38話 墨桐ニカと桜倉ハルカゼの友人関係。
靴を履き替えて学校の玄関から外に出る。
シャーペンで確認すると時間は六時少し前だった。
今が何時か気になって当たり前のように胸ポケットに手を伸ばしたが、シャーペンで時間を確認する世界で唯一の高校生な気がするな……。
五時半に俺達の集会が終わるのは、ハルカゼが最初に決めたことだ。六時までに資料室の鍵を職員室に返しに行かないといけないらしく、余裕を持って五時半までの活動にしているらしい。俺達もそれに倣って、いつも五時半には自然解散となっている。
大体春頃はこれくらいの時間には外が薄暗くなっていたが、夏も本番を迎えた今はまだ周囲は少しだけ明るい。夕焼けの赤に照らされて、少しだけ郷愁を感じる。いや、生まれは俺もこっちの世界だけどな。
資料室を出たところで、アリシアが部活の様子を見てくると言い、一足先に別れた。なんでも、運動部の人間から一目置かれているようで、特に武道系の部活において指導に似たことを行ってもいるらしい。ポンコツな割に面倒見いいから、多分後輩とかのウケがいいんだろうな。
どうせ家に帰れば顔を突き合わせるのだから、非常時以外は資料室の集会よりもそちらの活動を優先してもいいんだぞとは言ってある。ただ、アリシア曰く「私はセト様が第一ですので!」とのことだった。そんなことを言われると俺だって拒絶は出来ないだろう。
魔王は何も言わずにさっさと帰っていった。相変わらず資料室には来る癖に協調性は欠片もなく、日頃何をしているのかも全く分かっていない。詮索する気もないし、探れば探っただけ胸に抱えた一物が零れ落ちそうなので、俺は興味のないスタンスを貫いている。
真剣にこちらが悩めば悩んだ分だけ肩透かしをしてくる相手だから、対処は事後でもいい。今の彼我の実力差はそれくらいはあると踏んでいる。
ハルカゼはというと……俺より先に玄関に向かったはずなのだが、姿が見えない。
校門の外まで出ているのかなと一歩踏み出したところで、後ろから頭に何かを当てられて振り返る。
「ちょっと……!? 何で置いていった!?」
憤懣やるかたない感じで肩を怒らせる墨桐が、後ろにハルカゼを従えながら現れる。
ハァハァと息を荒らげている辺り、多分走って追いかけてきたらしい。
「置いていったっていうか、お前が必死にゲームしてるから邪魔したら悪いかと思って」
「ちょっと資料室の鍵を返してくるって言ってたのに、何で帰ってこないのよ!?」
「帰って来たっての! お前の名前も真横で呼んだぞ!? なあ、ハルカゼ!」
「う、うん……しかも、色々やってみたけど、全然反応なかったから……」
「えっ!? 何それ!? 全然知らないんだけど!?」
こっちも暗くなる前に帰りたかったから、頭を小突いたり背中に手を突っ込んだり嫌がるハルカゼに少しだけスカートを捲らせてハルカゼに色を聞いたり色々したのに、目の前に置かれたゲームに集中して全く気づかなかったので苦肉の策だった。
正直そのゲームを貸し与えた人間としては心配になるレベルで没頭していたので、少し気の毒になったくらいだ。
白とピンクの縞々は、手に持ったアナログゲームを俺に突きつけてくる。
「あとこのゲーム全然終わんないんだけど!」
「そうか? まあ、俺も一回も終わらせたことないから、ちょっと攻略法調べてみてくれよ、ハノイの塔で検索したら出てくるだろうから」
「そんなゲーム他人にやらせないでよ!? ハノイの塔ね! 分かったわ、調べておく!」
ちなみに二十段バージョンなので一秒に一枚動かしても、終わるまで十日以上掛かるけどな。
ハノイの塔を鞄に仕舞い、代わりにメモを取り出して名前をメモる墨桐。
一緒に帰るつもりらしい彼女に向けて、俺は尋ねる。
「……墨桐、家どっちだ?」
「中央交差点の方。……中央病院の方って言ったほうが分かりやすいのかしら」
「メイン通りの方か? 雑貨屋のある」
「そうね。そっちの方向よ」
高校からは俺やハルカゼの家より墨桐の家の方が遠いらしい。ただ、大体の方向は同じだ。……途中で坂の上下で別れないといけないけど。
俺とハルカゼの家は墨桐の言葉の中に出た中央病院の正面の坂を登った先にある。つまり大体坂の中腹辺りを目指していき、二手に別れればいいかと目星をつけた。
もうその時点で、なんとなくいつも通りの静かな下校ではなくなるんだろうなと思っていたので、俺は深く深く溜息を吐く。
