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閑話1-3 『橋の下の化け猫』であります。


「にゃるほど。要はその猫が引っ掛かっていると。

 確かに言いづらいよね、アリシアおねーちゃんにとっては」


 本日の夕方にあったことを全て話し終え、妹様は納得したご様子で何度か頷かれたであります。

 もうすでにお風呂から上がってはいるのでありますが、気温がだんだんと初夏から夏のそれに変わっていっていることもあり、下着姿で胡座をかいての自室での女子トークであります。

 妹様は頭をタオルで拭きながら、猫かぁ、と私が夕方に遭遇した猫に思いを馳せているであります。


「ミコからおとーさんに相談してあげようか?」

「と、とんでもないであります。

 私は居候の身でありますゆえ、発信源がどこであれ烏滸がましい願いでありますよ……。

 葛切家はお父上もお母上にも良くして頂いておりますゆえ、これ以上のご厚意は身に余るであります……」

「おとーさんもおかーさんもアリシアちゃん気に入ってるみたいだけどね。

 だから多分おねーちゃんからお願いすればチャンスくらいはあるんじゃないかなーって思うんだけど」


 それは……確かに、最悪の場合採れる手ではあると思うであります。

 ですが、そうやって安易に阿ってしまって良いものか、やはり今の私は少し迷うであります……。

 困難に直面したとき、葛切家の方や、セト様に頼り切りになってしまうのではないかと、少しばかり怖いであります。


 開け放しにしている窓から風が入ってきて、少しだけ肌を撫でていくであります。

 風に涼しそうに目を細めてミコ様が言葉を足すであります。


「……どうにも、それだけが心配の種ってわけじゃなさそうだね。

 もう少し、詳しく聞いても大丈夫かな、おねーちゃん」


 やはり、自分の懊悩など承知であるかのように、ミコ様は腕を組んで頷かれたであります。

 この辺り、やはりセト様と何処か似ており、少しだけ表情が緩んだであります。

 ミコ様は本腰を入れて私の話を聞かれるご様子で「ちょっと待ってて、飲み物取ってくるから」と仰られ、階段を降りて行ったであります。


 一人、妹様の部屋に取り残され、やはり中途半端な我が身を思ったであります。

 野良猫に己を重ね、捨てられたことに共感し、同情している自分を、どうしても意識してしまうであります。

 ファイルカスタムというお家の存在は、私にとって未だある種の鎖として絡みついていることを自覚したであります。

 女だてらに武功を立て、騎士として一人歩むことを決意したその日から、ある程度お家とは道を違えたと納得していたはずでありますのに。


 戦いのある日々はそんなことを考える暇はなかったであります。

 セト様やグラッド殿の後ろを着いて行き、後ろにシンラ殿が控えているあの日々の中では、置いていかれぬことに必死で、余計なことを考える暇などなかったでありますゆえ。

 己の有り様がただ正しくその場所であると疑う余地すらなかったであります。

 お傍に、ただ前に剣を持って進んで行くセト様が、私の模範として存在していたでありますから。


 ただ、この世界に召喚され。

 常に剣を構えている必要がなくなった私は、自分で思っていたよりも何も出来ないただの小娘であったであります。

 作法一つにしても学び直さねばならず、未だこちらの方々との会話の中で違和感を生じさせる始末。

 優しい方ばかりであるゆえ、許されておりますが、それでも私はやはりこの世界では私のいた世界よりも増して、何も出来ないただの女であります。


 百の魔物を紅蓮の剣で焼き切り、魔王を追い詰めた勇者の片腕であった自負はあるであります。

 ですが、その片腕は子猫一匹を助ける事もできず、また助けるかどうかも決め倦ねる程、矮小な存在であることを、自覚したであります。


 そして今日、ただの人であるはずの妹様に、頼り縋っている我が身が情けなく感じられたであります。


 ……はぁ、であります。

 憂鬱でありますよ。

 私は、もう少しセト様のお役に立てると思っていたであります。

 こちらの世界に来た暁には、身の回りのお世話から警護まで、全てを行う心づもりで召喚を待っていたであります。

 グラッド殿たちを差し置いてこちらの世界に召喚していただいたにも関わらず、この体たらくであります。

 ……蓋を開ければこの有り様であります。

 元々こちらの世界の住人であるセト様に対して何か出来るかといえば、そんなことなかったでありますよ。



 床で丸くなるであります。

 情けないであります。

 ごろごろであります……。

 ごろごろ。



 と、芋虫になっている私の耳に、絹を引き裂くような悲鳴が聞こえたであります。

 いや、絹というよりもっと野太い、男性の悲鳴のような響きだったでありますが……。

 というか、多分あれはセト様の悲鳴でありますが……。


 緊急事態であることを考慮に入れ、下着に差し込んでいたグラムちゃんを手に取り立ち上がるでありますが、丁度そのタイミングで部屋のドアが開き、妹様が麦茶を持って帰って来たであります。

 何故か憤懣遣る方無い表情で麦茶のコップをテーブルに置き、胡座をかいたであります。丸見えであるのではしたないでありますな……。

 ぶすっとしたまま妹様は口を開いたであります。


「おにーちゃん帰って来た」

「セト様お帰りでありますか。

 結構遅かったでありますな」

「普通妹のパンツ見て兄が「ギャー!」とか言う? 逆なら分かるけどおかしくない?

