47話 食物連鎖と小さな誤算。
『風王翼』によって空気のヴェールに包まれたまま、上空を飛ぶ。
見る間に今までいた町並みが遥か遠くに離れていき、豆粒ほどのサイズになっていく。上空でも変わらず居られるように、気圧も温度も調整してくれているセーナは、市販化されたらエアコンも扇風機もシャーペンも要らなくなるだろうなと思う。エアコン付きシャーペンで売り出すかシャーペン付きエアコンで売り出すか迷うが……。
背中に背負うハルカゼも同じように空気のヴェールに包まれており、高度と足の下に何もない不安定さに暫く震えていたが、抱きつく先があるという安心感か、鼓動の音も静かになって来た。
……ある意味、この抱きつかれている状態で相手の鼓動が聞こえるという状況は、多少なりとも気を使ってしまうなとも思う。予期せず相手の緊張が伝わってきてしまうということでもあるし。何よりまあ、相手がハルカゼで状況がこれであっても女の子に抱きつかれているという事実は変わらないわけだし。あまり意識しないようにしているけど。
「セトさん……」
そんな俺の内心を読んだわけではないだろうが、ハルカゼが俺の名前を呼ぶ。
正直タイミングが良いのか悪いのか、俺の方が何か緊張して鼓動が早くなった。
「何だ。……途中下車か?」
「し、死にます。確実に、落ちて死にます……」
『星喰い』までの距離はまだかなりある。冗談の一つや二つ挟んでもいいくらいには余裕があった。
俺が無言で先を促すとハルカゼは珍しくぽつりと自分から言葉を零してくる。
「……私は、大丈夫、ですから」
「あんまり今の内から言わないほうがいいぞ。もしかしたら凄い重労働になるかもしれないしな」
「それでも、大丈夫です。……いつか、抱えて走られた時と違って、今度は力になれ、ますから」
俺の背後でそんなことを言う。ハルカゼが昔話をするのは珍しいと言える。
それも、春頃のあの話をすると、簡単にドSキャラを装っていたときの記憶に繋がってしまうから、ハルカゼ自身が避けているのかと思っていた。なので少々面食らって、何と返していいかわからなくなる。
さっきは抱きかかえて走るという事自体が恥ずかしかったのかと思ったが、どうもそうじゃないらしい。ハルカゼらしいといえば、らしいが。
「……ハルカゼ」
「はい、何ですか、セトさん」
「体張る芸人枠は墨桐に任せろよ」
「……ち、違っ」
俺の冗談にハルカゼは簡単に動揺する。
その『違う』は何に掛かってるのか非常に気になるが。自分は墨桐と違う、だったら泣いていいぞ墨桐。
「……ずっと、セトさんにばかり、責任を負わせて……。セトさんの善意に甘えているのは、心苦しかったんです」
「それは、まあ、俺は勇者だし。それに、ハルカゼに召喚されて契約も結んでるしな……。それに、心苦しいって最初から俺を使役するつもりだったんだろ? だったら結果としてはあんまり変わんないんじゃないのか」
「最初は……だから、ちゃんと恨まれよう、と思ってましたから。……セトさんに嫌われて、それでも、迫っている危機を退けられたなら、その後にセトさんにどうされても文句は言えないだろうなって、思ってました。いえ、今でも、少しだけ思っています」
どうされても文句は言えない、というところで邪な想像が巡ってしまう。
これは健全な男であるかぎり仕方がないことであると主張したい。
俺はその邪な思いをため息に変えて返事をする。
「たまに、だから俺もワガママ言ってるだろう。あれしろだの、これ言えだの」
「そんなの……だって、割に合わないです……。本当は、私のこれから先全てを捧げても足りないくらいに、感謝しているのに……」
「んじゃ、もう少し無茶振りをすることにする。それでチャラだ」
「だ、ダメです、チャラは、ダメ、です」
ぎゅう、と背中から抱きつかれて、流石に困惑する。
ハルカゼが何を言いたいのか、何をしようとしているのかが読み取れていないんだろうか。いや、でもこの年頃の少女がそんなに簡単に男になんでもするなんて言うわけがない。確実にこっちが手を伸ばしたところでここから先は有料コンテンツですっていう表示が出てくるに決まってる。
ハルカゼなりに譲れない何かを伝えてこようとしているのだが、俺としては今更なことでもある。
そもそもが、勇者という生き方が割に合う合わない、採算が取れる取れないなんて感情で動くようには出来ていない。