「両手に華よね! 葛切先輩」
華は自分のこと華って言わねえよ。
「へえ、じゃあハルハルは魔術師と魔術師のハイブリッドなわけだ。成る程ねー、道理で。異世界でもレベル99って珍しかったのに、それは納得だわ」
「う、うん……何か、そうみたい、だね。セトさんが、そう言ってて、初めて分かったって、いうか……」
静かな下校など最初からなかった。
というか、良くもこう何分も何分もしゃべり続けていられるなと感心すらする。
この十分余り、俺もハルカゼも相槌を打つことしかしていないのに、墨桐の方から話題がどんどん溢れてくるせいで会話が全く途切れない。
ハルカゼと二人での下校時など、たまにハルカゼの家に着くまで何の会話のないときまであるのにな。
「じゃあ、あの資料室に置かれた魔導書みたいなやつ、あれってハルハルが持ち込んだの?」
「あ、ううん……あれは、どこかの図書館から寄贈された本、みたいで……家にない類の魔術書だから……その、興味があって」
「あーはいはい、成る程成る程、だから資料室整理を買って出たと、中々の策士だねハルハル」
「……そ、そうなのかな」
意外と、やはりこの二人は噛み合っているような気もする。
墨桐の楽観的で適当な話題振りを、上手くハルカゼがコントロールしているように見えた。
……隠れドSと積極的ドMの相性の良さだろうかと最低なことを考える。単に波長が合ってるだけとも思えるが。
アリシアがハルカゼを主の主ということで、俺に対して話すような話し方で彼女に接するため、こうやって普通に会話をしているハルカゼは初めて見たとも言える。
ただ、なんとなくハルカゼの方もかなり積極的に墨桐の相手をしているように見えるのは気のせいだろうか。
……ハルカゼもハルカゼで新しく友達が出来たのが嬉しいのか? ……なんだこの兄が妹を見るような視線は。
俺は自分の立場が何なのか分からなくなりながら二人の後輩が話しているのを後ろから眺めていたが、突然墨桐が振り返り、話題をこちらに振ってくる。
「そういえば、先輩は何で勇者に?」
「……元々異世界という業界に興味があり、召喚されることで自分を高め、異世界と共に成長出来ると思ったからだよ」
「面接かっ!」
詳しく説明したくないなあ、墨桐には特に。しかもハルカゼはもう経緯を知っているせいで、恥の上塗りになる。
「……大体、お前と同じだよ」
「ふーん、そう。やっぱり、きっかけは皆そんなものなのね」
「何だってそうだろ。意味なんて後から振り返ったときにそれらしいことを言っておけばいいんだ。小学生の夏休みの絵日記みたいなもんだな……」
「分かるわ、すごくよく分かるわ」
最終日に慌てて宿題を全て終わらせていたであろう俺達は、より深いところで理解をしあう。中旬あたりが特に思い浮かばなくて、三日連続で花火大会の話にしたりしてな。明日の花火が楽しみです、花火大会楽しいです、昨日の花火大会楽しかったです。良い子は真似しないようにな。
墨桐は少しだけ歩く速度を落として俺の隣に来る。必然的にその隣を歩いていたハルカゼも俺の反対の隣に来て、先ほどの墨桐の言葉ではないが両手に華状態になる。
今が五時半という中途半端な時間で良かった。恐らくクラスメイトに目撃されていれば、社会的な制裁は免れなかっただろう。ただでさえアリシアと『家が近く』ということになっていて、クラス中の男からの風当たりが強いというのに。
隣に並んだ墨桐は見上げるようにして尋ねてくる。
「あたしが呼ばれた異世界のことは少し教えたけど、先輩の異世界についてはまだ聞いてなかったわね、そういえば」
「別に、面白いことも何もなかったぞ。普通に剣と魔法があって、魔王がいて……それなりに生活水準も高い国に召喚されたから、あまり不便を感じることもなかったしな」
「えっ、そうなの? あたしのところ結構食事は苦労してたけどね。帰ってきてからファーストフード食べに行ってちょっと感動したもん。美味しくて」
「……それはあるな。ファミレスとかも。出てくるの凄く早いし、日本のサービスの水準はちょっとおかしいとすら思った」
蛇口捻ったら飲める水が出るって相当凄いことだと思う。
異世界ではそれを魔法で可能にしていたけれど、こっちはそれを人間の努力でどうにかしているんだろうし。
墨桐は何かを思いついたように口元に指を当てて唸る。
