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40話 予兆のない終わりと、始まりの予兆。

 ――コツンと。


 家から出た俺の後頭部に何かがぶつかり、振り返る。

 予想通りというか何というか、後ろには墨桐がいて、俺は眉根を寄せて尋ねる。


「……お前、他人を呼ぶときに何かぶつけるのやめろよ。言葉って結構便利な道具らしいぞ、知ってるか?」

「いや、知ってるし。使ってるし。便利だし。っていうか、ぶつけるって何を?」


 何を言っているのか分からないといった感じで墨桐が首を傾げる。

 昨日の帰りも同じ呼び方をしただろうが、と思ったが、本当に知らないような顔で頭を捻っている。

 てっきりハノイの塔の報復かと思ったが、気のせいなのかもしれない。


「質問が三つあるんだが、墨桐後輩」

「お答えするわよ? 葛切先輩」

「……何で俺の家を知ってる? そしてこんな朝っぱらから俺の家の前で何を? 高校生でピンクの縞ってどうなんだ?」

「昨日帰ってからハルハルと話してて教えてもらったわ。そして折角だから一緒に登校しようと思って来てみたの。あと何であたしのお気に入りを知ってんのよ! いつ見たのよ!?」


 ……正確には俺は見てないけどな。ハルカゼに確認してもらっただけで。

 律儀に三つの質問に三つの回答を返してくれた墨桐は、後ろから顔を真っ赤にして鞄でバンバン殴ってくる。朝から墨桐と会うっていうのは、朝食にトンカツ出てきたみたいな気分だな……。

 ……食うけど。トンカツ好きだし。


「……何で俺のところに来るんだよ、ハルカゼ誘えばいいのに」

「だって朝からあたしのテンションに付き合わせるとか、ハルハル可哀想じゃん」


 俺はいいのかよ。そして自覚あるんなら少し自分からギア落とせ。エンスト起こしても電気分けてやらねーからな。


 どこか上機嫌に墨桐は俺の隣に並んで歩き出す。全く配慮のない真横に並んだので俺は眉を顰める。

 俺はその様子を見ながらぼそりと呟いた。


「……並ぶなよ、彼氏みたいだろ」

「えっ!? いきなり何言ってるの!? ち、違っ、そんなつもりで来たんじゃないし!? っていうかやめてよね先輩変なコト言うの、急に恥ずかしくなってくるじゃない!?」

「そこでツンデレ」

「……別に先輩と一緒に登校したくて、待ってたわけじゃないし。ただ通り道だったからってだけよ。って、やめてよ!? 何やらせるの!?」

「追加でヤンデレも頼む」

「もしアリシアさんと一緒に登校してたら、そのときは……お願いやめて先輩、身体が勝手に期待に応えようとするからぁ……!」


 ……お前勇者の資質なかったら確実に芸人になってたよ。自分でも自覚あるならそれこそノるなっての。

 千変万化にこちらの期待に答える墨桐に朝からいい気分になって、学校を目指す。まあ、目撃されたところでアリシアと同時に登校したとき程の混乱は起きるまい。あれは迂闊だった。魔女狩りならぬ魔男狩りで殺されかけた。魔男って間男みたいでやだな、おい。

 墨桐が先程より少し距離を離れて歩くのに笑いを堪えながら俺は呟く。


「昨日な、お前のことを俺の方の異世界の住人に紹介しておいた。……俺は正直、魔術は神剣の補助なしには上手く構成編めないくらいの熟練度だから、何か魔術的なことで相談があればそっちに相談出来るようにしておいた」

「へ? あ、ありがとう、って……あたし、別に相談したいこととか、ないんだけど?」


 ハルカゼの読みが外れていたのか、カマ掛けは不発に終わる。

 マスター曰く、何かの悩みを抱えているはずなんだけどな、このやかましいの。

 まあハルカゼも、高位魔術師ハイ・ウィザードも万能じゃないんだから、当てが外れることだってあるだろう。


「……何かあったら、だよ。芸風で悩んでるとか」

「芸風で悩んだことは今までもないし、これからも絶対にないわっ! ……えっと、その人って男? 女?」

「男。元魔法国のエリート。……スラっとした長身で寡黙なイケメンだよ」


 七割嘘を混ぜる。

 特に意味ないけど、多分女子はイケメンの方が相談しやすいはずだ。


「イケメンだとちょっと気後れするんだけど……本当怖くない、イケメンって……」

「お前……あまりにも筋金入りのぼっちだな」

「先輩に言われたくないし!? でもちょっと逆に考えてみてよ、物凄い美形が親身になって話を聞いてくれて、しかもこっちに理解を示してくれるのよ!? 爽やかに笑顔とか交えて。ニカちゃんは面白いね、とか言いながら……だ、だめだ、申し訳なくなってきて、あたしはダメです……あたしなんかに優しくしないでイケメン……」


