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9話 勇者、街に出る。そして迷う。

【――今日は、先に帰ります】


 ……そうですか。

 放課後、資料室を訪れた俺は一人、そのでかい紙に小さく薄く書かれた文字にハルカゼを感じていた。ハルカゼを感じていたという響きに全くそぐわない爽やかさの欠片もない理不尽で簡潔な早退文句に、俺はその紙を剥がして紙飛行機を折り、窓から飛ばした。

 とりあえず事務的に茶葉だけ補充して、資料室を出る。先に資料室に向かったはずの魔王の姿がないのを見ると、自分の背より高い位置に貼ってある掲示物に注意が行く程度には己を保っているらしい。最近特に思うんだが、俺が勇者として大丈夫かより深刻に、あいつは魔王として大丈夫か。

 ただ俺の方も、久々に与えられた自由に手持ち無沙汰になるくらいには、こちらの世界でハルカゼにこき使われる日常に慣れてきていた自分に危機感を覚える。世界の危機より自分のアイデンティティへの危機をどうにかしないといけないような気分にすらなる。


 用事もないのでそのまま帰ることにする。一緒に帰らないかと誘える男子は買い出しをしてる間に帰ったか、既に部活に行ってしまっているし、一緒に帰らないかと誘える女子とのフラグは、未だにどこで買えるか分からん。情報求む。どうでもいいが、放課後をハルカゼによって牛耳られている今の状況は俺は青春を浪費してしまっているように思えるのは気のせいだろうか。


 深く考えないようにしながら玄関で靴を換える。まだ日が高いうちから帰るのなんて久しぶりだ。このまま帰ってしまうのも何か勿体ない気がして、寄り道の理由を探す。

 すぐに思い至ったのが、紅茶の中に入れるジャムの購入であるあたり、俺の調教具合はかなり深刻らしい。そりゃ萩原も女王様扱いするわ。


 なんかハルカゼ曰く、ジャムを入れるとロシアがどうとか言うお茶になるらしい。いや、入れるんじゃなくて舐めるんだったか。まあ俺は紅茶よりコーヒー派なので、適当に見える位置に置いておけば飲みたい方法で飲むだろう。どうせなら乳を増やすためにミルクティーで飲め。

 ……今何か僅かに右手の紋章が疼いた気がするんだが、本当に心まで読まれてないよな。そこまでプライバシー侵害されてたら、俺は右手を切り落として今度から左手でするしかなくなる。何をだよ。


 とりあえず目的が出来たので街へと向かうことにする。休日はインドアで体を休めたり異世界と通信することが多いので、明確な目的を以って外出というのは久しぶりかもしれない。

 シャーペンを通じて連絡を取り合う様を隣の部屋から聞いていた妹に「彼女でも出来たの?」と聞かれ、その時は丁度アリシア以外の神剣使いと連絡を取っていたので正直に「電話の相手男だぞ」と答えたところ、妹は天啓を受けたような顔をして自室に引きこもった。


 それから妹の部屋で何が行われていたのかは、俺には分からない。分からないんだ。




 俺の住む街は、小高い土地に位置する住宅街よりやや海側に下った辺りに『繁華街』が存在する。繁華街と言っても賑わうのは本当に中央に聳えるオシャレに興味のない俺には全く無関係な百貨店くらいで、それ以外は大体飲み屋か如何わしい店かカラオケかファーストフードだ。

 そこから少し離れた所に市役所があるため、平日は割りと私服とスーツの比率が半々になる。この時間だとまだスーツ姿の人間は浮ついた表情をしておらず、それに釣られてか私服や制服姿の若い男女も僅かな自由時間を無駄に使うまいときびきび動いているような気がする。


 この雰囲気、実は俺はちょっと苦手なんだけど、それでもブラブラする目的ではなくちゃんとした『ジャムを買いに来る』という目的の為に訪れているので少しだけ気が楽になる。

 繁華街を相手にしても若干ダイヤグラム不利な勇者が勝てる相手って割りとこっちの世界には少ないのかもしれない。


 それを証拠に、俺はもう既に道に迷っていた。

 正確に言えば道に迷っていたというか、ジャムってどこで買えばいいのかが分からずに途方に暮れていた。

 慣れていないせいで、街にさえ出れば、という間違った万能感を繁華街に求めてしまったが故の失敗だった。

 新しい街を訪れたらとりあえず長老や長に挨拶する、くらいの感覚で街に来た俺の負けだった。というか負け組だった。


 いつの間にか狭い路地裏に迷い込んでいる有り様、どう思います?

