五十嵐 皇真】について尋ねるのか』そう聞いているのだから。
質問した側も質問された側も気まずい事この上ない。
プルプル肩を震わせ、少年は口を開く。
「うるっせぇぇ‼︎ どうにかなるっ‼︎」
全く答えになっていない悲痛な叫びは、晴れ渡った空に虚しく吸い込まれる。
少年にバレぬよう、ひっそりと獣じみた声の主がため息を吐いた。
***
「はぁ〜〜」
同時刻、重なりため息をこぼす者がいた。
「何⁇」
「……はぁ〜〜〜」
いらっ。
授業が終わったばかりで、まだ人気の少ない廊下を足早に抜け教室に続く階段を半分くらい下りた場所にて。
おっさんこと叶空に止められた皇真はうんざりしていた。
「だから何」
「はぁ〜〜」
人を呼び止めておきずっとこれだ。
わざとらしくため息ばかり返す携帯に、追求するだけ時間の無駄だと結論付け歩を進めようとしたら
「ストップ‼︎」
またもや引き止められた。
「だから何⁇」
「うん。あのね、自分がなにしちゃったか わかってる⁇」
「喧嘩」
顔の前に握り拳を作り意気揚々と返す主人に、叶空は頭を抱える。
「もうっ‼︎ あんな如何にもヤンチャしてますって子にそんな事して。どうなるか わかってる⁈」
「友情が生まれる」
「違います‼︎ お仲間引き連れてこられてリンチにされちゃうよ」
「受けて立とう。あっ、でも外じゃねぇーと困るな」
「っ〜〜‼︎ なら、あの子がもし先生に話しちゃったらどうするの⁇ それにあの子っ……」
「おまえアホか。迷わず蹴りいれてくるガチな不良が、んなだせぇーことするわけねぇだろ」
不自然に途切れた主張を遮り悠々としている皇真に、ついに叶空はしゃがみ込んでしまう。
なんで危機感の欠片もないのか。画面には真っ赤な髪の毛と頭を押さえる手だけになった。そんなに悩むだなんて口調も含め世話焼きな母親のようだ。
「俺からしたら、おっさん見られる方が大変だ」
機械に対しておかしな例えだが、この相棒とも呼べる奴の心配性はいつもの事だと軽く流す。
「まだあの時の事気にしてるの⁇」
「当たり前。つか過去形にすんな現在進行形なんだよ」
***
ランドセルから学生鞄に変わり、クラス内も新しい人間関係を築き始めた頃の話だ。
出来上がりつつあるグループ幾つかに、皇真は羨望の眼差しを向けていた。
(彼奴ちょっと不良っぽいな。あ、窓際の奴もいい)
真新しい制服に初めて会う同世代。ガラリと環境が変化し、髪を染めたり制服を着崩したりなど。個性をアピールして背伸びするクラスメイト達何人かにチェックを入れる彼は、手持ち無様でいた。親しげに会話が飛び交う中、小学校低学年時と同じくポツンと一人だけ。
日本語ですら危うく、担任さえ匙を投げた成績を骨折って上げてまで私立の中学に入ったのになんてザマだ。
公立では小学校の持ち上がり組がいるのが嫌で、普通の生活を送りたくて来たのにアドレス帳に登録されてる数は未だに増えていない。
(クッソ。きっかけさえありゃ俺だって)
不貞腐れて足元を見つめた時だ。
「ねぇ」
右隣に座る女生徒が皇真に声を掛けたのだ。その子は騒がしい休憩時間、一人静かな彼が具合でも悪いのかと心配して問うてくる。
(きたっ‼︎)
女子というのが若干不満でも、巡ってきたチャンス。これをきっかけに輪を広げようと躍起になったのが功をなし、トントン拍子に会話は弾み「アドレス交換しよ」とその子から申し出てくれた。小さくガッツポーズする。
されど喜んだのも束の間、その子「薄井さん」はとんでもない伏兵だった。
赤外線通信をしようと互いに携帯を差し出したら、
「え」
「ん⁇」
薄井さんの表情が唐突に固まった。
首を傾げ視線を下ろした皇真も固まる。
「…………」
そこには孤独だった主人にもやっと友人が出来たと、頬を染め涙ぐむ叶空が冷や汗垂らしフリーズしている図があった。
(おっさんんん‼︎)
携帯をつけまず映るのは当然待ち受けで、それは持ち主の趣味やセンスを表す。
ではそれが「顔をほんのりピンク色にし、汗ばみ瞳潤ませる中年男性」だったらどうなる。女性ならば過激な好意寄せる芸能人の画像で済む。が、待ち受けにしているのが同じ男性なら。
「……大丈夫。私、誰にも言わないから」