目の前の小事を差し置いて大事を取れるような器用な生き方で勇者をやっていたら、多分いつかどこかで決定的に瓦解してしまう。
だから、俺や墨桐のようなあまり物事を深く考え過ぎない人間が、勇者として異世界に召喚されているのだとも思うし。世界の全てを救うなんて無理だ、なんて悟ってしまえば勇者なんて一秒もやっていられないと思う。
「無茶振りって言ってもそんじょそこらの無茶振りじゃないぞ。今までハルカゼや墨桐にやってきたレベルの無茶じゃない。俺が本気になって無茶振りしたら人通りの多い繁華街の中を全裸の上に服を着て歩いたりしてもらうからな」
「全っ裸……! って、そ、それだと普通に服着てません?」
……一瞬で見抜かれたな。
「まあ、気にするなってことだよ。俺だって好きでやってることに対して余計に気を使われても肩肘張る気がするからな。毎回毎回割に合うように無茶振り考えるのも面倒だし」
「な、何でも、しますよ……セトさんの、ためなら……」
「……マイマスター、俺も男なんだから、あんまり迂闊にそういうこと言うなよ」
「ず、ずっと前から覚悟は、出来て、ますから……」
完全にテンパってるな。身体が震えているのを見るに、恐らく吊り橋効果か何かだこれ。
下を見ればもはや人間が認識出来ない程の高度まで来ているし、高さへの恐怖を通り越して遠さへの恐怖を煽られて恐慌状態に陥ってもおかしくない状況にある。
とは言うものの、もう頭上には虚像と貸した『星喰い』が迫っており、その巨大さを見て割りと愕然としているのだけれど。遠目で見ていたから実際の大きさは分からなかったが、大岩なんてレベルじゃないぞ、これ……軽い島くらいある。
俺はセーナを右手に構えながら、ハルカゼに向かって言う。
「じゃあまあ、一つだけ頼むか」
「が、頑張ります……覚悟も、出来てます……」
「少なくとも、じゃあ俺や墨桐、アリシアとか……その他には、気を使わず居てくれ。話すべきことがあれば話して、相談すべきことがあれば相談する。お前が頼りっぱなしだって言ってる俺でさえ、こうやって誰かに助けて貰わないと何も出来ないんだから、ハルカゼも頼むから一人で抱え込むようなことはしないで欲しい」
「そんな……そんなのって」
「実際、ハルカゼはそれが出来てないと、俺は思ってる。だったら、努力してそれを行うことはきっとハルカゼにとっては、覚悟を以って、頑張らないと達成できないことになる。俺からのワガママとしては中々の試練だと思うけどな」
その言葉を口にしながら、
俺の頭の中では『魔女』の言葉がリフレインをしていた。
――「もし、桜倉ハルカゼを排斥するという意見に……ハルカゼ自身も賛成をしていたら、どうする」
まったく……『魔女』らしく遅効性の毒を仕込んでくれる。
俺は、ハルカゼが本当は何を考えていて、何を思っているかを知らない。
もしかしたら、ハルカゼが何かを隠していたり、一人で何かを成し遂げようとしていることに気づけてもいないのかもしれない。
ただ、今回の『世界の危機』を通して、自分が俺やアリシア、墨桐の役に立っているという自信がついたなら……一緒にその抱えている問題を解決するという方向にも持っていけるかなとは思っている。そこまで上手く行くかは分からないが。
何にせよ、それは問題を解決出来た後の話だ。今向き合うべきは今の問題であり、副産物にだけ期待していては足元を掬われる。生憎今空飛んでるけどな。
ハルカゼが俺の背中で、その言葉に何と返すべきか言葉を選んでいる間に、既に俺達は『星喰い』の真横にまで来ていた。
……その巨大さは。
視界にすら全て入りきらない程の大きさで。
人の力でどうにかしようなどと思えない程に、余りにも視覚に対して暴力的だった。
ハルカゼも俺が上昇を辞めたことで『星喰い』に視線を戻したのか、その大きさに背中で息を呑んだ。
――これを。
この大きさの隕石を、俺は破壊出来るんだろうか。
異世界でも、自分の体躯より大きな化け物とは何度も戦ってきたつもりだが、視界にすら収まらないレベルの化け物とは一度も戦ったことはなかった。それだけの大きさの化け物と敵対しようなんていう自殺願望がなかったことと、逆に言えばそれだけの大きさの化け物がこっちを敵として見做すことは殆どなかったからだ。