「……なんか凄くハンバーガー食べたくなってきたわね」
「急だな、おい」
「なんか時々無性に食べたくならない? ああいうの。あたしは今がそのとき。今からはちょっと厳しいだろうけど、今度皆で食べに行かない?」
その発想が、今までの資料室メンバーにはなかったと言える。
インドア派を中心として集まった集団であるから当たり前なのだが、それこそ魔王の提案でもなければ皆自分から回りを巻き込んで腰を上げようとはしない面子だったからな。
ただ、まあそのくらいなら小旅行程の準備をしなくてもいいだろうし、きっとファーストフード食べに行くくらいなら性別も逆にならないだろうし、いいかもしれないとは思う。
確かファーストフードにも紅茶というかアイスティーくらいはあったしな。そう思いながらハルカゼに尋ねる。
「ハルカゼも、いいか? たまには……」
「あ、えっと、はい……お祖母ちゃんには、ご飯いらないって、言っておきますので……」
「どんだけ食うつもりなんだよ、入るだろ、晩くらい」
「その辺、男子高生と一緒にしないで欲しいわね。華の女子高生に無理言わないでよ、先輩」
その割にスイーツが入るようの別腹が用意されているのは、どういう収納術を活かしての臓器配置なんだろうか。日曜の昼辺りに出てる主婦向け番組の収納名人でもそんな収納術知らねえよと思う。
「んじゃ、今度行くか。その連絡が必要なら、事前に決めておかないとな、予定」
「おっけー、じゃああたしの方で調整しとくわね。オーマちゃんにもあたしが連絡しておこう。さっき資料室でメルアド聞いたし」
「……あいつメルアド持ってんのかよ」
初耳なんだが。メルアドどころか連絡手段持ってるのが余りに意外過ぎる。
初日でそれを聞き出す墨桐も墨桐だが。
「アリシアちゃんには、先輩お願いね」
「分かった。多分、あいつは予定らしい予定ないだろうから、いつでもいいとは思うけどな」
「アリシアちゃんも神剣持ってるのよね? そしたら、あたしの聖杖と交信とか出来ないのかな」
『――出来ん』
俺の胸元から声がする。
……セーナが、俺の胸ポケットで何か必死な感じに光っている。
『出来るはずもない。神剣と神剣の通信は、同じ素材と同じ鍛冶師が打ったという共通点あってのもの。例え同等の格を持ち合わせた異世界の神器であろうとも、そう易々と通信が出来ようはずもない。何故ならば――』
「どんだけ必死だよ。半分お前の願い入ってんじゃねーか」
『出来ないのだから出来んのだ。試す必要もない。あるはずがない。そもそもがシャーペンとヘアピンで通信が出来るなどという荒唐無稽な話があって堪るか……!』
シャーペンと蛍光マーカーが通信出来ることとの違いを言えよ。お前どんだけフラットさん怖いんだよ。
「そうかなー、もし神剣と聖杖で通信出来たら、先輩とも連絡取るの楽だしいいかなーと思ったんだけど」
『無理だ。諦めよ、墨桐とやら。無理なものは無理なのだ』
『――フラットさんクイズ! 朝は四本足、昼は二本足、夜は七本足の生物が冷蔵庫の下に入り込んだまま昨日から出てこない……』
『……無理だっ!』
唐突に喋り始めたフラットさんに対して、もはや悲鳴のようなセーナの拒絶を聞いて、墨桐は渋々通信を諦める。
マジで何なんだこの聖杖。本気で何言ってるか分かんねえ。この人格を聖杖に付与したの一体誰なんだよ。
苦笑して墨桐は自分のヘアピンに向けて話しかける。
「残念だねー、フラットさん。もう少し仲良くなってからお願いしようね」
『フラットは、道でお爺さんが歩いていたので四回折り畳みました。昨日の事です』
「そうだねー……あ、先輩、セーナさん照れ屋みたいだから先輩からもお願いしておいてね」
多分、いや、絶対無理だと思うけどな。
セーナだけじゃなく俺もなんかそのヘアピン怖いし……。
通信を諦めてとりあえずの予定を書き残したのか、メモを畳んで墨桐は楽しそうに跳ねる。
「いいわねいいわね、何か楽しくなってきた。あ、どうせなら小旅行とか行かない? 海とか!」
遅いわ。
行ったわもう。そしてひどい目に遭ったわ。
直接的にそれが原因ではないが、もう何故か今年は海には行きたくない気分になっている。行くとしてもプールとかにしてくれと言うと、墨桐はオッケーと明るい返事をしてきた。
「ハルハルは、どこか行きたいとかないの? そろそろ夏休みだし、色々考えておくのもいいかと思うんだけど」
