6話 その魔王の脅威に勇者は震える。
「樫和木オーマと言う。親の都合により転校の運びとなった。以降よろしく頼む」
………。
俺はざわつく教室内で一人、机に突っ伏したまま、呻く。
――この魔王 転 校 し て き や が っ た。
よくもまあその体躯でいけしゃあしゃあと高校二年のうちのクラスに転校出来たもんだと思う。
自慢気にふんぞり返った一番小さな制服がだぶだぶの魔王の姿は、どう考えても悪い冗談にしか思えない。外見相応な学校を選ぶとしたら小学校か、五十歩くらい譲って中学校だろう。
クラスもその異様な姿に「飛び級?」「やだ可愛い」などの意見が飛び交い、やっぱりこの世界は平和なので俺が救うまでもないことを理解する。完全に視線が玩具か歳の離れた妹弟を見るときのそれだ。平和なクラスメイト達にとっては何か面白そうなイベントが始まったぞ、というような感覚しかないらしい。こちとらムービーが飛ばせない類の強制イベントに巻き込まれた感覚だというのに。
完全なる俺への嫌がらせとしてある意味虐殺以上の一番効果的な手段を取ってきた魔の王を思い切り睨みつける。
何が楽しいのか片方の眉を上げて完全に馬鹿にした笑みを返してくる。殺す。マジで殺す。
っていうか昨日セーナが言っていた通り、明るい所で見たら確実にクラス魔王の後の表記はレベル1になっている。……なんだ魔王レベル1って。こいつは俺と違ってこっちの世界にレベルを引き継げなかったのか? 疑問符を浮かべながら首を傾げていると、その隣に立っている先生と目が合う。
「とりあえず、病み上がりで悪いが、葛切。お前の隣の席に座ってもらうから……少しだけ樫和木の世話焼いてくれんか」
世話どころか本人を火炎でじっくり焼きたい衝動に駆られるが、三ヶ月不在の後にひょっこり姿を表した俺を快く迎えてくれた先生の願いを無碍にはできない。歯を食いしばって極振りした愛想笑いのスキルを使い、快諾すると魔王こと樫和木オーマは大仰に人々の視線を集めながら俺の隣の席へと座る。このスキル、魔王が近くに居る状態で使うにはMPの使用率半端ねぇ。
窓際一番後ろの俺の楽園が、隣に来た魔王のせいで完全に壊された。川渡った所に竜王城があるラダトームの住民ってこんな気分なのかもしれない。
横目で魔王を睨みつけると、魔王もその視線に応えて挑発的な笑みを向けてくる。こいつマジで殺す。
「……どういうつもりだ」
「さぁな。貴様に余をして逐一説明する義務でもあるのか?」
「ふざけろ……!! 俺の安息の生活を乱しやがって……!! 大体次に会った時が俺の命の最後じゃなかったのかよ……!!」
「フン。嘯くは人のみの特権とでも思うたか、戯けが。そして、この状況に於いては己の身の安全が保証されていると思っている貴様の腑抜けっぷりにこそ、余の心が乱れおるわ」
その挑発に、異様な状況で忘れかけていた魔王への怒りが湧く。
「……やってみろ。お前が何かする素振りを少しでも見せたら、俺はこの世界での居場所と引き換えにお前を打ち滅ぼしてやる。……っていうか、逆に言えばレベル1の魔王に何が出来るか見せてもらいたいもんだな」
ビシッ、と何かがヒビ割れる音が聞こえた。眉根を寄せて魔王を見ると、俺の言葉にまるで金縛りにあったかのように硬直し、しばらく眺めているとだらだらと汗を流し始める。
「………」
「………」
「……フン。レベルなど、関係はない。余は余だ」
何その汗。そして表情。お前もしかして。
「……よし分かった、ちょっと校舎裏来いお前。お前もしかして、今は魔王っていうよりただの幼女なんだな!?」
「ククク、落ち着け。勇者よ。ここに於いて事を荒らげて、貴様が守ろうとしたものをも壊してしまうかもしれんだろう。筆箱とか。教科書とか」
「昨日の啖呵は何だったんだてめえ……!! 破壊の規模が超縮小してんじゃねーか……!!」