小蝿は鬱陶しいと思うが、生命の危険があるとは常日頃からは思えない。中には危険な種類の小虫もいるだろうけど。
「……先輩」
後ろから墨桐の声が掛かり、顔を上げる。いつの間にか相手の大きさに怯んで俯いて思考していたらしい。
最初からこの大きさを覚悟してた墨桐の方が冷静に目の前の現状を受け入れられてたみたいだな……。
「安心しろ。どうにかしてやる」
「こっちも、いつでもいけるから、指示を。アリシアちゃんも下の方で待機してるわ」
「……分かった。じゃあハルカゼ、俺の指示に合わせて、門を開いてくれ。セーナ、色々と世話になるが頼んだぞ」
『任せるがいい、我が主よ。十本百円の量産型とは違うというところを見せてやろう』
お前が本来張り合うべきは百円均一の棚の商品じゃなくて名だたる名刀なわけだが。
俺がセーナを水平に構えると、ハルカゼもそれに合わせて俺の背中で両手を広げた。
――魔術を頭の中で構築する。遠慮のない魔力の使用により周囲で暴風が巻き起こり、姿勢制御がぐらつく。更に召喚魔法の構成を拙いながらハルカゼが編み込んでいく。魔術の練度が低いその詠唱をセーナが補助して形にする。同時に二つの魔術の構成を整える、魔術師でも難しい繊細な仕事を完璧にやってのける神剣は、やはりインクがすぐに中で乾く百均のボールペンとはひと味以上違うらしい。
「――『螺旋龍・潜』ッ!!」
背中のハルカゼを振り落とさないように腰を捻り、一気に擬似刀身を生じさせた神剣を振り抜く
。刀身から生じた横向きの竜巻が空気を斬り刳りながら『星喰い』へと迫る。
『星喰い』の虚像にその暴風がぶち当たる直前、そこに『門』が生じる。優れた魔術師は呪文の詠唱を必要としないと、シンラに聞いたことがある。なんでも魔術の励起にも系統が有り、音声、文字、思考と様々な引鉄があるらしいが、ハルカゼは思考を引鉄にして魔術が使えるらしい。
確か思考魔術は全系統の中でもダントツに難易度が高いと聞いた気がする。思っただけで励起する魔術であるがゆえに、制御も最も難しい系統であるとも。
ただ、これだけの正確さを持って魔術を行使してくれるなら、俺としても有難い。こんな一撃で全てが終わるとは思っていないが、それほど時間にも魔力にも余裕があるわけじゃないから早めに終わらせるか、何らかの判断をしないといけないから。
『門』を通り、本来隕石が存在する側の異世界に召喚された竜巻は、『星喰い』の実像に突き刺さって、岩肌に潜り込む。硬い岩盤を突き破って内部を削り取り、やがて何事もなかったかのように再び静寂を取り戻す。
俺は右手を開き、遠隔で『星喰い』に埋め込んだ魔術構成を解き放つ。
――爆発が起こる。
圧縮した空気を、『星喰い』の内側で炸裂させ、内圧で弾け飛ばす。
けして寝間着に収められなかったアリシアの胸部から連想して作った魔術ではない。断じてない。
手応えはあった。だが相手にとってはかすり傷程度の損傷しか与えることが出来なかったらしい。
内側から爆裂させるという方法自体は有効だが、練った魔力の量や爆発規模が小さすぎたために隕石の一部を剥離させただけに留まってしまった。
もっと大きな魔力を練って内側から爆散させなければ、この余りにも大きな飛来物を消滅させることは出来ないのかもしれない。
俺がそう思い、再びセーナに魔力を溜め始めたその時、『星喰い』がその俺の姿を嘲笑うかのように薄く発光を始める。
――不味い。
思った時には、目の前に『短距離跳躍』の魔法陣が展開されていた。
予想してしかるべきだった。
今までこの『星喰い』が何度も星を喰い、世界を消滅させてきたというのならば、こうやって俺のように直接攻撃を仕掛けてきたやつもいただろう。それに抗って今もなお俺たちの星を喰おうと迫ってくるこの馬鹿でかい化け物が――防衛機構を備えていないなんて楽観的な考えが過ぎる。
それに、俺は知っていたはずだ。
何度も、目標地点を見定めるためにこいつ自身も召喚魔法を使って空間を跳躍してきたじゃないか。本体が着弾と同時にこちらの世界に召喚されるのと同じように、『その破片』だって目的を達成するために外敵を撃ち落とすくらいのことはするだろう。
目の前に。
俺自身が破壊し、破砕した破片が生じて、俺は無理やりセーナを引き上げて弾こうとするが――そこに更なる紫電が生じた。