 イケメンを怖いって言うやつ初めて見た。そしてちょっとだけ理解出来るのが嫌だ。

 むしろ男はそういう状況になったら、きっとこのサービスは別料金なんだろうなあとか思うけどな……。

 あるいは次元が違うかのどっちかだ。二次元か四次元にならきっとそういう美女もいるだろうと思う。


「安心しろよ、イケメンっていうのは嘘で口下手な大男だ。基本返事は二文字だよ。言いたい放題言えていいんじゃないか?」

「あ、それなら相談相手としてはいいかも。『ああ』とか『うん』とかだけでも返事をしてくれたら、あたしずっと話してられるし」

「あと『メシ』とか『風呂』とか『寝る』とか」

「六段階くらい階段すっ飛ばしてるけど!? しかも相談に乗ってくれそうな気配ないじゃない!?」


 まあ昨日久しぶりにシンラと通信してみて、墨桐が相談する相手としてはそれなりに適当だとは思ったけどな。

 同じ魔術に造詣のある者同士、分かり合える部分もあるかもしれないし。性格的にはちぐはぐな方が上手くいったりするしな。


「っていうか、先輩……そもそも初耳なんだけど、元の世界と交信出来るの?」

「……ああ、出来るが。……墨桐は出来ないのか?」

「あ、うん、えっと……うん。出来ない……」


 珍しく歯切れの悪い返事をする墨桐。なんとなく居心地が悪くなるような返事だ。

 少しだけ視線を外して何かを考え、俺に向かって横目で尋ねてくる。


「それって……どうやって交信してるの?」

「神剣を使って。通信が出来るの知ってるだろ? それで異世界とも交信出来るんだよ。同じ神剣同士の感応反応って言ったか、セーナ」

『詳しくは説明せぬが、概ね合っている』


 心配しなくてもフラットさんと通信出来るようにはしねーよ。胸で弱々しく光るセーナに内心で呟く。

 それを聞いて墨桐は自分の頭に今日もついているヘアピンを弄りながら考える動作をする。


「……そうなんだ。神剣って便利ね?」

「聖杖ではそういうこと出来ないのか。まあ聖杖に対になる装備があるかどうかは知らないけど」

「うーん、あるにはあったけど、そんな便利な機能はなかったかな……そもそもフラットさん、会話が通じないからどんな機能があるか分からないしね。こちらが求めれば魔力の構成を編むのは手伝ってくれるけど、それだって基本の構成はあたしが頭で追ってるし」

「つくづく、有人格杖インテリジェンススタッフである意味ねーな……」


 俺が呆れ顔で墨桐のヘアピンを見ると、フラットさんは元気よく『副交感神経と六気筒エンジンのカルパッチョ☆』と挨拶をしてくれた。

 多分おはようございますなんだろうな。おはようございます……。


「なんか、羨ましいな、そういうの」

「……そういうのも、ホームシックっていうのか?」

「分かんないけど……ただ、あたしの場合突然だったから……こっちの世界に戻ってきたの」


 どこか言いにくそうに墨桐が言葉を零す。

 俺はそれを拾い上げるかどうか迷い、結局拾い上げることにする。

 もしかしたらそれが、ハルカゼの言っていた墨桐の抱えるものかもしれないと思い、一歩だけ踏み込むことにした。……もしヤバいと思ったら引き返す準備はしておこう。女子の地雷ってどこにあるか分かんないし。


「……魔王は倒したんだろ?」

「うん、倒した。倒して……一応、世界に平和が戻ってた、ような気がする」

「なんだよ、煮え切らないな。……魔王が居なくなったんだからハッピーエンドでいいだろ」

「う、うん、多分そうだよね?」


 魔王を倒したらそれを裏で操っていた大魔王とかが出てこない限り、話はそこで終わるのが筋だ。

 倒す直前で召喚されて思いっきり水を挿されでもしない限り、そこで話は終了となる。後は待望のエンディングというか、俺が終ぞ出来なかった異世界に残るのか元の世界に帰るのかという選択が残っているだけだ。

