46話 そして『勇者』は空を飛ぶ。
『魔女』の計測により『星喰い』の落下地点がこの街の、しかも市街地のど真ん中であると知った時は、流石に乾いた笑いが出た。明確な殺意は、向けられた時にそんな笑いを齎すらしい。
もうちょっと穿って考えれば『星喰い』がなぜこの街を標的にして落ちてきているのかというところまで疑問が浮かぶが、そこはそれ、ご都合主義ということにしてしまいたい。
でなければ、世界の危機を呼び寄せる特異点である『桜倉ハルカゼ』の存在か、異世界から同じように送られてきた『墨桐ニカ』が原因として挙げられてしまう。ハルカゼが呼び寄せたか、ニカを目掛けて落ちてきているか、だ。
それはどちらの解釈だとしても、通りはいいがあまり面白くない。
責任を以って『勇者』として、きっちりあの『星喰い』を始末するから、そこだけは考えないようにして貰いたい。
俺は落下点、市街地で空を見上げながら覚悟を決めていた。
夏の晴れ渡る爽やかな空に浮かぶ、異物を見ながら、眉根を寄せる。
『影の魔王』『願望器』と来て、ついに勇者が相手をするのは『超巨大隕石』であるという。次があるとするなら、もう少し正攻法でレベルを上げて物理で殴っていれば倒せるような相手を用意して貰いたいもんだ……。どんな異種格闘技戦だよ。
ともあれ、あれをどうにかしなければ次どころか今もなくなる現状だ、気合を入れて立ち向かわなくてはならない。
『星喰い』は墨桐の召喚された異世界で言うところのラスボスに当たる存在であるのだろう。それを前にして、基本を踏襲して装備を確認する。
右手には神剣『セーナトゥーハ』。いつも通り文房具の姿で俺の片手に収まっている。今回は結構大事な役割を担ってもらう。
そして身体には『桜倉ハルカゼ』という最強の防具を装備している。こちらも重要な装備だ
以上がラスボスに挑む前の勇者の装備である。
装備欄スッカスカだなこの勇者。
「………」
「………」
「もう少ししっかり掴まってないと、飛行中に落ちるぞ。ハルカゼ」
「……は、はい」
何か言いたげな最強の防具に向けて言うと、ハルカゼはぎゅっと背中に抱きついてくる。
それでもその姿勢は少し無理があるのか、腕が震えている。まあ『風王翼』で空を飛び始めたらもう少し負担は軽減されるだろうけどな。体重を全部預けなくても良くなるだろうし。
その様子を眺めていた魔王が鼻で笑う。
「気の利かない男であるな。いつぞやの作戦のように抱いて飛べば良かろう」
「その場合、気を利かせた代わりに両手の自由が利かなくなって何しに空飛んで行くんだってことになるが、お前に隕石砕くの頼んでいいのか、魔王。いいなら俺は空の旅を楽しんでくるが」
「フン、せいぜい落とさぬようにな。余は下に居るが拾ってはやらんぞ」
「……万一そういうことが起こった時は、自分で回収するくらいの責任は持つ。……多分、まあ、ハルカゼもそれくらいは覚悟してくれてると思いたい」
「わ、私は、大丈夫、です……こ、今回は抱えられるより、気は、楽ですし……」
ああ、やっぱりお姫様抱っこで河川敷を疾走したの、ハルカゼもハルカゼで負担あったんだな、と思う。ただ、自分から抱きつく今回の方がダメージ大きそうに見えるのは俺の気のせいだろうか。
分からん……乙女心分からん……。
「大丈夫でありますよ。セト様を信じるであります」
アリシアが何の気休めにもならないことを言うと、ハルカゼは頷いたのか、俺の背中で身動ぎした。
……まあハルカゼの気が楽であるのなら、俺を信じるというよりは魔術を制御するセーナを信じた方がいいということにも、背中に柔らかい感触も何も伝わって来ていないことにも言及するまいと思う。当ててないのよ。
実際、こうやって首筋に腕を回して掴まっているだけでも負担だろうし、俺が……セーナが制御するとはいえ上空何メートルにも飛んで行かないといけないのは、それ以上に過酷であるとも思う。高いところとか大丈夫なのだろうか、ハルカゼは。