岩を粉々に砕き、吹き飛ばしたその雷撃は、空中で余波を弾けさせながら、出処を紫電で示す。横目でそちらを見ると、聖杖を構えた墨桐が、ドヤ顔でこっちを見てきている。
……ほんと、頼りになる勇者だよ。死ぬほど『星喰い』が怖いくせに。
「破壊した傍からああやって反撃をしてくるのなら、あたしは防御に徹したほうが良さそうね。小さな破片ならともかく、雷撃は内側から爆砕するような出力出すのには時間が掛かるし」
「ああ、その方が助かる。雷撃は大体地面に弱いもんだしな」
「風だって地面に弱いことが多いでしょうに」
お互いの属性を馬鹿にし合って緊張を解し、再び『星喰い』へと向き合う。
相手がどんな防御機構を備えていようが、それを無力化してくれる盾を手に入れた今、もう遠慮は要らない。
小手先の技や周到な作戦は俺の性に合わない。
四の五の考えるくらいなら、思いついた策を片っ端からやるのが、俺のやり方だ。元々、心配性で小心者だったせいで何も出来ず、どこにも踏み出すことが出来ないでいた頃の反作用みたいなもんだけどな。
何にせよ、やらなければならないことが明確になった。
――だったら、迷わず行ける。
セーナを、再び水平に構える。
「……墨桐。ちょっと悪いけど、本気出すから俺の後ろから援護してくれ。やった、『星喰い』をやっつけたぞ! ってなったときに墨桐がバラバラになって落ちて行ったらちょっとだけ明日行くファーストフードが不味くなる」
「あたしがバラバラになってんのにファーストフード行かないで!? 美味しがろうとしないで!?」
「あと、ハルカゼ。俺の肩口からだけ顔出しといてくれ。できるだけ、そこに被害がないように動くから」
「あ、は、はい……分かり、ました」
大きく息を吸い、吐く。
『影の魔王』の時も。『願望器』の時も。
俺は、本気を出すことは出来なかった。そうする必要がなかったからではない。『影の魔王』だって『願望機』に願いを叶えられたアリシアだって、本気を出してなお独力では届かず、誰かに助けてもらって漸く乗り越えられた難敵だった。
ただ、本気を出してしまえば、自分が本来守ろうとしていたものまで傷つけたり壊してしまう可能性があったから、剣を鞘に収めていただけだ。日本という国は、個人が剣を振り回すには余りに狭いし、余りに平和であるから。
だから。
久々に『本気』を出せる相手を前に、俺は一人、誰にも見えないように牙を剥いた。
そして同じように、本来は他者を傷つける為に生まれてきた剣という名の武器が俺の手の中で、静かにその刃を剥き出しにする。
「セーナ。本気で行くぞ」
『言われるまでもなかろうよ、主』
剣を――引き抜く。
「――『颶風剣・真打』ッッ!!」
その剣は――空気中から引き抜かれる。
両手で構えたセーナトゥーハの延長線上に、嵐を圧縮した巨大な刃が生まれた。
『颶風剣』は空気を制御、圧縮して刃を生み出し、それを暴風として相手に放ついわば静の剣術であるが、本来のセーナトゥーハの姿は荒れ狂う暴風自体を無理やり形に収める猛の剣だ。
ただ、風と空気だけを制御して生み出したこの巨大な刃は、重さが殆どない。何しろこの剣技は『圧縮した刃を剣にする』のではなく、『セーナの刀身の延長線上に存在する空間を刃にする』という前提から全く違う術である。
振り回せば、その刃の中に入った対象の存在を墨桐ではないがバラバラに引き裂くだけの刃だ。鉄だろうが鋼だろうが無慈悲に斬り裂き、撒き散らす。対人で使用することなど絶対にできず、刃の中に入った対象を無差別に解体する性質から、使用出来る状況が余りにも限られる。
大きく息を吸い、吐く。
この剣術は、制御をしながら解放を必要とする。限られた空間に対して出来る限り自由に空気を動かすという注力と脱力を同時に行わないといけない魔術剣だ。
魔力の制御に長けたセーナが制御、俺が解放を行うことで成り立っているのだが、俺の魔力キャパシティが有限である以上、それほど長い間展開は出来ない。
「ッッ――ぜりゃあ!!」
力任せに、その重さのない刃を振り回す。
同時に背後でハルカゼがその直線上に『門』を開き『颶風剣・真打』の刃を相手に届かせる。
空気自体が切り裂かれ、弾けるような音がそこかしこで鳴り響き、真空になった空間が閉じる甲高い音と共に『星喰い』のあちこちがはじけ飛ぶ。と同時に削り掘った中に埋め込んだ風の圧縮を開放して、『星喰い』を内部から食い尽くす。