 墨桐が魔王を倒したというのは、どこか確信めいた言い方と態度から嘘ではないだろうけれど、何だこの違和感。

 喉のあたりに骨が刺さってるような、そんな感じだ。


「ただ……やっぱりちょっと何にも言わずにいつの間にかこっちの世界に戻されたっていうのは、それなりにショックでさ。……だから先輩達に声掛けたのかもしれない、とかはちょっと思ったかな」

「異世界に居るときその可能性については、俺も全然考えてなかったな。途中で呼び出されて初めて、ああそういうこともあるのか、と思えたくらいだ。こっちの世界の自分が嫌で飛び込んだ世界だったから、夢から醒めるみたいな感じに再度召喚されるなんて、思ってなかったよ」

「だよね。あたしもさ、考えてみればそれって当たり前のことなんだけど、勇者が魔王っていう『世界の危機』を倒した後っていうのは、やっぱりその世界にとって勇者は異物でしかなくなるんだよね。だから、送り返されるのも当然っちゃ当然なんだけど、余韻とかさ、何かその……」


 ……言わんとしていることは分かる。

 ただ、魔王を倒した後の勇者の処遇に纏わる話を、俺は一ヶ月程前に自分の得物から聞かされていた。

 勇者という優れた力を持つ者が、その力を向ける先を失ったときの末路について、だ。

 だから、一概にあちらの世界に勇者として留まることを是とは思わないのだが、やはりその世界の為に貢献してきたのだから選択肢くらいはくれよとは思ってしまう。

 例えば映画が全てを解決してからいきなりスタッフロールが始まれば物悲しいように、人はある程度の余韻を以って物事の終わりをしっかりと咀嚼したいものだと思う。


「先輩は、どうするつもりだったの。ハルハルにこっちに召喚されなかったら……」

「……正直分からん。考えたこともなかった。魔王と実際に決着をつける段階になっても、俺達が魔王に勝てる確証なんてなかったからな……勝ったあと、世界を救ったあとのことはそれから考えるつもりだった」

「それも分かるなー。こっちはさ、魔王を相手にした戦いっていうのはサクっと終わらせられたんだけど、それでも世界を脅かしてる存在を相手にするのは怖かったし、倒したあとのことを最初から考えては居られなかったもんね」


 ……何か異世界召喚あるあるみたいになってきた気がする。

 異世界召喚者同士が、しかも別の異世界に召喚された者同士が話すような偶然滅多にないだろうから、結構貴重な会話なのかもしれない。


「こっちの世界に戻ってきた瞬間は、どういう感じだったんだ?」

「……気付いたらこっちの世界の自分の家のベッドで寝てたのよ。こちらの世界では大して時間は経ってなくて、拍子抜けしたわ。ただ、あっちで得た能力と、姿は変わっちゃったけどフラットさんがいてくれたから、夢オチじゃないっていうのは分かったわ」


 本気で同じこと思うもんなんだな。

 突然こちらの世界に引き戻されたら、普通今までの冒険が単なる夢オチじゃないかって思うもんだ。

 しかも俺や墨桐みたいに結構順調に異世界で勇者をやっていた者なら尚更。


「あたしは先輩みたいに交信の手段を持ってなかったし、それに異世界の方が平和ならそれでいいかなって思った。結構うちのパーティも仲良かったから、ちょっとだけ寂しかったけどね」


 まあ俺も、急にアリシア達と連絡が取れなくなったら、例え世界を救った後だったとしても、寂しくはあっただろうと思う。

 俺は小さく嘆息して、ある意味俺より不遇な存在である墨桐ニカという名前の孤独な勇者に苦笑した。


「……案外な、こっちの世界も捨てたもんじゃないと思うぞ」

「大丈夫、あたしも今そう思ってる。……少なくとも、目の前に空いたどこかの世界に繋がってる『かも』しれない穴に飛び込む勇気があれば、どうとでもなるじゃん? って感じだし」

