十話
(……え、なんで)
心臓がどくどく脈打つ。
綺麗に後ろへ撫でつけられている黒髪から見える額から耳にかけ派手な傷がある右目が特徴的な。
(なんでここにヤーさんがいるんだよ‼︎)
どう控えめに捉えてもカタギではない雰囲気を醸し出している男が、振り向いた先にいた。
(本家きたぁー‼︎ ヤクザじゃんすげ えっマジで⁉︎)
実はここヤーさんの縄張り⁇
いやいや散歩⁇ にこんな所来るわけねぇだろ。つか……。
(犬⁇)
さっきから男ではなくその左肩に乗っている白いまんまる犬の存在が強烈で目がいってしまう。
(よぉデブ雨の中ずぶ濡れんとこ拾われたのか。って違うそうじゃなくて)
どうしてそんな男が今ここにいるのかだ。
別に怪しげな場所にいけない職業の人がいるのは納得できる。
しかし問題は状況だ。まだ年端もいかぬ子供の喧嘩が始まる時に偶然居合わせるだろうか。
「調子のってんじゃねーぞっ‼︎」
「生意気なんだよ」
部屋に響く怒声につられ視線を戻しハッとする。
(ひょっとして、あの中にお坊ちゃま。次期当主がいるんじゃねぇか⁉︎)
だとしたら是非友達になりたい。あわよくば就活させて頂きたい。
ネットで得た知識なので信憑性に欠けるが、ヤクザは相当金が入る職業だと聞いている。
(上手くいけば学校でも堂々と不良になれっかも)
ならまずは後ろの男に挨拶を、皇真は臆せずもう一度振り返る。
「どう……」
「大丈夫だ」
やや緊張ぎみの挨拶は、言い終える前に容貌通りの低い声で遮られた。
呆ける皇真の頭を軽く叩き男はあっさり重い扉を開け放つ。
(流石ヤーさん大胆だな。まずはお坊ちゃまの救出ですか)
ストイックな姿に惚れぼれしてる間に室内は騒然だ。
自分達以外に誰もいないと思っていた少年達は驚愕に表情を染め、口々に困惑の声をあげた。
銀髪の彼だけを除き。
「長官‼︎ なぜここに⁉︎」
(おまえかよぉぉお‼︎)
驚きの中に安堵が混じる表情で男に問いかける中二病野郎を張っ倒したい。つか長官ってなんだよ、あだ名ですか。
「晴樹から連絡があってな」
ひらひら携帯をかざし答える男の口から出た第三者の名前を呟き、安心し細められていた彼の目は扉の影にいる皇真を認識するや見開らかれた。
「ちょ長官。こいつは⁇」
震える指でさされた皇真に全員の視線が集まる。
男は頭をかき考える仕草をすると平然と言った。
「通りすがりのヒーローの卵」
(はぁ⁉︎)
皇真だけでなく少年達も突拍子のない言葉に訝しむ。当たり前だが男とは初対面である。勿論皇真がこの場にいる理由など知ろうはずがないにも関わらず『ヒーローの卵』とはどう言う事なのだろう。
「詳しい話は後だ」
世間話のような軽い口調とは裏腹に鋭い眼光を向けられた少年達が反射的に行動するより早く、男の携帯から淡い光と合わせ、やけに可愛らしい女性の声が高らかに広がった。
『男なら拳で語れぇーー‼︎』
それからはまさしく瞬殺であった。完璧に腰が引けている少年達は、黒いスーツの上からでもわかる強靭な身体によって容易に沈められていく。
自分も中学二年では高めだが男はゆうに二メートル越しており、左肩に悠々乗る生き物で迫力半減してようが、その巨体から繰り出される攻撃は圧巻だ。
傍にいる皇真よりやや低い銀髪の彼が小さく映ってしまう。
迫力ある光景、何より先程の言葉で心の底から湧く歓喜とくだらないプライドの板挟みに皇真の表情筋がおかしな具合に力む。
(抑えろよ俺。今喧しく「ファンになりました。あんたに惚れました‼︎」なんて叫んだら三下っぽいだろ。もうちょいマシなセリフこいっ‼︎)
頭の中の引き出しをドタバタ開け閉めしながら「でもさっきの携帯ではなくあんたが言えば良かったんじゃ」とか「犬よく落ちねぇな、てかずっと一声も鳴いてないけど大丈夫⁇」など思案してるうちに、一方的な喧嘩は終わりを迎えてしまった。
(ちくしょう‼︎ もっとねばれよモブ共)