 こっちは結構高かったおしゃれパンツなのに、目を覆ったまま部屋に逃げ込むとかどうなの?」


 ぷりぷり怒りながらやけ麦茶をする妹様であります。

 ……どのようなリアクションをされればご満足いただけたのでありましょうか。

 ある意味過剰反応であるような気もするでありますが。


 妹様が時計を見て、セト様が帰ってきた時間を確認するであります。


「……本当におにーちゃん帰り遅いよね。

 こんな時間まで何やってたんだろう。

 恋人(かれし)でも出来たのかな」

「……何か今、違和感があったでありますが」

「恋人が出来てこの時間なら、ようやくおにーちゃんにも春が来たって喜べるんだけどね。

 でも、そうじゃないならこんな時間まで歩きまわって、何やってるんだろ」


 ……違和感は多分、気のせいだったでありますな。

 確かに外を見れば日が長くなってきた最近であるにも関わらず、完全に夜の闇が訪れている時間であります。ハルカゼ殿とのお茶会であったとしても、このような時間まで残っていることはありえないでありますね。

 セト様はセト様のご用事があられるご様子。

 ……正直、それをお伝え頂けない我が身こそを叱責するべきでありますね。

 私が必要でない事態であるのであればそれで重畳でありますが。



 はぁ。

 ため息が出るであります。

 やはり私は私が思う以上に『星喰い』の一件が引っ掛かっているようでありますね……。


 ため息を聞きつけ、妹様がストローを上下させるであります。


「悩んでるねー、おねーちゃん」

「……お恥ずかしながら……。

 今回の件に限らず、私は……思ったよりもセト様に依存しているでありますよ。

 思い返せばお家にお招き頂いたのもセト様と、そのご家族様のご厚意……。

 今も妹様に部屋を半分お貸しいただいて、ようやくここに居られるであります」

「少なくとも、ミコは気にしてないけどねー。

 おにーちゃんとは出来ない話が出来たりするし」

「……恐縮であります。がゆえに、それに甘えている己を許すことが出来ないであります。

 猫の話など、その一端でしかないであります。

 かように些細なことであっても、独力で解決出来ぬ我が身が許せないのでありますよ。

 ……先に、セト様は『大変な困難』に巻き込まれたであります。

 本来、その分野では私が先陣を切り、解決に至ることが筋であり、そのために私はここに居るような物なのであります。

 ですが、結局私は僅かな助力に留まり、何も出来なかったであります。

 助けたい者も助けられず、セト様の奮迅の活躍に着いていけなかったでありますよ」


 墨桐殿の事件の際。『星喰い』という『世界の危機』と向き合った際のこと。

 私はその出力や性質からセト様たちのバックアップに回されたであります。

 何も出来なかったわけではないが、何も出来なかったわけでもないことがより一層自分を傷つけているであります。

 それを理由にして、どこか許しを請うているような己の弱さにうんざりしたであります。

 本来なら、武力という形でならセト様の助けになれたはずでありますのに。

 墨桐殿の問題を解決して差し上げることは、出来たはずでありますのに。


 どよーんであります。

 セト様ごめんなさいであります。

 そして引いてはグラッド殿やシンラ殿を差し置いてこちらに召喚されたことにもごめんなさいであります。

 セト様が手ずからお選びになられたその人選を侮辱するわけには行かないため、その選択に見合った働きをしようとしているでありますが……。


 私は。

 セト様を想う気持ちの、何分の一も、何十分の一も、助けになれていないであります。

 それを思うと、私は胸が苦しくなるであります。

 武力だけは、せめて勇者の仲間としてだけは。

 誰よりも、セト様のお近くに居たいと思っておりますのに……。


 慣れない言葉で、己の心情を吐き出すと、妹様はうんうんと納得された様子で笑顔を作られたであります。


「健気だねー、アリシアおねーちゃん。

 おにーちゃんの為にそこまで献身的になるなんて。

 愛されてるんだなーうちのおにーちゃん」

「……敬愛するセト様のお力になれないのは、苦しいであります。

 胸がきゅーんとなるでありますよ……耐えられないであります」

「悩みすぎだと思うのも思うけどねー、妹から見たら。

 ほら、おにーちゃん総受け、じゃない、何でも請け負っちゃって貧乏くじ引くタイプの人間でしょ?