「この調子だとお前が一年の間に友達百人出来ると思うぞ。富士山の上でおにぎり食べるのはお前抜きでだがな」

「確かにあの歌一人減ってるけど、それがあたしなの!?」


 こいつツッコミとして万能かよ。切り返し早いにも程がある。即座に一年生になったら、の歌の歌詞だと理解するとか、ツッコミの神に愛されてるとしか思えない。

 相変わらずからかわれたとしか思えないのか、肩を怒らせて俺の隣を歩く墨桐だが、ふと何かに気付いたように俺を見る。


「あとさ……その、先輩を召喚したハルハル、何か抱えてるみたいな感じじゃない? 先輩、知ってるの?」


 唐突といえば唐突な、その歯に衣着せぬ物言いに、少しだけ鼻白む。

 ただの騒がしい相手とは思っていなかったが、ハルカゼが墨桐を良く見ているのと同じように、墨桐もハルカゼを良く見ているらしい。

 ……俺は正直に答えを返す。


「……いや、詳しくは知らん。あの性格だから、抱え込むものも大きいんだろ。元々、俺を使役してでも『世界の危機』と戦わせようとしてたくらいだし」

「……使役? ハルハルが? ちょっと想像つかないわね、それ。そういうこと出来るとは思えないけど」


 今は俺も同意見だが、それだけハルカゼの覚悟が強固だったということだ。

 自分一人の問題に還元しようとした結果の空回りだったので、何が悪いかといえば他人を頼ることが出来ないハルカゼ自身の弱さと強さが悪いとしか言いようがない。

 それに、今でもその性質は本質的には変わりがない。ハルカゼが何かを抱え込んでいたとしても、それを容易に俺に教えるとは思わないし、出来るだけ隠しておこうと思うだろう。

 墨桐がそれに気付いたということは、墨桐の方が、俺より他人を見る目を持っているということだ。異世界に召喚される資質というものがどういうものかはわからないが、それだけでも十分な資質だと俺は思った。


「……何か抱えてるなら、吐き出させてやらないとな」

「そうね。折角だし。今度のファーストフードのお店では、愚痴大会にするわね。葛切先輩があたし達のここを見るときの目がイヤらしいトップ10とか、葛切先輩にさせたい格好ベスト10とか」

「俺はセクハラしたらいいのかセクハラされたらいいのかどっちだそれは」


 実際受けてたのはパワハラで、今しているのは逆パワハラだが。

 ……俺がハルカゼに、たまに言いたいこと言わせてストレス解消させてやってるのも、バレてるんだろうなとは思う。それと同時に俺も多少面白がっていることは認めるが。いつか手痛い逆襲が来ることも覚悟はしている。文字通りな。


「お前から見て、ハルカゼは無理してるように見えるか?」

「……うーん、どうだろ。時々先輩を見る目が、怪しいなと思うことはあるかな」


 ……怪しいってなんだ。

 まさかあいつ、俺をイヤらしい目で見ているのか。俺がイヤらしい目で見ている仕返しか何かか。見てねえよ。


「でも、それは結局当人同士の問題なんじゃないかなって、あたしは思うわ。相談に乗ることくらいは出来るだろうけど、きっとハルハルと先輩の問題は、二人で解決すべきだろうから。結婚式だって夫婦の最初の仕事は一緒にケーキ切ることでしょ? ケーキ入魂だっけ」

「砕け散るわ。何でケーキに気合入れてんだよ。……っていうか、そういう問題なのか? ハルカゼの視線って」

「ううん、多分違うと思う。……それが全くないって言ってしまうと、先輩の男としての魅力が皆無だって言ってるようなものだから言わないけど、ただそれだけの視線ならきっと、あたしも変だなって思わなかっただろうし」


 言ってるようなもんじゃねーか。男としての魅力ってどこで買えるんだろう。

 ただ、それを期待していたわけではなく、やはりハルカゼが俺に対して抱いている気持ちっていうのは、何か言葉で表現出来ないものだということは伝わってきた。昔はそれの正体をハルカゼ側が定義してくれていたことによって、主従という関係に収まっていたのだが、今はそれが少しずつ薄れつつある。

 ……正直、ハルカゼが俺をどう思っているのか、今は全く検討もつかない。

 勇者としての俺と、個人としての俺。そして、必要としていることが最初に来ているのか、召喚した義務感と罪悪感が最初に来ているのか……ハルカゼの中の俺への気持ちのバランスがいまいち分かっていないのだ。

 もちろん、俺という勇者を召喚した召喚主として、『世界の危機』からこの世界を守って欲しいという願いは変わっていないだろう。


 ただ、俺が今それを断ったところで……ハルカゼは俺の手の紋章を使ってでも、俺に世界を守らせるだろうか?