ただ、大丈夫じゃないからといって作戦から外す訳にもいかないのが現状だ。なるべく負担を減らすように立ちまわるしかない。
俺は改めて、背中のハルカゼに向けて、そして目の前の魔王とアリシアに向けて言う。
「作戦の確認をする。ただ、作戦なんて高尚な物じゃないし、そんなに策を練ってる時間もないだろうから、ぶっつけ本番で行くことは勘弁してくれ」
ハルカゼを担ぎ直し、右手のセーナで『星喰い』を指す。
「目標はあれ、『星喰い』だ。今は虚像というかなんというか、俺達みたいな特別製の目がない限りは見えていないあれは、地球に着弾する寸前に実体化して、それこそ星を喰うように破壊していくんだと。……俺達はそれを防ぐ為に、あれを虚像の状態で破壊し、消滅させなくちゃならない」
アリシアが頷き、魔王がまるで聞いていない。
端から飛ぶ気がないのかスカートで来た幼女に期待などしていないし、最初から頭数になど入れていない。
「俺とアリシアは、それぞれ神剣の魔術で飛行して上空であれを討つ。姿勢制御は風使いの俺の方が得手だから、アリシアはタイミングを合わせて俺の補助をしてくれ。最初は俺がどうにかするから、余り無理して上空まで飛んでこなくてもいい。グラムでの飛行は魔力の消耗も大きいだろうからな」
「了解したであります。ただ、虚像の相手に攻撃は通じないでありますゆえ、私とハルカゼ殿も遠隔ではありますが、連携を取らなければいけないでありますな」
「……まあ、そうなる。虚像っていうことは、あの『星喰い』はまだ本体は異世界にあるようなもんだしな。だから、ハルカゼには今回重大な役割を担ってもらうことになる」
昔『影の魔王』を相手にしたときは、言い方は悪いがただの餌だったので抱かれているだけで良かったが、今回は違う。今回だけは、ハルカゼには高位魔術師としてパーティに加わって貰うことになる。
虚像である『星喰い』に俺達の魔術攻撃を通すには、ハルカゼが俺やアリシアの攻撃を『星喰い』の実像のある世界に『召喚』する必要がある。
それも……かなりの精度と制御で以って。
「……魔術の構成は、こっちで、というか、セーナが整える。だから、ハルカゼは俺やアリシアの指示に従って『門』を開けて欲しい。……多分、この作戦の肝になる。悪いけどな」
「分かり、ました……頑張ろうと思います」
ハルカゼなりの決意を胸に、言葉が耳元で囁かれる。いくら考えてもこれ以上の適材適所が思い浮かばなかったとは言え、やはり独力で何かを成し得ない勇者である俺の心は少しだけ痛む。
だが、助けを求められる相手に助けを求めずに失敗をすることに比べれば、幾分マシだ。俺達勇者には世界を救わないといけないというルールはあるが、格好良く救わなくてはいけないなんてルールはどこにもない。
何より、今はこうやって信頼して背中を預けられる人間や、一人じゃ通せない無理を助けてくれる仲間がいることが、ひいては俺の力となっている。
一人じゃ何も出来ないことに定評のある勇者は、こうやって世界を救うしかない。
作戦を一通り確認し終えたところで、魔王が声を掛けてくる。
「で、余はどうすればいい」
「……そうだな、一時間掛けて穴を掘ってくれ。そしてその穴を一時間掛けて埋めててくれ」
「帰るぞ?」
「……どうせお前は指示通り動いたりしないだろうが。邪魔にならないなら好きにしてろよ」
俺は呆れながら言う。
先日こいつや魔族の本質を聞いていてなお、魔王という存在に重要な役割を担わせる程、俺はこの幼女を信用してはいない。それはまた信頼とは別の話だ。本質が破滅に向かうのであれば、それを意思の力で完全に捻じ曲げられるとは思えない。
理屈で分かっているのと実際の行動にはそれくらいの隔たりがあると思っている。ハルカゼが異世界の危機を呼び寄せているのかもしれないという可能性を知っていながら、彼女に味方をしている俺はそれが痛い程理解出来ている。