 だから、苦労を背負い込むのが好きで色々やってたりするんだと思うよ。

 なんていうんだろ、こういうの……えーっと」


 妹様は少し迷った挙句。


「マゾ?」


 迷った挙句その単語をチョイスするのはどうかと思うでありますが。

 まあ少し納得するところでもあるでありますね……私以上に献身的に他人に尽くすタイプでありますゆえ。

 なので、他人の助けを必要としているハルカゼ殿とは相性が良く、上手くやっているのでありましょうし。私は何故か、それを思うと少しだけ胸が苦しくなるでありますが。


「頼られるのが嬉しいんだと思うから、じゃんじゃん頼っていいと思うけどなー。

 ミコはおにーちゃんに時々我儘言うけど、おにーちゃんそれを断ったことないしねー♪

 最近何か身体鍛えはじめたのか腹筋とかちょっと割れてるのを写真取らせて欲しいって言ったら了承してくれたし。

 かなり人生に於いて何かを諦めたような目で」

「……セト様の腹筋を写真に収められたでありますか?」

「……いる?」


 ………。

 ………。

 ………。


「あ、いえ、特には」

「随分迷ったねおねーちゃん!!

 昔のゲームのローディング時間くらいあったよ!!

 ちょっとその間にアイス取りに行こうかなとか思っちゃった!!」

「も、持っていても仕方がないと納得しましたゆえ……。

 ただ、私の場合は、私が納得行かないのでありますよ……。

 セト様は助けることに躊躇もなく、重荷に感じられないかもしれないでありますが。

 他ならぬ私が、セト様のお傍でその背中を守らせていただきたいのであります」

「納得、かあ……。

 ミコは、おにーちゃんとアリシアさんが、直接話して見るべきだと思うけどな……。

 おにーちゃん、あれで普通の男子よりかなり鈍感さんだから、尚更」


 言いながらミコ様は机の上にあった機械を引き寄せるであります。

 確か何とかホ、という魔道具に似た機械であったと思うであります。

 指で操作するでありますよね。知ってるであります。使えんでありますが。


「ミコ様、何をなさっているでありますか?」

「んー、とね。

 今回は、とりあえずアリシアおねーちゃんの意向に添えるかなと思って。

 要は、うちに限らずその猫を引き取れる家を探せばいいんだよね?

 だったら、知り合いで猫とか詳しい人とか、飼いたいと思ってる人とかいないかなと思って、ちょっと連絡取ってみようかなって。一応顔広いしねー」


 何とかホは凄いでありますな。

 神剣くらいの神器でようやく離れた場所同士で会話が出来る機能が付与されるでありますのに、何の魔術の素養もない妹様でもそれほど速く連絡を取り合えるとは。

 びっくりであります。

 同時に、グラムちゃん形無しでありますな。


「その猫の特徴、詳しく教えてもらっていいかな、おねーちゃん」

「ええと……白い、猫であります。

 で、青い目をしていて、大きさは、このくらいでありますね。

 全体的に、ふわふわとしていて……今は河川敷の橋の下に居るでありますよ」

「大きさは、成猫くらい、と。

 ……あれ? 河川敷って、あの高校の近くの?」

「あ、はい、そうでありますね。

 先程も申し上げた通り、剣道部のロードワークの道順でありますゆえ」

「………?

 あれ、その猫の話、ミコどこかで聞いたことある……」


 何やら片手で弄っていた機械を両手でいじり始めて何かを探しているであります。

 どこかで、ということは、あそこに捨て猫が居るというのはそれなりに有名な話なのでありましょうか。


 妹様は少しばかりその機械を弄っておりましたが、やがて目当ての物を見つけたように手を打ち鳴らし、同時に眉を歪めたであります。

 目を閉じて、複雑な表情をして考え込んだであります。


「……ミコ様?」

「うーんと、あのさ、夏だからこんな話するわけじゃないんだけど。

 その……アリシアおねーちゃんって『怖い話』とか、平気?」

「……ものに依るでありますが」


 包囲戦で追い詰められた際に物資の補給がままならないとか、初めて入った国が帯剣不可であったことを出国時に教えられたとか、そういった怖い話は勘弁でありますが……。

 妹様は少し悩んだのち、何かを決心したように、その手に持った機械をこちらに渡してきたであります。


 そこには、何やら綺羅びやかな画像と、文字が映っていたであります。


「……このページね。知り合いが運営してるうちの中学の裏のホームページなんだけど。

 うちの中学にも、七不思議みたいな物があって、それの特設ページなんだ。

 ついこの間更新があったからって送られてきたものなんだけど……。

 この、六番目の怪異になってる『橋の下の化け猫』って……そのアリシアさんが見た猫と似てない……?」


 『橋の下の化け猫』。

 化け猫、でありますか……?

 あの可愛らしい猫が……?


 思わず私がその文字に触れると、何やら機械が妙な挙動を起こし、ページが切り替わったであります。

 壊したでありますか!? と不安がっていると、すぐに何かの画像がその画面上に浮かび上がったであります。


 そこには。

 私が夕方見た、猫そのものの写真が表示されていて。



 その上には短く。


 ――『けして死なない猫』、と書かれていたであります。

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