 その俺の中の疑問は、答えがイエスでもノーでも中途半端な回答になってしまうように思え、未だ本人には問えずにいる。

 あいつは俺に何であってほしいのか。

 それはきっと、墨桐の言う通り、俺が直接ハルカゼに聞き、答えを貰わないといけないことなんだろうなと思った。


 墨桐ニカという壁を用いて自分に問うた問題は、ちゃんとした形として俺の中の引き出しに収まる。

 それは感謝すべきことなのかもしれない。墨桐自身にも、彼女という俺と問題を共有してくれる相手と出会わせて貰ったことも。


「……ありがとな、墨桐」

「ん? 何が? ……いいよ。勇者だし」


 ……どうやら、そうみたいだな。

 俺が逆の立場だったら絶対に言っていた照れ隠しを言う墨桐に、俺は小さく笑った。





 ――そのとき。

 俺は空で何かが光ったような気がして空を見上げた。


 夏の朝方の雲ひとつない空に、一筋。

 ――サッ。と何かが横切ったような軌跡を描いた。


「……?」


 見間違いかと思って目を凝らしたが、今は俺の出番だとばかりに太陽が輝いており、視界を眩ませる。

 角度を変えてみたり手で光を遮ってみたりして空を見るが、やはりそこには何もない。

 こんな朝っぱらから流れ星というわけではないだろうに。

 ……深層心理で、俺は昨日アリシアが見た流れ星を自分の目で見れなかったのがそんなにショックだったのかと少し落ち込む。おい、器小さいな俺。


 溜息と共に墨桐の方を見た瞬間。


 ――考えるより先に手が伸び、身体が動いていた。

 目の前にいきなり生じた魔法陣から、墨桐の無防備な後頭部に向けて、弾丸のような速度で何かが撃ちだされたからだ。

 その手のひらに収まるサイズの何かは、石、もしくは岩のような塊だと俺の目と脳は判断していた。


 俺はその射出物と墨桐の間に割り込み、風で防御を固めた素手でそれを受け止めながら、墨桐を射線からどかす。

 幸い受け止められない程の速度ではなかったので、俺はその石を受け止めて握りしめる。バチンッ! という固い物が肉を叩く音が響いたが、その勢いは完全に殺すことに成功した。弾き飛ばすことも出来たが、周囲を確認するほどの余裕はなかったので、最悪損傷しても回復出来る俺の手のひらを犠牲にしようとしたが杞憂だったらしい。

 押しのけた墨桐が「――え!?」という疑問の声を上げ、姿勢を盛大に崩し、俺の身体に抱きつきながら――こいつ、足払いを掛けてきやがった。

 石の方に意識が向いていた俺は、その偶然形になった大内刈りに体勢を崩し、思いっきり墨桐の身体の上に倒れこむ。俺の下でぐえーっ!と声を上げる墨桐。

 ……白いシャツの表面に印刷されたような姿になったら名前はニカ吉だろうか、と思いながら腕をついて墨桐の身体の上から退く。幸いど根性が足りなかったようで打った頭を押さえながら俺の下で呻いていた。

 結果的に助けたのか助けなかったのか分からないことになったな、と思いながら手のひらの中の石を見る。……見たことのない輝きを持ったその石は、俺の目の前で出てきたときと同じような魔法陣に吸い込まれるように消えていった。


 ――その構成を、目で追う。単純に空間を跳躍する魔術だということだけは紐解けたが、すぐに構成が空中に解け、肉眼で追えなくなる。

 ただ、その目的は恐らく、墨桐への空間を超えた狙撃ではないかと推測出来た。


 ……魔法を使って、誰かが墨桐に攻撃を仕掛けてきた、ということか?

 こっちの世界で? しかもこんな白昼堂々? あれだけの精度を持った空間跳躍を使える魔術師が?

 よく考えれば、さっきも、そして昨日も、俺の後頭部に墨桐が何かをぶつけてきたと思っていたあれも、これと似たような現象だったのか……?


 たくさんの疑問が頭に浮かんでは、明確な回答のないまま保留されていく。

 唯一の物証であった狙撃に使われた石もなくなり、その疑問だけを持ったまま俺は頭を捻った。


「……せ、先輩?」


 俺の下で墨桐が抗議の声を上げる。

 見れば、朝っぱらから路上に押し倒されている婦女子がそこにいた。

 しばらく無言で真面目な顔になり見つめていると、墨桐は顔を赤くして指を噛み、何かを覚悟したような顔で呟く。


「せ、せめて最初は……ベッドの上で……って何でやねん!」


 ……凄いなこいつ。

 ノリツッコミまでするようになったぞ。

 ツッコミが膝蹴りだったところ以外は、完璧に評価したかった。……下腹部に大ダメージだよ、朝から。

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