「う、うん……そうだね……今のところはない、かな」
「じゃあ、何かあったらあたしに相談してよね、と、友達だし!」
どもりながら嬉しそうに言う墨桐に、ハルカゼは、うん、と小さく、それでも肯定する返事をした。
まあ、どっちにとってもいいことなんじゃないかな、と偉そうに思ってしまう。
やがて病院前の坂に差し掛かると、墨桐はびしっと敬礼して俺達と距離を取る。
坂の下で小さく手を振って、明るく言った。
「家、こっちだから。じゃあねハルハル、先輩。……また明日」
「うん、じゃあね、ニカさん」
「気をつけて帰れよ。車に轢かれないようにな。絶対に轢かれるなよ。絶対だぞ」
「やめてよその言い方! 思わず轢かれに行ったらどうするのよ! 芸人か!」
芸人じゃなかったのか……。
俺は新しい事実が判明したので、心に深く刻み込んだ。
「先輩こそ、道端に美味しそうなものが落ちてても拾って食べちゃダメだからね」
「フランス料理のフルコースが店ごと落ちててもか?」
「それは道端に落ちてるんじゃなくて道沿いにあるフランス料理のお店よ! お金払えば食べていいわよ!」
「そうか……墨桐は賢いな」
「……今更もしかしても何もないんだけど、葛切先輩、あたしのこと面白がってるでしょ」
多分お前が芸人だったら出待ちするくらいには惚れてるよ。
「あ、あと。……ハルハル、ニカって呼んでくれて、ありがとね!」
自分の言葉に照れたのだろう。
顔を真っ赤にしたまま墨桐は俺達と距離を取る。
指摘されたことで、自分が勇気を出して名前で呼んだことを俺に気づかれ、ハルカゼも顔を赤くしている。
……何だこの空気。俺がいたたまれなくなってきたぞ。
その後も墨桐は何度も振り返りながら手を振って、坂を下っていった。
どれだけ他人と下校し慣れてないかが分かる盛大なエンディングセレモニーを終えて、俺はハルカゼに肩を竦めた。
ハルカゼも俺を見て小さく笑う。
「一気に騒がしくなったな。……疲れないか、ハルカゼは」
「……えと、大丈夫です、墨桐さん、悪い人じゃないですし……」
「それは、俺も保証する」
大体、恐らくああいう人間でなければ勇者なんて務まらないんだと思うしな。
今は割りと典型的な勇者型思考である俺が思うんだから間違いない。
墨桐が異世界でどういう冒険をしてきたかは知らないが、この二日間付き合っただけで大体の人となりは理解出来る。それくらい裏表のない存在が墨桐ニカという少女なのだ。
比喩や過大評価でなく、俺の代わりに墨桐が召喚されていたとしても、きっとハルカゼの親身にはなってくれていただろうなという、変な信頼が生まれていた。
「ファーストフード、無理しなくてもいいんだぞ」
「えっ、む、無理……?」
「人混み、あんまり好きじゃないだろうし、本当に嫌なら言ってくれたら俺がどうにかする。墨桐も嫌がるお前を無理やりとは絶対に思わないだろうしな」
「い、いえ……大丈夫です、少しだけ……興味もありますし……」
……やっぱり、やけに積極的だな。ハルカゼ本人にとっては、いい傾向だと思うが。
その疑問に答えるように、ハルカゼは少しだけ俯いたまま言葉を漏らす。
「……ニカさん、少しだけ無理してるような気がして」
「無理……? あいつが?」
それは、少しだけ予想外の言葉だった。
恐らく墨桐の明るさは天性のもので、無理をして明るく振舞っているような素振りは感じられなかった。無理をしているとすれば、新しい友達を逃がすまいとちょっと空回りをしているところだろうが、ハルカゼの言葉のニュアンスはもう少し重いものだった。
「もしかしたら、ですけど……」
「……お前のもしかしたら、結構当たるからな……」
元々が高位魔術師のクラスが感知能力に優れているせいもあって、桜倉ハルカゼの勘は良く当たる。
それに、同性同年代の友達にしか分からないこともあるのだろう。俺には全く分からなかったが。
「……もし、ニカさんが助けを求めてきたら」
「任せろ。それ以上言わなくても、分かってる。だからそんな顔すんな」
「ごめんなさい。お願いすることしか、出来なくて」
「お願いされるのが楽しくて勇者やってるようなもんだからな」
俺も、他人のことは言えない。
照れ隠しにハルカゼの方を見ないようにして言った言葉に、ハルカゼは小さく、はい、と返事をした。




