44話 『魔女』と『勇者』。
「――キミに興味が湧いてしまったよ。葛切セトくん」
ハルカゼの部屋とは別の部屋……恐らく、チカゲさんが寝室として使っている部屋のベランダに呼び出され、俺は彼女にそんなことを言われた。俺の何倍もの人生を歩んだ老人であることを知っていても、視覚的な情報が若い女性のそれであるため、俺はその言葉に鼻白んだ。
そんな俺の様子を面白そうに横目で眺め、チカゲさんはベランダの木製の手摺に手を置いて町並みを眺めながら呟く。
「先に、礼を述べておこう。ハルカゼの召喚に応じ、あの子の手助けをしていることは以前から聞いていた。ありがとうと、素直に礼を述べたい」
「……魔女は、誰か特定の相手に肩入れしないんじゃなかったんですか?」
「これは魔女としてではなく、桜倉ハルカゼの祖母としての礼だ。もし不要ならばその辺に置いていってもいい。老人からの感謝の言葉など、若者にとっては荷物にしかならないからね」
そんな言われ方をされると、素直に礼の一つも受け取れない俺の方が子供だと分かり、言葉に詰まる。
俺はバツが悪くなって鼻の頭を掻くと、本題を切り出して貰うために小さく尋ねた。
「話ってなんですか。他の連中に聞かれたくない話っていうことは、さっきの話の続きですかね」
「そうだね。厳密に言えば全く別の話だが、先ほどの質問で分かったキミのパーソナルな部分を、どうしても確認させて貰いたくてここに呼ばせてもらった。そしてそれは、引いてはハルカゼのことにも関わってくるから、是非ともと思ってね」
それならば、尚更ハルカゼを混ぜて話をした方がいいのではないかと思ったが、話の内容に依るだろうから俺はそのことには口を挟まなかった。
ただ、釘を刺すように一つだけ言っておく。どうにも、俺は極論というものが昔から苦手であることは、伝えておきたかった。
「……俺は、家族と恋人が崖から落ちそうになっていて、どちらかしか助けられない状況っていうのが、嫌いなタイプの人間なんで」
「ふふ、使い古された二択だけれど、それもまた答えづらい問題であるのは確かだからね。だからこそ択一の問題としてこれだけながく語り継がれているのだろうけれど。答えのない問題というものは、いつだって人の心を捉えるものだろうしな。ちなみに、キミならどう答えるんだ」
「『両方助ける』って答えます」
極論に極論で返す、大人げない勇者がそこにいる。
その状況で打算を以って自分に大切な方はどちらかを考えている暇があれば、最初から二人を助けるつもりで動いたほうがいいと思うのが、俺の持論だ。最初から二人を助けるつもりのないやつに、二人を助けることなんて出来ないだろうから。
まあ、正直小学生のころ良くやっていた『バーリヤ!』『バリヤ突破ビーム!』みたいな遊びと次元が同じなので、そんなに胸張って答えられるような回答じゃないけどな、これ。
「……キミはハルカゼをどう思っているんだい、葛切セトくん」
いきなり尋ねられて、俺は一瞬だけ言葉に詰まる。
少しだけ考えて、正直に答える。
「前髪を少しでいいから上げれば、もう少し可愛くなるのにと思っています」
「ふ……ははは、違いないね。キミはハルカゼを良く見ている。あの子はあれが何かの防衛機構だと思っている節がある、ワタシもいつも少女らしくあれと助言はしているのだけれどね。どうにも他人の視線は堪えるらしい。悲しいことにね」
俺は他人の秘密を勝手に探ってしまったような気分になり、視線を逸らした。視線の先にはこちらへと落ちてきている『星喰い』がある。
その様子を横目で見ながら、チカゲさんは言葉を重ねてくる。
「……ハルカゼのこと、本人から聞いているのかい。あるいは、キミからしてみれば、ハルカゼが隠そうとしていることは全てお見通しだったりするのかな」
「何の宣言もなしにクラスとレベルを確認しようとしたことは謝りますが、俺は別に他人の秘密を暴くのも趣味にしていないんで」
「こちらこそ、気を悪くしたのなら謝ろう。だが、これはハルカゼと付き合っていくつもりなら、遅かれ早かれキミが行き当たる問題であると、ワタシは思っているんだ。……ハルカゼ自身の魔力によって、色々なことに影響が起きていることくらいは、知っていると思っていいのかな」
僅かな無言で肯定する。
ハルカゼの魔力は規格外のものだ。人一人が貯めこんでおける魔力以上の無尽蔵な魔力を、発散の仕方も分からないまま外側に垂れ流している状態にある。魔王曰くそれは誰でも利用できる共有の資源でありながら、『世界の危機』が寄ってくる餌にもなりうる危ういものであるらしい。
今回の件だって、もしかすると『星喰い』はこの星の人間を狙っているのではなく、桜倉ハルカゼを狙っているのかもしれないと、心のどこかで思っている。ただ、それを考えてしまえば、どうしても行き当たりたくない答えにたどり着いてしまうから、何かの確証でもない限り考えないようにはしていた。