「余が本気を出せば、その地図すら書き換えてみせよう」
「一時間目世界史だからな……! 先生が来る前に地図帳に落書きくらいは出来るってか……!!」
ああああ。いきなり低レベルな争いになった。クククと笑う魔王の姿に辛うじて抱いていた警戒心とか恐れがまるごと吹き飛んで、今はもう調子に乗ってる幼女にしか見えなくなっている。どうにか威厳を保とうとしてふんぞり返っているが、衣装がサイズの合っていない女子学生服であるため、背伸びした小学生がお姉さんぶってるようにしか見えないのだ。
色んな意味で誤算が立て続けに起こっているせいで、気の置き所がどこか分からなくなり始めている。俺はこの冷や汗だらだらの幼女にどういう態度で接するのが正しいのか。
頭を抱えていると、机の上に置いておいた『セーナトゥーハ』(シャーペン)が淡く光り始める。
『……哀れな姿だな。魔の者』
お前が言うか。お前ら一度自分の姿を省みろ。シャーペンが幼女を憐れむシュールな姿になってるぞ。
「……ククク、よもや文房具に憐れまれるとはな。だが、この姿、不便ばかりという訳ではないぞ。昨夜など、余が公園にて窮していたところ、この国の自治を任されている者が声を掛けてきて、一宿と一食を献上していった。塵芥としか思っていなかった人の中にも殊勝な心がけの者がいるようだな」
多分お巡りさんが暗くなっても一人で公園にいる幼女を助けたんだろうね。法治国家バンザイだ。
お前も何ナチュラルに相伴に預かってんの魔の王。割りと薄汚れていた体が今朝になって綺麗に整っているのはそのせいか。
『所詮は魔の者か。こちらの世界の人間の叡智を侮るな。差し当たり、授業が始まれば分かる。――この我が、如何に第二の人生を十全に満喫しているかがな。我の書き味が如何程の物か、その幼き両目にも焼き付けよ』
「抜かせ。無い口で良く喋る。人に使われるを是とする貴様は知るまい。――半日ほど飢えた後に出される、夕餉の落涙に値する美味さを。そして、本日持参してきた、その残り物を詰めてもらった――昼食の出来栄えをな」
やめろ。低レベルな次元で争うな。頭が痛くなってくる。
幼女とシャーペンは互いに一歩も引かず、かつてあちらの世界を牛耳ってきた魔の王と、その魔の王に対抗出来る唯一の武器の神剣の成れの果ては、互いの無知を嘲笑うように高音と重低音の含み笑いの二重奏を奏でた。
「……っつーか、マジでこれだけは聞かせろ。何で転校なんてしてきた。これも、ただの嫌がらせか何かか」
「……フン、魔の王たる余がそのような戯れに興味があるとでも?」
「うるせえ。胸のリボンの蝶結びも出来ないお前が威厳たっぷりに威張り散らしたところで何の恐怖も湧いてこねーよ。……つまり、何らかの意味がある行動なんだな、これは」
「さぁな。何度も言うがこのような姿になったところで、貴様と慣れ合うつもりは余にはない。全てを詳らかにする必要もなかろう」
『……これは、多分魔王本人も分かっておらぬのだろうな』
「……俺もそんな気がしてきた」
さっきのお巡りさんの件から推測するに、今こいつは住所不定の幼女なのだから、そんな幼女がすんなり転校してくるというのはそれだけで怪奇現象だ。以前の魔王ならば因果律を操作してそれが必然となるように事象を改変するといった荒業も出来ただろうが、今のレベル1の魔王にそれが出来るとは思えない。
つまり、こいつも、俺と同じように何らかの理由を以ってこちらの世界に召喚され、自分の与り知らぬ所で何かが起こっている……言いたくはないが被害者のようなものなのではないか。
ククク、と笑いながらこちらから見えないように制服のリボンの蝶結びに挑戦しているが、上手くいっていない魔王の姿を見て、哀れさすら感じながら思った。
魔王は微笑を湛えたまま目を閉じ、足を組み直して座る。胸のリボンは固結びになっていた。哀れ。