そんな勇者の思惑に、魔王は肩を竦めた。
「ほう、自信満々だな、貴様。余に傅き、頭を垂れずとも世界の一つでも救ってみせると豪語するか?」
「出来れば魔王の手も借りたいところだけどな……まさかファーストフードでセットを奢るくらいで力を貸してくれる魔王が居るとは思えないしな」
「……ほう」
……食いついた。
思い通りかこの魔王。
「……玩具付きであるなら、地上にて貴様らが失敗した後の準備を整えておこう」
最近の世界は500円弱で勇者が失敗した時の保険が掛けられるらしい。
まあ、話半分には聞いておこう。どうせ土壇場になったらどういう動きをするかは読めはしないだろうから。これは魔王としての本質というより、樫和木オーマ個人に対して思っていることだが。
「――ああ、そうでありますね」
アリシアが俺と魔王のやりとりに、ポンと手を打つ。
「そういえば、ファーストフード、行くんでありましたね。セト様より伺っておりました。私、実はハルカゼ殿やニカ殿よりも楽しみにしているかもしれないであります」
「……そういえば、アリシアもファーストフード初めてだったか」
「はい、噂には聞いておりましたし、何度か誘われもしたでありますが、買い食いは校則で禁止されておりましたゆえ、自重していたであります。己の生き方で学友の皆様からのお誘いをお断りするのは心苦しかったでありますが、休日とあらば話は別でありますね」
今日びファーストフードでここまで喜ぶ女子群が居ただろうか。安上がりにも程がある。
まあ、でも俺としてもそれなりに楽しみでもあるのでアリシアのことは言えないし、笑えもしないと思う。
ただ、このまま行くと少女四人連れてファーストフードという、同級生に見つかったら全殺し必至の光景になるので何かの緩衝材は欲しいところだが。バランス取って俺が両腕の骨折ってるとかどうかな。足も折られて終わりかな?
「……絶対に敗けられないでありますね。セト様。やはり、そういう気持ちは人を強くしてくれると思うであります。明日を楽しみにしてる人達と同じように、私も明日が楽しみになってしまったでありますから、あんな無粋な隕石など木っ端微塵でありますよ」
「……そうだな。あんな奴のせいで約束が守れない男には、俺もなりたくないしな」
「ハルカゼ殿も、少しばかりきついとは思われますが、運動をした後の食事はきっと美味しいでありますから、一緒に頑張ろうであります! ふぁいおーでありますよ!」
「……う、うん……頑張る、頑張り、ます……!」
アリシアに励まされ、ハルカゼが羞恥や恐怖を乗り越えて体を預けて来るのを感じた。こういうことを、アリシアが分かってやっているのかは知らないが、俺としては助かることこの上ない。
あれだけバラバラだった勇者パーティのムードメーカーをやっていたんだ。もしかしたら天性の物かもしれないな。居るだけで場が纏まる才能のようなものなのかもしれない。
「……それって、打ち上げにするつもり……?」
俺が頼もしい仲間に嘆息していると、後ろから声が掛かった。
目を瞑り、ため息を吐いてからそちらの方を見る。
そこに誰が居るかは、ある程度予想がついていた。それでも俺はそいつがここに来なかったとしても責めはしなかったし、むしろ来ない方がいいのではないかとも思っていた。
墨桐ニカが、そこに居た。
俺は、小さくため息をこぼす。
「……無茶するなよ」
「先に質問に答えてよ、先輩。あたしが提案したんだもん、そのファーストフード。だから、それを打ち上げにするんなら、やっぱりあたしを通して貰わないと困ると思うの」
「お前の提案のそれは、別にやったっていい。だから、無理するな」
「するわよ。勇者だもん」
と。
その返答には、流石に苦笑した。
それを言われてしまえば、断れるやつも、窘められるやつも居なくなってしまう。
