チョコとジョゼ
私はジョゼ・スターリング。
東方の商人の生まれだけど、訳あってこの街の所々でその日暮しをしています。
「子ども時代とはまじろぐ間に終わると聞いたのになー。ね、トレス」
魔道猫のトレスが、喉をゴロゴロ鳴らしながら瓦屋根の上で日向ぼっこしていた。
私は瓦屋根の上であぐらをかいて、空を見上げた。
この街の空にしては、青い。
誌的な雰囲気をぶち壊したのは、腹の音だった。
お腹減った。
「あー、早く日雇い探さないと、餓死しちゃうなー、がし……」
トレスが眼を覚まし、重力を操って、石ころを浮かして、私の頬を小突いた。
うるさい、ということか。
重力を操る魔法も体力の限界がある。
もう少し大人だったら見世物をして一生左団扇ですごせるのに……。
「人生とはまことに辛いものだよ」
「何をたそがれている」
そこにジョゼの未来の姿をした……アルス・アンバーが屋根に上ってきた。
ここまでくるということは、なんか用があるのでしょうね。
「先輩どうも」
「誰が先輩じゃ」
「クズの先輩アルス・アンバーじゃあないですかー」
「腹減ってんのか? 飯を食わせてやろう」
「本当? 何かたくらんでいる?」
「そんな事無いさー、ははは」
それが嘘なのは、すぐにわかるのだった。
灰色のタイルの目地から雑草が生え、目地が通らず乱雑に配置されている。計画した人の芸術的才能に疑問が沸くけど、耐久度は高いようで馬車が歩いても少しも動かなかった。
そんな、路地。
一つの、喫茶店がありました。
木造の平屋で、路地に面して長い庇が伸びて、影のなかに丸い机が並んでいる。人はまばらで、各々本を詠みながら、珈琲を飲んでいる。
「珈琲だ」
「いま、こーひーって言ったな」
アルス・アンバーが私の顔を見ていった。
「うん。久し振りに見たよ。この国には無いのかと思っていたのに」
「ほら、やっぱりね。言っただろ。イブ」
喫茶店の奥から金色の髪の女の子が来た。
見たこと無い、黒い液体が現れた。
これは、珈琲ではない。
「こ、これは……」
「なんだよ、知らないのか。これが珈琲だ」
「ごめんね。私下手くそだから」
……飲むしかないのかな……。
かちゃ。
ぐいっと。
「まずー!」
「やっぱり新商品には程遠かったか」
「そうね。やっぱりコレ駄目ね」
「これなに。ウワーなんか脂っぽいし」
「ごめんなさい。珈琲じゃないのソレ。まずい代物って言うの」
なんですかソレ。初めて飲みましたけど。
「カカオの皮からできる安価のお茶です。あまりにまずいので、名前がまずい代物」
「私は抗議する。こんなまずい朝食を食わせるなんて、聞いていないぞ」
「まあ、これだけじゃあないから」
彼女の名前はイブ・ザナハラード。彼女は数ヶ月前に死んだ叔父の喫茶店を受け継いで、最近やっと再・開店にこぎつけたようだ。だけど、数ヶ月前まで学生をしていた彼女では『質』に問題があった。
「生豆だと異物が混入しているから、最初に見て石ころとかを除去するの」
「なるほど……」
「あとはこれは虫食い」
一粒つまんで捨てた。
「これは未熟豆」
捨てた。
「発酵している」
捨てた。
「勿体無いわね」
「なら、ここに集めておきます」
ただ、使えないものを集めてどうするのだろう。
「焙煎は豆によって違うんだよね」
私は珈琲豆が陳列されているなかで、私がよく飲んでいた豆を見つけた。
「この豆はね。一回はぜてから2分くらいで大丈夫だよ」
「はぜ?」
「うん。パチパチってなったら良いんだよ。あとは、何回か焙煎して味を確かめるしかないと思うよ」
「で、完成でーす」
「早速豆をひき……」
「駄目です。焙煎した後、数日経った方がはるかに美味しいのです」
「あらら、朝食代わりにいれようと思っていたんだけど」
アルス・アンバーが言った。
「イブはまだまだ。修行が足りないので、私が朝昼晩美味しい珈琲の作り方を教えます」
「三食食う気かよ!」
「一週間は食う気だよ!」
「なんというクズ」
そんなかんだで、一週間。
「あらかたの珈琲は美味しくなったね」
「そうね。あとは……」
「ご飯が美味しくなれば」
イブは何から何まで出来なかったようだ。
イブが花壇に不良豆と出涸らしの粉を捨てて肥料代わりにした。
「いやいや、お世話になりました」
「お駄賃代わりで悪いけど、銀貨一枚」
「いいの?」
私は食事代わりに珈琲の知識を教えただけなのだけど。
「良いよ。困っているんでしょ」
「はい、凄く」
「それと……はい、これ」
皿の上にチョコがあった。
「チョコ……本物?」
「うん。試しに作ってみたんだけど、食べてみる? ちなみに香辛料のカルダモン入れているわ」
「ほうほう」
口に含むと、じわっと甘さ広がり……。
「マジー」
「ありゃ」
「これもまずい代物だよ」
「ごめんね。でも、すぐに美味しくなるからね」
確かに、この一週間でイブは珈琲だけじゃなくて、徐々に食事も上手くなっていた。いままで、料理に興味が無かっただけで、イザやってみると実は得意だったのかも知れない。
「という、事をしてました」
職業安定所のおねえさんと喫茶店で働いていた時のことを私は雑談していた。
「へえ、珈琲ねえ。飲んでみたいわ」
「まずい代物には注意してね」
「ああ、昔々飲んでいた。あれね。あまりにまずかったって」
おねえさんは存在を知っているようで、笑っていた。
「で、その喫茶店ってどんな店名なの」
私は頭を使って思い出した。
「ミゼラブルって店」
おねえさんは目を点にして、その後に笑った。
「ミゼラブルって、まずい代物の別名よ。あー、腹が痛いわ。凄い店名ね」
「……昔はそれが洒落た冗談だったのかもよ」
伯父さんから店を受け継いだといっていた。
「早く洒落になれば良いんだけどね」
私はまったくだと頷いた。