ただ、今の状況は俺にとっても、こちらの世界にとってもありがたいことでもある。世界の危機が今現在、何の力も持ち合わせていない幼女に成り下がっているということは、少なくとも今の状況で対処してしまえば世界から脅威はなくなる。加えて、それは異世界を救うことにもなり、今ここで固結びを解こうと必死になっている幼女さえ討ち斃してしまえば、俺の勇者としての長い戦いには終止符が撃たれることになるだろう。
剣呑な想像をしながら、手の中に『セーナトゥーハ』(シャーペン)を収めて覚悟を胸に抱く。今この教室で仕掛る気はないが、もし魔王が不穏な動きをすればこちらにも対処をするだけの力はあるということを、暗に伝えるために。
力の入れ過ぎで赤くなった小さな指先を振りながら、少しだけ目尻に涙を浮かべながら魔王はその様子を嘲笑う。
「ククク。そう怯えるな。貴様とて民衆のために己の全てを犠牲にすることは本意ではなかろう」
「馬鹿言え。本気で平和が訪れるなら、俺は今ここでだってお前を倒せる。ましてやそれがこっちとあっちの二世界を同時に救うことになるんだ。今更躊躇いなんかねーよ」
「ここで余に襲いかかれば、目を覆うような惨劇を見せようぞ」
「今のレベル1のお前に何が出来るっていうんだ」
「暴漢にいきなり襲われた年端もいかぬ少女として、限りなくみっともなく大声で泣き叫ぼう」
性質悪ぃ!! こいつ自分の武器を完璧に理解してやがる……!!
「ちょっと漏らすやもしれん」
「やめろッ!! 異世界で争ってた勇者達全体の品位まで道連れにすんじゃねえ……!!」
躊躇なく漏らすとか言うな。悪行の為なら手段を選ばぬ存在として人々に恐れられていた魔王が、別の意味で怖くなったわ。
こんな奴に何年も苦しめられていたあちらの世界の住人まで気の毒になってくる。おのれ魔王……!!
歯ぎしりと共に睨みつけた時、朝のホームルームが丁度終了した。
と、気づいていたが先ほどから存在した「クラス中のそわそわした空気」が全てこちらに向けて雪崩れ込んで来て、転校生である樫和木オーマは、転校生にありがちな質問攻めにされ始めた。
春のクラス編成から少し時間も経ち、ある程度人間関係が出来てきた頃にスパイス的に転校生が放り込まれればそうもなるだろう。
しかもそれが、どう見ても自分の歳の離れた妹弟世代の幼女にしか見えない相手なら、女子は玩具にするし男子からの扱いも決まったようなもんだ。これ以上ないくらいの漫画みたいなシチュエーションに、生き生きとしてるクラスメイト達の姿に嘆息した。
三ヶ月居なくなって、急に現れた俺に対してはまるで可哀そうな物を見るような目線を送ってきたのに、性別と年齢が違うだけでこれだ。まあ俺も、こちらの世界での交流そっちのけでシャーペンに小声で話しかける日々を送ってきたんだから当たり前と言えば当たり前だが。
ああ、やっぱこの世界は平和だよ、ハルカゼ。
お前が心配するような事は何一つないと断言出来る。
もみくちゃになりながら既に髪型をツインテールにされている魔王が、威厳たっぷりにクククと笑みを零している様を見ながら、俺は嘆息した。
せいぜい洗礼を浴びるがいい。それがこちらの世界を代表する魔王よりも強いクラスである女子高生だ。隠しステータスである女子力が高ければ高い程強いらしいぞ。
この状況をアリシアにも報告した方がいいのかな、と思いながらシャーペンを回していたが、懸命な俺はやめておくことにした。
実戦で活躍するために筋肉付けるにはどんな食事を取ればいいかという相談に「ササミ食べるといいよ」という言葉を聞き違えて、二ヶ月程「サラミを食べ続けた」せいで2kg太って涙目で抗議してきた神剣使いに、この事実を報告して、正しく対処してくれるとは思えなかったからだ。
……もしかしてどの世界も、基本はアホで構築されてんのか、これ。