聖杖『フラッズフラット』をヘアピンから実体化させ、くるりと回しながら、墨桐は呼吸を整えた。臨戦態勢に入り、帰る意思などこれっぽっちもないと俺に伝えてくる。
俺は苦笑いをしたまま、墨桐に向かって言う。
「あれを破壊したところで、誰も褒めてくれないぞ」
「知ってる。勇者ってそういうもんでしょ?」
「体調不良を理由に休んでも誰も責めたりしない」
「知ってる。でも行くのよ。勇者ってそういうもんでしょ?」
会話になってねえ。ある意味で覚悟が決まってしまっている。
俺は、ちらりと横目で見てすらはっきりと分かる程に足を震えさせている墨桐の目を見た。もしかしたら、俺と同じ目をしているかもしれない少女は、真っ直ぐに俺の目を見つめ返してきた。
その目は恐怖を克服した者の目ではない。
かつて自分を殺し掛け、愛した世界全てを滅ぼした相手に再び向かっていくんだ。
勇者が『機構』でも『機械』でもなく人間なのだとしたら、それに対する恐怖を完全に取り払うなんて無理な話だ。
しかも、この短期間で克服出来るようなトラウマなら、そもそもトラウマなんて呼べるものじゃない。
勇者の勇の字は勇気のそれと同義であると人は言う。
だが、怖くないのと怖がらないのは別だ。誰だって、どんな力を持っていたって、困難に立ち向かうときは怖くて足が震えるんだ。
でも、それでも前に進まないと行けない。怖い物を、怖いままに進んでいかなくてはいけない。一歩でも尻込みすれば、後ろに居る何千何万の人が前に進めなくなる。
だから、勇者は前に進まないといけない。そういうものだと割りきって。
「……因果な生き方選んだな、お前も」
「大なり小なり、普通の人もそうだと思うけどね。でも、このまま星が落ちてくるのを、ただベッドに横になって待ってたら……もうずっとあたしはこの後悔を胸に生きていかないといけないからさ。それだけは、絶対に嫌だから……」
助けたかった相手が居て。
その相手を助けられなかったニカの傷。
そして、その相手に助けられてしまったという勇者の瑕。
それを克服するために、震える足で墨桐ニカはここまで来たんだろう。
だったら、俺はそれを拒む必要など、こいつを一般人扱いしてやる必要など、ないと思う。
俺は『星喰い』を眺めながら、墨桐に尋ねる。墨桐も同じように『星喰い』を、両手を腰に当てて真正面から見上げていた。
「……墨桐、空飛べるか」
「任せてよ。浮くのは得意よ」
「……凄まじく別の意味に聞こえるのは気のせいか」
「違うわ!! ……それに、そっちは先輩の方が得意だと思うけど? 部活でも唯一の男だし」
『失礼な、我が主はその気になれば女にもなるぞ』
その気になってねえけどなっただけだろうがあれば。
「面白い冗談ね。もしそれが事実だったら鼻からコーラでも何でも飲んであげるわよ」
必要のないところで鼻コーラが決定した。
後でウィルキンソンのジンジャーエールでも買いに行くか。
……あの『星喰い』とやらを掃除した後になるけどな。
俺、そして背負われたハルカゼ、墨桐、アリシア、魔王。
五人が『星喰い』を。――この世界に迫っている『世界の危機』を見上げる。
俺は口角を上げてその自分たちが立ち向かっていく困難さ笑い、墨桐に言う。
「……墨桐」
「えっ、何よ」
「勇者辞めたいと思ったことあるか」
「何度もあるわよ」
「奇遇だな、俺も何度もある」
それでも。
その二人の勇者は、自分の得物を構えて、空を見上げている。
「そんな時フラットさんは何て言って慰めてくれたんだ?」
「どうだっけ、フラットさん」
『お前の膝から下と国際結婚するぞ★』
「うーん、今日機嫌悪いみたい……」
「……そうなんだ、何か凄く世界の危機がどうでもいいと思えるような未知の元気出てきたわ」
冗談を言い合い苦々しく笑い、俺達はお互いの得物、『セーナトゥーハ』と『フラッズフラット』をぶつけ合う。
そして『世界の危機』に向けて大きく跳躍した。
――さあ。
作戦開始だ。




