50話 勇者のあり方と墨桐ニカからのメッセージ。
柔らかく軋むベッドで目を覚ます。
額を手で押さえながら起き上がると、そこはすぐにハルカゼの家だと分かった。壁も天井も木造の家なんて、一度見たら忘れない。
ハルカゼのベッドを占領していることに気づき、布団から抜け出してベッドに腰を掛ける。
脇腹に疼痛が走り視線を下ろすが、そこには傷跡一つなく、何らかの魔術で治癒されたような魔力の痕跡だけがあった。それどころか、限界を超えた速度で飛行した裂傷すらも身体にはなく、サービスなのか服までが修復してあった。
恐らくだが、チカゲさんか誰かが癒し、治してくれたのだろう。
後で礼の一つでも言わないといけない。『魔女』は基本不干渉であると言わしめた彼女をして、そのポリシーを崩してでも『勇者』を治してくれたんだ。言ってしかるべき礼だろう。
他の皆はどこに行ったんだろう。
そして、今は何時なんだろう。
いや……それ以前に『星喰い』は……? と考えたところで、再び目眩が起こる。血を失いすぎたか、とベッドに手をつき、耐え切れずに布団に顔を落とす。
ただ、心配はしていなかった。
恐らく、俺より上手く、俺の仲間たちが『世界の危機』に対応してくれたはずだ。
上空の『星喰い』の破片は墨桐とアリシアが処理してくれただろうし、『星喰いコア』はシンラが、文字通りなんとかしてくれたはずだ。
本当に、俺は、心から仲間に恵まれたと思う。
また、持てる力の全てを使ったぎりぎりの勝利だったけれど、世界すらすくいきれなかった勇者にしては上々の結果だったんじゃなかろうか。いくつもの危ない橋を渡った自覚はあるので、次の『世界の危機』はもう少しスマートに片付けたいところだと自嘲する。
次なんてものがないのが、最高なんだけどな。
ベッドにうつ伏せになって体を預けて横を見る。
ふと、ハルカゼの物であろう本棚に、何かが置いてある事に気づいた。
一瞬それが何か、俺には理解出来なかった。
ぱっと見、何でそんなものがハルカゼの部屋にあるかは分からない代物で、しかもそれは軒並み真っ二つに折れたり切れたりしていたので、何かを理解出来なかった。
だがそれは、僅かに光を発していて。
その折れた『櫛』や『カチューシャ』や『カンザシ』が……こちらの世界に来たときの、セーナと同じ物であることに気づけた。
神器。
聖杖『フラッズフラット』と対になる、墨桐の世界の勇者の武器だ。
なるほど、『星喰い』がこちらの世界に、まだ召喚されていなかったから変化はなかったが、改めてコアと分離してこちらの世界に来たことで、そういう変換のされ方をしたか。
どういう法則なのかは分からないが、その世界を救った武器達は、今は使えないヘア用品となって、役目を終えてそこにあった。
恐らく、コアと分離した後の『星喰い』の残骸から墨桐が回収して、拾い集めたのだろう。よく見れば櫛だけは何か補修したような跡がある辺り、きっと墨桐はこれを直して使おうとか考えているんだろうと思う。
俺も、改めて礼を言うべきかもしれない。
その神器の持ち主に。
そして、神器そのものに対して。
彼らが、そして彼らの武器があそこに残されていなければ、『星喰い』を退ける事は出来なかっただろう。
俺はベッドから起き上がると、その本棚に向けて、頭を下げた。
「ありがとな。……助かった」
本心からの礼を言い、再び襲い掛かってくる目眩に苦笑いしながら、ベッドに再び横向きに倒れこむ。
倒れた拍子に枕元に置いてあったシャーペンが地面に落ち、俺はそれを目で追う。居たのかよセーナ。居たっていうか、あったのかよ。
落とされたことへの抗議なのか、無言の相棒をベッドから片手を伸ばして拾い上げ、いつもの胸ポケットに収めた。
相棒とはいえ、今回セーナにも助けられた。
ハルカゼの身体が、恐らく無事で済んだのもこいつの制御のお陰だし、上空への飛行を可能にしたのも神剣あってのことだ。
だから、癪ではあるのだけれど、こいつに対しても同じように礼を言うべきかもしれない。
ただ、付き合いが長いのでそのままの礼を伝えるのは絶対に無理だ。これはもう勇者がどうとか言う前に、男は無理なんだそういうの。照れすぎて言葉が出なくなる。
俺は少しだけ頬を掻きながら、ベッドに再び仰向けになり、顔だけを墨桐の異世界の神器に向けて呟く。
「セーナ。
……お前は以前、自分のことを、強大な力を持ち、他者を傷つけるための武器である、って言ってたよな。だから、今そんな姿になっている我が身を、後世に何かを残せるって喜んでたよな」
それは、いつかの会話。
冗談ばかり口にするこの神剣という名の相棒が、珍しく漏らしたであろう本音だった。
俺はずっと、その言葉が引っかかっていた。