それが触れられたくない痛い部分であることも、チカゲさんは読み取ったのだろう、小さく嘆息して続けてくる。
「キミはそれを知ってなお、彼女の側にいるのか。……それは、勇者としての意地や責任のようなものなのかな。それとも、最初にキミをこの世界に召喚したことによって交わされた契約に従ってのことなのかな」
「……答えられません。両手を叩いて右手が鳴ってるか左手が鳴ってるか答えるようなものです」
俺が言うと、チカゲさんは「キミは面白い例えをする子だね」と少しだけ微笑む。
別に面白いことを言っているわけではない、俺とハルカゼの関係にレッテルを貼られるのが嫌だっただけだ。友情とか信頼関係とか、そういうものに明確な理由を付与してしまえば、それは取引になってしまう。取引で作った関係は、双方に利がなくなってしまえば容易に断ち切られてしまう。俺はそんな形で仲間と繋がっていたくはないと思っていた。
ハルカゼに対しても、もちろん他の人間に対しても。
俺の答えを聞き、少しだけ考えるようにしていたチカゲさんは、顔を上げ俺の顔を見てくる。
「……キミのその決意が、キミが本来持ち合わせていたものなのか、異世界で勇者をやっている間に育ったものなのかは知らない。でもね、その決意は余りにも強すぎる。キミが得た能力でも達成できない回答を、時に求めてしまう。……ワタシは、ハルカゼ以上にキミのことが心配になってきているよ」
「俺は、俺の生き方を変えられませんからね。それが間違ってるって言われたところで、曲げることは出来ても折れることは出来ないです。……そうでなければ、俺は一歩も先に進む事は出来なかったから」
異世界に行く前。
この世界で、ただ腐り、朽ちていくだけだった日々を、今も覚えている。
何をしても世界は何も答えてくれず、自分一人で成せることなんて何一つないと思っていた。
だから努力もせず、どこにも一歩を踏み出さず、ただ失敗する人を後ろから見てせせら笑っていただけだった。
この世界からいつも逃げ出したかった。
今ある自分を脱ぎ捨て、本当に俺が理解される世界へと行きたかった。
だから俺はある日空中に空いた異世界への穴に自分から飛び込み、その夢の様な世界へ旅立ったんだ。
そんな気持ちでいる自分を受け入れてくれる世界など、どこにもないことも知らずに。
だから、変わろうと思った。
変わってやろうと思った。
異世界なら、必死に努力する俺を後ろから笑うような知り合いは、誰も居ないと思っていたから。
目の前のことを一つずつこなし、自分に出来ることを一つずつ増やし、一日も無駄にせずに前に進んだ結果がただそこにあっただけだ。
きっと、俺は異世界に行かなくても。
この世界で努力を重ねていれば、勇者にこそなれなくても自分が後ろから羨んでいた何かにはなれたはずなんだ。
だから今だって、世界を全てを救う力を持っていても、目の前の誰かに手を伸ばせなかったら……俺は自分のことを、勇者なんて自称出来ない。
「それに……俺は自分一人で世界なんて救うつもりはないです。自分がどれだけ努力をしても達成出来ないことがあるのは知ってる。だから俺はせめて、異世界に行く前の俺がなりたかった俺になろうと思うんですよ。そうすればきっと、あのころ前に進めなかった俺と同じようなやつらが、俺を盾にして前に進もうと思ってくれる。……きっとそれが、世界を救うってことなんだと思うからです」
「……それが、キミの勇者としての持論かな」
「そうです。情けないですけどね」
「そんなことはない……誇っていい。キミはどこの世界に居ても恥ずかしくない、勇者そのものだよ。魔女が羨む程のね」
魔女はどこか含みのあるような言い方で、その言葉を俺に向けて投げてくる。
俺はそれを受け取り、どう扱ったものかと少し考えたが、とりあえず脇へと置いておいた。
「……やはり、ワタシは人に極論でしか問いを投げかけられないようだ。最後に、不興を買うことを承知で、二つだけ尋ねさせてもらっていいかな。きっと、これはいずれキミの身に……そして、キミが側に居てやりたいと思うなら、桜倉ハルカゼに掛けられる問いでもある。キミが嫌がる、完全な解答の存在しないような問いだ。……葛切セトくん、年寄りのワガママを聞いてもらえるかな」
「……そこまで言っておいて残りは次週ってなると、モヤモヤするタイプなんで、聞くだけなら」
「分かった。……一つ目の問いだ。桜倉ハルカゼの性質を、キミが守りたい人々が知って……『桜倉ハルカゼをこの世から排斥しよう』と誰もが口にしたら、キミはどうする。……彼女が『世界の危機』そのものを寄せていると知れば、そういうことも十分にありえる。そのとき、勇者は……そして、従者はどうするんだい」