違う‼︎ 断じて違う‼︎ 両手と首をブォンブォン振り誤解だと伝えても、後の祭り。アドレス帳に追加された「薄井さん」の名が視界をかすめるたび心臓に悪くてしょうがない。
(違う、違うんだ。君は俺の事を何もわかってない‼︎ ぁあ、なんで君は薄井さんなんだ)
進級した最初クラスは名前順での席になる。五十嵐の「い」に薄井の「う」二年生初日隣席が誰か知り、鼓動が高鳴ったのは決して恋ではない。
「君の両親離婚する予定ない⁇」
失礼にも程がある質問を飲み込んだのは苦い思い出だ。
***
口をとがらせ、ぶつくさ「今だって勘違いされて」だの「あの生温かい目が」やら愚痴り始めた主人に、もはや返す言葉がないのか、さらに頭を抱えそうなっている叶空を横目に。ふとある事に気づいた皇真は「あっ」と声上げた。
今度はなんだと、のろのろ視線を戻す相棒へさっきまでの不満顔はどこへやら。周りにキラキラ輝く粒子舞ってるような幻影撒き散らし口元をにやけさせゆっくり「俺さ……」と皇真呟いた。
「喧嘩……したんだよな」
何言ってんだコイツ。
誰もが率直に抱く感想であろう。主の突拍子もない発言や行動は慣れた相棒でさえその意図を読み取れたことは数えられるぐらいだ。
アレか「いやぁ手に汗握る激闘だったよ‼︎」なんて言い換えて欲しいのだろうかと悩むも、結局わからず答えが決まっている問いを聞かれた叶空の口からでたのは酷く棒読みな肯定であった。
「そうだよなっ‼︎ 間違いなく喧嘩したんだよな俺‼︎」
感情込められてなかろうと望んでいた応えが余程嬉しいらしく、ヒートアップし頬を僅かに紅潮させて、訳の分からぬ奇声を上げたかと思えば、急に静かに喜びを噛みしめるように皇真は独り言ちる。
「これはあいつに報告しないとな」
ついポツリとこぼれた言葉に照れくさく感じてたら手元からハッとした気配が伝わり視線を下げる。主人の指す「あいつ」を知っている相棒は喜びの理由を察し怒りは静まったのか「手土産話になるね」と微笑んでいた。なんだか心臓辺りがむず痒くなった皇真は「授業に遅れる」とだらしなく緩めていた顔を無理矢理戻し、気を抜めたらスキップしそうな足を堪え歩こうとしたら──。
「へえぇ〜。誰に知らせるんだ? オレにも教えてくれよ」
怒り滲む声が降った。
一人と一つの携帯の動きが一致する。油ぎれのゼンマイ如く首を後ろにまわす。
もっとも携帯側に関しては画面上故見えはしないのだが。
上辺だけなら気さくに友へと語りかけているような口調だ。
だが皇王から映る人物は、般若よろしく歪められた表情をしていた。
激しい後悔が皇真を襲う。
何ちんたらお喋りしてたんだとか、屋上での相手が二年生ならこの階段使うと何故考えなかったなどもあるが。それ以上に頭を支配したのは、
(うぉわあーー‼︎ ありえないうそだろおいふざけんなっ‼︎‼︎)
端から見ればデカい独り言を晒していた己自身に、どうしようもなく掛けめぐる羞恥心であった。
生憎この場を凌げるだけのスキル。術すら持ち合わせていない。
つい数分前にカッコつけ去っただけに、尚更恥ずかしさが込み上げる。
無言で見つめ合う光景は階段か屋上かの違いで。相手の瞳にやどり始めた不穏な光が、唐突に蹴られそうになった際と被る。
(校舎の中だぞ‼︎ 勘弁しろよ‼︎ どうにかしねぇと……ぁ)
焦る脳に僅かな希望が閃いた。
すぐさま実行すべく、皇真は中途半端に傾いていた体制を正し
「っ⁉︎」
笑った。最高の笑顔を作り。
正し緊張と不安から存分にひきつったものでだ。
瞬間ブレる視界に高速に飛ぶ景色が走馬灯のように流れる。
捕捉するならば。彼が相手から見れば挑発する形で笑った理由は、自分がリスペクトしている現実には存在しない『教科書』に載って入る架空の人物に従ったからだ。
『笑顔は万能薬なんだよ』
(円堂君のウソつきぃぃいぃーー‼︎)
こんな事なら須藤君にしとけば良かった。
固く重い衝撃に次ぎ、ぼんやり聞こえた女生徒の悲鳴を最後に意識がプツンと失くなった。
因みに須藤君の教えに従ったらこうなっている。
『いついかなる時だろうが、相手を威圧してみせろ。俺等はなめられたらオシメェなんだ』
どちらにしろ皇真が見事なまでに右ストレートを受け、宙を舞う事実に変化はなかっただろう。
※ワイヤレスヘッド。その名の通りワイヤレスで聴けるコードがないイヤホン。