 異世界では迷宮の覇者とか呼ばれた時期もあるくらいダンジョンの攻略に定評のあった俺が、人ごみを避けて逃げ続けた結果、スナック明美の前で立ち往生しているこの状況。

 そういえばマッピングは冒険の序盤こそ自分で行っていたが、アリシアに適正があると分かってからずっとあいつに頼りっぱなしだった。子供の頃オリジナルの地図とか描いて一人で遊んでいたんでありますよ、って笑うあいつの笑顔が心に苦しかったね。

 だってそれ、一人で出来る遊びだもの。俺もオリジナル装備を考えるって方向で経験あったもの。


 っていうか本当にここどこだよ。さっきまで結構人がいたのに人っ子一人見当たらない。街の中にこんな場所があることを初めて知ったし、異世界召喚でも割りと動揺しなかった『颶風のセト』が、ここに来てちょっと帰り道が分からなくて焦ってるわ。

 最悪恥を忍んでカバンに入れたままのセーナにどうにかしてもらうことも考えたが、今の時点で何も声を掛けてこないということはこの状況を見て心の中で嘲笑っているのだろうと思うと協力を仰げない。ダンジョン探索時も完璧に道を覚えてる癖に「我を地面に立て、しかる後手を離し、我が指す先へと進むがいい」とか言って二時間近く俺を迷わせた前科があるからな。お前それただの棒が倒れた方向に進む運任せじゃねーか。


 当て所なく歩いていると、人の声が聞こえてくる。

 ようやく繁華街の中心の方に出れたか、と当初の目的を完全に忘れた喜びを感じていると、どうにもその声が剣呑な物であることに気がつく。少しだけ警戒しながらそちらに近づくと、路地裏に隠れるようにして密談が交わされているようだ。

 眉根を寄せて耳をそばだてると、大体の事情が飲み込める程度には会話が聞こえてくる。


「ちょっとだけだから、さあ」

「大丈夫、全然怖くないって」

「いいからおい、早くしろよ、なあ」


 ……ああ、そうですか。

 一見して人がいると分からない所に隠れて何をやってるのかと思ったら、そういうテンプレ的なことやる人間ってこっちの世界に居たんだな。俺はどこか冷めた目でその様子を見ながら、タイミングも見計らわずに適当に顔を出す。


 ――凄く分かりやすく、三人の男が一人の少女を囲んで、逃げられないように檻を作っていた。



「……何してんの?」


 何の躊躇いもなく顔を出した俺に、三対の鋭い眼光が突き刺さる。多分、エンカウント音が鳴って、敵対判定魔法撃ったらバリバリ赤く表示される程度にはロックオンされてるんだろうな。


 あっという間に三人に無言で取り囲まれて、昔の嫌な記憶が蘇る。

 あのときはこのまま無言で殴り倒されて、なけなしの財布の中身全部取られて家で泣いたっけか。

 今回勝算があったからノータイムで踏み込んだというよりは、その時の痛みが即座に思い出されたから躊躇わず前に出れたというのがある。

 ……正直、こういうのって、辛いよな。自分に何の非もないのに、いきなり理不尽に蹂躙されてさ。

 異世界で似たようなことしてる魔王って存在を相手にして来たからこそ、この平和なこちらの世界で同じようなことが起こっているのって、勇者としては見過ごせないんだよ。俺のときは勇者が駆けつけてくれることもなかったしさ。


「しゃしゃって来てんじゃねーぞ、オイ?」


 ですよねー、と愛想笑いを返すと、何が気に食わなかったのかいきなり腹に衝撃が来た。次いで足元を払うような一撃が後ろから来て、壁に倒れこんだ所に前蹴りが飛んでくる。痛い。

 蹴った後に踏みにじるような追加攻撃にスリップダメージが入る、いやこれは多分精神力を削る攻撃なのだろうかと冷静に攻撃を見ている自分がいた。もちろん痛い。

 壁に完全に磔になった俺の腹部や顔面を狙って、不定期に蹴りが加えられる。武器を持たない場合一番リーチがあって適度にダメージを与えられる部位なので一応正しいよその攻撃。かなり痛い。

 髪の毛を掴まれて、持ち上げられる。口の中の出血を地面に吐くと、唾を吐いたと勘違いしたのか、その顔を壁に叩きつけてきた。マジで痛い。涙出そうだわ。


 そうやって助けに来た誰かをボコることで目的の相手も恐怖で逃げられないようにする。相手に直接傷を付けなくていいので一石二鳥って策だろうか。意識的にやってるならすげーなこの作戦。