神剣の有り様と同じように、また勇者も平和な世界には必要のない存在だ。
『世界の危機』が迫っている今ならまだしも、平時に俺や墨桐の勇者の力は、単なる暴力にしかならない。
俺や墨桐が己の力を外になるべく漏らさないようにしているのはそんな欺瞞があってのことだし、世界を救うなんて名目で力のない普通の人に対して贖罪をしようとしていないかと問われればすぐには答えられない。
普通の人間と同じように扱って欲しいということ自体が傲慢だと言われてしまえば、俺たちは簡単に居場所を失う。そう考えると、異世界から危機を呼び寄せているのは己のせいなのではないかと思ったこともある。
そこに必要があって、不必要がある。
広い目で見た場合俺も、セーナも、一番いい状態には不要な存在になるという、ただそれだけの話だ。
それを、俺やセーナという視点では承服しがたく、出来ることなら自分の存在と折り合いをつけさせて欲しいと願っているだけで。
だから、俺がセーナにこんなことを言うのは。
もしかしたら傷の舐め合いなのかもしれないけれど。
「……俺は、そうは思わない。
筆記用具だけが、物事を未来に伝える……後世に何かを残せるだなんて思わない。
墨桐の異世界に居たやつらは、言葉でも、文字でもない形で、未来に……そして墨桐に想いを伝えた。
それは彼らを直接知らない俺にすら伝わったんだから、お前っていう存在の本質がなんであれ、お前が居ること自体が他人同士を繋ぐことだってある」
平時では必要ないといことは。
裏を返せば平時以外で必要とされるということだ。
平時と平時を繋ぐ僅かな綻びにでも意味を見出だせるなら……その時だけでも必要とされるのならば。
そのために刃を研ぐことは、けして悪いことじゃないと、俺は思う。
他人を傷つけることが出来ないナマクラでは、他人を守ることだって出来ない。
セーナという他者を傷つける存在と出会えたことで、俺が、俺以外の人間が、どれだけ救われたか。それを、一義的な意味で否定するのは、例えセーナ本人であっても許すことは出来ない。
「あんまり、人間を甘く見るなよ。セーナ。
お前が思うほど人は愚かじゃないし、かといってお前が思うほど効率的に『あるべし』で動いてるわけじゃないんだ。
必要不必要なんて効率論だけで存在を測ることも、一つの観測ではあるけれど、それはたくさんある視点のうちの一つだ。
俺は、武器であるお前に出会えたことは誇りに思うし、その積み重ねがあるから今の文房具のお前にも味を感じてるよ。
例え『神剣』が嫉まれる存在であっても、人が最終的に『勇者』を不要と断じても」
俺は、上半身を起こし、再びベッドに座り直すと胸元のシャーペンを手に取る。
「お前が『神剣』である前にセーナで、俺が『勇者』である前にセトだから。
きっと争いがなくなった後でも、そういう個人に、人は意味を見出してくれるんじゃないかって、思うんだが」
思うんだが。
思うんだが……このシャーペン誰ですか?
良く見たらセーナじゃねえしこのシャーペン。
道理で静かだと思ったよこの野郎!!
「……頭の中の治療は専門外だな」
いつの間にか入り口に、チカゲさんが立っている。
『世界の危機』が去った後に『尊厳の危機』が訪れて勇者は死にたくなった。
俺が頭を抱えていると、チカゲさんが何かを投げてきたのでキャッチする。
今度こそ本当のセーナであるようで、それを証拠にそのシャーペンは淡く光っている。
「得物を間違えるとは、流石に消耗が大きかったか、勇者よ」
「……そりゃ、まあ。一応、やっつけた、んだと思いますし。大丈夫、だったんですよね?」
「見応えのある花火だったよ。
魔女である前に、この星に住む人間の一人として、感謝出来るくらいのね。
君たちの傷の治癒はその感謝の証みたいなもんだ」
「……と、いうことは、他の連中も、無事、ってことですか」
安心して、どっと疲れが出る。
ベッドに突っ伏していると、胸ポケットのセーナが少しだけ強く光った。
『安心しろ。我が主よ』
「……何をだよ」
『さあな』
笑いやがった。
文房具に笑われたぞ俺。
こ、この野郎……俺が言いたかったことを全て理解してこの態度か……。
まあ、伝わったならいい。少しばかりサービスしすぎたとは思っていたので、そういう態度の方が俺としても有難い。俺のそういう性格を理解した上でのこの態度であるのならば、俺のほうが感謝すべきなんだろうしな。
『だが、一つ言おう、主よ。これは、逆に我からの進言である』
「おい、この期に及んでまだ死体蹴りするか」
『短く終わる。
平時と平時の間を繋ぐのが我や主の存在意義だとするのならば。
また、人と人とを繋ぐ者にも意義があるとは思わんか……?