その攻撃に反応して、今度は盛大に『星喰い』の巨体が光輝き、一斉に魔法陣が展開される。
どうやら、この巨体をして俺みたいなちっぽけな存在が敵として認められたらしい。
ざまあみろ。
食われる方の気持ちが分かったか。
好き勝手に人様の星を食い散らかしやがって。
脂汗まみれの顔を拭いながら、飛来する岩弾を避ける。
ある程度を墨桐が雷の迸りで砕いてくれているから、『颶風剣・真打』を振り回しているだけでかなり防げる。
消耗はでかいが、連続で攻撃も可能なようだ。
――いける。
相手に敵と思わせる事ができる程に、この攻撃は効いたとみえる。
連続で『颶風剣・真打』を振り回し、岩を掘削し、破壊し、蹂躙していく。
全体のどれくらいを削れているのかは知らないが、この調子で行けば、最悪の事態だけは避けれるかもしれない。
セーナを握り直すと、再び『星喰い』に向かう。
剣を振り回すたびに、汗が、岩が、砂が、視界を埋め尽くし、『星喰い』を削りとっていく。
その光景に、温度に、どこか、懐かしさを感じる。
まだセーナを持っていなかったときに巻き込まれた魔族戦でも、こんな一瞬があった。
血と鉄の破片を呼吸するような戦場の高揚感が、周囲の音を消す。集中によって周囲の時間がゆっくりと進んでいくような感覚に襲われる。――異世界に置いてきたはずの緊張感が、ただそこにある。
痛みも、苦しさも、何もかもを置き去りにして刃を振るっていると、自分が本当に勇者だったときのことが思い出される。
周囲を紫電が弾けていく。
どんな魔術を使っているかは知らないが、墨桐の防御術は本物であり、的確に俺へと向かってくる岩弾を砕いては弾けさせ、受け流しては消滅させていく。岩弾の一つたりともこの星を傷つけさせないという意思が伝わってくるような執念の防御で、降り注いでくる『星喰い』の攻撃を防いでくれる。
「すごい……」
「……やるわね、先輩」
背後から感嘆の声が二つ上がる。そこそこに気分がいいが、振り返っている余裕はないし、何より顔に浮かぶ脂汗を見られたくないという俺の中の男の子が敵を正面から見据えさせる。
「墨桐も、ハルカゼも助かる……色々と、俺も、余裕ないから、一気に行くぞ」
俺が気合を入れなおした瞬間――。
目の前の『星喰い』が、今までにない輝きで眩く輝き出す。
俺は顔に手を翳しながらそのとき生じた魔術の構成を目で追っていた。
考えられる中で一番最悪な魔術構成が的確に練られているのをみて、この『星喰い』という存在を生み出した神か、あるいは人為的な何かを、心の底から恨んだ。
――『短距離跳躍』。
岩をこちらの世界に飛ばしてくるそれを――己の身体に使い始めていた。
鳥肌が立つ。
無理やりこじ開けるようにして開いた門に、『星喰い』の巨体が沈み込んで行く。
それを以ってこの星に『着弾』するなら、全てが終わる。
だが、その構成は明らかにもっと短い距離を跳躍するための物であり、それを証拠に足元の遥か下、アリシアが居る辺りに魔法陣が生じて沈み込んだ巨体の半身が生まれ始めているのが見えた。
「短距離跳躍を繰り返して、着弾までの距離を一気に縮める気か……!」
「不味くない、先輩!? 今のペースでもギリギリなんでしょ!?」
ギリギリ間に合うか間に合わないかってところだっただけに、少しばかり不味い事態になった。
一回の跳躍ならまだ巻き返しが効くかもしれないが、これを何度も使われれば確実にあの巨体はこの星に落ちてくる。そうなれば『星喰い』の異名通りにこの星はあの化け物に食われ――俺が守りたかったものや、墨桐が守りたかったものは全て――全て。
「墨桐、アリシアに合流するぞ――!」
「うん、分かった――!」
「ハルカゼ、少し目を閉じてろ、空を降りる!」
「は、はい……!」
今まで昇って来ていた空を、今度は急降下していく。
少なくともハルカゼがいなければ、アリシアが『星喰い』に出来ることはない。
急いで合流して、今以上の破壊を続けなければいけない。
――状況は逼迫している。
一秒の猶予だってない。
だっていうのに。
なんで、一撃だけ貰ってしまったんだろうと、俺は逆境に牙を剥いた。
墨桐から死角になっていたせいで腹を貫いた岩弾が突き刺さった腹を抑え、隠しながら。
俺は昇ってきた倍の速度で『星喰い』を追いかけて空を降下していった。