 何度か意識が飛びかけたが、攻撃が収まったのを見て俺はふらふらと立ち上がり、服の汚れを払った。換えの制服買っておいて良かったなと思う。

 まあ、それが攻撃であるかはちょっと分からなかったけれど、とりあえず殺されることがないのなら、それくらいのじゃれ合いはあるよね、と寛大な心で許そうと笑顔を零す。


 ――癇に障ったらしい。

 男の一人が、路地裏に立てかけてあった木材を片手に取った。

 あ、それはちょっと不味い、と制止の言葉を掛ける間もなく、その木材を思い切り振りかぶり、俺の頭へと叩きつけた。


「………」


 視界が赤く染まる。

 恐らく額が切れ、出血している。

 それは、不味いだろう。


 あの程度の殴る蹴るならまだしも、木材を持ってこんな勢いで人を殴ったら『人って簡単に死ぬ』んだぞ。


 俺は殴られた姿勢のまま、大きく息を吸い、怒りを逃がすように嘆息した。


「……こういうのはさ。ちょっと不味いだろ」

「アァ!? 何だこいつ、狂ってんのか!?」

「いや、いやいや。こういうので人を殴っていいのって、同じ物で殴られる覚悟がある人だけだと思うんだが。その覚悟もないのにさ……他人の生殺与奪を握った気になんなよ。頼むから(・・・・)


 とりあえずは、こっちの世界のルールで、こっちの世界の土俵でどうにかしようと思っていたのに。

 そういう手段に出てくるなら、本当に不本意だけどそちらのルールに従おう。つま先だけでも悪に踏み込んで来たんだから、しっかり勇者で相手してやろうと思う。本当に不本意だけどな。


 再び木材を振りかぶり、今度はトドメを刺そうとしてきた男の木材を指で受け止めて、そのまま指で誘導して相手を路地から表通りに飛ばす。すげえ、合気道ってこういうことかもしれない。後頭部をしたたかに打ち付けたのか、その一人は動かなくなる。

 残りの二人が唖然としている間に、一歩でその後ろに回り込み、首筋をトンと叩く。男二人はその衝撃に思い切り前に吹き飛び、先に投げ飛ばされた男の上に積み重なるようにして倒れた。……いや、なんかもっとスマートに気絶とかさせようと思っただけなんだが、力加減失敗したわ。


 三人をとりあえず処理し終えて、居心地と後味の悪さに舌を出す。

 正直言って、こういうことが出来るのは便利だが面白くはない。羨ましいと思うかもしれないが、逆にそういう力を持ってても俺の知らないところで起こったことに対処は出来ないし、出来るからこそ負う心労もある。可能から感じる無力さを共有しようとは思わないが、レベルがカンストした状態で最初の街で雑魚モンスターを倒すことに意義を感じる人間がいないのと同じだ。

 それこそ、ここまで荒事になるならすぐに飛び出さずにもう少し様子を見て言葉で解決しても良かったかもしれない。コミュ障はあっちの世界に飛んでから三年経っても治ってないので、どうせこの結果だったかもしれないけど。


 制服の汚れを本格的に払って、地面で踏み潰されてる学生カバンを持ち上げる。げ、あの野郎ども俺だけじゃなく俺の持ち物まで攻撃してやがる。中から仕舞っておいたセーナを取り出すと、笑声と共に皮肉げな声が聞こえる。


『――経験値は入ったか?』

「うるせえ」

『不器用者め。主が殴られる必要や理由はどこにあるというのだ』

「二年以上の付き合いになる神剣様にもようやく所有者を慮る気持ちが搭載されたらしい。持ち主である俺を心配してくれんのか?」

『頭の中身を、というのなら間違いではないな』


 言ってろ、と笑い、胸ポケットにセーナを収めてから額の血を拭って絡まれていた女の子の方を向く。

 木材で殴られた傷がかなり痛いが、目の前でそれを完全に治されたら引くよな、というこちらの世界に配慮した状態で、なるべく傷が見えないように女の子に笑いかける。


「怖かっただろ。こんなところに、もう来ちゃダメだからな」

「……あ、あの」

「ああ、まあ被害者を説教すんのはお門違いだよな。悪い。大丈夫だったか? 変なことされなかったか? 心配なら、どこか安全な場所まで連れてって行くくらいには、俺も暇だけど、どうする?」


 暗がりで震えている少女に手を伸ばす。少女はおずおずと手をとって、立ち上がる。見れば、偶然にもうちの学校の生徒らしい。

 立ち上がると身長は俺の胸程までしかない。魔王程とは言わないが、かなり小柄な少女なんだな。多分後輩だろうな。身長だけ見たら、ハルカゼと同じくらいかな。ていうかハルカゼだこれ。



 ……ハルカゼだった。

 桜倉ハルカゼだった。

 俺のマスターにして、先に帰ったはずのハルカゼだった。


 マジで気づいていなかったので滅茶苦茶驚いた。

 頭の横に(シグマ)みたいな驚きの記号が出るくらい、死ぬほど驚いた。

 ハルカゼの方は気づいていたのか、俺に対して何かを言いたげに声を出そうとしているが、出てこないらしい。

 しばらく、気まずい無言が横たわる。 


 俯き気味のまま、目尻に涙を浮かべて俺の手を取るその手には、主従の証である紋章が輝いていたが。

 今はそれはどこか温かく光を湛えているだけだった。


 ……何この展開。

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