過度な卑下は卑屈を招く。……頼りになる仲間の鎹である誉れを自覚せよ』
ぐ、が……!!
こ、いつは……!!
俺が赤面してベッドに顔面を擦りつけているのを見て、チカゲさんが肩を震わせて笑っている。
今このタイミングでそんなことを言ってくる神剣の最高の性格の悪さに、奥歯がなくなるのではないかというほど噛み締められる。
く、そ神剣が……自分一人で何も出来ないことをちょっと気にし始めた矢先にそれは卑怯だろうがッ……!!
「君たちは見ていて面白いコンビだな、勇者と神剣よ」
『時代が時代ならコメディアンとしてやっていけると自負している』
「俺に自負がないからソロで活動してくれ。
……ったく、完全に俺がやり込められただけだろこれ」
まだ熱を持つ頬を無理やり擦りながら、チカゲさんの方を向く。
俺の視線に、魔女は面白い視線をするなとばかりに腕を組んだ。
「……まあでも、一人で何も出来ないからこそ。
他人に意義を持たせられるんだとしたら。俺以外の助けを借りて、世界を掬えるなら。
俺は、この生き方も割りと悪くはないと、そう思ってるよ、セーナ」
視線だけはチカゲさんの方を向き、神剣に向かって言う。
その意図を、チカゲさんも理解しているのか、言葉を挟んでこなかった。
逆に理解をしているからこそ、セーナが言葉を重ねる。
『そうか。
であるなら、我も主に重ねて何も言うまい。
『魔女』殿は何か言うべき言葉はあるか……?』
そういえば。
なぜセーナをチカゲさんが持っていたのか、少し疑問だったが、もしかしたらこの二人は今まで何かを話していたのかもしれない。
セーナの言葉にそんな予測を立てながら、俺は『魔女』の言葉を待つ。
「ないよ。
『魔女』は、喋らないことも仕事だからね」
『魔女』はそう嘯いて、肩を竦めた。
「た、ただいま……!」
チカゲさんの側をすれ違うように、ハルカゼが部屋に入ってくる。
いや、それがハルカゼかどうかは分からなかった。声も背丈もハルカゼなのだが、その両手には大量のファーストフードの袋が抱えられていた。
「今戻ったであります!!」
「……荷物持ちがおらぬからこういう面倒なことになるのだ」
その後ろから同じように大量の荷物を抱えたアリシアと魔王が入ってきて、床に袋を置く。
なんとなくその時点で、こいつらがどこに何をしに行ってたのかが分かって、軽く笑いが出た。
ああ、なるほど、最初の目的なんか忘れて、そして待ちきれなかったか。
「あ、起きてる、先輩。
……一足早いけど、祝勝会、しようよ! ね!」
他の面子と同じように袋を床に置いて、とびきりの笑顔で墨桐が言う。
空の上で泣いていたはずの少女は、俺が思っていたよりもずっと強い少女だったというわけだ。相変わらず、俺は女を見る目がない。
まあすでに買って来ておいて「しようよ!」も何もないが、主賓である墨桐からのお誘いであるのなら断るわけにもいかないだろう。
俺がこの屋敷の主であるチカゲさんに一応頭を下げると、全て了承しているとばかりに肩をすくめてチカゲさんは自分の部屋に戻っていった。
「コーラの人ー」
「余だ。……氷で薄まったそれはあまり好きではないのだがな」
「こいつ行ったことあるような口調だな」
「あ、こ、これ、お魚の、誰の……?」
「私のてりやきはどこでありますかねー」
ハルカゼの部屋のテーブルの上に、ちょっとしたパーティのような光景が広がっていく。
外食どころかファーストフードも初めてな面子たちが目を輝かせながら楽しそうにしている。……なんだろう、娘たちを見る父親みたいな気分になってきた。
「葛切先輩はほら、ビッグアボカドはちみつバーガー」
「どうして混ぜちゃったの? そしてどうしてそれを大きくしちゃったの? っていうかお前これどんだけデカいやつ買ってきてんだよ」
「貴様男だろう。そのくらい食せ」