倒れ伏す少年達に届くわけがなく、邪魔者がいなくなった現在、ひとしきり銀髪の彼が男に感嘆の意を述べれば二人の話題は自然と自分に移る。手招きされ仕方なく皇真は部屋に入った。
「で、長官。なぜこいつと一緒なんですか⁇」
「やっぱり知り合いか。友達か⁇」
微笑ましげに口元を緩め質問に質問で返す男に、皇真と銀髪の彼は揃って目を逸らした。
(おたくの坊ちゃま既に候補ですらありません)
とは暴露出来ない。大事な坊ちゃまへ馬鹿正直に言ったら第一印象は最悪であろう。形だけでも取り繕わなれば。
焦り頭がぐるぐる空回りするこの時点で冷静ではなかった。
仮に二人が皇真の推測通りの従属関係だったら、男に対する彼の言葉使いは不自然で。さらに自分よりも下の立場の者にあだ名とはいい『長官』だなんてまず付けないはずだ。
自身が盛大な勘違いをしている事実に気づかぬまま、瞳を泳がす皇真の視界にふと放置されている、少年達の側に転がる一つの携帯が入り、眉をひそめた。
(ん⁇)
どこにでもあるありふれた携帯だが、何かおかしいのだ。
平べったい画面は、日が落ち月明かりがぼんやり照らす薄暗い部屋の中、形容し難い真っ赤で不気味な光りを灯し点滅を繰り返していた。加えて間隔が心なしか短くなっている。
(これって……)
皇真の様子に気づいた二人が視線の先を辿りギョッとした。
例えばあの携帯に音を付けたのならきっと。
(時限爆弾っぽくね⁉︎)
実際爆発するのかなんてわからなくとも本能が危険だと警告する。
全員が確認するのを待っていたように、点滅の勢いは増していく。
「伏せろっっ‼︎‼︎」
男が声を張り上げると同時に。赤い閃光が皇真等を覆う。
(眩しっ‼︎)
手で目を抑えて尚網膜を刺激する強烈な光に身を丸める。
(…………あれ⁇)
だが暫し立っても予想していた痛みは襲ってこず、恐る恐る瞼を上げ自分の身体を確認した。
どこもなんの異常はない。
拍子抜けし銀髪の彼の背後に隠れてた皇真は一応二人の確認もする。直接光を浴びた為ふらついてはいたものの無事そうだ。犬はぶっちゃけ初めからおとなし過ぎて定かじゃないが、男の腕に囲われてるので大丈夫だろう。
(デブ助ヤーさん腕太いのに肉はみ出てんぞ)
ホッと息をはき元凶も確かめようと視線を動かしたところで、皇真は思わず間抜けな声をだしてしまった。
「え⁇」
消えているのだ。疑いなくそこにいたはずの少年達が。
逃げた⁇ 真っ先に浮かんだ考えに首を振る。
(足音は聞いてない)
気絶していたフリをし機会を伺ってたのだとしても、あの人数でコンクリート仕様の床を足音なく去るなど無理だ。自分のように靴を脱ぐ理由もない。
皇真より僅かに遅れ現状を理解した二人があれこれ喋り始めたが、不可思議な現象に混乱する皇真の耳には雑音にしか聞こえない。
(窓から飛び降りた……わけねぇか)
枠は取られたままで風が吹きこむ窓は広く、二三人程度ならば通れそうだが少年達がいた場所とは反対だ。更にここはビル最上階である四階、飛び降りるなんて自殺行為に等しい。
あり得ないと思いつつも窓に寄る。見える景色はやはりゴミが散乱している地面のみ……ではなかった。
(なんだあいつら)
皇真等がいるビルより少し離れた所に誰か立っている。街灯もない暗いそこで小さい光がぽつんと二つ見えた。全身黒づくめに深くフードを被っており、ここからでは年齢や性別もわからない。
「おい」
男が呼びかけるも、妙に気になり凝視続ける。
俯いていた黒づくめの人物二人が寸分違わぬ動きで顔を上げた。
(……⁇)
そして明らかに皇真へ向け、左右にゆっくり、手を振った。
(‼︎⁉︎)
その瞬間ぐらりと建物が揺れ、どんどん大きい揺れになる。銀髪の彼が叫んだ。
「なんだっ⁈ 地震⁇」
突然の出来事に皆が足を縺れさせた。次いで下階から硬い物が砕ける鈍い音が振動と一緒に伝わってくる。
皇真等がいるビルは崩壊へのカウントダウンを始めた。