小さく嘆息する。
そんなもの、答えるまでもない。
「……貧乳の良さを説きますかね。割りと言う程、巨乳より魅力がないとは思えないので」
「キミらしい答えだ」
それは、恐らく俺の冗談のような回答に対してではなく、今は答えを保留したことを指しているのだと思う。
そういう可能性があったとして、俺はそれを事前に考えたくはなかった。
最悪の可能性として考えておくべきであるというのも理解出来る。ただ、それに対して短絡的に回答を差し出してしまえば、その前提として世界がハルカゼを許してくれるかもしれないという可能性を殺してしまう。
俺は、世界はそれほど捨てたものではないと思っているから、そんな魔女の問いには答えたくはなかった。
家族と恋人のどちらかを救わないといけない状況のように。
いつか、世界を守る勇者か、ハルカゼを守る従者かを選ばないといけない日が来るかもしれなくても。
俺は、どうしても今その答えを差し出さないといけないとは思えない。
「……もう一つは何ですか。好きな女性のタイプなら、チカゲさんみたいなタイプです」
「……それは困るな。既婚女性をからかうんじゃない。もう十年経ってまだ同じことを思っているなら、考えなくもないが……今はまだダメだな」
そのころアンタいくつだよ。
しかも何でやんわり子供をフるときみたいに柔軟に着地させようとしてるんだよ、冗談だよ畜生。
話を切り上げたい一心での慣れない冗談に耳まで赤くなりながら、俺は次の質問を待つ。
「二つ目の問いだ。……尋ねよう、勇者セトくん」
桜倉チカゲさんは俺の目を真っ直ぐ見て、その質問を俺に向けて投げてきた。
「もし、『桜倉ハルカゼをこの世から排斥する』という意見に……ハルカゼ自身も賛成をしていたら、どうする」
問われて。
俺は、静かに息を吸って、吐いた。
自分の中の殺意や怒りを丁寧に吐息の中に忍ばせ、外側へと押し出すように。
その可能性は、あり得る可能性であったから。
ハルカゼと付き合い、彼女のことを理解出来てしまっている今なら、その可能性が全くありえないことだなんて言うことは出来ない。
あいつはそういうやつだ。
誰かに本当に望まれれば、自らの生命を簡単に天秤に載せるやつなんだ。
絶対に勝ち目のない相手に立ち向かうことも、絶対に自分より強い勇者を従えることも、世界のため、他人のためならば平気でやるやつだから。
――俺は、その問いに答える。
「……俺はそのとき何も出来ませんよ。多分冷たい土の下とかに居ると思いますし。
……俺が側にいるなら、ハルカゼにも、誰にも……そんなことは死んでも言わせないから」
前提を拒否した、子供のような回答を返す。
答えられるわけがない。そんな問い、最初から正しすぎるから間違っている。
誰か一人のために世界を犠牲にすることも、世界のために誰か一人を犠牲にすることも、どちらも正しいなんて思えない。
「分かった。それがキミの生き方なら、もう口は挟まない。これ以上キミの人生に踏み込んでしまえば、死んだ爺さんのことを忘れてキミのことを好きになってしまうかもしれないからな」
凄いな、嫁と孫が同時に出来ることになる。
ハルカゼもまさか俺が祖父になるとは思うまい。ハルカゼがどんなリアクションをするか確かめるためだけにでも、やってみる価値はあると思える。完璧なる歳の差婚だなこれ。
二つの答えにくい質問への回答を拒否し、俺はハルカゼの部屋へと戻ろうとする。
「……葛切セトくん」
後ろからチカゲさんに呼び止められて振り返る。
チカゲさんはただベランダの手摺りに肘を乗せ、頬杖をついて『星喰い』を眺めていた。
「……『星喰い』を相手にするなら、頑張ってくれ。これは、『魔女』からではなく、この星に居る一人の人間からのお願いだ」
「じゃあ、逆に『魔女』に尋ねますけど、やっぱり手伝ってはくれないんですか?」
俺は答えが分かっていて問いを投げる。
恐らくチカゲさんも同じような気持ちで問いを投げてきたんだろうなと思いながら。
「……ワタシに世界は救えないよ。だってワタシは『勇者』ではなく、『魔女』だからね」
「そうですか。了解です」
俺が言うと、チカゲさんはこちらを横目で見てくる。
「キミは、それでも……これからも立ち向かうんだね。あの『星喰い』のような『世界の危機』に」
答えは分かっているだろう。
それでも、問われたのなら答えようと思う。
「俺は世界が救いたいんですよ。……だって俺は、『魔女』ではなく、『勇者』ですから」
その冗談に、『魔女』は腰を折って笑い始める。
最近、こんな役回り多いなと自分の狂言回しのような立ち位置に辟易しながら。
俺はハルカゼ達がいる部屋へと戻っていった。