「俺は大きさに文句を言ってるんじゃなくて、この組み合わせの物のビッグを買ってきたお前らに怒ってるんだが?」
「……すみませんであります。私が良かれと思い、選んだであります」
「……新しい物に挑戦するって素敵なことだと思う」
「先輩!? アリシアちゃんとあたしで扱い違いませんか!?」
……すげえぺたっとなった犬耳が見えたんだから仕方ないだろう。
いや、良かれと思ってアボカドとはちみつ組み合わせたダークマターを買ってくるのは間違いなく駄犬のそれだが……。
「ハンバーガーどこ?」
「……お前、奢って貰うとか言ってたのに結構質素な物頼んでるんだな」
「いいでしょ別に。こ、こう、一番ノーマルなものを頼んで、その店の味を確かめて置きたかったのよ」
全国チェーンだよ。
味に違いなんてねえよ。
「その割には墨桐、貴様ピクルスを抜いて貰っていたではないか」
「あ、あ、私も……少し、苦手……かな」
「あたしはそんなに苦手ってわけじゃないんだけど、どっちかというとなくていいかなって思ったのよ。取らないなら取らないで別に良かったんだけど、ほ、ほら、通は抜くもんじゃない? やってくれるって聞くし」
薄っぺらい通もあったもんだ。単なるミーハー根性じゃねえか。
多分牛丼屋行ったら別に汁ダクの方が好きじゃないのに、言いたいが為に汁ダクにしてもらうタイプだなこいつ……。俺と同じかよ……。
適当にポテトを纏めて、それぞれのハンバーガーが行き渡り、ちょっとした祝勝会が始まる。
俺も、何やらグロテスクなバーガーを食べながら、墨桐の方を見る。
恐る恐る一枚ずつ開いてみたりしているその勇者が、いつの間にか俺たちの輪の中で違和感なく収まっていることに気づいた。
墨桐ニカ。
異世界の勇者。
俺とは違う、俺と同じ立場の人間。
もし、俺が墨桐の立場だったとしたら、どうだっただろうか。アリシアや、グラッドや、シンラを失い……またこちらの世界に呼び出されていたら、こんな風に笑えただろうか。
例えその信頼が、今の自分を救ってくれたとしても、失ってしまった生命を背負って、こうやって笑えただろうか。
ただ。
少なくとも、今墨桐は笑っている。
それだけで、どれだけ彼女を救おうとした誰かが救われるか、こいつは分かっていない。
分かっていないまま、勇者は普通の女の子のように笑うんだ。
「……なあ、墨桐」
俺は小さく笑いながら、思う。
この笑顔を守れただけで、まあ今回は俺にとっては十分な報酬であると。
目の前の曇空を晴らすことが出来たことが、勇者にとって何よりの誉れであると。
でも、まあこれから墨桐と友人関係を続けていくなら、まあ勇者としてではなく友人としての報酬も貰っておくべきかなと思った。
なので、俺は『勇者』から『勇者』にではなく。
『葛切セト』から『墨桐ニカ』に対して。
報酬を求めた。
「……ピクルスを取ってもらったハンバーガーとかけて」
俺は、墨桐が手に持つハンバーガーを指さす。
墨桐は文句一つ言わず、待ってましたとばかりに言葉を返してくる。
「今の、あたしの先輩に対する印象ととく」
「……いや、いい。
とくな」
俺が止めると、墨桐は了解しましたという笑顔でハンバーガーに齧り付いた。
いつものやりとりと違うな、と周りの人間が訝しむ中、俺は全力で顔を抑えて俯く。
こいつ。
こいつ、やっぱり、俺と同じ『勇者』で『超越者』だ。
最後の最後で、そんな反撃をしてくるとは思わなかった。
俺が偶然先を読めたから静止出来たが、こいつ、俺が止めなかったらどうするつもりだったんだ。
それともまさか、それすらも見越して振り返してきたのか?
俺が顔を押さえたまま墨桐を見ると、墨桐は猫のようににやーっと笑ってこっちを見てきたいた。
……分かってて、やりやがったのかよ。
じゃあ、なおさら言わせる訳にはいかないだろう。
言わせるかよ。
とってもだいすき、とか。




